REALTOKYO CINEMA

リアルトウキョウシネマです。映画に関するインタビュー、レポート、作品レビュー等をお届けします。

Interview 014 小森はるかさん(『空に聞く』監督・撮影・編集)

陸前高田の、とおい未来のこどもたちにも見てほしい

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@realtokyocinema2020

森はるか監督へのインタビューは、長編デビュー作『息の跡』から3年半ぶりとなる。最新作『空に聞く』は、COVID-19で世界がひっくり返る寸前の、第12回恵比寿映像祭(「時間を想像する」)の東京プレミア上映を幸いにも観ることができた。満席の映像祭のホールで、タイトルにこめた思いを語るQ&Aの小森さんの声に観客はじっと耳を傾けていた。東日本大震災後に、アーティストの瀬尾夏美さんとともにボランティア活動のために岩手に移住し、現地でアルバイトをしながら映画を作りはじめた。最初から“まち”に受け入れられたわけではない。少しずつ、少しずつ、居場所を見つけ、人と繋がる努力をしていたころ、陸前高田災害FMのパーソナリティ、阿部裕美さんと出会う。津波の後のかさ上げ工事が進み、まちの姿が変わりゆくなかで、懸命に「声」をつなげようとしていた阿部さんにカメラを向ける、その親密な距離感。ナレーションも音楽もなく、散りばめられた映像の粒子がひとつのエネルギーに静かに集約されていくシークエンスは小森はるか作品の醍醐味だ。「津波の後の風景だったはずが、“復興の前の風景”を撮っていた」と語る言葉が印象深い。ほかにも作品への思いをいろいろと伺った。

聞き手・文:福嶋真砂代

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(C)KOMORI HARUKA
阿部さんはやわらかで凛として、「メディア」になる人

ーー映画の主人公となる陸前高田災害FMパーソナリティの阿部裕美さんのやさしい光に包まれる感覚がしました。まず、阿部さんと小森さんの出会いから教えて下さい。 

小森:陸前高田に私が引っ越したのは2012年の4月でした。最初は大船渡でアルバイトをしていたのですが、その頃に知り合った大船渡の災害FMで働いている方に、陸前高田の災害FMに連れて行ってもらいました。2012年の夏だったかと思います。それ以前から陸前高田の災害FMTwitterをフォローしていて、きめの細かい情報発信を見るたびに、これはよっぽど思いのある人たちがこの災害FMにいるんだろうな、行ってみたいなと思っていました。ラジオ自体は電波の関係で私はあまり聴けてなかったのですが、災害FMの存在感は感じていて、でもその時はまだ阿部さんの存在は知りませんでした。FM局を訪ねると、阿部さんがちょうど出迎えてくれて、「あ、この方がやってるんだ」ってすごく腑に落ちた感じがしました。阿部さんも私たち(小森はるか+瀬尾夏美)のことをTwitter上で知っていてくれて、短い立ち話のなかで「会いたいと思ってました」と言ってくれました。

ーーなんだか運命的ですね。印象はいかがでしたか。

小森:阿部さんの印象は、物腰がやわらかで穏やかで、凛としている方だと初対面の時に感じました。阿部さんに会うと、みなさん同じような印象を持つようです。その時に阿部さんは「メディア(媒介)」になる人なのだろうなと感じました。まちの人たちの間に立って、声をつなげようとされている方だと。

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(C)KOMORI HARUKA

 ーー阿部さんを撮影したいと、会ってすぐに思ったのですか?

小森:出会ってから半年くらい経った時です。最初から撮りたいという思いはあったのですが、すぐにはとりかかれず、「映画を作るんだ」と自分の中で決心するまで半年かかっていました。「人を撮りたい」と決心した時に、阿部裕美さんと、そして佐藤貞一さん(『息の跡』)のお二人を撮影したいと思いました。なので「佐藤たね屋」さんの撮影とほぼ同時期でした。

ーーその決心するまでの半年間はどんな時間だったのですか?

 小森:引っ越して来たばかりで、誰も知り合いもいなくて、地域や、その日常の中に、どうやって入っていったらいいかということだけで精一杯だった時期です。陸前高田は私が住んでいた住田町(気仙郡)から通っていたので、まだどっぷりという感じではなかったんです。

ーーなるほど、そういう微妙な距離感があるんですね。決心してからは、小森さんひとりで撮影を始めたのですか?

