REALTOKYO CINEMA

リアルトウキョウシネマです。映画に関するインタビュー、レポート、作品レビュー等をお届けします。

TIFF Review『大丈夫と約束して』(第37回東京国際映画祭 コンペティション部門)

母性から旅立つ少年、どんな未来が待つのだろう

文・福嶋真砂代

『大丈夫と約束して』Promise,_I_ll_Be_Fine
※「はてなブログ」仕様によるアンダーバー+リンクはRTCの意図とは関係なく、無視しつつお読みいただければ幸いです。
 
スロバキアのカタリナ・グラマトヴァ監督の長編デビュー作が第37回東京国際映画祭コンペティション部門にてワールドプレミア上映された。スロバキア共和国バンスカー・ビストリツァの山村ウテチカで撮影された、荒削りだがみずみずしく、パワフルな作品だった。市山尚三プログラミングディレクターは「非常にフレッシュで監督第1作とは思えないほど素晴らしい」と多数の応募作品のなかからコンペティション部門上映を決めたという注目作である。
 
山あいの村にある祖母の家で夏休みをすごすエニョ(ミハエル・ザチェンスキー)は15歳、仕事で離れている母(ヤナ・オルホヴァ)をまだ恋しく思う少年だ。シングルマザーの母親は都会で不動産コーディネーターとして忙しく、なかなか会えない。たまに欲しい物を買って会いにきてくれるのを楽しみにしていた。寂しさを紛らわすように村の少年たちとつるんでいたエニョは、ある日、母に関する不快なネット記事を目にした。孤独な高齢者の弱みに付け込み、村の不動産を売っている詐欺師だと書かれ、そこには幸せそうに写るアニョの知らない”恋人”との写真もあった。噂は村人も知ることになり、母への不信感がつのる。反抗期をむかえ大人へと変化する息子、しだいに母との関係性も変化していく。いつまでもこども扱いする母が疎ましく、間に入る祖母にまで反抗してしまうエニョ、気持ちをうまく表現できない鬱憤を晴らすかのように仲間とバイクで疾走する。緑豊かなスロバキアの山々の美しい風景は、彼の心を反映するかのように影が色濃く広がっていく….。
 
新鋭グラマトヴァ監督は本作を撮った動機について、「かつてこの村にあったガラス工場についての短編ドキュメンタリー映画製作がきっかけで、村の人間関係を取材、観察し、本作の設定がうまれました。ロケ地の村はスロバキアらしい村です。かつては工場があり栄えていましたが、閉鎖されて多くの人が職を失いました。閉鎖後村に残った人たちは、仕事がなく社会奉仕をしています。ドキュメンタリーを撮る中で、老人たちが自分の家を売って住み着いたという話を聞いて、この物語を思いつきました。」と興味深い話をインタビューで話している。
 
地元の少年たちを起用したというキャスティングについて、とりわけエニョを演じたザチェンスキーのまなざしに惹かれたという。憂いのある表情と強いまなざし、ナイーブな演技が印象に残る。監督は2ヶ月にわたって村で暮らしながら、彼らとの信頼関係を築いたという。しかして映画には村に流れる日常の空気がよく溶け込んでいる。さらに象徴的にアップになる牛のまなざし(監督は”母性”の象徴と説明)にも胸騒ぎがする。

『大丈夫と約束して』Promise,_I_ll_Be_Fine
美しい山々の緑を背景に4人の少年がバイクで疾走し、村から街へと移動するシーンが素晴らしい。「この世界を抜け出して新しい自分を見つけたい」という青い衝動がスクリーンから迸る。あたかもエドワード・ヤン監督がスクリーンに焼き付けた若者たちの熱情に重なるように感じた。ラストに至るスリリングなシークエンスは、母性からの旅立ちの先、ひいては”大丈夫とはいえない”この不確実な世界の未来に、さまざまに想像力が掻き立てられるのだ。
 
Information:
監督/脚本/編集/原作:カタリナ・グラマトヴァ
プロデューサー/原作:イゴール・エングラー
キャスト:ミハエル・ザチェンスキー、ヤナ・オルホヴァー、エヴァ・モレス、アダム・シュニアー、ドミニク・ヴェトラーク、ユリウス・オルハほか
92分/カラー/スロバキア語/日本語、英語字幕/2024年/スロバキア/チェコ

 ■第37回の受賞結果はこちら

2024.tiff-jp.net

TIFF Review 『わが友アンドレ』(第37回東京国際映画祭 コンペティション部門)

