REALTOKYO CINEMA

リアルトウキョウシネマです。映画に関するインタビュー、レポート、作品レビュー等をお届けします。

Info『アンコール! アピチャッポン・イン・ザ・ウッズ 2016』

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アピチャッポンの森へ行こう

映画監督で美術作家でもあるタイの奇才、アピチャッポン・ウィラーセタクン。今年は空前のアピチャッポンイヤーだ。1月には『世紀の光』の公開と『アピチャッポン イン ザ ウッズ 2016』(1.9 - 2.5)が開催、また3月には『光りの墓』の公開された。さらに1213日から東京都写真美術館で展示「アピチャッポン・ウィラーセタクン  亡霊のたち」(12.13 - 2017.1.29)が始まり、さらに12月17日からは『アンコール! アピチャッポン イン ザ ウッズ 2016』が待ちかまえ(12.17 - 2017. 1.13 9作品)、まさにアピチャッポン祭り! 今年公開の2本を見逃した人も、過去のアピチャッポン作品を見逃している人も、観ていた人はもう1回、どっぷりとアピチャッポンのユニークなあったかくて柔らかく、土の匂い、森の匂いが満ち溢れ、異界との境界線が薄れていく不思議な時間と空間に浸かりたい。この『アンコール!特集』では、『光りの墓』や『世紀の光』の舞台となっているアピチャッポンの故郷、イサーンを描いた2本、『トーンバーン』と『東北タイの子』が上映がある。これらはこれまでなかなか観る機会がなかったもので、今回は特に見逃せない。忙しい年末年始になるので風邪をひかないように...。

✳️公開時、それぞれの作品に寄せたレビューは以下に。

●『光りの墓』

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(C)Kick the Machine Films/ Illuminations Films

眠り病にかかった兵士たちが隔離され、光と色の治療を受ける仮説病院。患者のイットの世話をするジェン。また超能力を持つ女性ケンもいる。その場所にはかつて王様の墓があったというが、奇病との関係は? ニュース記事からヒントを得たというアピチャッポン・ウィーラセタクン監督が強い影響を受けた土地、タイ東北部のイサーンを舞台に、記憶、夢、眠り、前世、魂の交信と興味深いモチーフを織り交ぜて描き出す。常連キャストに加えて現地のアマチュア俳優も起用、さらにメキシコの撮影監督ディエゴ・ガルシアとの初コラボで映像の旨味が倍増している。神秘的に色が変化する光の治療シーン、観ているうちにじわじわと変化が。By 福嶋真砂代  March 22, 2016

http://archive.realtokyo.co.jp/events/view/43374

●『世紀の光』

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(C)2006 Kick the Machine Films

映画作家にして美術作家、アピチャッポン・ウィーラセタクン監督の幻の傑作(2005)が日本初公開に。『ブリスフリー・ユアーズ』が「私についての映画」であれば、こちらは「父と母についての映画」なのだとか。前半パートは自身の故郷コーンケン(タイ北東部)を再現、地方病院のシュールな時間が映され、子どもの頃の記憶から生まれたギターを弾く僧侶や歌う歯医者が登場する。後半は近代的な白い病院。病院の地下で行われる太陽のパワーをチャネリングするチャクラ施術にもなんだか惹かれる。 アピチャッポンにとって記憶は映画の本質。魂の永遠を表現する試みは常にユーモアとシュールが入り混じり、興奮を呼ぶ。By 福嶋真砂代  January 7, 2016

http://archive.realtokyo.co.jp/events/view/42976

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《ゴースト・ティーン》 2009 年 インクジェット・プリント

 

 

REALTOKYO | イベント情報 | アピチャッポン・イン・ザ・ウッズ2016 アンコール!

 

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Review 005 『After 10 Years』(ホンマタカシ ニュードキュメンタリー映画 特集上映)

『After 10 Years』について

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(C)Takashi Homma New Documentary