小森:はい、ひとりです。「失われてしまったものを忘れないためにどうやって受け渡していくか」ということをされているまちの人たちの記録を映画にまとめたいという思いはあったのですが、このように関係を結んで撮影をすることが可能だったのはお二人でした。

撮りたくても撮れなかった光景がそこにあった

ーー阿部さんを撮ることで、番組のリスナーや、他のFM番組「舘の沖.com」のみなさんとか、いろんな方と繋がっていきましたね。

小森:なかなか人にカメラを向けることができなくて。というのは、はじめからカメラを持って出会ったのではなくて、大学院生(自身)が移住してきて、お蕎麦屋さんで働きはじめて、それで受け入れてもらい、親戚みたいにつきあってくれた人たちに対して、私がカメラを向けるとなると、被災した人とそれを撮りに来た人、という関係に結び直されてしまうと感じて。そうではなかったかもしれないけれど、自分としてはそれが怖かったんです。そんな気持ちがありましたが、阿部さんが関わっているラジオの収録の場面では、カメラを向けることが出来たんです。それまで撮りたくても撮れなかった光景がそこにありました。

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(C)KOMORI HARUKA

ーー「被写体」としてだけではなくて、扉を開けてくれた出会いでもあるのですね。

小森:扉が開いたんだと思います、ほんとに。ラジオの収録ではあるけれど、映像で記録することを阿部さんも理解してくれたので、撮影に入っても大丈夫な現場に招いてくれました。

ーー「黙祷放送」のシークエンスは圧巻でした。

小森:「黙祷放送」はどうしても撮りたくてお願いしました。地域のみなさんがともに「月命日(毎月11日)に祈る時間」が必要だったのではと思うんです。災害FMで「黙祷放送」をするというのは、ひとりではなく「みんなその時間にいるんだな」と、誰かと一緒に祈る時間を共有するもののように感じられました。弔いの時間のひとつになっていたと思います。

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(C)KOMORI HARUKA
手を撮ることは、顔よりもその人を感じられる

ーー阿部さんが放送局でCDをセッティングしたり、カフを上げ下げしたり、その手仕事を、本業は何をしている方なのだろうと思って見ていました。他にもお弁当を作る手や、お墓参りの手順も整然としていて無駄がない。そしてついに「和食 味彩」ではたらく阿部さんが映され、「阿部さんの手の秘密はこれだったのか」とわかる、そのシークエンスにゾクっときました。

小森:そうなんですね、ぜんぶが繋がってるなと思いました。阿部さんの手の動かし方は生活している人の、プロとはまた違うリズムがあると思いました。人が作業しているところを見ているのが好きです。手を撮るのは、顔よりもその人を感じられると思うからなんです。阿部さんは「ひとつひとつ確認する」というところが手に現れていて、それが阿部さんの性格を表しているように思います。丁寧に、間違えないように、緊張感を持って点検していく感じ。震災前に飲食店で仕事されていたときも、そうやって仕事をされてきたのだろうということが伝わってきて、すごくいいんですね。

ーー阿部さんはこの映画をいつごろ観られたのですか?

小森:愛知芸術文化センターでの上映の前です。観ていただいて、確認作業に長くお付き合いいただきました。阿部さんが気になるところ、誤解がないようにというところを指摘して下さって、そのすべてに私が応えられたわけではないのですが、阿部さんのほうから、「小森さんの表現だから、やりたいようにやったらいいよ」と言って下さって、結局はそのようにやらせていだだきました。

どこまで情報があったほうがいいのか、私自身も迷いがあったし、阿部さんも心配されたところです。本当に伝わるかどうか。例えば黙祷放送のシーンは、最初に原稿を読んでから黙祷をして終了となるのですが、じつは原稿を読んでいるところを私はカットしています。黙祷放送にとってとても大事な部分なので私も迷いましたし、阿部さんもなぜカットするのかと思われたと思うのですが、編集意図を理解して受け入れて下さいました。本当に難しいところですが、迷いはありつつも、やはり自分が観たいものを選びました。手探り状態で撮影をはじめた中で「これだ」というものを自分で見つけていくときに、阿部さんにご意見いただいて、いい意味で自分のやりたい方向を見つけさせてもらったという気がします。 

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(C)KOMORI HARUKA
津波の後の風景だったはずが、復興の前の風景を撮っていた

ーー2013年冬からのFM局と2018年夏のインタビュー部分と、二つの時間にまたがって撮影をされています。過去に撮影した素材で、時間を隔てて映画にしようと決心した時、気持ちも変化していくのだと思いますが、撮った素材に対しての思いも変化をしていますか。

小森:それはあるような気がします。その時は何も映らないなと思って撮っていた風景が、もはやいまは失われた風景になっていたりします。また時間が経てば変わるかもしれないですが、「津波の後の風景だったはずが、復興の前の風景を撮っていた」ということになっていくんです。自分が作品にしようと思うタイミングによって素材の見え方、捉え方が違ってくるし、阿部さんの語りによって、そういうふうに見直せたということはあります。そんなことがこれからもずっと起きるような気がしてます。

ーーコロナ禍でお祭りの在り方も変わってくると、それを映像化して残すことも貴重です。毎回「お祭り」は小森さんらしくて魅了されます。

小森:ほんとですか、お祭りばかり撮るのは卒業しなきゃ(笑)。もし記録係として撮るならいろんなことを定点的に撮っていないとダメですけど、記録をすると言いながらも、私は自分の撮りたいものしか撮っていなくて。せめてそれを何かしらの形で渡したいという時に「映画」という表現方法が今はいちばんしっくりきます。お祭りの意味合いとしても鎮魂の意味がありますし、そこに居なかった人たちが、人が集まることで見えてくる。お祭りによって人の気持ちが可視化されることがあると感じて、その瞬間を見たいと思って撮ってしまうし、編集で入れてしまうんです。