隠された記憶の本当の意味を問う、ドン・ズージェンの力作

文・福嶋真砂代

『わが友アンドレ』(C)Huace Pictures & Nineteen Pictures
※「はてなブログ」仕様によるアンダーバー+リンクはRTCの意図とは関係なく、無視しつつお読みいただければ幸いです。
 
父の葬儀ために故郷に向かうリー・モー(リウ・ハオラン)は飛行機に搭乗した。トイレに立ち、座席に戻ろうとすると、暗闇のなかに見覚えのある乗客の顔を見つけ、一旦席に戻るもまた引き返す。隣に座り「アンドレだろ?」と呼びかける。声をかけられた男はそっけない。「僕だよ、リー・モー、同じ中学校に通っていたよね」リー・モーは「なんで思い出さないの?」と首を傾げる。奇妙なことに彼もリー・モーの父の葬儀に向かうという。狐につままれた表情のリー・モー。そんなシュールな出会いから始まるストーリーは、この先、思いもよらぬ展開が待つ。

『わが友アンドレ』(C)Huace Pictures & Nineteen Pictures
ふたりの乗った飛行機は悪天候で違う空港にダイバート。リー・モーは電話で「航空会社がとったホテルに泊まるから遅くなる」と連絡を入れる。なぜかふたりはつるんで同じレストランで一息入れようと座る。しかし何かが噛み合わない。はて、ふたりは存在しているのか? レストランの大きなガラスに映る人数は……? そしてふたりは車で故郷に向かうことに。ロードムービーさながら旅をするふたりは吹雪のなかで立ち往生する。しだいにふたりの関係性、幼い学校生活の記憶、家庭環境、教師との関係、転校生だった(本名はAn Dieleだがアンドレと名乗る)風変わりな友人の過酷な秘密がパズルのピースをあけるように露わになっていく。アンドレは「リー・モーの父が作った饅頭が美味しかった」と話す。そのエピソードに何か重要なカギが隠れてるのか。謎だらけの靄のなかに頭を突っ込んでいくような感じがして、すこし目眩がしてくる。リー・モーも自分の幼少期の苦しい記憶が戻るにつれ背中が痒く、不調に襲われていく。はたしてリー・モーの帰郷の目的とは? 本来は父を弔うことだったが、じつは裏側にもうひとつの大切な「目的」があるのだろうか?
 
ドン・ズージェン監督は俳優として活躍してきて、他の撮影現場で薦められ本作の原作小説(シュアン・シュエタオの短篇小説)を読んだのだと。人間の記憶の曖昧さ、また「子どもが大人になる過程にある苦痛」を描きたいと脚本を書いたと語る。ホラーのような空気感を作りつつ、大掛かりな仕掛けはないのに、なにやら身体が浮いているように落ち着かない。ペマ・ツェテン作品に携わった撮影監督リュー・ソンイェの幻想的なカメラワークも活かし、迫力のクライマックスの緊張感の作り方も初監督にして演出の巧みさを感じる。監督は「子ども時代に感じる苦いこと、幸せなこと、悲しみ、愛に対価を支払うこと――そういったことを全部脚本に書きこみました。このような問題について皆さんと探求をしたかったのです」と話した。考えてみるとたしかに、幼い頃の記憶の断片が不意に浮かび上がって、そのときの本当の意味に気づいてしまい、ハッとしたり、胸がチクッとすることもある。映画を観ながら、アンドレの気持に気づいたとき嗚咽してしまっていた。
 
アンドレを演じたドン・ズージェン、中国の人気俳優リウ・ハオランの演技も繊細ですばらしく、ぜひとも日本公開を期待している。

TIFF Review『娘の娘』(第37回東京国際映画祭 コンペティション部門)

灯台のようなデリでひと息、人生はまだまだ続くから

文・福嶋真砂代

Daughter's_Daughter©Sun Lok Productions Ltd.
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ホアン・シー監督最新作の『娘の娘』が東京国際映画祭コンペティション部門にて上映された。前作『台北暮色』(『ジョニーは行方不明』として東京フィルメックス2017 コンペティション部門出品)では繊細な人物描写や叙情豊かな作風に惹かれた。本作も違わず、人間味、親密さ、そして優しさ、ある種の楽観、「ああわかる。」と思わず口に出る秀作。没入しながら、人生にとって大切なことを見つめ直す時間を過ごした。
 