2004スマトラ島沖地震津波インドネシアに大きな被害を及ぼしたが、スリランカでも35,322人が亡くなった(Wikipedia)。写真家ホンマタカシによる初長編ドキュメンタリー『After 10 Years』は、津波の甚大な被害を受けたスリランカHeritance Ahungalla Hotel(ヘリタンス アフンガラ ホテルー建築家ジェフリー・パワの代表作)の、10周年追悼式典までの1週間のホテル内外の動きを追う。掃除に始まり掃除に終わるホテルの1日。掃いても掃いてもキリのない落ち葉の掃除や、従業員用の通路の従業員の行き来を飽きもせずに眺めていたりすると、そこに微妙な変化を見つけたりする。その変化は見る人それぞれに観点が違うだろう。ある人は葉っぱの散らばり具合だったり、ある人は従業員の箒の使い方が気になったり。千変万化の差異が映像のなかに潜在する。間違いなく10年前にも同じように日常があった。しかし一瞬にしてその日常が崩壊したという現実。しかしまた10年間の日常が積み重ねられその結果が「いま」として映像になりまた別の「いま」観ている。その時間を感じることもできる。恐らくカメラが何かを狙って撮っているからではなく、狙わないからこそ映るものが「何か」を訴えてくるのだ。「カメラが映してしまったものを、映像の自主性だと捉える」とホンマタカシが述べている。そこには自ずと「物語」が生まれている。因果関係のように何かがあって、何かが起こるということが写ってしまう。さらに現実は人間の作る「物語」を悠に超えていく。予測や期待が裏切られていく。それに気づくということは、「映像の自主性」は観客に少なからず「自主性」を促しているような気がする。「能動性」とも言えるかもしれない。「このように見て下さい」「これを感じて下さい」というメッセージ性のない映像のほうが、見る人の脳に能動性を求めるのかもしれない。おもしろい。

 ホンマタカシは「ニュードキュメンタリーとは」について作品資料で以下のように説明する。

「ここで僕がニュードキュメンタリー」と言っている、いくつかの映像は、いわゆるメッセージのはっきりしたドキュメンタリーではありません。ましてや物語のある映画とは全く異なります。

「映画の自主性」というものについてダイ・ヴォーン(映画編集・映像論者)という人がエッセイを書いています。彼が言うには、映画創成期リュミエールの短い映像の中には、物語性と、もうひとつ、撮り手の思いを超えてカメラが写し撮ってしまった映像の自主性があり、それはまたもうひとつの映像の可能性だと書かれています。(そしてその実現不可能性にも)僕はその映像の自主性を信じています。例えば固定カメラが偶然写してしまったもの、作者の思い通りに行かず、自然現象に人間が不可抗力的に飲み込まれてしまうといった状況に惹かれるのです。それは今までやってきた写真でも同じことだと思います。僕はその可能性を写真と映画の間の何処かに見出したいと思っています。

2015ダントツにおもしろかった『ハント・ザ・ワールド』(ハーバード大学感覚民族誌学ラボ制作)にはドキュメンタリーの新しいアプローチがたくさんあった。そのひとつの作品『リヴァイアサン』はその撮影法によって観客が「魚目線」になるような、つまり主体が逆転するような事態が起こるという衝撃があった。ワイズマンや想田和弘が試みる観察型の映画とはまたひと味違う、脳に新たな刺激が送られている感覚さえ味わうのだ。『After 10 Years』を含む『ホンマタカシのニュードキュメンタリー映画特集上映』(他に『最初にカケスがやってくる』、『あなたは、あたしといて幸せですか?』、『きわめてよいふうけい』)は、映画の創成期の感覚を想起させながら、またさらにドキュメンタリーの可能性を広げ、脳や身体になんらかの変化をもたらしてくるに違いない。

福嶋真砂代🌟🌟🌟🌟

2016年12月10日よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開

betweenthebooks.com

参考資料:

REALTOKYO | イベント情報 | ハント・ザ・ワールド

REALTOKYO | Column | Interview | 123:ルーシァン・キャステーヌ=テイラーさん(ハーバード大学感覚民族誌学ラボ(SEL)ディレクター、映画作家)&ヴェレナ・パラヴェルさん(SEL所属映画作家、人類学者)

 

たのしい写真―よい子のための写真教室

Review 004 『ノーマ東京 世界一のレストランが日本にやって来た』

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(C)2015 BlazHoffski / Dahl TV. All Rights Reserved.

20151月、「ノーマ・マンダリンオリエンタル・東京」を5週間限定で出店したデンマークのカリスマシェフ、レネ・レゼピ。コペンハーゲンの本店を休業し、総勢77名のスタッフを引き連れて、彼らにとっては未開の地、日本での初開業だ。世界中で話題を呼び、限定3千皿に対して6万2000人がウェイティングリストに並んだという、まさに伝説が生まれる過程がドキュメンタリーに記録された。彼らはいったい何者で、どんな料理を創り上げたのか。「ノーマ東京」を体験できた幸運な方はいるだろうか。どんな味で、どんな衝撃だったか。映画はアムステルダムのジャーナリストでもあるモーリス・デッカーズが監督した長編デビュー作。レゼピから日本に行く計画を聞き、強烈に魅力を感じて撮る決意をした。そんな「決意」が要るほど、彼らのアスリートのごとき毎日の鍛錬と創造の現場に対峙するのは厳しいことだった。本店を3カ月も閉めてまで、まったく欧州文化とはちがうオリエンタルな世界で挑戦をすることに対しての彼(ら)の「本気度」。例えば、レゼピは長期間にわたってスタッフチームが開発してきた日本用メニューをことごとく却下し、「本店と同じメニューじゃ意味がない!」と叱責。また日本の食材を使うと決め、1年以上かけて北海道から沖縄まで巡った食材行脚。「観光客なんかになりたくない」とディープな日本にあえて触れ、人々と交流する。その過程で「日本」の新たな発見、驚き、邂逅、深い伝統を前ににして声を失うこともある。瞬間、瞬間の彼らの表情をつぶさにとらえたカメラワークも秀逸。紆余曲折、艱難辛苦ののちに完成した革命的でアートなディッシュの数々、この料理を味わった方々への羨ましさを抑えることができなくなる。それにしても蟻の味はどんなだっただろう……。

