REALTOKYO CINEMA

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Review62『悪は存在しない』

「自分自身に正直に、おもしろいと思えることをやる」

 ーー濱口竜介監督の映画の原点

文・福嶋真砂代

(C)2023 NEOPA / Fictive

※「はてなブログ」仕様によるアンダーバー+リンクはRTCの意図とは関係なく、無視しつつお読みいただければ幸いです。

後半ネタバレがあります。ご注意ください。

■超満員のPARCO劇場で『GIFT』を体感

「映画『悪は存在しない』を作るきっかけになったというライブ作品を体感してみたい!」と新幹線に飛び乗った。超満員の渋谷PARCO劇場。濱口竜介x石橋英子のコラボレーションによる『GIFT』*1。一回きりの東京でのライブパフォーマンスに間に合った。石橋英子がステージ上、スクリーンに向かって数々のアコースティック楽器や電子機材の前にスタンバイする。スクリーンには鹿の死骸の頭部クローズアップ。静かに音が立ち上がり、一瞬にして不穏な空気が充満していく。編集によってまるで形を変えた映像とセッションするような石橋のライブパフォーマンスに身を委ねた。濱口監督自身、「編集で数限りなく観ているのにライブを観るたび”新しい体験”をしている」という。「今、これを見て、この音を出しているんだなというふうに、映像と石橋さんの間で生じている相互作用みたいなものが感じられて、音楽によって映像の見え方も変わってくるし、映像によって石橋さんの音の出し方も変わってくる……(公式インタビューより)」と自身が感じた新しい衝撃を語る。まさに身体の細胞が泡立つようにゾワゾワした夜だった。

■あえて小規模ないつものチームで

映画『悪は存在しない』は、『ドライブ・マイ・カー』(21)の制作で意気投合した濱口と石橋が試行錯誤のやりとりをかさね、濱口が「従来の制作手法でまずはひとつの映画を完成させ、そこから依頼されたライブパフォーマンス用映像を生み出す」という過程をたどり、石橋のライブ用サイレント映像『GIFT』と共に誕生した作品。カンヌ国際映画祭はじめ世界各地で大きな反響を呼んだ大規模な作品のあとに、濱口はあえて小規模ないつものスタッフとキャストのチームで、自分の映画作りの原点に立ち戻るように制作した。「改めて自分自身に正直であることは大事なんだな、と。おもしろいと思えることをやる、逆に言えばそう思えないことを無理にはやらないっていう 姿勢から『悪は存在しない』と『GIFT』が生まれたと思います。」筆者の個人的な感覚だが、本作を観てなぜだか少し安心した。おそらく原点回帰的な制作から生み出された濱口作品特有の「居心地の悪さ」が戻っていたからかもしれない。

■人間の「真実」とは何か...

映画の舞台となるのは自然豊かな高原にある長野県水挽町(みずびきちょう:架空の町)。人々が自然の恵みに感謝をしながら助け合って暮らしていた。便利屋を営む巧(タクミ:大美賀均)とひとり娘の花(ハナ:西川玲)の親子も同じく、自然のワンダーのなかで伸びやかに慎ましく暮らす。ある日のこと、東京の芸能事務所がコロナ補助金をめあてに立ち上げたグランピング場建設事業の説明会が行われることに。水のきれいな土地を移住者が自然と共存しながら開拓し発展してきた町なのだが....。

ところで、住民と事業者の丁々発止のやりとりのシーンを見ていて、筆者が初めて触れた濱口作品『Passion』(08、東京藝術大学大学院映像研究科の修了制作)のあるシーンが浮かんだ。それは全編、緻密に書かれたセリフによる会話劇なのだが、なかでも中学校のクラスで「暴力」について語り合う、唐突だが深遠なシーンが織り込まれていたのが強く印象に残っている。その映画のなかで濱口は建前ではなく「本音」で生きること、人間の「真実」とは何か、そして「暴力」について痛烈に問いかけていたように思う。その鋭い切り口に濱口の超絶な技巧、それを長回しで撮る潔さがあり、初期作品からすでにはかりしれない才能の「不気味さ」に慄いたのを思い出す。

■ひどく美しい世界の残酷な最後

『悪は存在しない』に話をもどすと、グランピング建設の「説明会」において住民が事業者に「本音」をぶつけることで、説明担当者の高橋(小坂竜士)と黛(渋谷采郁)は自身の仕事に疑問を持ち、さらには生き方そのものを変えてしまいたい衝動が湧く(それも驚きの展開なのだが)。このシーンは濱口の会話劇の真骨頂であり、綿密なリサーチに基づいた脚本とキャストのリアリティによって現代社会の闇が露わに写し出されていく。一貫して感じる妙味は、対話の重要性を描きながら、対話を重ねてもわかりあえないことに唖然とするしかない現実のドロドロ感。しかしそれでも対話にしか糸口はない。そのような人間社会の矛盾と不調和の外では、野生動物は自然の摂理のなかで棲息し、人間はその自然を踏み荒らしバランスを崩す。まさにその微妙な境界線、いまにも足元から崩壊しそうな不安定な薄氷の上に人間はかろうじて生きているのではないか。霧の中に吸い込まれるような謎に包まれたラストシーンに至るまで、知らず知らずに内臓に染み込んでくるような石橋の音楽に誘われていく。そうだ。『Passion』で語りかけていた「外からの暴力」と「内なる暴力」の話。残忍な殺し合いが起こる「戦争」が現実に起こっているいまのこの世界で、「暴力」についてさらに思考を重ねるべきなのだ。するとタイトルに潜む意味にますます危機感と恐怖が帯びてくる。悪は存在しないのか?  冒頭とエンディング付近に現れる木々越しに見える空のカット、その視界は最後の景色となるのだろうか、何度でも確かめてみたくなる。タクミとハナのいる景色、とりわけハナの澄んだ眼差し、しぐさの愛くるしさも含めてひどく美しい世界の残酷な最後を。


※『Passion』について「ほぼ日刊イトイ新聞-ご近所のOLさんは、先端に腰掛けていた」にてインタビューした記事は以下に。濱口監督の映画の原点が語られています。

★GEIDAI2-1(2008-05-25-SUN)

★GEIDAI2-2(2008-05-28-WED)

Information

『悪は存在しない』
監督・脚本:濱口竜介、音楽:石橋英子
編集:濱口竜介 山崎梓
出演:大美賀均、西川玲、小坂竜士、渋谷采郁、菊池葉月、三浦博之、鳥井雄人他
企画:石橋英子 濱口竜介  
配給:Incline
2023年/106分/日本/カラー/1.66:1/5.1ch 

aku.incline.life

*1:京都公演:2024年2月24日(土)京都府 ロームシアター京都 ノースホール 東京公演:2024年3月19日(火)東京都 PARCO劇場  2023年ゲント国際映画祭はじめ世界各地、また東京フィルメックスにて公演