『娘の娘』はホウ・シャオシェンと共にエグゼクティブプロデューサーを担うシルヴィア・チャンが主演。台北とニューヨークをベースに暮らす女三代のシルビアは真ん中世代、母のアイシャを演じる。ある日、アイシャの母親が骨折して台北の病院に入院する。認知症も進んだ老いた母の介護が日常になり、人生のフェーズの変化をじわり感じていた。病室にはコンサバティブな長女のエマ(カリーナ・ラム)が見舞いに駆けつけ、そこへ「ハロウィンかい?」と祖母も驚く派手なメイクの妹ズーアル(ユージェニー・リウ)が遅れて顔を出す。正反対なイメージの姉妹は、ひさびさの再会のよう。それから間もなく、アイシャの元に「NY在住のズーアルがパートナーと共に自動車事故で亡くなった」と知らせが飛び込む。気持ちが動転したままNY行きの飛行機に乗り込むアイシャ……。

Daughter's_Daughter©Sun Lok Productions Ltd.
エマと合流しズーアルが住んでいたアパートメントの部屋に到着すると、そこには母の知らないズーアルの生活が息づいていた。気落ちしたまま遺品整理をするエマとアイシャ。過去の記憶が手繰り寄せられると、エマはずっと胸に秘めてきた疑問をアイシャに投げかける。「私を養子に出したとき、どんな気持ちだったの?」まるでブロードウェイの舞台劇のような臨場感、緊迫したセリフと長い沈黙、思いを秘めた両者の心がぶつかり合う刹那、思わず胸がいっぱいになるシーンだ。
家族とは、日頃たあいのない会話は交わしても本音をなるべく避けてしまう。それが平穏に暮らすコツでもあり、また誤解が生まれる理由でもあり。良くも悪くも「ズーアルの喪失」をきっかけに、これまで話せなかったことを話し、いつしか距離が縮まっていく母と娘。筆者の個人的感想だが、この赦しのプロセスはズーアルの願いだったのではないか。その上、ズーアルからのさらなる「課題」がアイシャにふりかかる。それは未来の話、ズーアルが人工授精で遺した"子ども"を迎えるか否か。はて還暦をすぎたアイシャの決断は…….? 
マンハッタンのチャイナタウン、アイシャがしばしば立ち寄る街角の小さなデリカフェがある。暗闇に浮かび上がる灯台のように佇んでいる。一杯のコーヒーに心を温め、自分を労り自分に戻る、そしてまた歩き出す。人生はその繰り返しなのかもしれない。疲れたアイシャに「がんばれ」とそっと背中を押す。こうして観客は人物の気持ちの機微に知らず知らずにシンクロしていく、ホアン・シー作品独特のマジックだ。『台北暮色』に味わったあの充実感が蘇る。ところで、電話の声の出演からはじまり、常に温かく家族に寄り添う隠れたキーマン「ジョニー」の存在も忘れられない。あ、そうか、ジョニーはここにいたのですね。
第37回東京国際映画祭の受賞はのがしたが、筆者としては最高点をつけた本作。ぜひぜひ早い日本公開を願う。
Information:
監督/脚本:ホアン・シー
キャスト:シルヴィア・チャンカリーナ・ラム、ユージェニー・リウ
エグゼクティブ・プロデューサー:ホウ・シャオシェンシルヴィア・チャンほか
126分カラー北京語、英語日本語、英語字幕2024年台湾
 

Info: 「第25回 東京フィルメックス」がはじまります

『Caught by the Tides(英題)』 © 2024 X Stream Pictures

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■秋は東京フィルメックス」の季節。開催期間は11月23日(土)から12月1日(日)まで。

第25回東京フィルメックスのメイン会場はこれまでの「有楽町朝日ホール」から「丸の内TOEI」へと変更された。「長期的に映画祭体験を向上させるために必要なチャレンジとして、数年前から劇場での実施も模索してきた中で、今年は<丸の内TOEI>での開催が実現した。」としている。新しい環境での新しい東京フィルメックス映画体験が大いに楽しみだ。

「25年を迎える映画祭において、来場者にとってより良い<映画祭の体験>を生み出すための場づくりのための「継続」と「変化」を再検証し、今後の更なる体験向上に繋げる。今回の映画祭は全体的に、国境を超えて、越境しながら作っている作品が多いと言える。(物語だけでなく)国際共同制作が多いといったところからもそう感じている」と、プログラム・ディレクターの神谷直希さんは今年の映画祭の概観と意欲を語る。

