REALTOKYO CINEMA

リアルトウキョウシネマです。映画に関するインタビュー、レポート、作品レビュー等をお届けします。

Review 32『ピアソラ 永遠のリベルタンゴ』

タンゴの革命者、アストル・ピアソラの生涯を描く

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©Daniel Rosenfeld /© Juan Pupeto Mastropasqua

タンゴのバンドネオン奏者、作曲家アストル・ピアソラ(1921〜1992)の生涯を描いたドキュメンタリー映画が公開中だ。ピアソラは幼少期にニューヨークへ移住し、バンドネオンという楽器に出会う。十代で帰国しタンゴ楽団に加入後、自分の楽団で作曲活動、そして1954年にパリへ留学して高名な音楽教育者ナディア・ブーランジェに師事するが、タンゴに進む様に指導された事が転機となる。新たに楽団を結成するが前衛的な音楽は賛否両論を呼び、58年にニューヨークへ。帰国後、精力的に活動するも75年にイタリアへ移り、90年にパリの自宅で倒れ帰国するが92年にブエノスアイレスで死去。

監督は、アルゼンチンのドキュメンタリー作家ダニエル・ローゼンフェルドで、2002年に監督した著名なバンドネオン奏者ディノ・サルーシの映画がベルリンやニューヨークの映画祭で上映された実力派。その映画を見たピアソラの息子で唯一の肉親であるダニエルが、父親のピアソラについての映画を監督に依頼した事から始まったという。

映画の中に写真家ソール・ライターの作品が出てくるが、これはニューヨークの通りですれ違ったかもしれないピアソラとライターという2人の異人的芸術家への監督の想いか。ヨーヨー・マウォン・カーウァイばかりか、クロノス・カルテットギドン・クレーメルキップ・ハンラハンも愛するピアソラの音楽、「リベルタンゴ」「アディオス・ノニーノ」などもたっぷり堪能できる異色作だ。

フジカワPAPA-Q ★★★★.5

Information:

監督:ダニエル・ローゼンフェルド  
出演:アストル・ピアソラほか 
配給:東北新社 クラシカ・ジャパン
国際共同製作:クラシカ・ジャパン
後援:アルゼンチン共和国大使館
2017/フランス・アルゼンチン/英語・フランス語・スペイン語/カラー(一部モノクロ)/94分

Bunkamuraル・シネマ他全国順次公開中!

公式サイト:

piazzolla-movie.jp

Review 31 『エリック・クラプトン~12小節の人生~』

エリック・クラプトンを描く音楽ドキュメンタリー

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© BUSHBRANCH FILMS LTD 2017

夏にレコード屋でたまたま見つけたのがエリック・クラプトンのアルバム『LIFE IN 12 BARS』。映画『エリック・クラプトン 12小節の人生』のサントラ盤だった。彼の音楽人生の前半の代表曲、名曲が収録されたベスト盤ともいえるもの。最初期のヤードバーズジョン・メイオールのバンドを経て、クリームを結成してアメリカを席巻、その後ブラインド・フェイスデレク&ザ・ドミノスでの活躍後、ソロ名義で活動を始め、他のアーティストへの客演も多数という軌跡だ。

そして、映画はクラプトンについての音楽ドキュメンタリーで、複雑な幼少期、ラジオでブルースを聞いてギターを手にし、ミュージシャンとして名声を得るもドラッグ、アルコール等の依存症に陥り、不幸な事故に見舞われるが、音楽に救われて復活するという半生を描く。監督は、クラプトンの長年の友人で、劇映画の製作演出のリリ・フィニー・ザナックで、これが初のドキュメンタリー作品となる。

クラプトン自身の語り、様々なアーカイブ映像で数奇な人生を深くさらけ出していて圧倒される。B.B.キング、ジョージ・ハリスンジミ・ヘンドリックス、パティ・ボイド、ザ・ローリング・ストーンズボブ・ディラン等々が登場する場面も興味深い。ひねくれ者でろくでなし、と自分で言うギタリストの存在感、そして、たっぷり流れる音楽を楽める。なお、本作は、20192月に発表されるグラミー賞のベスト・ミュージック・フィルム部門にノミネートされている。

フジカワPAPA-Q ★★★★.5

Information:

監督:リリ・フィニー・ザナック(『ドライビングMISSデイジー』製作) 製作:ジョン・バトセック(『シュガーマン 奇跡に愛された男』『We Are X』)
編集:クリス・キング(『AMY エイミー』) 音楽:グスターボ・サンタオラヤ(『ブロークバック・マウンテン』)
出演:ミュージシャン:エリック・クラプトンB.B.キングジョージ・ハリスン、パティ・ボイド、ジミ・ヘンドリックスロジャー・ウォーターズボブ・ディランザ・ローリング・ストーンズザ・ビートルズ etc.
2017年/イギリス/英語/ビスタ/135分/原題:ERIC CLAPTON : LIFE IN 12 BARS/日本語字幕:佐藤恵

配給:ポニーキャニオン/STAR CHANNEL MOVIES,、提供:東北新社 映倫(PG12)

