REALTOKYO CINEMA

リアルトウキョウシネマです。映画に関するインタビュー、レポート、作品レビュー等をお届けします。

2022年 わたしの10大イベント「CINEMA10」

REALTOKYO CINEMA(RTC)はおかげさまで7年目に突入。第7回「CINEMA10」は7人のレギュラーメンバー澤隆志、石井大吾、松丸亜希子、前田圭蔵、白坂由里、フジカワPAPA-Q、福嶋真砂代)がセレクトしました。多彩なシーンで活動するメンバーたちがそれぞれ選ぶユニークな10本(ジャンル、形態、公開年問わず、2022年に観たなかで心に刻まれた作品)をお楽しみください。長引くコロナ禍、終わらないウクライナ戦争、そのうえ物価高などといろいろ不穏な世の中ですが、どんなときも映画はさまざまなかたちでパワーチャージさせてくれる強力な味方だと実感しながらお届けします。2023年もRTCをどうぞよろしくお願いいたします。

※「はてなブログ」仕様によるアンダーバー+リンクはRTCの意図とは関係なく、無視しつつお読みいただければと思います。

<2022 RTC CINEMA10>
★澤 隆志の2022 CINEMA10

コメント:年明け早々の再映で観た1は壮大な全体主義強制没入映画の2作目。ソ連怖ぇーと呑気に構えていたら2/24の侵攻のニュース。あの映画セットはハルキウに組んでいた。もう跡形もないかもしれない。映画のような暴虐の限りがあったかもしれない。そのソ連の死後に勃興したオリガルヒとそれを叩き潰すプーチンとのシリアスでシニカルな2も必見。我が"美しい国"は今戦争こそ起こしていないが、特定の人々に精神的侵略を続けている。部落、国籍、病歴、宗教...   真偽は問わず、その噂から始まる"察し"の魔術のおぞましさを描きつつ、泣いて笑えてしっかり怒ることのできるエンタメになっている3は実に濃密な体験だった。 今年になって映画館がフルキャパ解禁の”空気”になり、大型スクリーン向きな映画が続々やってきた。4、5、6は「今死んじゃってもいいかも」な1秒が何度もやってくる。巨大浮遊怪物ジーン・ジャケットに吸い込まれて振り回されるアレは映画館体験の鏡像である。 白夜の7、コロナ禍の盛夏8、落葉の9、師走の10は、季節の光に淫することのできる新世代の監督の意欲作。これからも度々見返すと思うけど封切りで鑑賞できてほんとうに良かった!

(C)「私のはなし 部落のはなし」製作委員会
  1. 『DAU 退行』https://www.transformer.co.jp/m/dau.degeneration/ https://www.amazon.co.jp/dp/B0B6GQXZX3/
  2. 『市民K』https://www.amazon.co.jp/dp/B08BF6YRKG/
  3. 『私のはなし 部落のはなし』https://buraku-hanashi.jp/
  4. 『ウエストサイドストーリー』(2022) https://www.20thcenturystudios.jp/movies/westsidestory https://www.amazon.co.jp/dp/B09QG44WQ5/
  5. 『RRR』https://rrr-movie.jp/
  6. 『NOPE』https://nope-movie.jp/
    https://www.amazon.co.jp/NOPE/dp/B0B84WJVVF/
  7. 『わたしは最悪』https://gaga.ne.jp/worstperson/
    https://www.amazon.co.jp/dp/B0B7CG3DYQ/
  8. 『ツガチハ日記』http://www.imageforumfestival.com/2022/program-o
  9. 『秘密の森の、その向こう』 https://gaga.ne.jp/petitemaman/
  10. 『ケイコ 目を澄ませて』https://happinet-phantom.com/keiko-movie/
★石井大吾の2022 CINEMA10

コメント:青春を描いていると言えそうな映画10本選んでみました。こうして並べてみると、それぞれの世界が危うく、切なく、美しく思い出されます。『ヨナグニ』では、学生たちが島で過ごす風景をどうしてカメラに捉えることができたのかということばかり考えていました。しかし、『ハッピーエンディングス』における即興の演技はカメラがなければ生まれることはおそらくありません。対照的でありつつも、映画という表現において青春の姿がドキュメンタリーも即興演技もシームレスに溶け合って、不思議な感覚に襲われました。どちらにも間違いなく彼ら彼女らの青春が映し出されています。番外編として過去作品の上映では高畑勲監督の『おもひでぽろぽろ』やヤスミン・アフマド監督の『ムクシン』でしょうか。山形やマレーシアの風景と、そこで過ごす時間との関わりが印象に残っています。「風景と青春」と考えるならば『子猫をお願い』のリマスター版の上映が新年の楽しみです。それにしても、名作のデジタルリマスター版の上映ペースが早すぎると感じるのは私だけでしょうか。

『はじめての映画』(ハッピーエンディングス)
  1. 『ヨナグニ 〜旅立ちの島〜』https://yonaguni-films.com/
  2. 『ハッピーエンディングス』https://motion-gallery.net/projects/happyendings
  3. 『こちらあみ子』https://kochira-amiko.com/
  4. 『ちょっと思い出しただけ』https://choiomo.com/
  5. 『さかなのこ』https://sakananoko.jp/
  6. 『明け方の若者たち』http://akegata-movie.com/
  7. 『恋は光』https://happinet-phantom.com/koihahikari/
  8. 『秘密の森の、その向こう』https://gaga.ne.jp/petitemaman/
  9. 『わたしは最悪』https://gaga.ne.jp/worstperson/
  10. 『裸足で鳴らしてみせろ』https://www.hadashi-movie.com/
★松丸亜希子の2022 CINMA10

コメント:新潟県長岡市に移住して9年目。県内から出ることなく過ごした2020年・2021年を経て、2022年は3年ぶりに帰省し、久々に有楽町で映画を2本はしごしました。地方暮らしでも配信で映画を楽しめる時代ですが、「CINEMA10」があるおかげで、できる限り劇場に足を運ぶことを心がけています。このリストは劇場で観て印象的だった作品を観賞順に並べたもの。「CINEMA10」もだいぶ長いこと続いているけれど、邦画より海外作品が多いリストは私には異例かも。大好きな監督たちの新作を見ることができて大満足の1年で、ここに書けなかった作品も多々ありますが、私自身のここ数年の生活とオーバーラップするファビアン・ゴルジュアール監督の『1640日の家族』がなにより強く心に響きました。

『1640日の家族』(C)2021 Deuxieme Ligne Films - Petit Film All rights reserved.
  1. 『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』https://www.20thcenturystudios.jp/movies/french_dispatch
  2. 『ちょっと思い出しただけ』https://choiomo.com
  3. 『林檎とポラロイド』https://www.bitters.co.jp/ringo
  4. MEMORIA メモリア』http://www.finefilms.co.jp/memoria
  5. 『カモン カモン』https://happinet-phantom.com/cmoncmon
  6. 『ベイビー・ブローカー』https://gaga.ne.jp/babybroker
  7. 『PLAN 75』https://happinet-phantom.com/plan75
  8. 『1640日の家族』https://longride.jp/family
  9. 『戦争と女の顔』https://dyldajp.com
  10. 『窓辺にて』https://www.madobenite.com
★前田圭蔵の2022 CINEMA10

