REALTOKYO CINEMA

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Interview:ロウ・イエさん(『シャドウプレイ【完全版】』監督、ドキュメンタリー『夢の裏側』出演)

©DREAM FACTORY, Travis Wei

ロウ・イエ監督『シャドウプレイ【完全版】』とそのメイキングドキュメンタリー、マー・インリー監督『夢の裏側』が同日公開される。2019年の秋、第20回東京フィルメックスにて日本プレミア上映され、ロウ・イエ監督が来日した際にインタビューした。しかし、この日本公開に至るまでコロナパンデミックに翻弄され、また香港民主化運動、ウクライナ戦争と、多くの悲劇が勃発した。2作は、現代においてまさにタイムリーにスクリーンに息を吹き返すだろう。まるでロウ・イエ組の強烈なエネルギーに導かれたように・・・。監督の妻のマー・インリーが監督した『夢の裏側』によって彼の映画流儀がつぶさにわかる。『シャドウプレイ』を先に観るか、『夢の裏側』が先か、いや『夢の裏側』を観た後にもう一度『シャドウプレイ』を観たくなる......。以下、2019年に行った「ロウ・イエ監督インタビュー」を再掲します。

取材・文:福嶋真砂代

※アンダーバー+リンクはRTCの意図とは関係なく「はてなブログ」仕様によるものです。無視しつつお読みいただければと思います。

Interview ロウ・イエ監督(『シャドウプレイ』『夢の裏側~ドキュメンタリー・オン・シャドウプレイ』):東京フィルメックス2019

©realtokyocinema

第20回東京フィルメックスのオープニング『シャドウプレイ』のために来日したロウ・イエ監督にインタビューした。併せて特別招待作品として上映された『夢の裏側~ドキュメンタリー・オン・シャドウプレイ(2018)』は、ロウ監督の妻マー・インリー監督により制作の裏側が詳細に記録されていて興味深い。中国広州で起きた実際の事件をもとに、中国、香港、台湾にわたり撮影されたミステリーは、中国改革開放を背景に、欲とカネに翻弄される人間がたどる運命を、魅力的なキャストとロケでスリリングに描いていく。奇しくも香港の民主化運動が激化するなかでの来日となったが、慎重に言葉を選びつつ、映画へのしたたかで熱い信念を確かに伝えてくれた。

■『天安門、恋人たち』の続編とも呼べる物語

ーー『シャドウプレイ』は、200枚の記録写真から映画作りが始まったということですが、現実とフィクションをどのように融合させたのですか? また(メイ・フォン、チウ・ユージエ、マー・インリによる)共同脚本はどのように作られたのでしょう。撮影中にも脚本が変化していったと伺いました。

僕の作品はいつもほぼ同じようなプロセスで脚本ができるのですが、まず初稿として物語のいくつかのパートを作り上げます。そこで改革開放をバックにした物語を撮ることが最初に決まり、その上で、ある家族と個人を描くという構図が決まります。平行して美術部が仕事をスタートさせていて、そこで集められた洗村(シエンソン)に関する多くの写真から、また新たに脚本を組み立てていくのです。そのようにしていろいろなものを融合させながら最終的な脚本を作り上げますが、もちろん現場ではしょっちゅう変更していきます。

さらに僕の世代は、改革開放をバッググラウンドにして青春を送った世代で、まさにその中で人生を歩んできたのです。ですから『天安門、恋人たち」以降の社会の変化が人生と重なります。この物語の登場人物たちは『天安門』で青春を過ごした人たちで、彼らが中年にさしかかるこの映画は、いわば『天安門』の続編とも呼べるのです。

ーー「洗村」を映画のモデルとした理由は?

広州市の「洗村」はまるで改革開放以来の中国の縮図のように、中国の過去と現在が同時に存在しているような地域です。そこでは改革開放の数十年の間に金銭にまつわるいろいろな事件が起きました。例えば官僚と実業家の癒着の汚職事件や、立ち退き交渉に関する反対運動など、それらはこの数十年間に中国社会で起こっていたことです。2016年当時の洗村には、この映画にあるような形が残っていたのですが、いまは村はほとんど消滅しています。

多くの制限のなか、描きたいのは「反ジャンル映画」

ーーデリケートな話になりますが、改革開放で中国経済が発達して社会が変化する一方で、現在の香港は厳しい状況が起きています(2019/11/25現在)。監督は、香港やいまの中国についてどのようにお考えですか?

ひとりの映画監督としては、自分の態度は映画を通じて発信するものだと思っています。映画のなかで、現実に起こっていることをドキュメンタリー的に撮ってひとつの映画作品として発表するのです。もちろん権力や金銭、あるいは富と貧困の矛盾は中国の他の地域でもたくさん起きています。それらすべてを描くのは限度がありますから、映画として可能なかぎり、多くの制限のなかで描いていくというスタンスです。この映画のなかで実業家のジャンが、例えば『天安門』のなかでは理想主義者だったのが、今は拝金主義者になっているとします。そうすると彼はお金さえあれば、豊かな生活ができさえすれば、すべての問題は解決できると思っているわけです。しかしながら実際はそうじゃない。お金がいくらあっても解決できない問題なんだ、というのが答えです。そういう意味で、すべてのことには必ず「結果」というものがついてくる。たとえば映画の中で 「アユンの死」を隠そうとしたが、結局は隠し通せるものではなかった、最終的には真相というものが明るみに出るのです。

ジャンル映画の中では悪と善の境界がはっきりしているのですが、僕の映画のなかではその部分は極めて曖昧です。ですのでこれは「反ジャンル映画」と言ってもいいと思います。発端は善であったとしても、結局は悪に変わってしまう。こういうことは人間社会に往往にしてあると思います。「曖昧な人間の世界を描きたかった」というのが、この社会に対する見方です。もともとは愛から出発したものであっても、それが欲望に変わり破滅に向かってしまう。あるいはお金のために破滅に向かっていく。すべて避けられない流れなのです。

