なぜホン・サンスはクセになるのか?
文・福嶋真砂代
「ホン・サンスはクセになる」といわれる。なぜだろう。そこには熱狂というような激しい感覚より、ジワジワくる低温性の熱を帯びる感触がある。そんなホン・サンス監督の最新作『逃げた女』(第21回東京フィルメックス 特別招待作品)が公開になった。とりわけ女優キム・ミニがミューズとなって以降、ホン・サンス独特の作風(ともすれば何か打ち水をしたような静けさ)に固有の支点が加わった。キム・ミニのクルクル変わる表情やしぐさ、またファッション的な魅力をもって、ホン・サンスがミニマルなドラマのなかで捉えようとする微妙な人間関係の機微を、いい意味で軽やかに華やかに魅せているように思うのだ。
物語は、主人公のガミ(キム・ミニ)が、夫が出張で留守になるという機会に、ひさしぶりに3人の女性友達を訪ね、おだやかに語り合うというもの。これといった起伏のない静かなドラマだが、そこには何か深い意味合いが隠れていそうな気配がある。表面的には「さざ波」程度の変化に見えるものの、もしかしたら心の中は、どす黒いマグマが煮えたぎっているかもしれない。表情を読みとろうと(観客を促すような)クローズアップ(このカメラワークがユニーク)のたびにゾクっとする。ともあれ、牧歌的な音楽と景色で紙芝居のように場面転換しながら物語は進む。主人公ガミは、「私はとても幸せ」と強がる裏に何かを隠しているのだろうか。
ところで私のつたない“韓流”鑑賞経験をたどると、ドラマや映画での人物描写にはしばしば“激しさ”が伴っていたように思う。大きめの感情表現に観客は日頃たまっていた鬱憤を乗せて、一緒に泣いたり怒ったり(負の感情ばかりではないが)、カタルシスを味わい、快感を感じたり。例えば日本に大ブームを巻き起こしたドラマ「冬のソナタ」は、自分自身にさえ嘘をつくことで本心を隠し、あげく自身の存在を抹殺してしまうまでのサイコな状態に追い込む。視聴者の共感メーターが振り切ったところで、真実が明かされ、一気に気持ちのスパークを起こす。いわば起爆剤埋込み型が特徴だったように思う。だがホン・サンスは、まったく違う世界線にいて、ノンシャランとした空気感を終始漂わせる(話がそれてしまった)。
物語の動きは少ないものの、ひとつひとつのエピソードのディテールは濃くて興味深い。例えば、最初にガミがフィアットを運転して会いに行く先輩女性とのたわいない話。「髪切ったのね」「お肉の焼き方がうまい」と空々しい話しながら食事が終わる頃、近隣に引っ越してきたという男性が訪ねてきて、おもむろに「野良猫に餌をやらないでほしい、妻は猫アレルギーだし」とクレームをする。だけど「かわいそうだからしかたがない」と先輩と同居の女性が顔を見合わせる。さっきは肉を焼きながら「牛をみるとかわいそうだからベジタリアンになりたかった」と話していた。家庭菜園でにわとりを飼いオーガニック生活をする意識高めのふたり。そして先輩の離婚はけっこうな泥沼だったなど、おだやかな話のなかに人間の矛盾や下世話な金銭の話が盛り込まれる。いっぽうガミは「今回、5年で初めて夫と離れたが、愛する人とは一緒にいるべきだと思う」という信念のようなものをしれっと繰り返す……(他にもエグい会話がたくさんある)。しかも話を聞くうちに、本当にガミはこの人たちと親しいのかという疑念が湧いてくる。
そうして二人め、三人め(これは偶然のように描かれる)と訪問は続き、微かながらもストーリーのボルテージが上がっていく。この三人はガミにとってどんな存在なのか、ガミは何を目的に彼女たちの「生活」を確認しに行ったのだろう? なぜタイトルが「逃げた女」なのか(原題は「Woman Who Ran」)、しだいに核心に向かう。ガミの過去を仄めかす最後のエピソードは妙にリアルで、もしや「監督の実体験?」と勘ぐってしまいそう。しかし謎は謎のまま、ミステリアスな空気を纏い続け、また次の作品を待ってしまう。正解よりも、あなたはどうなのかと問いかける。これもホン・サンスの術中にハマる理由のひとつと言えるだろう。
Information:
監督・脚本・編集・音楽:ホン・サンス
キャスト:キム・ミニ、ソ・ヨンファ、ソン・ソンミ、キム・セビョクほか
撮影:キム・スミン
録音:ソ・ジフン
2020年/77分/G/韓国
原題:The Woman Who Ran
配給:ミモザフィルムズ
2021年6月11日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町ほか、全国順次公開