コメント:2022年の映画にまつわる個人的ハイライトは、なんと言ってもシャンタル・アケルマンのデジタル・リマスター特集上映と ジャン=リュック・ゴダールの死だった。アケルマン監督の映画は、20代の頃にもポスト・ヌーヴェルヴァーグの旗手の一人として、ジャック・ドワイヨンフィリップ・ガレルらと共に紹介された時に貪るように観た記憶がうっすらとはある。確かその時に観た「一晩中」(1982年) や「新・パリところどころ - おなかすいた、寒い」(1984年)は今回の特集には含まれていなかったが、スクリーンで観た「ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080」は、しびれるような鮮烈な映画体験だった。この映画の撮影は、自身も映画監督でもあるバベット・マンゴルト。NYを拠点に、1970年代にはリチャード・フォアマンのオントロジカル・ヒステリック・シアターや振付家・ダンサーのイヴォンヌ・レイナー、トリシャ・ブラウン、最近ではマリーナ・アブラモヴィッチなども撮影している達人だ。そして主演はアラン・レネ監督作品「去年マリエンバードで」やマルグリッド・デュラス監督作品「インディア・ソング」などにも出演している名優デルフィーヌ・セイリグ。ゴダールもアケルマンも、残念ながらもうこの世にはいない。けど、幸いなことに、映画は観ることができる。彼らが残した作品と何度でも出会い直そう、と思う。(敬称略)

『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』 (C)Chantal Akerman Foundation
  1. 『クライ・マッチョ』 https://wwws.warnerbros.co.jp/crymacho-movie/
  2. 『さがす』 https://sagasu-movie.asmik-ace.co.jp
  3. 『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』https://www.20thcenturystudios.jp/movies/french_dispatch
  4. 『ニトラム/NITRAM』 https://www.cetera.co.jp/nitram/
  5. 『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』https://chantalakerman2022.jp
  6. 『シン・ウルトラマンhttps://shin-ultraman.jp
  7. 『ナワリヌイ』https://transformer.co.jp/m/Navalny/
  8. 『チャーリー・イズ・マイ・ダーリン』http://circus-charlie.onlyhearts.co.jp/#movie2
  9. わたしは、ダニエル・ブレイクhttps://longride.jp/danielblake/
  10. 『ケイコ 目を澄ませて』https://happinet-phantom.com/keiko-movie/

(番外『ODDLANDS / SHADOW』https://aichitriennale.jp/artists/back-to-back-theatre.html

★白坂由里の2022 CINEMA10

コメント:落石の粒(1)と、光差すボクシングジムに舞う埃(2)。どちらも16ミリフィルムで撮影されている。(1)は岡山県真庭市で農業をしながら映画制作を続けている山﨑樹一郎監督作品。人それぞれどう生きるかを切実に考え、その思想や守りたいものが違うからといって関係性を切って生活することはできないという、悲壮感に覆われない地方の描き方に納得。音楽や編集がフランスのスタッフとの共同制作。世界にも開かれている。(2)では、相手をリスペクトできる闘い方も「器量」といえそうだ。闘った相手の背景が少し見えるシーンがいい。一方で、現実世界には人権に関わる終わりが見えない闘いも多い。映画には上映会などを設けて粘り強く全国でかけ続けるという強みがあり、(3)と(4)もそれを切望したい。(10)はしがらみを手放す映画でもある。並べてみると、小さな街が舞台とか、俳優(登場人物)が言葉少なに身体や表情で語る映画が多いかも。筆者自身が取材で悩み、不甲斐なく揺れながらも、ドキュメンタリーや事実に基づいたフィクションから考えることのできる映画に恩恵を感じています。(5)は国際芸術祭「あいち2022」のプログラムで、伏見ミリオン座で鑑賞できてよかった。

『やまぶき』(C)2022 FILM UNION MANIWA SURVIVANCE
  1. 『やまぶき』https://yamabuki-film.com/
  2. 『ケイコ 目を澄ませて』https://happinet-phantom.com/keiko-movie/
  3. 『ある職場』https://arushokuba.com/
  4. 『マイスモールランド』https://mysmallland.jp
  5. 『ODDLANDS/SHADOW(バック・トゥ・バック・シアター)』https://aichitriennale.jp/artists/back-to-back-theatre.html
  6. 『カモンカモン』https://happinet-phantom.com/cmoncmon/
  7. 『声もなく』https://koemonaku.com
  8. ベルファストhttps://belfast-movie.com
  9. 『浦安魚市場のこと』https://urayasu-ichiba.com
  10. 『そばかす』https://notheroinemovies.com/sobakasu/

★フジカワPAPA-Qの2022 CINEMA10

コメント:音楽映画10本公開順。1:ジギーとしてのデイヴィッド・ボウイが1973年にロンドンで行った公演の記録。2:ビリーの名曲「奇妙な果実」と薬物をめぐるレディ・デイとFBIの対決ドラマ。3:再上映ミュージカル6本中の1本。ジュディ・ガーランドフレッド・アステアの1948年作。アーヴィング・バーリンの音楽が素敵。4:伝説的音楽家フランク・ザッパの生涯を描く貴重映像満載のドキュメンタリー。5:60年代ウエストコーストロックを巡るジェイコブ・ディランのライヴ&往年のスター音楽家達へのインタビュー。6:エルヴィス・プレスリーのドラマ。エルヴィスがいなかったらビートルズはなかった、とはポールの言葉。7:ローリング・ストーンズの1968年のイベントの記録。ジョン&ヨーコ、クラプトン、ザ・フー等も出演。8:1980年作、ロンドンのレゲエのサウンドシステムのドラマ。レゲエ・バンド、アスワドのブリンズリー・フォード主演。9:1920年代からの米国のルーツ音楽&現代の音楽家ライヴの全4部の大作ドキュメンタリー。ロバート・レッドフォードが製作と語り。10:没後10年の、悲劇的な最期を迎えた歌姫の薬物と周囲との問題を描くドラマ。

『ロックンロール・サーカス』(C)2019 ABKCO Films
  1. 『ジギー・スターダスト』http://ziggystardust.onlyhearts.co.jp/
  2. 『ザ・ユナイテッド・ステーツvs.ビリー・ホリデイhttps://gaga.ne.jp/billie/
  3. イースター・パレード』https://www.theatres-classics.com/
  4. 『ZAPPA』https://zappamovie.jp/
  5. 『エコー・イン・ザ・キャニオン』http://unpfilm.com/eic/
  6. 『エルヴィス』https://wwws.warnerbros.co.jp/elvis-movie/
  7. 『ロックンロール・サーカス』http://circus-charlie.onlyhearts.co.jp/
  8. 『バビロン』https://babylonfilm2022.jp/
  9. アメリカン・エピック』http://americanepic-movie.jp/
  10. ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』https://www.whitney-movie.jp/
★福嶋真砂代の2022 CINEMA10

