オリヴィエ・アサイヤスにしか撮れない「侯孝賢」の素顔
文・福嶋真砂代
フランスの映画監督オリヴィエ・アサイヤスが台湾の名匠監督ホウ・シャオシェン(侯孝賢)に密着し、ホウ監督の映画制作への原動力とホウ・シャオシェンという人間の魅力を豊潤に解き明かす、なんと24年前(1997)に制作された衝撃のドキュメンタリーが公開となる(第20回東京フィルメックス 特別招待作品フィルメックス・クラシック、また『台湾巨匠傑作選 2021 ホウ・シャオシェン大特集』にてプレミア上映された)。※本文中にネタバレ部分があります。できればご鑑賞後にお読みいただけるとよいかもしれません。
映画作りのユニークさ(とりわけ肝の座り方が独特だと筆者は思う)のルーツ、「台湾ニューシネマ」の旗手と呼ばれ、その作品が長く世界に愛される理由がわかる意義深いドキュメンタリーである。では「台湾ニューシネマ」とは何だったのか。映画では、脚本家のウー・ニェンチェン(呉念眞)や批評家チェン・グオフー(陳国富)らへのインタビューにより、ムーブメントの誕生やホウ監督の立ち位置、時代的意味を俯瞰的に理解を深めることができる。
アサイヤス監督の(フランスの映画批評誌<カイエ・デュ・シネマ>の映画ジャーナリストだった)鋭い嗅覚と、1984年から培ったふたりの長い友人関係ゆえに撮ることができた親密な映像で、あらためてホウ監督のあたたかい人間性に触れる。やんちゃな少年時代、映画監督の道を選んだ理由、ロケ地や縁の地を巡りながら、心おきなく自己について語るホウ監督の表情。兵役を経て映画館に通ううちに映画の魅力にとりつかれ、最初は俳優を目指していたこと、また歌への思い入れも深く、長渕剛の歌を熱唱する圧巻のカラオケシーンではチャーミングな人間味があふれ出る。
『坊やの人形』(83)、『風櫃の少年』(83)、『冬冬の夏休み』(84)、『童年往事 時の流れ』(85)、『恋恋風塵』(87)、そして『悲情城市』(89)と『戯夢人生』(93)、また『好男好女』(95)や『憂鬱な楽園』(96)についてのファン垂涎の秘話の数々。本ドキュメンタリーの撮影時はちょうど『フラワーズ・オブ・シャンハイ』(98)の脚本を執筆中で、仕事場となっていた茶館に脚本家のチュウ・ティェンウェン(朱天文)も同席し、ふたりの出会いや彼女の小説を原作とした理由も知る。
興味深いのは、撮影のエリック・ゴーティエ(『イルマ・ヴェップ』撮影)の視線の先だ。台湾の田舎の風景や生活、また人々とホウ監督の微笑ましい交流にすかさずカメラを向ける。アサイヤス監督は「はじめての場所、はじめての知らない世界を発見する好奇心、ホウ・シャオシェン監督の世界観に対する視点を持っているところもよかった」と東京フィルメックスのQ&Aで振り返る。音響のドゥー・ドゥージー(杜篤之)が、ホウ監督作品のおかげで録音技術を向上させることができたと語るレアなシーンもあり、それらすべてが明快で洗練された編集で紡がれていく。
思えばこれまで、“ホウ・シャオシェンチルドレン”と呼ぶべき監督たちが、口々にホウ監督の魅力を語っていた。例えばホァン・シー監督(『台北暮色』)は「映画の具体的な何かというものより、もっと人間としてどうあるべきか、人に対してどう対応するべきかということを、監督のそばにいて知らず知らずのうちに身に着けて学ぶことが出来たと思います」と。またソン・ファン監督(『記憶が私を見る』)は『レッド・バルーン』に女優として出演したとき、「ホウ・シャオシェン組で一緒に仕事をして、彼の仕事の方法の空気を感じることができましたし、漠然とした”何か”を教わっていたのかもしれません」と振り返る。ああしろ、こうしろと細かいことは言わずに、そのイナセな「背中」で彼らに語っていたに違いない。
ドキュメンタリー終盤、ホウ監督は“台湾の原始性”について言及している。そこに「オス的なもの」を感じて、まさにそこに惹きつけられるのだと。陰湿な駆け引きのある政治世界よりも、義理人情のある男らしい世界に憧れていた。映画制作のプロセスとは自分を省みること。もう一度「原点に戻って新鮮な気持ちで映画を撮りたい」と語り、その熱情は『憂鬱な楽園』の若者たちの疾走シーンに重なっていく。
1989年にヴェネチア国際映画祭金獅子賞受賞したホウ監督の代表作、「二・二八事件」を背景にした『悲情城市』では“台湾の尊厳を撮りたかった”と、九份の茶館で飲茶をしながら解説する。さらに”歴史の生き証人”リー・ティエンルー(李天祿)を描く『戯夢人生』(93)は中国にて初めて撮影が許可された作品だったのだと明かす。
やんちゃだった「アハ(ホウの少年時代の呼び名)」は激動の時代をつねに「台湾人」であることを意識して生きてきた。ドキュメンタリー中、台湾と香港、また香港を挟む中国との関係についてアサイヤス監督が問う。ホウ監督は、香港の中国返還後の台湾を予見し、その客観的な分析、洞察力に驚く。そしてまたドキュメンタリーが今、この時代に公開されることにゾクゾクするのだ。
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