映画のなかで蘇る、画家・熊谷守一の世界を生んだ「家」と「庭」
下駄を履く音。鳥の声。三角帽をかぶり、両手に杖をとる。「行ってきます」。そう言って94歳の画家、モリこと熊谷守一(山崎努)が向かったのは自宅の庭だ。「はい、行ってらっしゃい、お気をつけて」と洗濯物を干しながら送り出す、78歳の妻・秀子(樹木希林)。おとぼけと敬愛。草木が生い茂る庭を歩き回るモリ。とかげ、あじさい、金魚、石ころ。蟻の行列を、地面すれすれに頭をかしげて、じぃっと観察する。晩年に病を患ってからは、30年ものあいだ、ほとんど家から出ることなく、庭の生きものたちをよく見て、明快な色彩とかたちで描いた。夫婦の間柄も庭の自然も、毎日同じようでちょっとずつ違う。
沖田修一監督の最新作『モリのいる場所』は、この画家、熊谷守一(1880-1977)を、ときにユーモラスに描いた愛情あふれる作品だ。「わたしは生きていることが好きだからほかの生きものもみんな好きです」。人生に翳りがなかったわけではないが、常に新鮮な「今」を生きた。
映画の舞台はほぼ家と庭のみ。人物たちは風景の一部となっている。守一が多くの作品を生み出す源泉となった小宇宙=庭の造形が、この映画を生き生きと支えている。美術を担当した安宅紀史さんに制作プロセスなどをお聞きした。
聞き手・文:白坂由里
◼手入れされすぎず、荒れ放題でもない、モリが回遊する庭
——熊谷守一という実在した画家をモデルに映画化するにあたって、沖田監督とはどのような話をして美術を制作されたのでしょうか?
守一さんの旧居と庭が残っていないので、画集や写真集を見たり、旧居跡地に建つ豊島区立熊谷守一美術館に足を運んだりして調べました。沖田監督に脚本をいただいてからは、リアルなドキュメンタリーというよりもフィクショナルな部分を混えたイメージを持ちましたので、完全再現というわけでなく、この映画の世界のなかでの家や庭のありようを見つけていきましたね。
——映画では、昭和49年(1975年)のある一日と設定されています。守一さんは晩年、午前中は庭を観察して、午後は訪問客の相手をし、夜に絵を描いていたといいます。年月の染みた、いい家を見つけられましたね。
築40年以上の木造家屋を熊谷家として再現しました。ほとんど家と庭だけが出てくる映画ですので、セットでという話はなく、ロケーション探しが肝でした。制作部があちこち見に行って、神奈川県葉山市にある古民家がやっと見つかった。当初は同じ敷地内の別の家と庭をそれぞれ分けて撮影してつなぐ提案もしたのですが、家と庭が途切れることによって、つながっていく空気感やお芝居に影響が出て失うものもありそうでしたので。家と庭の両方揃っていることが大切でした。
——確かに。庭からも玄関からも筒抜けの印象です。
庭と家だけの空間なので、導線の自由度がないと息苦しいものになってしまいます。最初は、近くの別の家も候補だったのですが、背景に現代的な家が見えてしまったり、路地の導線をつくるには狭かったりで。加工で消すのも、キャメラマンが撮影で切り取るときに躊躇するのも避けたかった。守一さん自身が庶民的な家に住んでいらしたので、大きな庭のお宅は立派すぎてしまうんです。結局、縁側から見た庭のよさが決め手になり、2軒の庭の境目を取っ払ってつなげて植栽も足しました。手入れされすぎず、荒れ放題でもなく、ちょうどいい庭でした。
——カメラマンの藤田武さん(加瀬亮)とアシスタントの鹿島くん(吉村界人)や、旅館の看板を描いてもらおうと静岡からやってくる雲水館のご主人(光石研)などの訪問客が庭の小道を歩いてきます。あの道もつくったのですか?