コメント:姉の突然の他界に生活激変。死と対峙した年だった。間際に書いたマイク・ミルズのレビュー記事から「君と過ごした“時間”を君が忘れたとしても、僕が記憶しているよ」(5)という言葉を抜いてメモに遺していた策士...姉は最強の読者だった。ともあれ(鑑賞本数は激減したが)たくさんの珠玉作に出会った。「タル・ベーラ伝説前夜」のデビュー作の衝撃は忘れない(2)。いやはやファビアンの潔いラストシーンはイヤーベスト(6)。その続編のように(見えた)コンビニ摩訶不思議ストーリーは三木聡100%濃縮です(7)。心身完璧に疲れ果てると、タイムリーにジュリー(沢田研二)が放つ「みなさん、さようなら」に体温上昇(9)。リドリー・スコット(1)やケネス・ブラナー(4)の満点の完成度に魅了され、いっぽう舩橋淳は緻密に計算された”未完成さ”で固定観念を揺さぶった(3)。駆け込んだ東京フィルメックス、アリ・チェリがスーダンのダムを舞台に描く人間という小さな存在、その宇宙的視点に震えた(10)。なにかと躓く毎日だが、「それでも人生は続くよカモンカモン!」と前へ押し出してくれる全作品とCINEMA10メンバーに感謝をこめて。(敬称略、リストは鑑賞順)

『カモンカモン』(C)2021 Be Funny When You Can LLC. All Rights Reserved.
  1. 『ハウス・オブ・グッチ』https://news-movie.jp/house-of-gucci/
  2. 『ファミリーネスト』https://bitters.co.jp/tarrbela/
  3. 『ある職場』https://arushokuba.com/
  4. ベルファストhttps://belfast-movie.com/
  5. 『カモンカモン』https://happinet-phantom.com/cmoncmon/
  6. 『さよなら、ベルリン またはファビアンの選択について』https://moviola.jp/fabian/#modal
  7. 『コンビニエンス・ストーリー』https://conveniencestory-movie.jp/
  8. 『パラレル・マザーズhttps://pm-movie.jp/
  9. 『土を喰らう十二ヵ月』https://tsuchiwokurau12.jp/
  10. 『ダム』https://filmex.jp/2022/program/competition/fc2
●選者プロフィール

・澤隆志:2000年から2010年までイメージフォーラム・フェスティバルのディレクターを務める。現在はフリーランス。パリ日本文化会館、あいちトリエンナーレ2013、東京都庭園美術館青森県立美術館、長野県立美術館などと協働キュレーション多数。「めぐりあいJAXA」(2017-)「写真+列車=映画」(2018)「継ぎの時代」(2021-)などプロデュース。

・石井大吾:2008年よりDaigo Ishii Designとして活動開始。建築やまちづくりのプロジェクトに携わる。2009-2015年には中野にてgallery FEMTEを運営。 2018年からは株式会社アットカマタの活動にも参加し、2019年に京急梅屋敷にKOCAをオープン。2019年より徐々に房総半島に拠点を移行中 。https://www.daigoishii.com/

・松丸亜希子:1996年から2005年までP3 art and environmentに在籍した後、出版社勤務を経てフリーの編集者に。P3在職中に旧REALTOKYO創設に携わり、2016年まで副編集長を務める。2014年夏から長岡市在住。

・前田圭蔵:世田谷美術館学芸課を経て、80年代後半より音楽やコンテンポラリー・ダンスを中心に舞台プロデュースを手掛ける。F/T11、六本木アートナイト、あいちトリエンナーレ2013パフォーミング・アーツ部門プロデューサーなどを歴任。現在は東京芸術劇場に勤務。旧realtokyo同人。

・白坂由里:神奈川県生まれ、小学生時代は札幌で育ち、現在は千葉県在住。『WEEKLYぴあ』を経て1997年からアートを中心にフリーライターとして活動。学生時代は『スクリーン』誌に投稿し、地元の映画館でバイトしていたので、いまも映画に憧れが……。

・フジカワPAPA-Q:選曲家、DJ、物書き、制作者等。NHK-FMゴンチチさんの番組「世界の快適音楽セレクション」選曲構成。コミュニティ放送FM小田原の番組制作者として、巻上公一さん等の番組担当。フジロックで開催のNO NUKESイベント「アトミックカフェ・トーク&ライブ」(MCは津田大介さん)制作。等々色々活動中。

・福嶋真砂代:RTC(REALTOKYO CINEMA)主宰。航空、IT、宇宙業界勤務を経てライターに。『ほぼ日刊イトイ新聞』の「ご近所のOLさんは、先端に腰掛けていた。」などコラム寄稿(1998-2008)。桑沢デザイン塾の黒沢清諏訪敦彦三木聡監督を迎えたトークイベント「映画のミクロ、マクロ、ミライ」コーディネーター&MC(2009)。現在はRealTokyoや雑誌「キネマ旬報」にも寄稿しています。

 

 

 

Interview:ロウ・イエさん(『シャドウプレイ【完全版】』監督、ドキュメンタリー『夢の裏側』出演)

©DREAM FACTORY, Travis Wei

ロウ・イエ監督『シャドウプレイ【完全版】』とそのメイキングドキュメンタリー、マー・インリー監督『夢の裏側』が同日公開される。2019年の秋、第20回東京フィルメックスにて日本プレミア上映され、ロウ・イエ監督が来日した際にインタビューした。しかし、この日本公開に至るまでコロナパンデミックに翻弄され、また香港民主化運動、ウクライナ戦争と、多くの悲劇が勃発した。2作は、現代においてまさにタイムリーにスクリーンに息を吹き返すだろう。まるでロウ・イエ組の強烈なエネルギーに導かれたように・・・。監督の妻のマー・インリーが監督した『夢の裏側』によって彼の映画流儀がつぶさにわかる。『シャドウプレイ』を先に観るか、『夢の裏側』が先か、いや『夢の裏側』を観た後にもう一度『シャドウプレイ』を観たくなる......。以下、2019年に行った「ロウ・イエ監督インタビュー」を再掲します。

取材・文:福嶋真砂代

※アンダーバー+リンクはRTCの意図とは関係なく「はてなブログ」仕様によるものです。無視しつつお読みいただければと思います。

Interview ロウ・イエ監督(『シャドウプレイ』『夢の裏側~ドキュメンタリー・オン・シャドウプレイ』):東京フィルメックス2019

@realtokyocinema

第20回東京フィルメックスのオープニング『シャドウプレイ』のために来日したロウ・イエ監督にインタビューした。併せて特別招待作品として上映された『夢の裏側~ドキュメンタリー・オン・シャドウプレイ(2018)』は、ロウ監督の妻マー・インリー監督により制作の裏側が詳細に記録されていて興味深い。中国広州で起きた実際の事件をもとに、中国、香港、台湾にわたり撮影されたミステリーは、中国改革開放を背景に、欲とカネに翻弄される人間がたどる運命を、魅力的なキャストとロケでスリリングに描いていく。奇しくも香港の民主化運動が激化するなかでの来日となったが、慎重に言葉を選びつつ、映画へのしたたかで熱い信念を確かに伝えてくれた。

■『天安門、恋人たち』の続編とも呼べる物語

ーー『シャドウプレイ』は、200枚の記録写真から映画作りが始まったということですが、現実とフィクションをどのように融合させたのですか? また(メイ・フォン、チウ・ユージエ、マー・インリによる)共同脚本はどのように作られたのでしょう。撮影中にも脚本が変化していったと伺いました。

僕の作品はいつもほぼ同じようなプロセスで脚本ができるのですが、まず初稿として物語のいくつかのパートを作り上げます。そこで改革開放をバックにした物語を撮ることが最初に決まり、その上で、ある家族と個人を描くという構図が決まります。平行して美術部が仕事をスタートさせていて、そこで集められた洗村(シエンソン)に関する多くの写真から、また新たに脚本を組み立てていくのです。そのようにしていろいろなものを融合させながら最終的な脚本を作り上げますが、もちろん現場ではしょっちゅう変更していきます。

さらに僕の世代は、改革開放をバッググラウンドにして青春を送った世代で、まさにその中で人生を歩んできたのです。ですから『天安門、恋人たち」以降の社会の変化が人生と重なります。この物語の登場人物たちは『天安門』で青春を過ごした人たちで、彼らが中年にさしかかるこの映画は、いわば『天安門』の続編とも呼べるのです。

ーー「洗村」を映画のモデルとした理由は?