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(C)KOMORI HARUKA

 ーー「ワッショイ、ワッショイ」の声の被せ方に痺れますし、阿部さんが「おかえりの文字が上から見えるような位置に書いてあるんですよ」と話してくれたのも、鳥肌がたちました。現世とあの世をつなぐ、それこそ「メディア」として撮る、小森さんのお祭りは、賑やかさだけではなく、どこか寂しさを感じさせます。

小森:確かにすごく寂しさを感じます。お祭りだけど賑やかだけじゃない。それが伝わるのはうれしいです。

撮られる側の意識が変わってきている

ーーちょっと話が変わるのですが、いまは高性能スマートフォンカメラがあって、どこでも人は撮影することに抵抗がなくなってきました。映画を撮る状況も、小森さんが映画を撮り始めてから変わってきたのではないでしょうか。

小森:変わっています。撮る側だけではなく、撮られる側の意識もすごく変化しているなと感じます。日常的に撮られる機会が増えて、「映像に映っている自分」を観る機会も増えていますね。昔の人が感じた「写真に魂を抜かれる」恐怖感とは違うんだと思います。特に若い人たちはどういうふうに撮られているかわかって撮らせてくれている感じがして、そういう意味で変わってきたと思います。

『二重のまち/交代地のうたを編む』(制作:小森はるか+瀬尾夏美)の撮影をした時に、初めて陸前高田の高校生を撮らせてもらったのですが、例えばご高齢の方は、カメラに自分がどう映っているかわからないからこそ自然でいてくれることがあります。でも高校生はその逆で、カメラに撮られていることをわかりながら「自然に」居ようとしているなというのが伝わってきて、カメラの前で「振る舞える」ということですね。だからこそ自分も気をつけようと思いました。被写体側がそうやって受け入れてくれることに甘んじないようにしようと。撮らせてくれることに慣れてしまうのは、自分でもちょっと怖いなと思ってます。

 

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(C)KOMORI HARUKA

陸前高田の、とおい未来のこどもたちへ

ーー最後に、この映画をどのように見てもらいたいでしょうか。

小森:映画を見てくださる方それぞれに、阿部さんの声を聞いて、変化していく陸前高田の風景を見て、何か感じるものが一つでもあれば嬉しいです。あと最近想像するのは、このまちでこれから生まれる人たちは「いまの状況」は見れないだろうなということです。震災の記録は多く残っているし、津波や被害の様子などは資料館にもあります。でも復興していくまでの時間の人々の複雑な思い、例えば阿部さんがラジオのパーソナリティをしていた時間や、佐藤(たね屋)さんが井戸を掘っていた時間、という記録はなかなか出会えないと思うんです。だから、それを次に渡したいという気持ちがあります。自分がもしそこに生まれたとしたら、そういう人たちがいたことを知りたいと思うだろうな、と。いまに至るまでに間をつないでいた人たちを誰かに伝えたいという思いがあって、記録しているのだと思います。陸前高田でそれを必要とする世代はもっともっと先のことかもしれない。おじいちゃんやおばあちゃんからその話を聞けるという世代はまだ大丈夫ですけど、そのもっととおい未来のこどもたちがいつか見るものであったら、という思いもあります。

(※このインタビューは、2020年10月16日に行われました。)

1121()より東京 ポレポレ東中野にて公開、ほか全国順次公開

Information:

監督・撮影・編集:小森はるか
撮影・編集・録音・整音:福原悠介
特別協力:瀬尾夏美
企画:愛知芸術文化センター 制作:愛知県美術館
エグゼクティブ・プロデューサー:越後谷卓司
配給:東風  2018年/日本/73分

www.soranikiku.com

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Review 45『メイキング・オブ・モータウン』

デトロイト発、モータウン初期13年の音楽記録

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(C)2019 Motown Film Limited. All Rights Reserved

先日、米国の「ローリング・ストーン」誌が発表した2020年版「歴代最高のアルバム500」で1位に選ばれたのは、マーヴィン・ゲイの『ホワッツ・ゴーイング・オン』。1971年にモータウン・レコードから出たアルバムだが、現在の社会状況を反映したランキングであろう(以前の2012年版の1位は『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』)。本作は、ファブ4やストーンズが魅せられ、スプリームススティーヴィー・ワンダー、ジャクソン5、等々のヒット曲を生み、ブラック・ミュージックの素晴らしさを世界に広めたモータウン・レコード設立60周年記念のドキュメンタリー映画である。1959年にデトロイトの自宅で、ベリー・ゴーディ1929年生まれ)が創設してから、1972年にロサンゼルスへ移転するまでの時代が描かれる。

