隠された記憶の本当の意味を問う、ドン・ズージェンの力作
文・福嶋真砂代
※「はてなブログ」仕様によるアンダーバー+リンクはRTCの意図とは関係なく、無視しつつお読みいただければ幸いです。
父の葬儀ために故郷に向かうリー・モー(リウ・ハオラン)は飛行機に搭乗した。トイレに立ち、座席に戻ろうとすると、暗闇のなかに見覚えのある乗客の顔を見つけ、一旦席に戻るもまた引き返す。隣に座り「アンドレだろ?」と呼びかける。声をかけられた男はそっけない。「僕だよ、リー・モー、同じ中学校に通っていたよね」リー・モーは「なんで思い出さないの?」と首を傾げる。奇妙なことに彼もリー・モーの父の葬儀に向かうという。狐につままれた表情のリー・モー。そんなシュールな出会いから始まるストーリーは、この先、思いもよらぬ展開が待つ。
ふたりの乗った飛行機は悪天候で違う空港にダイバート。リー・モーは電話で「航空会社がとったホテルに泊まるから遅くなる」と連絡を入れる。なぜかふたりはつるんで同じレストランで一息入れようと座る。しかし何かが噛み合わない。はて、ふたりは存在しているのか? レストランの大きなガラスに映る人数は……? そしてふたりは車で故郷に向かうことに。ロードムービーさながら旅をするふたりは吹雪のなかで立ち往生する。しだいにふたりの関係性、幼い学校生活の記憶、家庭環境、教師との関係、転校生だった(本名はAn Dieleだがアンドレと名乗る)風変わりな友人の過酷な秘密がパズルのピースをあけるように露わになっていく。アンドレは「リー・モーの父が作った饅頭が美味しかった」と話す。そのエピソードに何か重要なカギが隠れてるのか。謎だらけの靄のなかに頭を突っ込んでいくような感じがして、すこし目眩がしてくる。リー・モーも自分の幼少期の苦しい記憶が戻るにつれ背中が痒く、不調に襲われていく。はたしてリー・モーの帰郷の目的とは? 本来は父を弔うことだったが、じつは裏側にもうひとつの大切な「目的」があるのだろうか?
ドン・ズージェン監督は俳優として活躍してきて、他の撮影現場で薦められ本作の原作小説(シュアン・シュエタオの短篇小説)を読んだのだと。人間の記憶の曖昧さ、また「子どもが大人になる過程にある苦痛」を描きたいと脚本を書いたと語る。ホラーのような空気感を作りつつ、大掛かりな仕掛けはないのに、なにやら身体が浮いているように落ち着かない。ペマ・ツェテン作品に携わった撮影監督リュー・ソンイェの幻想的なカメラワークも活かし、迫力のクライマックスの緊張感の作り方も初監督にして演出の巧みさを感じる。監督は「子ども時代に感じる苦いこと、幸せなこと、悲しみ、愛に対価を支払うこと――そういったことを全部脚本に書きこみました。このような問題について皆さんと探求をしたかったのです」と話した。考えてみるとたしかに、幼い頃の記憶の断片が不意に浮かび上がって、そのときの本当の意味に気づいてしまい、ハッとしたり、胸がチクッとすることもある。映画を観ながら、アンドレの気持に気づいたとき嗚咽してしまっていた。
アンドレを演じたドン・ズージェン、中国の人気俳優リウ・ハオランの演技も繊細ですばらしく、ぜひとも日本公開を期待している。