はい。あの庭があったから、あの曲がりくねったストロークの道もできました。作為的でなく、守一さんがいつもうろうろ回遊しているうちに自然にできた道に見えるニュアンスを心がけました。監督も、庭から人が出入りする姿が面白くてアイデアが膨らんだと思います。
——異世界への通路を思わせる大きな池も出てきます。
実際に5、6mほど掘ってつくりました。カメラのひきじりも必要なので、スロープもつくって。「天狗の腰掛け」とみんなが呼んでいた切り株や樽などの“椅子”も点在させました。
——奥行きのあるオープンな家と庭は、モリそのもの。あの場所からたくさんの絵画が生まれたんだなあと想像できました。
◼いろんな人がいろんなところから出入りする、暮らしの肌合いのある家
——家の内装もまた、守一たちの生活の痕跡が感じられるものでしたね。
持ち主の方にご相談して、人が行き来できるように壁と押入れを抜き、カーペット敷きだった縁側の床を板間にして、建具を変えたりしました。撮影のアングルも人の導線も自由にできるようにして。いろんな人がいろんなところから出入りするイメージがあったので、空間的につながって見える方が面白いかなと。日本家屋ならではですね。
——家具などの小道具はどのように選んだのですか?
昔のものを大事に使いながら便利なものは取り入れている生活スタイルでしたので、電子レンジやテレビも置きました。藤田さんが撮影した写真集を参考に、それに近いものをなるべく揃えて。撮影所にないものは、オークションで探したり、骨董屋でリサーチして借りたり、買ったり。
——木目の見える食卓や客間の座卓に味がありました。
足がぐらぐらだったり(笑)。きれいにつるっとしたものより、ゴツゴツした肌感がある、使い込んだもののようなものを揃えてもらいました。
——沖田監督の2013年公開作『横道世之介』では、登場人物たちが読みそうな本を本棚に揃えていたとおっしゃっていましたね。本作でも、しっかりと写っているわけじゃないけれど細部のリアリティにこだわったところはありますか?
藤田さんが撮影した守一の写真集に、幼少期に亡くなられた長女が描いた黒板が飾られている写真があるんです。この黒板を入れるべきか迷い、監督と話し合った末に、さりげなく置きました。映画全体はほのぼのとした空気感ですが、その奥底には、5人の子どものうち3人を亡くしている喪失感があります。
——守一の絵に「ヤキバノカエリ」という絵がありますね。映画では、後半の秀子さん(樹木希林)のセリフでわかります。
ええ。それもあからさまには語られないので。そういえば樹木希林さんがこたつ掛けを持ってこられたんですよ。僕らでも何パターンか用意していたんですけど、「合うんじゃないかと思ったけどどうかしら」って。それがやっぱりセットに馴染んで。人が入ったときの馴染みもよかったですね。
◼描くことでもうひとつの世界をつくっている。それを信じて描いている
——熊谷守一についての見方も変わりました?
最初に画集を見たときはピンと来なくて、デザインぽい感じだと思ったんですね。それが、美術館で実際の作品を見たら、筆のストロークが緻密で、すごく念を入れて描いていて、まったく印象が変わりました。単純化された線と、抽象化に近い感じでつくられていて、絵を描くことで世界をひとつつくっているということを信じて描いているように思いました。そうじゃないとああいう絵はなかなか描けない。
——守一さんの絵を再現した画家の方はどんな反応でしたか?
プロの画家にお願いしたんですけど、筆のタッチやストロークの微妙な違いで印象が変わってしまうので、難しかったようです。シンプルに至るまでの、見えないところではかなり厳しく追求していたんだろうなと。それで、写真集を参考に、画室の再現にも力を注ぎました。
——守一さんが「学校」と呼んでいた画室ですね。「仙人」あるいは「素朴な癒しの画家」のように言われてきましたが、回顧展「熊谷守一 生きるよろこび」(2017年12月1日~2018年3月21日 東京国立近代美術館、4月14日~6月17日 愛媛県美術館)では、ろうそくの光で描いていたり、同じアングルで何枚も描いていたりと、実験の過程が科学的に解き明かされています。
試写会では「だれも描く姿を見ていないので、映画でも描く姿を無理に見せず、画室に入っていくシーンだけで想像させているのが素晴らしい」と東京国立近代美術館キュレーターの蔵屋美香さんも語っていました。
諦念をもって現実を楽しめる、懐深い秀子がいるから、モリも庭と絵の異世界に毎日行って帰ってこられたのかなと思います。
◼人といっしょにつくる面白さ。毎回初めてつくるような気持ちで
——安宅さんは、映画美術には、どのように取り組まれているのでしょうか?