そのゴーディと、歌手、作曲家、プロデューサーで副社長だったスモーキー・ロビンソン1940年生まれ)の2人が饒舌に楽しげに回想し、様々な歌手や作曲家、スタッフ(黒人だけではない)が証言する。更に、ライブやスタジオの貴重な映像(「エド・サリバン・ショー」に出演するスプリームスアポロ・シアターモータウン・レビューのスティーヴィー、等々)が多く登場して楽しめる。また、今のアーティストであるドクター・ドレジョン・レジェンドジェイミー・フォックスサム・スミス(!)がモータウンへの愛を語り、更にキング牧師1963年に演説レコードを出した)、ネルソン・マンデラバラク・オバマオプラ・ウィンフリー等の著名人が絶賛する。

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(C)2019 Motown Film Limited. All Rights Reserved

そして、音楽とその時代に起きた社会状況との絡みも当然出てくる。スモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズの「ショップ・アラウンド」が大ヒットした1960年はJFKが大統領に当選した年で、『ホワッツ・ゴーイング・オン』の1971年はニクソン・ショックの年だ。その間の10年間、つまり60年代のヒット曲、社会の出来事はご存知の通り。例えば、映画『デトロイト』は1967年のデトロイト暴動の話であり、スプリームステンプテーションズが南部をバスでツアーした時に受けた人種差別は映画『グリーンブック』の話でもある。そんな南部でもモータウンのレコードはヒットしていた訳だが。そして映画の終盤、ウッドストックの年、1969年のテンプテーションズサイケデリック・ソウル曲「クラウド9」はその時代の趨勢の反映だ。「ホワッツ・ゴーイング・オン」は、弟がベトナムに行っている事でゲイのシンガーソングライター魂から生まれた歌であったが、その制作秘話は本作のハイライトの一つ。この歌が現代のアンセムになったのは驚異と言うべきか。さあ、映画を見ながらヒット曲を一緒に歌おう!

フジカワPAPA-Q ★★★★.5

Information:
監督:ベンジャミン・ターナー、ゲイブ・ターナー
出演:ベリー・ゴーディスモーキー・ロビンソン
2019/カラー/5.1ch/アメリカ、イギリス/ビスタ/112分/字幕翻訳:石田泰子 監修:林剛  
配給:ショウゲート

2020年9月18日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷ほかにて全国順次ロードショー

cinerack.jp

関連サイト:

Review 44『Daughters』

美しい季節、眩いばかりの彼女たち

文:福嶋真砂代

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(C) 「Daughters」製作委員会

異色作『Daughters』(津田肇 脚本・監督)が現在公開中である。ルームシェアをしている若いふたりの女性、小春(三吉彩花)と彩乃(阿部純子)が主人公。それぞれイベントデザイナー、ファッションブランド広報としてキャリアも私生活も謳歌していた。そんななか彩乃が妊娠、シングルマザーになる決意をする。彩乃と同居する小春は戸惑いつつも「新米パパのための妊娠・出産」を勉強し、応援することにした。新しい命の誕生を前にして変わるふたりの生活、そして成長していく10ヶ月を、東京・中目黒の美しい季節の移り変わりを背景に描く。

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(C) 「Daughters」製作委員会

とにかく映像の美しさが印象に残る。色彩、照明、衣装(tiit tokyo)、美術、カメラアングル。いっそ「アート」と呼びたくなるほどのこだわり。音楽もそうだ。心地よく刺激的なサウンドが映像と融合し作品に多彩な質感を纏わせる。Hiroaki Oba、Utae、jan and naomiなど、新進気鋭のプレイリストを聴けるのは貴重だ。なにやら香港、ウォン・カーウァイ監督の『恋する惑星』や『花様年華』を観たときのような衝撃さえ感じる。幼少期をシンガポールと香港で過ごしたという津田監督自身の経験が影響しているのかもしれない。いずれにしても『Daughters』は確実に現代の華やかで混沌とした空気感(コロナ禍以前の東京)、都会に生きる若者たちを鋭敏な感覚で捉えている。

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(C) 「Daughters」製作委員会

そして目を惹きつけるのは、小春と彩乃を演じる三吉彩花阿部純子のほとばしりでる生命力と躍動感。このふたりの、煌めくような美しい季節を鑑賞すること、それだけで幸せだ。随所に楽しい仕掛けも散りばめられる。例えば小春はイエロー、彩乃はブルーと、それぞれのベースカラーがシーンに活かされている。さらに主題歌の「GREEN」(chelmico)は、イエローとブルーの混ぜ色をタイトルにした、というトリック感もニクい。回想シーンもユニークで、例えば中華レストランのトイレから過去へ、あるいはベビー入浴レッスンからスイミングプールへ、シームレスにタイムワープする仕掛けもおしゃれなのだ。

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(C) 「Daughters」製作委員会

脚本は、津田自身のルームシェア生活体験や娘の誕生をもとに練られ、登場人物を「女性」に置き換えた。「誰と、どこに住むか?」というテーマをキーとしながら、悩み葛藤しながらも自分の道を選ぶ女性たち、仕事と出産育児の両立、周囲のリアクション、小春と彩乃の不安や動揺も丁寧に描かれる。三吉の爽快な存在感、また阿部の豊かな感受性(個人的にいま注目女優のひとりである)も魅力だ。彩乃の祖母や父親とのシーンも興味深いものがある。