広州市の「洗村」はまるで改革開放以来の中国の縮図のように、中国の過去と現在が同時に存在しているような地域です。そこでは改革開放の数十年の間に金銭にまつわるいろいろな事件が起きました。例えば官僚と実業家の癒着の汚職事件や、立ち退き交渉に関する反対運動など、それらはこの数十年間に中国社会で起こっていたことです。2016年当時の洗村には、この映画にあるような形が残っていたのですが、いまは村はほとんど消滅しています。

多くの制限のなか、描きたいのは「反ジャンル映画」

ーーデリケートな話になりますが、改革開放で中国経済が発達して社会が変化する一方で、現在の香港は厳しい状況が起きています(2019/11/25現在)。監督は、香港やいまの中国についてどのようにお考えですか?

ひとりの映画監督としては、自分の態度は映画を通じて発信するものだと思っています。映画のなかで、現実に起こっていることをドキュメンタリー的に撮ってひとつの映画作品として発表するのです。もちろん権力や金銭、あるいは富と貧困の矛盾は中国の他の地域でもたくさん起きています。それらすべてを描くのは限度がありますから、映画として可能なかぎり、多くの制限のなかで描いていくというスタンスです。この映画のなかで実業家のジャンが、例えば『天安門』のなかでは理想主義者だったのが、今は拝金主義者になっているとします。そうすると彼はお金さえあれば、豊かな生活ができさえすれば、すべての問題は解決できると思っているわけです。しかしながら実際はそうじゃない。お金がいくらあっても解決できない問題なんだ、というのが答えです。そういう意味で、すべてのことには必ず「結果」というものがついてくる。たとえば映画の中で 「アユンの死」を隠そうとしたが、結局は隠し通せるものではなかった、最終的には真相というものが明るみに出るのです。

ジャンル映画の中では悪と善の境界がはっきりしているのですが、僕の映画のなかではその部分は極めて曖昧です。ですのでこれは「反ジャンル映画」と言ってもいいと思います。発端は善であったとしても、結局は悪に変わってしまう。こういうことは人間社会に往往にしてあると思います。「曖昧な人間の世界を描きたかった」というのが、この社会に対する見方です。もともとは愛から出発したものであっても、それが欲望に変わり破滅に向かってしまう。あるいはお金のために破滅に向かっていく。すべて避けられない流れなのです。

ーー人々が地位や名声、欲を追い求める中国社会の30年間が描かれましたが、結局は時代に翻弄されたのは女性だったのではないかと感じました。

僕も女性が犠牲になっているという考えに賛成です。しかし、ジャン(チン・ハオ)もタン主任(チャン・ソンウェン)も同じように経済発展の犠牲者であることは確かです。人間の欲望というものがその道に追い込んで行く、そのように人物設定を行いました。そのことは若い世代のヤン刑事(ジン・ポーラン)にさえ言えます。ヤン刑事は最初はとても純真な感じでとても颯爽とした青年の雰囲気を持っていましたが、だんだん事件に巻き込まれていき、被害者のひとりであるようになってしまいます。

@realtokyocinema

いちばんいい演技は、演技をしていないこと

ーージン・ポーランさんとソン・ジアさんを起用した理由は?  

この物語には若いふたりの人物が必要なので、多くの役者に会って面談したのですが、ジン・ポーランとソン・ジアがヤン刑事役とヌオ役にぴったりだということで起用しました。ふたりとも最初は僕の撮影の方式に馴染まなかったのですが、だんだん慣れてきてついてきてくれて、すばらしい演技をしてくれました。

ーー多くの作品を共に作ってきたチン・ハオさんですが、監督にとって彼の魅力とは?

チン・ハオについてはよくわかっている役者なのでやりやすいのですが、彼のいちばんの魅力は、自分で固まったスタイルを持っていないこと。どんな役も役として入っていけるところがすばらしく、すごく優れた俳優だと思います。

ーーキャストの演出で心がけることはどんなことでしょうか。

演出では、できるだけ役者にその人物になりきってもらうことが重要です。私が細かい指示をするのではなく、この人物だったらどういうふうに動いているかをカメラが捉えるということです。できるだけカメラを意識しないで人物になりきって動いてこそ、自由な幅ができるのです。できるだけ現場では自由にやってもらう。役者は、自分がその人物になりきっていれば、動きは自然に作ることができるはずです。そうは言っても、このような撮り方はカメラマンにとってもとても難しい。役者に任せているので急にいろいろ変わります。それをカメラがどういう風に撮っていくかは難しくなります。しかし自然な人間の行動を撮ろうとしたらそういう撮影方法にならざるをえないのです。よくスタッフに言うのですが、いちばんいい演技は、演技をしていないこと。すばらしいカメラワークはライティングもカメラの存在すら気にならないように撮ること。難しいのですが、それがいちばんいい撮り方だと伝えています。

アーティストは信念を持ってやり続けることが大事

ーー検閲とたたかう時の監督の強さはどこから生まれるのでしょう。

最初に当局から修正案を受け取った時、自分は修正に応じないと言いました。応じないことイコール公開ができないということです。しかしそうは言っても、いろんな状況がありますから、1年後にいくらか妥協して修正に応じました。なぜなら中国での公開を目指したからなのです。中国以外の国でそのような映画の検閲をする国がどれくらいあるのか知りませんが、いずれにせよ、そのような検閲というものは芸術作品にとって大きな損害であることは間違いないでしょう。『二重生活』の時にも検閲の問題がありました。検閲というのは、それを行う人と受ける人の二者が存在するから生まれるものですが、それは理論的なことです。実際にアーティストがどういうふうに検閲に応じていくかというのは全然簡単なことではなく、非常に大きな努力を強いられます。それでも芸術のため、あるいは公開のために努力して、信念を持って続けていくことが大事と思っています。

中国で映画監督をする時、作品を公開したいと思えば必ず検閲というものを通らなくてはいけないのです。修正意見が出た時、ある監督はそれに応じる、またある監督は拒否するでしょう。あるいは全面的に受け入れたりもするでしょう。それぞれの監督によって対処の仕方が違うのです。でも僕はいずれの方法も尊敬されなければならないと思います。各作品で求めるものが違います。なのでどの選択もありうるものだと思います。いずれにせよ、このような事態がもっと改良されて前に進んでいくことを祈っています。

ーーメイキングのなかで、「中国経済は発展したけれど観客が育っていない」と話されていました。実際の映画状況をどう感じているでしょうか。

僕が「2流の観客」というふうにドキュメンタリーのなかで言っているところだと思いますが、それは「本来観ることができるものが観られない(観客)」という意味なんです。検閲によっていろんな箇所が削除されてしまい、“本来の制作者が伝えたいことが観られない”ということなんです。これは商業映画、芸術映画でも同様に言えるのだと思います。

タイトルについて

ーータイトルは、検閲に通らず二転三転した後に「シャドウプレイ」になったということですが、光と影のコントラスト、闇の中でも動きを感じる、「影絵」という意味でもぴったりなタイトルだと思いましたが監督はどのように?