東京フィルメックスコンペティション部門(10作品)、特別招待作品部門(11作品)、メイド・イン・ジャパン部門(4作品)の3部門

東京フィルメックスコンペティション部門は「ジョージアパレスチナ、インド、ベトナムシンガポール、台湾、中国、韓国の8カ国で制作された10作品がラインナップ。上映作品のうち、4作品がタレンツ・トーキョー修了生の監督・プロデュース作であり、企画開発支援と上映の好循環はさらに強化されており、10作品のうち、6作品が長編監督デビュー作というフレッシュなラインナップとなっている。」とのこと。今年もタレンツ・トーキョーが同時開催され、こうしてバトンが確実に映画の未来へと受け継がれることがとても尊い

特別招待部門は、オープニング作品のジャ・ジャンクー監督『Caught by the Tides(英題)』、そしてクロージング作品のホン・サンス監督『スユチョン』。さらにロウ・イエ監督の最新作『未完成の映画』やツァイ・ミンリャン監督の「行者」シリーズより『無所住』『何処』が上映され、いまや東京フィルメックス常連の名匠監督たちの、熟した作品に逢えるまたとない機会となる。今年はアジアのみならず多様な国の作家性の強い映画がラインナップ。筆者が個人的に気になっているのは、香港出身のエリザベス・ロー監督によるフィクションのように思えるというドキュメンタリー(神谷ディレクター評)『愛の名の下に』。さらに日本の宇賀那健一監督『ザ・ゲスイドウズ』にも注目だ。

『愛の名の下に』

メイド・イン・ジャパン部門には、日本とスペイン合作の宇和川輝監督『ユリシーズ』をはじめ、”日本に縁のある”興味深い4作品。国境を超えて融け合う多様な才能たちに期待が高まる。

詳細については公式サイトをチェック。秋深まる東京で最高の感動に出会える機会をお見逃しなく!

ロウ・イエ監督(『シャドウプレイ【完全版】』インタビュー記事realtokyocinema.hatenadiary.com

 

filmex.jp

Review62『悪は存在しない』

「自分自身に正直に、おもしろいと思えることをやる」

 ーー濱口竜介監督の映画の原点

文・福嶋真砂代

(C)2023 NEOPA / Fictive

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■超満員のPARCO劇場で『GIFT』を体感

2023年東京フィルメックスにて公演を行った「映画『悪は存在しない』を作るきっかけになったというライブ作品を体感してみたい!」と新幹線に飛び乗った。超満員の渋谷PARCO劇場。濱口竜介x石橋英子のコラボレーションによる『GIFT』*1の一回きりの東京でのライブパフォーマンスに間に合った。石橋英子がステージ上、スクリーンに向かって数々のアコースティック楽器や電子機材の前にスタンバイする。スクリーンには鹿の死骸の頭部クローズアップ。静かに音が立ち上がり、一瞬にして不穏な空気が充満していく。編集によってまるで形を変えた映像とセッションするような石橋のライブパフォーマンスに身を委ねた。濱口監督自身、「編集で数限りなく観ているのにライブを観るたび”新しい体験”をしている」という。「今、これを見て、この音を出しているんだなというふうに、映像と石橋さんの間で生じている相互作用みたいなものが感じられて、音楽によって映像の見え方も変わってくるし、映像によって石橋さんの音の出し方も変わってくる……(公式インタビューより)」と自身が感じた新しい衝撃を語る。まさに身体の細胞が泡立つようにゾワゾワした夜だった。

■あえて小規模ないつものチームで

映画『悪は存在しない』は、『ドライブ・マイ・カー』(21)の制作で意気投合した濱口と石橋が試行錯誤のやりとりをかさね、濱口が「従来の制作手法でまずはひとつの映画を完成させ、そこから依頼されたライブパフォーマンス用映像を生み出す」という過程をたどり、石橋のライブ用サイレント映像『GIFT』と共に誕生した作品。カンヌ国際映画祭はじめ世界各地で大きな反響を呼んだ大規模な作品のあとに、濱口はあえて小規模ないつものスタッフとキャストのチームで、自分の映画作りの原点に立ち戻るように制作した。「改めて自分自身に正直であることは大事なんだな、と。おもしろいと思えることをやる、逆に言えばそう思えないことを無理にはやらないっていう 姿勢から『悪は存在しない』と『GIFT』が生まれたと思います。」筆者の個人的な感覚だが、本作を観てなぜだか少し安心した。おそらく原点回帰的な制作から生み出された濱口作品特有の「居心地の悪さ」が戻っていたからかもしれない。

■人間の「真実」とは何か...