福嶋真砂代 ★★★1/2

www.nomatokyo.ayapro.ne.jp

2016年12月10日(土)より、ヒューマントラストシネマ有楽町、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国順次公開

REALTOKYO | イベント情報 | ノーマ東京 世界一のレストランが日本にやって来た

 

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(C)2015 BlazHoffski / Dahl TV. All Rights Reserved.

 

ノーマ―北欧料理の時間と場所

Report 001『アズミハルコは行方不明』TIFF2016 記者会見

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(C)2016「アズミ・ハルコは行方不明」製作委員会

山内マリコの小説を原作に松居大悟監督が大胆に演出(脚本は瀬戸山美咲)。アニメーションやプロジェクションマッピングを組み込んだポップな映像と環ROYのヒップホップ音楽が降り注ぐ。異なる時間軸のエピソードをフラグメント化、観客を混乱させるのは狙いでないとしながら、理解しようとして座席の背もたれから「思わずスクリーンに近づくような劇場体験」を促すような作りを試みた。確かにアズミハルコSIDE、愛菜+キルロイSIDEが交わることはなく、「失踪」という事象をカナメに繋がる現実が隠されるままストーリーが進み、意外な結末が...。挿入されるアニメーションは『スプリング・ブレイカーズ』(ハーモニー・コリン監督)、さらに『パルプ・フィクション』のような感覚的に訴える”肌触り”を意識していたという監督の言葉にこの映画のひとつの楽しみ方を示唆する。作中のグラフィティユニット「キルロイ」のふたり(大賀、葉山奨之)と松居大悟監督を迎えた東京国際映画祭2016での記者会見採録を掲載します。MCは笠井信輔アナウンサーが担当。

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(c)2016 TIFF

スタッフの女性たちにもみくちゃにされながら答えを探した

MC: この作品は地方で悶々とする若者たちの行き場のない思いが思いがけない方向に走り出し、捻れた思いがほとばしる痛々しくも鮮烈な青春ムービーでした。ゲストのみなさん、まず一言ずつお願いします。

松居大悟監督(以下、松居):いまの時代の日本映画というものは何だろうと考えながら、自分と同世代の人たちと一緒に心をこめて作りました。

大賀:ユキオ役を演じました大賀です。僕は個人的な話ですけど、松居監督とは4作品ほど一緒に作っていまして、『アズミハルコは行方不明』は松居さんについてきて本当によかったなと心から思える作品です。スタッフ、キャストが一丸となって作った渾身作です。

葉山奨之(以下、葉山):こんなに記者の人が近くだと緊張しますね。今日は楽しみたいと思います。よろしくお願いします。

MC:キルロイがポスターを描く場面とアズミハルコの事情を時制をずらしながら編集していくという、いくらかの混乱と映画のうねりが魅力的な構成でしたが、そのご苦労と、台本どおりに繋げているのかどうかというのもお話下さい。

松居:原作小説は時系列どおりで、それを文字で読んだときはすごくおもしろかったのですが、これを生身の役者が演じるとなったとき、「こういう理由で行方不明になった」というふうに見えてしまって、そのようにこの映画が見えてほしくなくて、行方不明に関しての理屈だったり、理由も感じてほしくなかったし、キルロイたちが衝動的にやる行為よりも、その行為を人に認められたり、見られることへの価値基準がちょっとずつズレているというところを意識的に作っていました。ですのでエピソードを短冊のように切って、脚本でも15回くらい、編集でも15回くらい、いや30回以上時系列はいじっていたのですが、明確な答えやこういうことが伝えたいというのは僕には、女性のことはわからないので、プロデューサーだったり編集スタッフが全員女性でしたから、その方々にもみくちゃにされながら、とっかかりというか答えをずっと探していった感じです。

MC:ということは、決定稿の脚本と完成した映画ではかなり変わっていると考えていいのですか?