賛同します(笑)。僕もいいと思っています。最初に考えていた「一条の夢」や「風の中の一辺の雲」(「一场游戏一场梦」(一夜のゲーム、一夜の夢)や「风中有朵雨做的云」(風のなかに雨でできた一片の雲))というのも同じような意味がありますが、加えて「シャドウプレイ」には、人間の裏と表を表現する、しかしその人間たちは影絵のように社会に操られている、という意味もありとても合っていると思っています。

※このインタビューは2019年11月25日に行われました。

Information:

原題:『風中有朵雨做的雲』/2018 年/中国/129 分/北京語・広東語・台湾語/DCP/1.85:1/日本字幕:樋口裕子 配給・宣伝:アップリンク

2023年1月20日(金)K'sシネマ、池袋シネマ・ロサアップリンク他、全国順次公開

www.uplink.co.jp

 

TIFF Review:『山女』(第35回東京国際映画祭 コンペティション部門)

本年は、私事で恐縮ですが家族を失うという受け止め難い現実に直面しつつ、映画祭で出会った映画に個人的な経験と感情が呼応し、「喪失」や「不在」、そして「再生」という現象が骨の髄に深くに突き刺さるような映画体験がありました。とは言え受賞作品のほとんどは見逃してしまい残念でしたが(第35回の受賞作品については公式サイトにてチェックよろしくお願いします。公開を楽しみにしています)、鑑賞できたなかで強烈な印象を残してくれた作品についてレビューを掲載します。

取材・文:福嶋真砂代

『山女』(コンペティション部門)

(C)YAMAONNA FILM COMMITTEE
■民話に伝わる自然への畏怖

粗末な小屋に、姉の凛(山田杏奈)と弟の小吉、そして父親(永瀬正敏が身を寄せ合って暮らしている。手探りでしかわからないような暗闇のなかで、父は子どもたちに見せたくない“穢れ”の仕事の手元を隠そうと、苛立ちながら「見るな!」と叱る。そうは言っても小吉は盲目で、姉だけをたよりに生きている。母は不在であり、姉はその名のとおり「凛として」(山田の眼差しがすばらしい)家事を切り盛りしているが、まだ幼さが残る少女は父の怒声に怯えている。ある日、父の犯した罪の濡れ衣を着せられた凛は沈黙を守り、たったひとりで山へと入っていく。その先には山神様が棲み、踏み入る者は二度と還ることはできないと、村人が恐れる一線を越えて

アメリカをベースに作品制作をしてきた気鋭の福永壮志監督が、「遠野物語」にインスパイアされてオリジナル脚本(共同脚本・長田育恵)を練り上げた作品。スクリーンから溢れ出るとてつもないエネルギー、狭い社会に生きる人間の「畏れ」から生じる愚行、つまり差別や男尊女卑という現代に通じる問題について、殊更にものごとをジャッジをするのではなく、「そんな時代があった」という民話のエッセンスを巧みに取り入れて描く。どの瞬間も潔く、鮮やかな筆致が心に残る作品だ。世界がパンデミックに揺れるなかで、集団が個を追い詰めるという社会状況を脚本に反映させたのだと福永が語るように(TIFF公式インタビュー)、遠い昔の知らない土地の出来事がふと身近なことに重なっていく。

■生と死、再生について

福永監督は、昔々の生活を想像し、ほとんどのシーンを自然光で撮影することに決めたという。それだけに山の木立から漏れる光の美しさ、木々の風に揺れる様がある種の「エネルギー」として映り込んでいるように感じる。

凛は、どうやら村では蔑まれる家族の娘として、また強い父親のもとで、ひっそりと自身を押し殺して暮らし、生きながらの「死」を感じざるを得ない。しかしそんななかでも自然の美しさを感受し、りんどうの花を自分の「生」として弟に渡し、「命のつながり」の希望を託す。父はある事件を起こし村人たちから咎められ、凛がその罪を引き受ける(身勝手な父に比べてなんと潔いのだ!)。幼い盲目の弟に気持ちを残しながら、しかし凛の決意は固い。人々が畏れる「祠」を越え、足を痛めながら山の奥へ踏み入っていく。そこに登場するこの世のものとは思えない風貌をした謎の男。踊るように、陽炎のように現れる、森山未來演じる神秘的な「山男」によって、凛はこの世で初めて「生」の喜びを感じるのだ。その喜びもつかの間、飢饉にあえぐ村人たちが探す「生贄」として凛は再び村に戻される。あたかもイエス・キリストのごとく「死」を受け入れ、どこまでも潔い凛。絶体絶命と思われたそのとき、おどろおどろしい雷鳴が轟く。異界と現世の境界を行き来する民話のダイナミズムを表現し、流れる独特のリズムはグルーブ感と言ってもよいような“うねり”を生み出す。そのうねりが導く幸福な感覚、それは自然と闘い、自然の恵みを享受して生きてきた土臭い日本人のルーツに触れた懐かしさであり、この作品に出会えた満足感でもあったように思う。

福永監督の過去作、『リベリアの白い血』(2017)や『アイヌモシリ』(2020)などにさかのぼり才能の源流に触れたくなる、さらには新作に大いに期待したくなる一作だ。

Information:

『山女』

2022年/日本・アメリカ/100分/カラー/シネマスコープ/5.1ch
山田杏奈 森山未來 永瀬正敏
監督:福永壮志 
プロデューサー:エリック・ニアリ 三宅はるえ 家冨未央 
脚本:福永壮志 長田育恵 
撮影:ダニエル・サティノフ 
音楽:アレックス・チャン・ハンタイ 
制作プロダクション:シネリック・クリエイティブ ブースタープロジェクト 
国際共同制作:NHK 
配給:アニモプロデュース

2022.tiff-jp.net

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TIFF Report: ツァイ・ミンリャン×深田晃司 対談レポート(国際交流基金×東京国際映画祭 co-present 交流ラウンジ)

私は楽しく生きている、なぜなら私は撮りたい映画を撮っているから

@realtokyocinema(Tsai Ming-liang and Fukada Koji)

去る1029日に行われた「「交流ラウンジ」深田晃司×ツァイ・ミンリャン (第35東京国際映画祭国際交流基金による共同トークイベント)のレポートをお届けします。

深田晃司監督との対談にあたり『ほとりの朔子』(13)、『淵に立つ』(16)、『海を駆ける』(18)の3作品を鑑賞したというツァイ・ミンリャン監督。自らの作品と対比し、作風の共通点をあげながら、ツァイ監督が映画にとって最も大切にしていることは何かを語った。これを受けて恐縮しながら、感激と感謝を伝える深田監督は、ツァイ監督作品がどのように自身の作品に影響を与えているかを明かしてくれた。ともするとサービス精神旺盛で語りすぎる監督たちだが、ツァイ監督は「セリフとリアリズム」「映画とマーケット」「賞味期限」「映画強国」などのキーワードを投げかけ、限られた時間内、巧みに貴重な内容のトークの舵取りをしていたことも現場にて筆者は感銘を覚えた。