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(C) 「Daughters」製作委員会

人生の未知の領域へ踏み出す彩乃と小春に若さゆえの危うさもあるが、あながち人生はそうやって少しアバウトながらも前進するうち、些末な問題はその中で解決されていくもの、「大丈夫だよ」と背中を押すように(小春が旅する)沖縄の海と太陽が包み込む。現在はコロナ禍で湿っぽい日々だが、だからこそ眩い輝きと開放感がありがたい一本だ。

 Information:

脚本・監督:津田肇
出演:三吉彩花阿部純子黒谷友香大方斐紗子鶴見辰吾、大塚寧々
プロデューサー:伊藤主税 エグゼクティブプロデューサー:佐藤崇弘 ラインプロデューサー:角田道明
撮影:高橋裕太 横山マサト 照明:友田直孝 サウンドデザイン:西條博介 美術:澁谷千紗 内田真由
ファッションディレクター:岩田翔(tiit tokyo) スタイリスト:町野泉美  ヘアメイク:細野裕之
キャスティング:伊藤尚哉 助監督:北畑龍一 松尾崇 安井陶也 制作担当:天野恵子 犬飼須賀志 櫻井紘史
音楽プロデューサー:芳賀仁志
企画:CHAMELEONS INC.  制作プロダクション:and pictures 制作協力:Lat-Lon 
配給:イオンエンターテイメント・Atemo
製作:CHAMELEONS INC./and pictures/キングレコード/ワンモア/沖潮開発
上映時間:105分

2020年9月18日()ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開

daughters.tokyo

Review 43『死霊魂』

「そこで何が起きたのか?」悲劇の真実を探り記す、魂の旅

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©LES FILMS D’ICI-CS PRODUCTIONS-ARTE FRANCE CINÉMA-ADOK FILMS-WANG BING 2018
ワン・ビン独特の「意外性」にいざなわれて

中国のワン・ビン監督(以下、ワン・ビン)のドキュメンタリー『死霊魂』(カンヌ映画祭公式出品、山形ドキュメンタリー映画祭大賞と観客賞受賞)。シアター・イメージフォーラムにて8月に特別公開された本作は、10月から追加上映が決まった。ポスタービジュアルに浮かぶタイトル、そこに潜む得体の知れない恐怖に思わず怯んでしまうが、その中身にはいくつかの「意外性」があるように個人的に思う。

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©LES FILMS D’ICI-CS PRODUCTIONS-ARTE FRANCE CINÉMA-ADOK FILMS-WANG BING 2018

ひとつは、思いの外、穏やかさがあること。そこにはワン・ビンの素朴な人間味がもたらすある種のマジックが潜むのではないだろうか。老人たちからとんでもない実体験の記憶を引き出すワン・ビンは、程よい距離を保ちながら謙虚に相槌を打ち続ける。激昂する者、涙する者、死の床につく者。元囚人や関係者の声に我々はただひたすら耳を傾け、想像を絶する現実を思い知る。様々なエピソードが緻密な計算のもとに整然と編集され、だからこそ、当時の恐ろしさが地続きで伝わってくる。「この尺は必要不可欠だった」とワン・ビンが吐露する8時間26分。そこに一体何が描かれるのか、何を物語るのか……。それを探す長い旅になる。

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©LES FILMS D’ICI-CS PRODUCTIONS-ARTE FRANCE CINÉMA-ADOK FILMS-WANG BING 2018

3部構成となるドキュメンタリーに刻印されたもの、それは「1950年代後半、中国共産党によって突然『反動的な右派』と名指しされた55万人もの人が理由もわからずに、夾辺溝(ジアビエンゴウ)再教育収容所へ送られた『反右派闘争』。生存率10%とも言われた収容所から生き延びた人々が、半世紀以上の時を経て、カメラの前で語る様子をとらえる」と解説にある。ワン・ビンはその真実を語れる数少ない生き残りの人々を探し訪ね、死者の魂を呼び醒ます「生声」にアクセスする。

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©LES FILMS D’ICI-CS PRODUCTIONS-ARTE FRANCE CINÉMA-ADOK FILMS-WANG BING 2018

もうひとつ、これは「意外性」というのが正しいのかわからないが、老人たちの記憶は驚くほど鮮明であること。ほとばしり出る語りの中に、60年前の壮絶な光景がありありと目の前に浮かび上がる。実に120の証言と約600時間のラッシュ映像の素材から作られたという。封じられた深い傷と悲しみを掘り起こす繊細で大胆な作業。過去作の、ワン・ビンにしてはレアな劇映画の『無言歌』(2010)、さらにドキュメンタリー『鳳鳴 中国の記憶』(2007 のソースはまさに彼らの話の中にあったのだ(『無言歌』は楊顕恵の小説『夾辺記録』を原作として、さらなる取材をもとに作られている)。