映画の舞台となるのは自然豊かな高原にある長野県水挽町(みずびきちょう:架空の町)。人々が自然の恵みに感謝をしながら助け合って暮らしていた。便利屋を営む巧(タクミ:大美賀均)とひとり娘の花(ハナ:西川玲)の親子も同じく、自然のワンダーのなかで伸びやかに慎ましく暮らす。ある日のこと、東京の芸能事務所がコロナ補助金をめあてに立ち上げたグランピング場建設事業の説明会が行われることに。水のきれいな土地を移住者が自然と共存しながら開拓し発展してきた町なのだが....。

ところで、住民と事業者の丁々発止のやりとりのシーンを見ていて、筆者が初めて触れた濱口作品『Passion』(08、東京藝術大学大学院映像研究科の修了制作)のあるシーンが浮かんだ。それは全編、緻密に書かれたセリフによる会話劇なのだが、なかでも中学校のクラスで「暴力」について語り合う、唐突だが深遠なシーンが織り込まれていたのが強く印象に残っている。その映画のなかで濱口は建前ではなく「本音」で生きること、人間の「真実」とは何か、そして「暴力」について痛烈に問いかけていたように思う。その鋭い切り口に濱口の超絶な技巧、それを長回しで撮る潔さがあり、初期作品からすでにはかりしれない才能の「不気味さ」に慄いたのを思い出す。

■ひどく美しい世界の残酷な最後

『悪は存在しない』に話をもどすと、グランピング建設の「説明会」において住民が事業者に「本音」をぶつけることで、説明担当者の高橋(小坂竜士)と黛(渋谷采郁)は自身の仕事に疑問を持ち、さらには生き方そのものを変えてしまいたい衝動が湧く(それも驚きの展開なのだが)。このシーンは濱口の会話劇の真骨頂であり、綿密なリサーチに基づいた脚本とキャストのリアリティによって現代社会の闇が露わに写し出されていく。一貫して感じる妙味は、対話の重要性を描きながら、対話を重ねてもわかりあえないことに唖然とするしかない現実のドロドロ感。しかしそれでもなお対話にしか糸口はない。そのような人間社会の矛盾と不調和の外では、野生動物は自然の摂理のなかで棲息し、人間はその自然を踏み荒らしバランスを崩す。まさにその微妙な境界線、いまにも足元から崩壊しそうな不安定な薄氷の上に人間はかろうじて生きているのではないか。霧の中に吸い込まれるような謎に包まれたラストシーンに至るまで、知らず知らずに内臓に染み込んでくるような石橋の音楽に誘われていく。そうだ。『Passion』で語りかけていた「外からの暴力」と「内なる暴力」の話。残忍な殺し合いが起こる「戦争」が現実に起こっているいまのこの世界で、「暴力」についてさらに思考を重ねるべきなのだ。するとタイトルに潜む意味にますます危機感と恐怖が帯びてくる。悪は存在しないのか?  冒頭とエンディング付近に現れる木々越しに見える空のカット、その視界は最後の景色となるのだろうか、何度でも確かめてみたくなる。タクミとハナのいる景色、とりわけハナの澄んだ眼差し、しぐさの愛くるしさも含めてひどく美しい世界の残酷な最後を。


※『Passion』について「ほぼ日刊イトイ新聞-ご近所のOLさんは、先端に腰掛けていた」にてインタビューした記事は以下に。濱口監督の映画の原点が語られています。

★GEIDAI2-1(2008-05-25-SUN)

★GEIDAI2-2(2008-05-28-WED)

Information

『悪は存在しない』
監督・脚本:濱口竜介、音楽:石橋英子
編集:濱口竜介 山崎梓
出演:大美賀均、西川玲、小坂竜士、渋谷采郁、菊池葉月、三浦博之、鳥井雄人他
企画:石橋英子 濱口竜介  
配給:Incline
2023年/106分/日本/カラー/1.66:1/5.1ch 

aku.incline.life

*1:京都公演:2024年2月24日(土)京都府 ロームシアター京都 ノースホール 東京公演:2024年3月19日(火)東京都 PARCO劇場  2023年ゲント国際映画祭はじめ世界各地、また東京フィルメックスにて公演