とりわけ対談の後半、アート系の映画作りの難しさ、商業映画からの引退宣言をして以来、美術館とコラボを始めて10年を迎えようとしているツァイ監督の映画制作のパートは大変興味深い。トークの最後、「私は楽しく生きている、なぜなら私は撮りたい映画を撮っているから」という言葉で締めくくった。ツァイ監督の本音であり、すべてのクリエイターに響く普遍性のある言葉だと受け取った。またこれは昨今の混迷する映画制作者や関係者にとっても指針になる言葉なのではないかと感じた。この充実した対談を、主旨を残しながら語尾や順序などを修正し、フロアトークを除くほぼ全採録でお送りします。

取材・文:福嶋真砂代

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ツァイ・ミンリャン監督(以下、ツァイ):今回、東京国際映画祭で深田監督と対談をすると聞いて、3作品を拝見しました。深田監督の映画手法、言葉の使い方は、私の作品によく似ていて、同じ根を持っているのだなと感じました。ここ数年私は劇映画をあまり撮ってなかったのですが、深田作品を観るうちに、また劇映画を撮りたいという思いが湧いてきました。

セリフとリアリズム

深田晃司監督(以下、深田):ツァイ監督からまさかのお褒めをいただき、まず自分自身の作品を監督に観てもらえるだけでもとても嬉しく思っています。私は若い頃にファンとして映画を観ていたツァイ監督から、作風が似ていると言っていただけてすごく嬉しい。監督の作品は、デビュー作『青春神話』(92)からどんどん研ぎ澄まされていると感じるのですが、とりわけ素晴らしいと思うのは、「物語を語るために映像もセリフも使われてない、つまり物語を語るために消費されていない」という感覚です。私が好きなエリック・ロメールは著作の中で「セリフというのは、必要なセリフ本当のセリフに分かれる」という言い方をしていて、「必要なセリフ」とは物語を進めるためにどうしても必要な、いわばキャストに言わせなくてははいけないセリフであると。ただどういうセリフであれ、物語を進めるための「作り手の意図」にまみれた不自然なセリフだと。だから「本当のセリフ」というのが重要なのだと言っています。どうしたら「必要なセリフ」を減らしていけるだろうかということは毎回毎回(制作のなかで)意識するところです。ツァイ監督の作品は、特に近年になればなるほど徹底して、物語を進める上で消費されるセリフがなくなっていくことが素晴らしく、その監督から、自分の作品についてそのような言葉をいただけたことをとても嬉しく思います。

「生活のなかのシュールな瞬間」を切り取る

ツァイ: 私の映画はとても沈黙が多いです。というのは登場人物その人が孤独で寡黙だからです。私が映画に求める、大事にしているものは「感受性」だということ。その感覚が観客に伝わり、本当にこういう人が存在することが観客にわかってもらえるような「人物造形」をしています 。

また私の作品は音楽が極めて少ない。なぜなら音楽によって人物たちが持っている心情的なものを過度に表現してしまうことを恐れているのです 。

基本的に私は「リアリズム作家」だと思います 。しかし私の映画の中にはちょっとシュールな雰囲気が登場します。私たちの生活のなかには「シュールな瞬間」というのがあると思うからです。その部分を切り取って表現しているのです 。

深田監督の『淵に立つ』の登場人物たちは本当にリアルな人たちだと思いました。例えば夫婦関係のような家庭状況を描く時、朝ごはんの食卓から始まり、食卓での人物たちの動作、喋り方、すべてがリアルを感じさせました 。食事シーンは重要です。誰がどういう風に食べるか、その食べ方が人物を表現し、そこから全体的な雰囲気が出来上がります。特に浅野(忠信)さんが演じる男が現れてから空気が一変する、その雰囲気をうまく作り上げていると思いました。

まず雰囲気を作り上げ、一挙に物語の中に引き込み、それから驚きの情景に入っていく。物語が劇的に進みながら、すべてがリアルで、心に響く。 『淵に立つ』は、観る者=私に、このような物語、人物は存在するのだと深く信じ込ませてくれて、それぞれの人物の内在的なものに深く共感しました。そしてまた『 ほとりの朔子』も、リアルで、素晴らしい作品だと思いました。

俳優とのコミュニケーション

深田:演技について、人物の存在感について語ってくださったのは、言葉にできないほど嬉しいです。それは私一人の力ではなくて、俳優と一緒に作り上げたものだからです。ツァイ監督も俳優と作品についてコミュニケーションをとりながら作っていくのだということをインタビューで語られました。私自身も演技というのは監督のイメージを押し付けるのではなく、俳優自身が作っていくもので、俳優には目の前の共演者ときちんとコミュニケーションをとるということをお願いしています。そこ(劇中)にはいない観客に向かって演じるのではなく、ふだん私たちが他者と接するのと同じような感覚で、共演者も他者(目の前の共演者)と向き合ってほしいと思っています。(メインキャストの)浅野忠信さん、筒井真理子さん、古舘寛治さん、仲野太賀さんは意図を汲んで、とても創造的に関わってくれたので、だからこそのツァイ監督の感じて下さった「リアリティ」なのだと思います。

ツァイ:実は私は役者さん達との交流はあまりなく、それほど深く議論したりしないです(茶目っ気たっぷりに)。

深田:(慌てて)私もそんなにしないです、その、映画を通じて(の交流)です。

ツァイ:映画監督が俳優とどのように向き合っていくかは、それぞれのやり方があると思います。私が一番大事にしたいのは、人物が演じているその「空間」です。雰囲気をまず役者たちに提供してあげることが重要だと思います。私の映画は、セリフに頼って物語を進行していくタイプの作品ではないので、俳優が「空間」とどういう風に向き合って演じていくかが一番重要だと思います。

その件で思い出したのは、『愛情萬歳』(94)の中でヤン・グイメイと相手役のチェン・チャオロンが密かに愛を交わすシーンです。ヤンはベテラン女優なのでチェンが演技にうまく入っていけるように仕向けるのが上手く、ふたりは打ち解けておしゃべりしていました。

私はその様子を見て、ヤンに「あんまりチェンに構わないで欲しい」と伝えました。なぜなら映画の中ではふたりは知り合って間もない、まあほとんど知らない同士なので、あまり知ってるような雰囲気を作り上げてほしくなかった。監督はそれぞれ作品によって、どういう風に俳優と一緒にやっていくかが大事なのではないかと思います。

『淵に立つ』について、深田監督は母親役の筒井さんとよく話をされたと思うんです。複雑な役柄で、まず夫との関係があり、さらに浅野さんが現れてから彼女の心理は変化して行く。この役は監督が補助しなければ演じるのは難しいのではと思いました。