ーー人々が地位や名声、欲を追い求める中国社会の30年間が描かれましたが、結局は時代に翻弄されたのは女性だったのではないかと感じました。

僕も女性が犠牲になっているという考えに賛成です。しかし、ジャン(チン・ハオ)もタン主任(チャン・ソンウェン)も同じように経済発展の犠牲者であることは確かです。人間の欲望というものがその道に追い込んで行く、そのように人物設定を行いました。そのことは若い世代のヤン刑事(ジン・ポーラン)にさえ言えます。ヤン刑事は最初はとても純真な感じでとても颯爽とした青年の雰囲気を持っていましたが、だんだん事件に巻き込まれていき、被害者のひとりであるようになってしまいます。

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いちばんいい演技は、演技をしていないこと

ーージン・ポーランさんとソン・ジアさんを起用した理由は?  

この物語には若いふたりの人物が必要なので、多くの役者に会って面談したのですが、ジン・ポーランとソン・ジアがヤン刑事役とヌオ役にぴったりだということで起用しました。ふたりとも最初は僕の撮影の方式に馴染まなかったのですが、だんだん慣れてきてついてきてくれて、すばらしい演技をしてくれました。

ーー多くの作品を共に作ってきたチン・ハオさんですが、監督にとって彼の魅力とは?

チン・ハオについてはよくわかっている役者なのでやりやすいのですが、彼のいちばんの魅力は、自分で固まったスタイルを持っていないこと。どんな役も役として入っていけるところがすばらしく、すごく優れた俳優だと思います。

ーーキャストの演出で心がけることはどんなことでしょうか。

演出では、できるだけ役者にその人物になりきってもらうことが重要です。私が細かい指示をするのではなく、この人物だったらどういうふうに動いているかをカメラが捉えるということです。できるだけカメラを意識しないで人物になりきって動いてこそ、自由な幅ができるのです。できるだけ現場では自由にやってもらう。役者は、自分がその人物になりきっていれば、動きは自然に作ることができるはずです。そうは言っても、このような撮り方はカメラマンにとってもとても難しい。役者に任せているので急にいろいろ変わります。それをカメラがどういう風に撮っていくかは難しくなります。しかし自然な人間の行動を撮ろうとしたらそういう撮影方法にならざるをえないのです。よくスタッフに言うのですが、いちばんいい演技は、演技をしていないこと。すばらしいカメラワークはライティングもカメラの存在すら気にならないように撮ること。難しいのですが、それがいちばんいい撮り方だと伝えています。

アーティストは信念を持ってやり続けることが大事

ーー検閲とたたかう時の監督の強さはどこから生まれるのでしょう。

最初に当局から修正案を受け取った時、自分は修正に応じないと言いました。応じないことイコール公開ができないということです。しかしそうは言っても、いろんな状況がありますから、1年後にいくらか妥協して修正に応じました。なぜなら中国での公開を目指したからなのです。中国以外の国でそのような映画の検閲をする国がどれくらいあるのか知りませんが、いずれにせよ、そのような検閲というものは芸術作品にとって大きな損害であることは間違いないでしょう。『二重生活』の時にも検閲の問題がありました。検閲というのは、それを行う人と受ける人の二者が存在するから生まれるものですが、それは理論的なことです。実際にアーティストがどういうふうに検閲に応じていくかというのは全然簡単なことではなく、非常に大きな努力を強いられます。それでも芸術のため、あるいは公開のために努力して、信念を持って続けていくことが大事と思っています。

中国で映画監督をする時、作品を公開したいと思えば必ず検閲というものを通らなくてはいけないのです。修正意見が出た時、ある監督はそれに応じる、またある監督は拒否するでしょう。あるいは全面的に受け入れたりもするでしょう。それぞれの監督によって対処の仕方が違うのです。でも僕はいずれの方法も尊敬されなければならないと思います。各作品で求めるものが違います。なのでどの選択もありうるものだと思います。いずれにせよ、このような事態がもっと改良されて前に進んでいくことを祈っています。

ーーメイキングのなかで、「中国経済は発展したけれど観客が育っていない」と話されていました。実際の映画状況をどう感じているでしょうか。

僕が「2流の観客」というふうにドキュメンタリーのなかで言っているところだと思いますが、それは「本来観ることができるものが観られない(観客)」という意味なんです。検閲によっていろんな箇所が削除されてしまい、“本来の制作者が伝えたいことが観られない”ということなんです。これは商業映画、芸術映画でも同様に言えるのだと思います。

タイトルについて

ーータイトルは、検閲に通らず二転三転した後に「シャドウプレイ」になったということですが、光と影のコントラスト、闇の中でも動きを感じる、「影絵」という意味でもぴったりなタイトルだと思いましたが監督はどのように?

賛同します(笑)。僕もいいと思っています。最初に考えていた「一条の夢」や「風の中の一辺の雲」(「一场游戏一场梦」(一夜のゲーム、一夜の夢)や「风中有朵雨做的云」(風のなかに雨でできた一片の雲))というのも同じような意味がありますが、加えて「シャドウプレイ」には、人間の裏と表を表現する、しかしその人間たちは影絵のように社会に操られている、という意味もありとても合っていると思っています。

※このインタビューは2019年11月25日に行われました。

Information:

原題:『風中有朵雨做的雲』/2018 年/中国/129 分/北京語・広東語・台湾語/DCP/1.85:1/日本字幕:樋口裕子 配給・宣伝:アップリンク

2023年1月20日(金)K'sシネマ、池袋シネマ・ロサアップリンク他、全国順次公開

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