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Review 55『83歳のやさしいスパイ』(レビュー&TIFF公式 監督インタビュー)

意表をつく“スパイ映画”に心ほっこり

文・福嶋真砂代

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ドキュメンタリー映画で国際的評価の高いチリのマイテ・アルベルティが監督・脚本を手掛けた『83歳のやさしいスパイ』(第33回東京国際映画祭ワールド・フォーカス部門では『老人スパイ』、 第17回ラテンビート映画祭 IN TIFF)が公開になる。

スパイ事務所に雇われた83歳のセルヒオのミッションは、「老人ホームで、依頼主の家族である入居者の虐待の疑いについて調査すること」という内容だった。そんなわけでセルヒオ自身が老人ホームの入居者となり(潜入し)、毎日、探偵事務所のボスに内偵レポートを送るという仕事を開始した......。ユーモアあるセルヒオの小ボケを拾いつつ、老人ホーム内のディスコミュニケーション、そこから生まれる不信感、孤独な入居者たちひとりひとりの実情を知るにつれて、目的の「犯人探し」よりも大切な「何か」があることを探り出すのだった。またセルヒオの不思議なコミュ力(りょく)で、入居者たちの表情がみるみる変化する、その様をほぼドキュメンタリー的に撮っていることにも注目したい。

「スパイ業」と呼ぶにはあまりにもポンコツぶりを露呈するアマチュア然としたセルヒオのキャラクターが映画の核であり、彼を通してあぶり出す老人ホーム、ひいては老後の「わたしたち」の姿、また社会システムのあり方について問いかける、意表をつく、なんとも心ほっこりする“スパイ映画”に仕上がった。

以下、撮影の不思議なからくり、当初フィルムノワールを撮るつもりが、“スパイ映画”を撮ることになったという経緯を語るマイテ・アルベルティ監督公式インタビューの模様を抜粋。

 ●マイテ・アルベルティ公式監督インタビュー(TIFFトークサロン 聞き手:矢田部吉彦さん)

フィルムノワールを作ろうと思っていたが...

当初は、私立探偵事務所を舞台にした「フィルムノワール」を撮ろうと思っていました。そのリサーチをするなかで知ったのが元FBIのロムロの事務所です。ロムロは多彩なスパイ(mole)を様々な場所に送り込んでいました。彼がいつも使っている「スパイ」が2ヶ月前くらいに骨折をして動けなくなったので求人広告を出したところ、セルヒオが応募してきて「スパイ」になりました。セルヒオは依頼主のことよりも老人ホームの生き様、人間関係に関心があり、彼の視点でわたしも方向性を変えました。

およそ3ヶ月以上老人ホームで撮影しましたが、まずは探偵事務所でのトレーニングを撮影し、老人ホームを撮影しました。その後セルヒオが事務所に入ってきて、老人ホーム側もセルヒオをあまり特別扱いしませんでした。

セルヒオのポンコツスパイぶりに胃がキリキリしたことも

(スパイかも、などと)疑われることはまったくなかったのは私も驚きでした。老人ホームのオーナーに出来た映画を見せたところ、まったくセルヒオがスパイだなどと予想もしていなかったと言いました。というのは、セルヒオはいわゆるポンコツスパイで、ひと前で平気で電話をかけたり、ナースにいろんな質問したり、リスクのある行動ばかりとっていたので、身元がバレるのではないかと私は胃がキリキリしていました。老人ホームにばれないことがありえないと思っていました。

最初は映画を撮ることを老人ホーム側に打ち明けていませんでした。そこはちょっと嘘をついて、「老人ホームの良いところも悪いところもすべてを見たい」ということを伝えてはいました。老人スパイのことは伏せたまま、新しい入居者がきたらその人を撮りたいと言ってあったので、セルヒオが入居したとき、彼のことは知らないふりをして撮影を続け、すべての撮影が終わったときに出来上がった映画をホーム側に見せて初めて打ち明けました。

撮影チーム側のルールとしては、「老人ホームのルールを守る」ということでした。老人ホームでやらないだろうことに口出しをしないし、こちら側が演出を指示することもせず、声も出さず、基本的には姿も消して、何かが起こるまで何時間もずっと同じ場所を見守り、何か出来事があるときに録画ボタンを押しました。セルヒオと話すこともなく、彼は「入居者のひとり」というフリをしていました。ただし、彼が夜な夜なレポートを送るシーンだけは、他の人たちは寝ているので、少し管理できる場所での撮影になりましたが、ロムロがセルヒオにどんな指示を送っていたかを知っていたので、どこで動きを追えばいいかはその指示をもとにしました。でもやはりいちばん驚きだったのは、セルヒオ自身がいろんな人間関係を構築していき、その部分が広がったことでした。

私は「映画のトーン」は「人生のトーン」を反映すると思っています。本当に苦しい状況にあっても笑うこともできるのが人生だと思っています。撮影監督がのちに語ったのは、「映画を撮りながら泣いたことはなかったけれど、後になって全体の映画をみたら泣けた」ということです。撮影していたときは笑ったことしか覚えていないと言っていました。老人ホームのなかでの暮らしは苦しくても、日常生活では小さな喜びがあったり、苦痛だけではない。そのような「日常的なところ」も人生であることをドキュメンタリーとして表現しなければいけないと思っていました。白黒はっきりしていることばかりではなく、いろんな感情が入り混じっているのが現実だと思っています。スタートはたしかに笑えるようなシーンがあったと思いますが、そこからより深く、世界中で老人がこのような施設に入れられて孤立を感じている現状について考えなくてはいけないと思います。また日本で映画がどのように受け入れられるかに興味があります。実は同じようなテーマで、2年前くらいから東京でも撮影をしたいと思い、現在パートナーを探しているところです。

虐待ではなく、「孤独」だった

セルヒオのレポートの結論にある「虐待ではなくて、孤独であることだ」というのはセルヒオ自身が書いたものです。彼は老人ホームを退去する前から繰り返し同じレポートを書いていて、私たちも何度も話し合いをしましたが、彼自身の本当の気持ちです。そのおかげで私もどのように編集すべきかの方向性が決まりました。もともとは依頼主がいての探偵業なので、その依頼主のことも撮影していました。でもいざ編集で入れようとしたとき、依頼主のことよりももっと違うところをフォーカスすべきだと、このセルヒオの言葉で気が付きました。彼に助けられたと思います。

その後の監督の人生に影響を与えたか?

セルヒオのおかげで何に対しても先入観をもたずにオープンに見ることが大事なのだと学び、人生における新しい体験を受け入れようと思いました。セルヒオは、何歳になっても前向きに、先入観を持たずに受け入れ、老人ホームの人たちともそのようにつきあっていました。アルツハイマーを患っていたマルタやソイラーとも、一見おかしな人だからと取り合わないことも、セルヒオとの関係で、彼らのアイデンティティも見えてきます。時間を共に過ごしたことでいろんなことが見えてきたので、物事をオープンに受け入れよう、そして時間をかけて人を知るようにしようと思わせてくれました。 

Information:

監督:マイテ・アルベルディ
原題:The Mole Agent[El Agente Topo]

2021年7月9日(金)よりシネスイッチ銀座ほか全国順次公開