3作品を拝見して、深田監督は馴染みの俳優と一緒に映画を作ることが多いですが、そこは私と共通していると思います。お互い「阿吽の呼吸」で進んで行ける、つまり、よく知った仲なので、監督は俳優がどういう状態かを把握できて、一方俳優の側からすれば、監督が求めていることもわかっている。言葉がなくても演出できることがあるのではないかと思います。

映画制作で一番難しく、また大事なのは俳優の演出です。深田監督はうまいバランスを心得ていると、「ほとりの朔子」を観ても感じました。

深田:俳優との向き合い方というのは、監督によっても違うし、国によってもおそらく状況が違うのかなと思います。日本の場合は、まずそのオーディション文化というのがあまり根付いてなく、オファーをしてから「役柄」について話し合う時間もそれほど取れないことが多い。だから不幸なケースとして、初めて会った俳優同士が初めての現場で、長年連れ添ってきた夫婦を演じるというようなことも起きてしまう。なるべくそうならない方がいいと私は思っているので、作品について俳優と話す時間を作るようにしますし、筒井さんとも役についてはいろいろ話し、その上で信頼してお任せしました。ツァイ監督の場合は、たとえばフランソワ・トリュフォーとジャン=ピエールレオの(関係性)ような、(俳優は)監督の分身だろうかというぐらいに密な関係を築いていたりしますけど、それは自分の考える世界観や意図を理解してくれる俳優としてオファーするのでしょうか。毎回、大好きですし、彼が出ると安心感がありますね。

映画とマーケットの関係と「賞味期限」

ツァイ:ところで次は「映画とマーケットの関係」について話をしたいと思います。深田監督の作品は日本では興行的にはいかがですか?

深田:「はい、絶好調です!」と言うと嘘になるので、観てほしい人には届けたいと思ってやってるんですけど、200300館とか大きな規模で公開されるタイプの映画ではなく、また自覚している作風としては、かならずしも共感性、あるいは娯楽性が高い作品ではないので、残念ながらパッと火が点いて興行的に広がるというタイプの映画ではない。一言で言うと、そんなに当たってはないです。

ツァイ:私は、たぶん一生、興行的にはダメな監督っていう感じでしょうか。爆発的にヒットしたというような経験を今までしたことがありません。しかしそういう状況であっても、振り返れば、自分では満足しています。一作一作が大好きな作品であり、また「賞味期限」が長い作品を撮っていると自分でも思っています。例えば『青春神話』は現在アメリカで配給されていたりします。深田監督もどうやら私と同じような路線を歩んでいますね。

深田:光栄です。私の作品も「賞味期限」が長い映画になってほしいと本当に願っています。映画を作るときには、できれば100年先、自分の死後も観られる作品であってほしい、自分自身が古い映画を観てきたように、そうあってほしいなと願っています。幸いにも私が2008年にインディーズで撮った作品は、フランスなどでの配給も決まりつつあり、作って良かったと思いますし、細く長く観てもらいたいと願っています。

日本は映画強国

ツァイ:また別の話題に行きたいと思います。日本と台湾では映画の状況がやはり違うところがあって、日本は「映画強国」だと私は思うんです。これはマーケットのことを言っているのではなくて、作品性のことを言っています。台湾では、以前、ほとんどの作品が商業映画だったと言えます。台湾映画の状況を変えたのか80年代のホウ・シャオシェン監督の作品でした。当時は、毎年300本の国産映画が生産されて、それらは、ほぼ同じようなテイストの作品でした。だんだん観客も飽きてきて、興行的にも下向きになり、映画資金は香港から大陸へと流れて行きました。どういう映画を作ったらお金が儲かるか誰もわからない状況で、そんなときにホウ・シャオシェン監督が現れました。ちょうどその時、台湾では長く続いていた戒厳令が解除され、様々な題材のものが許可されて撮られるようになりました。

またエドワード・ヤン監督のようにアメリカ、日本から帰ってきた人もいて、ヨーロッパの監督に影響を与えるようなホウ作品というのも出てきたのです。その頃から台湾映画は輝かしい時期に入り、それは約十数年続き、制作本数は多くはないですが、素晴らしい作品が生まれました。『青春神話』が公開された年の夏、8本もの台湾の作品が日本で公開されるという状況もありました。

現在の台湾映画の状況は、例えばホウ監督の時代、そして私が撮っていた当時の映画とはかなり違ったものになってきています。 最近の台湾映画は、商業的な成功を目論む、ジャンル映画に偏ってきていると思います。 台湾の映画界は、マーケット的にはなんとなく賑わいを見せてはいますが、以前のような輝かしい状況ではなくなり、 私は残念に思っています。そのような台湾に比べて、日本映画界に深田監督や濱口(竜介)監督のような優れた監督が出てきているのは嬉しいことです。

作品から見ると、深田監督作品のような日本映画は、独特な言語表現を模索しながら、活力のある映画を作っていると感じます。そのことが映画にとって一番大事で、興行収入とは全然関わりのないところで、映画として重要なのだと思います。そういう監督たちは個人の創作の道を突き進んでいると思います。

売れる(興行収入を期待する)映画を作るというのは、ある意味、簡単なことだと思うんです。でも本当の意味で想像力を持ちながら、創作力のある作品を撮るというのはとても難しいことだと思います。

その意味で、現在も日本は「映画強国」として成りたっていると思います。かつては黒澤明小津安二郎小林正樹溝口健二大島渚などの監督たちが、世界を驚かすような素晴らしい作品を撮った映画強国でしたが、日本は今もそうなんだろうと思います。

「自分が見えている世界を描く」勇気を与えてくれた

深田:ありがとうございます。今の日本の若手監督たちが経済的にも厳しいという状況は知っているので、「映画強国」と言っていただくとむず痒いところもあります。おそらく濱口監督もそうだと思いますが、ホウ監督、エドワード・ヤン監督、当然ツァイ監督も、日本では90年代以降、ミニシアターブームの中で鑑賞できる環境が整っていたので、彼らの強い影響を受けて今の日本の状況があります。国は違っても、互いに影響を受け合いながら在るのだと思います。とくにツァイ監督の作品は自分にとって勇気を与えてくれる作品で、「こうやって映画を撮っていいんだ」と思わせてくれる作品であったのは強くお伝えしたいです。以前のインタビューで「自分が見えている世界を描く」と話されていて、自分も同じく、(映画作りは)「私はこういう風に世界が見えてる」ということを他者に対してフィードバックする作業であると思っています。ツァイ監督の映画は、日常生活のなかで、隣にいる人を見るように、そこには簡単には理解できない他者がそこにはいるという、すごく緊張感のある鑑賞体験だと思います。そのように想像力に対して開かれているというのが素晴らしいです。

例えば『愛情萬歳』の、もし未見でしたら耳を塞いで下さい、ラストシーンが本当に素晴らしい。ずっと泣き続ける女性の顔を撮り続け、泣き止んだところで映画が終わる。そこで映画が終わると、「ポジティブに泣き止んでその前向きに生きる女性」を描いたという印象を与えるけれど、映画はまた泣き始める女性を撮り、終わる。お客さんは「この女性が涙をふいて歩き始めることできるのか、または悲しみの中でまだしばらく生きていくのか」、それを観客の想像力に委ねるという形で描かれます。「私たちの世界はそんなに物語のように進んで行かないし、何かハッピーエンドになったり、バッドエンドになって終わるという単純なものではない」というように観客の想像力に委ねる、開かれた素晴らしい表現だなと思いました。また一方で、観る人の共感を得づらい内容になるから、当然興行収入にはなかなか結びつかない終わり方だと思うんですが、「こういう表現をしていいんだ」という勇気をもらえる作品でした。いまは『愛情萬歳』を例にあげましたけど、『河』(97)や 『青春神話』、『ピクニック』(2013)なども、作り手としてはとても勇気をもらえる作品です。だから若手監督としては、そういう作品を残してくれていたことに対して本当に感謝をしたいと思っています。