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©LES FILMS D’ICI-CS PRODUCTIONS-ARTE FRANCE CINÉMA-ADOK FILMS-WANG BING 2018
ワン・ビンが記す中国の重要な証言記録

このドキュメンタリーは「映画」であると同時に、ワン・ビン監督によって記される中国に実際に起きた出来事の重要な証言記録である。それを明確に認識することになるのは第3部かもしれない。第1部、第2部に収録された囚人側のエピソードに心揺さぶられた後、第3部の収容所の元職員に話を聞くシーンは「そこで何が起こったのか」を検証する意味でも興味深い。さらにカメラは、収容所の跡地と思われる砂漠を歩くワン・ビンの背中を追いかける。「なぜこの映画を撮ろうと思ったのか」、その背中を見ながら、ワン・ビンの崇高な意志と、人間の生と死への深い探究心に戦慄さえ覚える。

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©LES FILMS D’ICI-CS PRODUCTIONS-ARTE FRANCE CINÉMA-ADOK FILMS-WANG BING 2018
●”命”と”死”がテーマ

インタビュー(下記リンク)の中の作品テーマに関するメッセージを抜粋する。「8時間を超える作品なので、鑑賞は非常に疲れるはず。しかもを扱っています。非常に重たい題材です。ですがは永遠であり、我々のは非常に短いもの。私を含めて、について語りたくない、直面したくないという方々は多いと思います。でも、年を重ねるとについて考え始めるでしょう? 昔は私も避けていたテーマです。しかし、今はこの題材から逃げることができなくなった。作品を通じて、さまざまなものを受け取っていただけたら幸いです。」

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©LES FILMS D’ICI-CS PRODUCTIONS-ARTE FRANCE CINÉMA-ADOK FILMS-WANG BING 2018

さらに、『無言歌』のためのインタビューで語られた映画の背景についての部分は、そのまま『死霊魂』の背景に繋がり、わかりやすいので以下に引用します(ムヴィオラ『無言歌』プレス資料より)。

ワン・ビンいわゆる「百花斉放・百家争鳴」キャンペーンの後、1957年に、中国共産党100万人以上の市民に対して、彼らが行った党への批判、または単に家族の出自を理由にして「反右派闘争」を開始しました。

19571958年にかけて、中国西北部ゴビ砂漠にある甘粛省夾辺溝の再教育収容所では「右派」と名指しされた3000もの人々が過酷な労働を強いられていたのです。そしてその同時期、1960年まで、中国全土を大干ばつが襲いました。その年の10月、夾辺溝収容所の1,500人の生存者は、新しい高台県明水分場に集められました。著しい疲労、食糧の不足、過酷な気象条件にあって大量死は不可避でした。生き残ったのは500人に満たなかったといいます。

Information: 

原題:死霊魂|英語題:DEAD SOULS|監督・撮影:ワン・ビン|製作:セルジュ・ラルー、カミーユ・ラエムレ、ルイーズ・プリンス、ワン・ビン|フランス、スイス|2018年|8時間26分(3部合計)|DCP|カラー|日本語字幕:最上麻衣子(第一部)、新田理恵(第二部、第三部)

配給:ムヴィオラ

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関連サイト:

archive.realtokyo.co.jp

 

Review 42『その手に触れるまで』

絶望のなかでも「人間の力」を信じて模索する、ダルデンヌ兄弟最新作

文:福嶋真砂代

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© Les Films Du Fleuve – Archipel 35 – France 2 Cinéma – Proximus – RTBF

 ベルギーの巨匠ダルデンヌ兄弟の最新監督作『その手に触れるまで』は、新型コロナウイルスの影響で公開延期になっていたが、いよいよ劇場公開(6/12)となった。

イスラム指導者に感化され過激な思想に染まっていく、元々はゲーム好きな、ベルギーに住む13歳の少年アメッドが主人公。この少年が「どうやって過激な思想から抜け出すことができるか」という、かなりデリケートで困難なテーマに果敢にチャレンジするダルデンヌ兄弟。どんな大きな問題にも「いかに自分のこととして考えられるか」という視点で脚本が練られ、独特の眼差しを感じるカメラワークを駆使して、主人公の成長と覚醒を丁寧に描いていく。

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© Les Films Du Fleuve – Archipel 35 – France 2 Cinéma – Proximus – RTBF

戒律を盲信するあまり、女性教師との「さよならの握手」を拒否し、あげく彼女を”イスラムの敵”と考えはじめ、ある犯行におよんでしまうアメッド。移民の多いベルギーにおいて「テロの温床」となっていたモレンベークをイメージして撮ったという。理解し難い少年の心の核をそっと包みつつ、その後の舞台を少年院に移す。そこでの教育官や心理士たちによる丁寧な指導法、あるいは更生プログラムとして取り入れられる農場の仕事への参加指導が興味深い。これらの手厚いサポートは少年にどんな働きかけをするのだろう。監督たちは映画に登場する職業の人々すべてに会って話を聞き、また農場実習については実際の体験ルポルタージュに基づいているという。その綿密なリサーチがリアリティを生む。少年たちの尊厳を重んじつつも毅然とした現場のプロの言葉のひとつひとつに感心しながら、アメッドの閉ざした心の扉が少しでも開けばと願わずにいられない。あるいは、農場で出会う同じ年頃の女の子からの少し強引な恋のアプローチ(深刻になりがちな空気を砕く、ダルデンヌのちょっとした遊び心が沁みるシーンだ)は、人間に触れることを拒否していたアメッドの心を揺らすことができるだろうか…..。