作品によってさまざまですが、監督がイメージされていることをまず再現したうえで、監督のイメージよりも大きなものになればと思っています。
——観客が映画を見るときは、キャラクターやストーリーをつかむのでいっぱいになってしまうかもしれませんが、2、3回目に美術や照明などにも注意して見るといいかもしれないですね。
ええ。視線を変えれば違ったものが見られて、背景とかにも発見があるかもしれません。
——映画美術って、声高ではないですけど、ものが、人物の個性や時代、人との関係性など言葉にならないニュアンスを伝えている。制作現場ではキャストの盛り立て役でもあり、画面ではものと人が相互に働きあっているように感じます。
うれしいです。毎回、役者さんが入ったときに馴染むかどうか、違和感を感じないかという怖さもあり、気に入っていただけたときはホッとします。
——「横道世之介」の取材時、毎回初めてつくるような気持ちでいたいとおっしゃっていましたね。
今でもそうありたいと思っています。忙しさのなかで忘れちゃっているときもあるかもしれないですけど。同じような題材・年代・シチュエーションでも、監督とスタッフが違えば表現は違うものになります。一からつくる、というのが基本かなと。
——人といっしょにつくる。
「人」によってできあがってくるものが変わってくるんですね。現場で背景や世界観をつくることはできるんですけど、撮影で切り取られた絵はコントロールできないので、照明の当たり方など、自分が思っていた絵と違うなと思うこともあります。ただし自分がうまくいかなかったと思っていても、こういう方向性で画(え)ができあがっていてすごいなと感心するときもあって。現場にいたら画作りに参加しますけど、芝居とか、どういうアングルでどう切り取るか、どういうカットで編集するか、自分が思っているイメージだけで成立するものではないし、正解はない。映画美術の面白さはそこにあります。
——守一さんの制作は孤独だったと思いますが、生きものの力を借りていた。モリが世界をどう見ていたのか、大勢が覗き込みながらこの映画がつくられた。そこにアートがあるように感じました。
(※このインタビューは2018年4月11日に行われました)
Information :
『モリのいる場所』
監督・脚本:沖田修一/日本/2018年/99分
出演:山﨑努、樹木希林、加瀬亮 吉村界人 光石研 青木崇高 吹越満 池谷のぶえ きたろう 林与一 三上博史
配給:日活
2018年5月19日(土)よりシネスイッチ銀座、ユーロスペースほか全国順次公開中
★7月16日~29日、北米最大の日本映画祭「ジャパンカッツ」でも上映。国際的に活躍する日本人俳優に与えられる賞「Cut Above Award for Outstanding Performance in Film」を樹木希林が受賞した。
★展覧会「没後40年 熊谷守一 生きるよろこび」6月17日まで、愛媛県美術館にて開催。
開催概要・チケット情報|開館20周年記念 没後40年 熊谷守一 生きるよろこび|愛媛県美術館 2018年4月14日(土)〜2018年6月17日(日)
プロフィール:
あたかのりふみ/1971年、石川県出身。「月光の囁き」(99、塩田明彦監督)にて美術監督としてデビュー。主な作品に『ピストルオペラ』(01、鈴木清順監督。木村威夫美術監督の下、美術として)、『マイ・バック・ページ』(11、山下敦弘監督)、『夏の終り』(13、熊切和嘉監督)、『予兆 散歩する侵略者』(17、黒沢清監督)、『羊の木』(18、吉田大八監督)、『オー・ルーシー!』(18、平柳敦子監督)。2018年『ハードコア』(山下敦弘監督)公開予定。沖田修一監督作品では『南極料理人』(09)、『キツツキと雨』(12)『横道世之介』などに続く参加。