松居:そうですね。編集の段階で、撮れた画のなかで必要なくなったところもあったので、変化したと思います。

大賀:出来上がった映画を観たときは、脚本とまったく違うもののように感じるくらい、こんな作品になっているんだという気づきがあったと思います。

葉山:僕は小説を先に読んでいたので、台本をみてこんなにも違うんだと、まったく違う作品を作っているような感覚でした。さらに出来上がりを観ると、かっこよくなっていたと思います。

スクリーンにぐっと近づくような劇場体験をしてほしい

会場記者:アズミハルコの人生で起きていることというのは、すべて彼女が行方不明になる前に起きていることかと思うので、本当にそれを時系列的にみせる必要があるのかは疑問に思う所で、印象的、感覚的に見せたかったのでしょうか。

松居:それが正しいのか正しくないかということは正直わからないのですが、観客にとって、戸惑ったり、混乱したりということすらも、僕は感じていいと思っています。きっと男女の違いだけでも感じ方は違うと思うし、そのような意味で、こちら側がむしろ「こういうふうに感じてほしい」と提示してはいけないと思っていたので、混乱させることが狙いだったわけではないのですが、(理解しようとして座席の背もたれから)スクリーンにぐっと近づくような劇場体験をしてほしいというような思いで作りました。

MC:今回強烈に弾けている愛菜役の高畑充希さんでしたが、大賀さんはご一緒に演じられていかがでしたか?

大賀:高畑さんは普段は愛菜とはかけ離れて、地に足のついた賢い女性なのですが、いざ愛菜を演じると、きっと本人は悩んでいらしたとは思いますが、軽々とご自身とは違う愛菜を演じることの説得力を持って僕の前で対峙してくれていました。ユキオの出演シーンはほとんど愛菜が一緒だったので、愛菜に助けられた部分があったと思います。

MC:キルロイのおふたりは、撮影中にはアズミハルコには会ってないですよね……。

葉山:撮影中には蒼井優さんとは、ビデオ屋ですれ違うシーンがありました。何度かすれ違いました。

「自分たちの無自覚さが人を傷つけて心を痛ませた」という発見があった

MC:タイトルロールとなっているアズミハルコ側のシーンを初めて観てどんな感じでしたか?

葉山:僕は蒼井優さんのファンだったので、同じ作品に出演できたことに「俺、よかったな」と思いました。まずそういう一般的な感覚で楽しませてもらって、僕は直接はアズミハルコとはそんなに絡んでいないのですが、自分たちのせいでこういうふうになっちゃったということが、作品のなかで繋がっていくので、自分たち3人組がやってしまったことが、こんなにデカイことなんだと、でもそれをあまり感じていなくて、感じないほうがよりキルロイとして爆発するんじゃないかと思っていたので、この物語を見て、「ここまでこの”Missing(行方不明)”に対して絡んでいたんだな」というのはすごく感じました。

大賀:僕たちーユキオ、学、愛菜ー3人でのシーンは、若さゆえにいま自分たちがやりたいことを全開で楽しんでいくシーンの連続だったと思うんですが、完成した映画を観たときに、僕たちが知らないアズミハルコ側のストーリーがあるなかで、いかに自分たちが楽しんでやっていたことがひとりの女性を傷つけたかということ如実にわからされたというか、もちろん直接的に蒼井さん演じるアズミハルコがそれを感じていたかを描いてはいませんが、やっぱりこういう自分たちの無自覚さが人を傷つけて心を痛ませていたんだなと感じたんです。だから完成した映画を観て、僕らがいかにクズだったかを思い知らされ、そういうふうにアズミハルコを映画には描かれているような気がして、自分が盲目であったことがこの映画に刻まれているような気がして、その発見は、この映画をやってよかったなと思います。

会場の中国人記者:以前、李相日監督が蒼井優さんをサッカーのロナウジーニョ選手に例えていらしたように思いますが、松居監督はどのように思いましたか。

松居:僕は、桁違いというか、化けもののような、ゴジラ的な、規格外の存在のように感じました。

会場記者:この作品を観て勝手にスタンリー・キューブリック監督の『時計じかけのオレンジ』を感じていたのですが、松居監督は何かインスパイアされたり、意識した映画はありますか。

松居:この原作で女子高生たちが観ている映画はハーモニー・コリン監督の『スプリング・ブレーカーズ』で、女の子が男をぶち殺すというアニメーションだったのですが、作品の肌触りでいうと、意識したわけじゃないのですが、『パルプ・フィクション』的な、理屈ではなくて感覚的におもしろいというふうに構成されたらいいね、ということは話してました。

MC:大賀さん、葉山さん、いたずら描き(グラフィティ)は気持ち良いものですか?

