REALTOKYO CINEMA

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Review 56『大地と白い雲』

もうひとつの「地平線」を探して

文・福嶋真砂代

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©️2019 Authrule(Shanghai)Digital Media Co.,Ltd,Youth Film Studio ALL Rights Reserved.

公開中の映画『大地と白い雲』の始まりがおもしろい。妻のサロールがバイクに乗り夫を探す。口々に「チョクト」が繰り返され、モンゴル人の名前の音感が耳に残る。「チョクトを見た?」「チョクト? 一緒に飲んだけどいつだったか」「チョクトからの小包だ」でもチョクトはいない。喜劇的なリズム感だ。こんなに探される(つまり愛されている)「チョクト」とはどんな男なんだろう。すると当人は呑気に寝そべってタバコを燻らせる......。雄大なモンゴルの自然を背景にユーモラスに描かれるこの冒頭シークエンスがたまらなく魅力的だ。この流れのなかに愉快な友人のバンバルとすれ違うサロールと男衆のシーン、「囲いを直しに!」というキーワードをサロールが言い放つ。それについては後半あらためて。

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©️2019 Authrule(Shanghai)Digital Media Co.,Ltd,Youth Film Studio ALL Rights Reserved.

主人公の夫婦、チョクトとサロールが暮らす内モンゴル自治区のフルンボイルは、見渡す限りの平原、視界には常に地平線があり、壮大に出入りする陽光を全身に浴びる。過酷なほどに地球を感じ、もしくは宇宙感覚をいつも持てる、そんな特別な環境なのだと、パノラマやドローン(おそらく)などのハイテク技術を駆使した映像が伝えてくれる。

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チョクトが考えごとをするときは、草原にクレーターのようにぽっかり空いた穴(ゴルフ場のバンカーのような)のフチに座り込む。そこには何があるのだろう(何かが到来したのか……)。馬はチョクトの隣でじっと待っている。こんなに特殊な場所で生まれ育ったチョクトは、時代の動きを感じる触覚を備えているのかもしれない。アンテナを張って、それを確かめようとする。都会への憧れとかそういう気持ちよりも強く、世界を見たい、識りたいと切望する。いっぽう妻のサロールは「私はここが好き。死んでも離れない」と頑として動かない。しかし草原で“馬追い”をやらせたら世界一、サロールが惚れ込む勇壮な夫は、異なる「地平線」を夢見る。「世界はこんなに広い、視野を広げるべきだ」と思う。生活の生命線である羊を怪しいディーラーに売ってまでも、ブリザードが吹き荒れる中、遠い道のりを歩き続けてもだ。だけど妻の妊娠には気づけない。夢と現実の距離は遠い。たとえドレスやスマートフォンのお土産で妻のご機嫌をとっても、夫婦間の「ズレ」はクレーターのごとく大きく育つ。そんなふたりはそれでも睦まじく、新しいスマホで気持ちを確かめ合う。

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チョクトがそんな冒険に出かけられるのは、「家」にサローラが待っているから。チョクトは痛いほどわかっている。それなのになぜチョクトは出かけていくのか? 哀しいかな、次に家に帰るときどうなるか、想像が及ばない......。

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とにかくキャスティングがすばらしい。モンゴル語を正しく話し、さらに生活感覚として放牧経験があることを基本として主役を探し続け、チョクト役には「馬追い」を自然にこなすジリムトゥ、そして民謡の歌い手でもある(その歌声は元ちとせを想起させる)サロール役のタナを起用した。ふたりはナチュラルかつリアリティのある演技で見事に応えている。ワン・ルイ監督はロウ・イエ等と同学年の”第6世代”にあたり、北京電影学院で教鞭をとっていたが本作で中国の監督賞として最高賞を受賞した。「羊飼いの女(放羊的女人)」(漠月)を原作とした本作は亡き妻に捧げられている。深読みすると、妻への愛情とともに、後悔や懺悔の思いも感じとれるように思う。

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さて冒頭、職人風の男衆を従え、さっそうと進むサロールが口にする「囲いを直しに」という言葉は象徴的だ。つまり、政策として伝統的な遊牧民の生活を廃止したことで「囲い」が出現した。しかしいつしかそれが綻び、遊牧民としてのアイデンティティを見失い、再び探し出す、という時代の流れを表しているかのように思える。羊にとって“境界線”などどうでもいいのと同様に、人間を「囲う」ことが可能なのかという疑問を投げかけているのではないだろうか。「この世のことは思うより簡単じゃない。どんな苦難にも逃げ出さずに向き合うことだ」という村の長老ボヤンが遺した深い言葉が心に響く。

追記:「クレーターのような穴」について本作宣伝の西晶子さんに伺いました。ワン・ルイ監督によると、「砂漠に突然現れるクレーターのような砂漠化した土地は、違法に採炭がなされ、草が生えなくなってしまった場所なのです。現地の人は“草原の傷”と呼んで、胸を痛めているそうです」とのこと。なるほど、チョクトの心に、この草原の傷の悲しみが染み込むのかもと想像を広げられました。

Information:

監督:ワン・ルイ(王瑞)
脚本:チェン・ピン(陈枰)
原作:「羊飼いの女」漠月
編集:ジョウ・シンシャ
音楽:ジン・シャン
出演:ジリムトゥ、タナ、ゲリルナスン、イリチ、チナリトゥ、ハスチチゲ

2019年/中国映画/中国語・モンゴル語/111分/原題:白云之下
字幕:樋口裕子/字幕監修:山越康裕
配給:ハーク 

2021年8月21日(土)より岩波ホールほか全国順次公開