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© Les Films Du Fleuve – Archipel 35 – France 2 Cinéma – Proximus – RTBF

新型コロナウイルスの影響で自宅待機中のダルデンヌ 兄弟へのオフィシャルインタビューでは 、ウイルスが蔓延する世界の状況に関して、以下のようなあたたかいメッセージを残している。「今の社会において、健康、文化は公益でなくてはいけません。民営化してはいけない。アメリカの黒人たちを見ると、今の健康危機の犠牲になっています。貧民街では他の地域の人たちの2倍の確率の人が亡くなっています。治療も受けられず、栄養のある食事も採れない弱者です。私はこの機会に世界が変わることを期待しています。」どんなに絶望的な状況でも「なにか道があるはず」と人間の力を信じて、模索するダルデンヌ兄弟の映画作り。『その手に触れるまで』においても、長まわひのラストシーンに渾身の「希望」が込められる、と思わずにはいられない.....。

演出方法や主演のイディル・ベン・アディのこと、また使用楽曲についての興味深いエピソードが語られる以下インタビューもぜひご一読を。

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© Les Films Du Fleuve – Archipel 35 – France 2 Cinéma – Proximus – RTBF

Official Interview: 

新型コロナウイルスの影響を受け自宅待機をしているダルデンヌ兄弟2人に今回はオンラインでインタビューを敢行。ベルギーにある「テロの温床」とも呼ばれる地域をイメージし、過激な思想に染まった13歳の幼い少年を描いた理由とは…?今までもオーディションで集まった候補の中から演技経験のない少年、少女を選出してきたダルデンヌ兄弟。本作も同様にオーディションで主人公アメッド役を抜擢。撮影時の裏話や、撮影前に一ヶ月半もの期間を設けて行なったリハーサルの様子など、盛りだくさんの内容となった。

Q.『その手に触れるまで』は2015年から16年にかけてパリとブリュッセルのほか、ヨーロッパで数度にわたって起こったテロに着想を得ているのでしょうか。

ジャン=ピエール・ダルデンヌ(以下、JP):最初に題材として考えたのは「過激なイスラムの純潔の理想によって急進化した若者が脱急進化して、元の人生を取り戻させられるか」です。どうしたら、急進化した状態から離れられるか、が大切だと思いました。テロそのものはきっかけではありませんが、後押しにはなりました。

Q.本作の後半の舞台は少年院とその校正プログラムである農場です。取材などからその舞台設定を考えたのでしょうか。

JP:『その手に触れるまで』の少年院のシーンは本物の少年院を使用しました。そこに少年たちが収監されていますが、その中にイスラム教過激派のテロを行った人は多くて一人か二人。多いのは暴力事件などを起こした子供たちです。映画の中で教育官や心理士などが少年たちに見せる思いやりや共感は、取材をしたことをもとに設定したものです。

リュック・ダルデンヌ(以下、L):少年院では大体農場に行く研修があります。すべての少年ではなく、一部の少年です。私たちがインスピレーションを得たのは、友人の女性が書いたルポルタージュです。殺人を犯した少年が農場に行くことで、農場を好きになり、自分がやったこと、過去を思い出してばかりだったのに前向きになっていったそうです。アメッドは自ら人に触れたりすることがなかった。人に触ることは不浄だと考えているけれども、農場のシーンのアメッドから、実は動物に触れるのが実は嫌じゃない、むしろ好きだということが分かるのです。そのルポルタージュを反映しています。

Q.アメッドが命を狙うイネス先生もムスリムです。彼らの住まいや学校の地域は「テロの温床」と呼ばれているムスリムが多く暮らすブリュッセル郊外のモレンベークがモデルなのでしょうか?

JP:撮影はいつも撮影している場所(リエージュ郊外のセラン)です。でも確かにモレンベークのような場所をモデルに考えて撮影しました。殉死した従兄については、具体的なテロリストではありませんが、シリアなどに行って、事件を犯した人をイメージしました。アメッドも従兄もベルギーに生まれ、ベルギーで教育を受けた人たちです。そんな人たちまでが狂信化していくことに映画を撮る動機がありました。これまでにない、新しい種類の人たちが狂信化してテロを行う、自分たちがやっていることは良いことだ、と死を崇拝する。その事実に動かされて映画を撮りました。『その手に触れるまで』の出演者の中には、テロリストになってしまった人と、幼少期に関わりがあったという人もいました。

Q.日本にとってイスラム教は遠い存在です。ベルギーにとってはなじみがあるものなのでしょうか? また、本作を観たムスリムの方々の反応はどういったものでしたか?