「観客を育てる」ということ

ツァイ:ありがとうございます。映画を見てくれる観客も大事ですね。いろんな場所に「いい観客」が存在します。特に日本にはいい観客がたくさんいると感じています。『河』の日本配給の話をします。ある日本の配給会社のご夫婦が『河』を観てくれた時に、素晴らしい作品だと言ってくださったのですが、しかし日本では公開は難しいと言いました。理由は「美しいヒロインがいないから」と。それから『河』は、ベルリン国際映画祭コンペティションに正式出品され(銀熊賞受賞)、その上映初日にまた別の日本の配給会社の方に会うと、 私の手を握り「ツァイ監督、もうあなたの映画を買いました」と。 その後、この会社が配給してくれたのです。宣伝のために来日した私が「なぜ日本で『河』を配給しようと思ったのですか?」 と聞くと、彼は「私はこの作品を日本の観客に見せたいと思ったからです」と言いました。

日本には、こういう「眼」を持ち、様々な異なる作品を日本人の観客に見せたいと思う人がいます。台湾にも同様の配給会社がありますが、少ない。私の少し前の作品では、私が自分でチケットを売りました。 公開1ヶ月前から、私と役者と一緒に街角でチケットを1万枚売ったのです。売上げを劇場の人に見せて、「必ず観客が来ますから2週間は上映して下さい」と言いました。ここまでやらないと私の作品は1日で上映が終わってしまいます。10年間、自分でこういう配給もしてきたいま、感慨深いものがあります。しかしこの方法もとても頼りないと思いました。

原因はどこにあるかというと、ヨーロッパとアジアの観客の違いです。何か雰囲気が違うんです。ヨーロッパの観客は芸術に触れる機会が多く、アート映画を見る習慣がある。ところがアジアの観客は、商業的な映画を見る習慣が多いように思う。ヨーロッパでは美術館と深く結びついたアート鑑賞をする習慣があることが違うと思いました。そこから判断して、私は美術館と提携し、自分の映画を美術館でやろうと思うようになりました。これまでチケットを街で売ってきたやり方を、美術館で同じようにやると言うこと、つまり「観客を育てる」という意味です。深田監督にも何か参考になるかなと思います。

深田:とても参考になります。「観客を育てる」というと啓蒙的になってしまいますが、つまりそれは「多様な作品に対して映画業界が開かれていく」ということだと思います。美術館とのコラボについてですが、確か2年前、ツァイ監督の初めてのVR 作品『蘭若寺の住人』が日本のアートフェスティバルで公開され、私も六本木へ観に行きました。「VR」に上映場所を変えただけで、ツァイ・ミンリャン監督作品でしかない。監督の住んでいる世界に自分が入り込むような不思議な体験ができる素晴らしい作品でした。

実はとても悩ましい問題で、例えばフランスにしても、興行収入1位から10位に入る映画はジャンル映画だとか、アクションやコメディという比較的娯楽性の高い、共感性の高い映画であるという状況はどこの国も同じだと思うんです。それでも「外国のよくわからない作品だけど観てやろうか」と思ってくれる客層はフランスには多いのは確か。悲しい現実ではあるんですけど、私の作品は明らかに日本よりもフランス、またヨーロッパのほうがお客さんが入るという状況です。日本での興行が、映画制作にかけた金額に対して、期待値よりもなかなか広がらないと悩むときに、一方で海外のいろんな国で配給が決まってるみたいな話を聞くと、やはり悩んでしまうところがあります。共感ができるかできないか、面白いかつまらないかも見てみないとわからないのだけど、「とりあえず観てみよう」と思ってくれるお客さんが少なくともフランスの方が多いのかもしれません。

しかしそれは個々の責任というよりも、例えばフランスには、そもそも学校で映画の授業があり、小学校の頃から授業で小津安二郎作品を観ている。そうやって少しずつお客さんが育っているという状況があるとは思います。娯楽性の高い作品、商業性の高い作品というものがあるのはとてもいいことですが、それだけではない作品に触れる機会、観れる機会をどんどん増やしていかないといけないし、自分自身もコツコツと「売れないからちょっと舵を切って作品を変えてみよう」じゃなくて、コツコツと作りたいものを作ってお客さんを育てていくということが、自分の映画を観たいと思ってくれる人を増やしていく上で大事なことだと、それを本当に実践されている監督の言葉を聞いて、改めて思わされました。

最後に

深田:今日はお集まりいただきましてありがとうございました。何より若い頃から観てきたツァイ監督とこうやって話すことができたことを、20年前の自分に教えてあげたいというぐらい、とても嬉しい時間を過ごすことができました。これからもツァイ監督の作品、新作をとても楽しみにしています。

ツァイ:今回、素晴らしい若手監督の作品を対談の前に観ることができ、対談できたこと、とても嬉しかったです。私はとても楽しく生きてます、というのは私が撮りたい作品を撮ってるからです。皆さんどうもありがとうございました。

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Info 「第23回東京フィルメックス」がはじまります

いよいよ第23回「東京フィルメックス(10/29(土)~11/5(土)18作品上映予定)が近づいてきました。今年の上映ラインナップもエッジの効いたタイトルが目白押し。なかでも「ツァイ・ミンリャン監督デビュー30周年記念特集 」に大注目しています。イベント開催を前に、2014年に旧RealTokyoで行ったインタビュー記事をご紹介。会話のなかからツァイ監督とリー・カンションさんのなんとも微笑ましい関係性がうかがえます。特集前の予習にもこの機会にご一読下さい。

--(旧RealTokyoページより)--

ツァイ・ミンリャンさん(『郊遊<ピクニック>』監督・脚本)&リー・カンションさん(主演)」インタビュー
聞き手:福嶋真砂代
Date: September 05, 2014

ツァイ・ミンリャン監督とリー・カンションさん
長編10作目となる『郊遊<ピクニック>』が公開になるツァイ・ミンリャン監督と主演のリー・カンションさんが揃って来日し、インタビューに答えてくれた。これが引退作品になるとヴェネツィア国際映画祭で衝撃発表をしたツァイさんだが、その真相とは……? また20年近く共に映画を作り続けてきたリーさんにとって、ツァイ作品とはどのような存在なのか。さらに、共演したリーさんの甥と姪との微笑ましいエピソードも明かしてくれた。監督はリーさんを、おなじみの役名で愛称「小康(シャオカン)」と呼び、ユーモアで通じ合う、そのつながりの緊密さ、心地よさがそのまま映画のようだった。つづきは以下サイトへ。

Information:

第23回フィルメックス 開催概要

名称 : 第23回 東京フィルメックス / TOKYO FILMeX 2022
会期 : 2022年10月29日(土) ~ 11月5日(土)8日間 ※10/4現在

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