REALTOKYO CINEMA

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Review 48『羊飼いと風船』

チベットの大草原に読み解く、過去、現在、未来

文:福嶋真砂代

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(C)2019 Factory Gate Films. All Rights Reserved.

『気球』というタイトルで第20東京フィルメックス(最優秀作品賞受賞)にて発表された本作は新しく『羊飼いと風船』とタイトルを変えて、本日(1月22日)からペマツェテン監督初の日本劇場公開となる。『オールド・ドッグ』(11)『タルロ』(15)『轢き殺された羊』(18)など同映画祭で次々発表され3度の受賞、作家としても活躍する同監督の"作家性"を印象づけてきた。ペマツェテン作品に欠かせないリュ・ソンイエ撮影の繊細かつ躍動的なカメラワークが作品の眼差しを支えている。

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(C)2019 Factory Gate Films. All Rights Reserved.

チベットの大草原で牧畜を営む、若い夫婦タルギェ(ジンバ)とドルカル(ソナム・ワンモ)と3人の息子、祖父と、三世代が一緒に暮らす家族が描かれる。生活の生命線である羊の繁殖。少数民族に許されない4人目のこどもの妊娠。仏教精神を重んじる生活、そしてドルカルの妹シャンチュ・ドルマ(ヤンシクツォ)の悲恋。さらには近代化していく生活の変化や教育問題などが物語のタペストリーに織り込まれる。「三世代」が示す3つの時代、すなわち祖父の文化大革命時代(過去)、若夫婦の伝統を引き継ぎながらも近代化の波に対峙する時代(現在)、そして地縁や血縁からフリーな生き方を選ぶであろう次世代(未来)が、同時に映し出されるところにこの映画の“現代性”がある。とりわけ妻ドルカルが、予期せぬ妊娠から異なる価値観の板挟みとなり、葛藤の末に未来へと立ち向かうエネルギーには女性の自立が示され、新しい時代の息吹きと風を感じる。

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(C)2019 Factory Gate Films. All Rights Reserved.

チベットというあまりにも過酷な歴史背景を背負うくにの物語を観る時、そのつらい闘いを思うと、正直、複雑な思いもする。しかし、雄大な草原や放牧の勇壮な営み、この大自然の中の暮らしは、ITやコンクリートにガッチリと包囲される殺伐とした私たちの生活とくらべると、なんという大気のすがすがしさだろうと羨ましくもなる。こどもたちの表情はあどけなく、コンドームを“風船”と思い込む純粋さに苦笑してしまう。先祖を敬い、輪廻転生を信じ、家族の結束はかたく、仏教が精神性を支える。そんな人間として大事なものを守っている生活へのノスタルジーや尊敬ももちろん湧き出る。

しかしそんな彼らの生活にも、やはり中国の政治問題の影がベールのように視界を阻む。そういえばこの映画のオープニングも白い靄がかかり視界がぼやけ、ある種のもどかしさの中ではじまる。ペマツェテン監督はあからさまな言及や表現をよしとせず、自然のなかで懸命に実直に生きる人々を、ユーモアとおとな向けの高度な比喩をまさに“羊飼い”のように使いこなし、見えるようで見えない、いや見える、そんな危うい境界線上の現象を描くことで、チベットの現状を世界に向けて照らしてくれているように思う。深く読み解くために、わたしたちの知性や想像力を最大に研ぎ澄ます必要があることは確かだ。

ちなみに原題の「気球」は、妹の元恋人の小説家・教師(実はペマツェテンの敬愛する作家タクブンジャと同名をつけている:プレス資料、星泉教授のコラムより)が書いた小説のタイトルである。

最後に、ペマツェテン監督の第20回東京フィルメックス上映に寄せたメッセージを掲載します。

「『気球』はリアリティと魂の関係を探求した作品だ。チベットの人々は肉体が消滅したとしても魂は生き続けると信じている。仏教の信仰が近代社会のリアリティとぶつかった時、人々はどちらを選ぶかを決めなければならない。」

Information:

監督・脚本:ペマ・ツェテン
出演:ソナム・ワンモ、ジンバ、ヤンシクツォ
配給:ビターズ・エンド
英題:BALLOON 原題:気球
2019 年/中国/102 分/チベット語/ビスタ
©2019 Factory Gate Films. All Rights Reserved.
 2021年1月22日よりシネスイッチ銀座ほか全国順次ロードショー 

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