L:ベルギーでは人口約1,100万人中、50万人がムスリムで、イスラムは二番目に多い宗教です。雇用差別は今も少しはありますが、大半のムスリムは同化しています。ベルギーで暮らしているムスリムにはマグレブ系、モロッコから来た人たちが多いです。ムスリムの高校でも『その手に触れるまで』を見せましたが良い反応でした。映画を観て、学校でも議論が起きました。宗教の議論をしていられる間は良い関係だと思います。

Q.主人公を演じたイディル・ベン・アディ自身もモロッコからの移民3世だそうですが、彼の家族はこの映画で描かれるイスラムについて、どのように受け止めていましたか?

JP:イディルの家族は祖父母の代にベルギーにやってきました。イスラムの信仰はありますが、寛容です。イディル自身もイスラム教の儀式や禊などについてそんなに詳しくなかったので、私たちの友人でイスラムについての専門家が撮影現場でも説明して指示をしました。ご両親もシナリオを読んですぐに出演を許可してくれました。イディルのお母さんは、この映画が公開されたら、イディルをテロリストのような人だと周りの人に思われるんじゃないかと少し心配していましたが、最終的にOKしてくれました。イディル自身は実はこの映画で初めて演技に挑戦したのですが、いい人じゃない役をやってみたいと思っていたそうです。熟練俳優が悪人を演じたい、他の人が出来ない役を演じたい、という気持ちで役に向き合っていました。

Q.イディルにはどのような演出をしましたか?

JP:若くても若くなくても俳優と仕事をするとき、まず舞台美術と小道具を使って1ヶ月半ほどかけてリハーサルを行い、準備したものが合わなければ変えていきます。リハーサルでは、ひとつひとつすべてのシーンをやってみます。イディルはリハーサルにすべてのセリフを覚えてきました。どんな話なのか理解してリハーサルに来ているので、彼は少しずつ役を覚えていく、という感じでした。動きもやるしセリフも読んでもらいます。前もって何かをお願いすることはありません。まずは動作を覚えてアクションに入って、セリフを言って、と体を通して覚えていってもらいます。特に「こうしてほしい」と具体的な演技指導はあまりしません。

Q.本作に限らず、いつも具体的な台詞の指導などはしないのでしょうか。

JP:リハーサルを少しずつ進めるにつれて、役者の演技は良くなっていきます。動作をやってみて、小道具の使い方にも慣れてきて、リズムも徐々に完璧になり、台詞も自然にぴったりと合ったものになっていきます。セリフについて「こう言ってほしい」と指導することは稀ですが、イディルは若くエネルギーに満ち、感情的・表現的になりやすいので、そういう時は「もう少し抑えて」と伝えました。セリフを言う間を変えたい場合、「もう少しゆっくり」とか「もう少し早く」とか、「ここで台詞を言って、それから何歩歩いて」などと伝えます。一番大切なのはリズムです。

Q.農場の娘ルイーズを演じたヴィクトリア・ブルックも非常に目を引くキャストでした。

L:ヴィクトリアはキャスティングで見つけた少女です。アスリートであり、競歩が得意だそうです。映画に出るのは『その手に触れるまで』が初めてでしたが、この作品の後に別の作品で声が掛かっているそうで、演技も続けながら、競歩も続けているそうです。

Q.エンディング曲はどのように決めたのでしょうか?これまでの作品でもアルフレッド・ブレンデルを使用していますが、彼のピアノの魅力はどのようなところですか?

Lブレンデルのいいところはあえて表現をそんなにしないところです。演奏の仕方が客観的なところ。それが映画にちょうどいい。個人として、何かを表現しようとする感じがない、緩やかなリズムが続くのです。でも、それは、あくまでも、この映画に表現が合うと思ってのことで、情感豊かな演奏が好きな場合もあります。

Q.新型コロナウイルスが世界に蔓延してしまいました。ベルギーも例外ではなく、非常に厳しい状況が続いています。

L:まず、家にいること、ひとに近づかないこと。家族であっても、異物が入ったら手を洗うことが重要です。それが蔓延を防ぐ方法だと思います。はじめのうちは年配の人だけが死ぬ、と言われていましたが、いまや若者も死んでいます。誰も避けることはできない病気です。持病があるひと、糖尿病や肺に煩いがある人は気をつけてほしいですね。

今の社会において、健康、文化は公益でなくてはいけません。民営化してはいけない。アメリカの黒人たちを見ると、今の健康危機の犠牲になっています。貧民街では他の地域の人たちの2倍の確率の人が亡くなっています。治療も受けられず、栄養のある食事も採れない弱者です。私はこの機会に世界が変わることを期待しています。

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© Christine Plenus

Information:

『その手に触れるまで』(第72回カンヌ国際映画祭 監督賞)

監督・脚本:ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ

出演:イディル・ベン・アディ、オリヴィエ・ボノー、ミリエム・アケディウ、ヴィクトリア・ブルック、クレール・ボドソン、オスマン・ムーメン

2020年6月12日(金)より、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー

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