大賀:そうですね~、最高に気持ちいいですね。

葉山:そうですね。本番中、エネルギーが有り余っている状態で演技したので、本当に興奮してやりました。本番一発でしかできないものだったので。けっこう長回しで何ヶ所も、「ここに描いても大丈夫ですか?」っていうところまで、神社とか、罰当たりそうなところでも描いてましたから。

MC:松居監督、それらを消す作業は大変でしたか。

松居:そうですね。場所によりましたね。愛のある現場だとそのままでよくて、いまも現場に残っていたりしますが、どうしてもマズイものは薄いビニールを敷いてわからないように加工して剥がしたりとか、高架下のグラフィティはみんなで消しました。

 (#この記者会見は2016年10月30日に行われました)

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(C)2016「アズミ・ハルコは行方不明」製作委員会

突如、街中に拡散される、女の顔のグラフィティアート。無差別で男をボコる、女子高生集団。OL安曇春子(28)の失踪をきっかけにひとつの街で交差する、ふたつのいたずら。なぜハルコは姿を消したのか?(TIFF2016サイトより)

azumiharuko.com

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Review 003 『マダム・フローレンス! 夢見るふたり』

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(C)2016 Pathe Productions Limited. All Rights Reserved

絶世のオンチのアマチュア歌手の歌にお金を払う? カーネギーホールコンサートのチケットが2時間で完売? そんな世にも不思議な現象が1940年代のニューヨークで起こっていたのだ。フローレンス・フォスター・ジェンキンスの歌声をYoutubeで聴いた脚本家のニコラス・マーティンはその歌声の不思議な魅力に惹きつけられ、彼女の「カーネギーへの道」ストーリーを映画にしたいと思った。さらにフローレンスの最後ののシンクレア・ベイフィールドとのユニークな関係にも着目。実際、ヒュー・グラント演じるシンクレアとフローレンスの関係がこの映画の肝になっている。メリル・ストリープは本当に恐るべき探求心で工夫と訓練を重ね、いわゆる「オンチ」だが、そこにはそこはかとない魅力というか魔力を秘める「絶世のオンチ」の”歌姫”を再現する。この類い稀なオンチは大資産家のマダムであり、その財力に人々が群がる。そうすると単にバカにしながら物見遊山でオンチな歌を聴きに来る輩もたくさんいる。新聞記者なんてもってのほか。シンクレアは敏腕マネージャーでもあり、お金の管理から観客、マスコミ操作まで隅々怠りない。もっとも凄いのは朝食から夜眠るまで、フローレンスに対する極上のお世話ぶり。すべてにわたってフローレンスを守る。なんてすごい夫だろうと思いきや、シンクレアには別の生活が。え、浮気者? いやそうとは言えない。ではフローレンスはビジネス? いやそうとも言えない。絶妙なバランスで二重生活をしているシンクレアも侮れない。しかし冷徹な男ではなく、どちらにも愛情を注ぐのだ。そのへんの「曖昧さ」をやらせたらヒュー・グラントの右に出る者はいない。今回も本領発揮で記念すべきメリルとの初共演。(狐とタヌキの化かし合いというなかれ)

またフローレンスの人を疑わない天真爛漫な性格は生まれついてのお金持ちだからだろうと高を括るが、そうでもない。確かに生まれついてのお金持ちだが、17歳でかけおち(ここが運命の分かれ道だったか)した夫から病気をうつされ一生患うことになる、とか、父から援助がなくなり極貧生活に陥るとか、そんなに甘くはなかった。だからこそ人に優しいのかもしれないが疑りぶかくもなった。側近しか心を許せない。だからこそ伴奏のピアニストのコズメ(サイモン・ヘルバーグ)の選考は慎重だったし、正しい選択だった。コズメの存在は「カーネギー」が成功した大きな理由のひとつだろう。人はいつもいつも何かを選択しながら生きるが、その瞬間はそんなことわからない。善かれ悪しかれ何かを選び道が決まる。そんな人生の奇遇についても考えさせられる。もうひとつこの映画の良さは「音の優しさ」かもしれない。いちばん最初に耳に響く音から全編にかけて、音楽も生活音もセリフのボリュームも、とにかく耳に心地よい。すなわち心に優しく響いているということになる。監督はイギリスのドラマの名手スティーヴン・フリアーズ(『クィーン』『ヘンダーソン夫人の贈り物』)。

福嶋真砂代★★★★

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gaga.ne.jp

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