1123日(金・祝)TOHOシネマズ シャンテほか全国ロードショー

公式サイト:

ericclaptonmovie.jp

Report 10『ポルトの恋人たち〜時の記憶』マスタークラス@アテネ・フランセ文化センター

「時代の無意識」について思いを馳せるとき(モレイラ、柄本、舩橋が抱く映画へのディープな思いを聴く)

取材・文:福嶋真砂代

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市山尚三さん、アナ・モレイラさん、柄本佑さん、舩橋淳監督 @reatokyocinema

ポルトの恋人たち〜時の記憶』の公開に先がけて行われたマスタークラス(11月3日、アテネ・フランセ文化センター)に、アナ・モレイラ、柄本佑舩橋淳監督が講師として登壇。モレイラが”若きアウロラ”を演じた『熱波』(ミゲル・ゴメス監督/2013)と2本のショートフィルム『ウォーターパーク』(アナ・モレイラ監督/2018)&『ムーンライト下落合』(柄本佑監督/2017)を上映後、映画プロデューサー市山尚三が司会を務め、それぞれの監督作品や『熱波』、ふたりが出演した『ポルトの恋人たち〜時の記憶』(舩橋淳監督/2018)について意見を交換。ポルトガルと日本をつなぐ、熱い映画トークを堪能した。3人が抱くそれぞれの映画へのディープな思い、終盤には『ポルトの恋人たち』の見どころやポルトガルと日本の撮影の違いについても語られた。ほぼ全文を掲載します。(敬称略)

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『熱波』は第1部が現代リスボンが舞台の「楽園の喪失」、第2部は植民地時代のアフリカが舞台の「楽園」という2部構成のモノクロ作品。『ウォーターパーク』は痛ましい事故ののち廃墟となった公園施設を舞台にしたポルトガルの社会の危機の影を感じるサスペンスタッチな作品。またムーンライト下落合は明日に不安を感じる男ふたりが月光差すアパートの小さな部屋を舞台にたわいのない会話を交わすという作品。個人的にはサミュエル・ベケット戯曲『ゴドーを待ちながら』のような不条理劇の独特な空気感を感じた。ポルトの恋人たち〜時の記憶』舩橋淳監督の最新作。第1部「1760年ポルトガル」、第2部「2012年日本・浜松」の2部構成。日本とポルトガルを繋ぐ歴史的な縁(えにし)をたどる壮大な物語。とりわけオリヴェイラ監督作品の舞台となったギマランイス歴史地区で撮影されたポルトガル編は重厚な迫力があり、日本編と合わせて謎解き要素のあるミステリアスな作りになっている。解き明かされる時空を超えた運命とは......?

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アナ・モレイラさん、柄本佑さん @realtokyocinema

◆『ウォーターパーク』と『ムーンライト下落合』はこうしてできた

市山:モレイラさんが『ウォーターパーク』を撮ろうと思ったのはどういうきっかけでしたか?

アナ:2つの理由があります。ひとつめは、90年代に実際にウォーターパークで2人の10代の子どもが吸水口に吸い込まれ命を落としたという不幸な事故があり、当時その子どもたちと同年代の私はとてもショックを受けました。そしてこのような「日常にある死」をフィクションとして表現したいと思い、映画が最適な手段だと思いました。

ふたつめの理由として、ポルトガルの政策への疑問があります。撮影したのは2013年ですが、ポルトガルはその少し前から経済危機を迎えていて、その年は危機のピークでした。働く場もなく、夢を追うこともできず、人生を組み立てていくこともできない、そんな若者に対して政府がとった政策は「ポルトガルを出て外国で移民となりなさい」というショッキングなものでした。そのような過去や現在の危機などが何層もの理由となって、物語を描きたいと思いました。2013年に脚本を書き終え、それからプロデューサーを見つけ、次に助成金を探し、ポルトガル映画・映像院(ICA)に申請をしました。ここはポルトガルで唯一の映画への助成を行う機関です。最初の応募では落ちてしまいましたが、翌年に同じ脚本で応募をすると、幸い審査員が入れ替わっていて、大変よい評価を得て合格しました。主観は物事を左右するのだなと感じました。

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アナ・モレイラさん @realtokyocinema

市山:柄本さんが『ムーンライト下落合』を作ったきっかけは?

柄本:きみの鳥はうたえる(以下、きみ鳥)』(三宅唱監督/2018)の撮影に関係があります。実は『きみ鳥』の撮影が延期になり、時間がぽっかり空きました。そのタイミングに加藤一浩さんーー父の劇団の座付き作家さんなのですがーーの短編戯曲を読ませてもらい、月を介する宇野祥平さんと加瀬亮さんの画が浮かんできて、これは映画になるのでは......と思ったのがきっかけです。それを森岡龍さんに相談して、さらに『きみ鳥』プロデューサーの松井宏さんと三宅唱監督に相談してみると「おもしろいね、一緒にやりましょう」と言ってくれました。映画はいつか撮りたいと思っていましたが、タイミングが合って、何かダムが決壊するように、3ヶ月のお祭りみたいな感じでわーっと撮りました。セットではなく、アパートを借りて、事前リハーサルを1日、撮影は2日間で作り上げました。

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柄本佑さん @realtokyocinema

◆スローエクスポージャーという手法による映画的な魅力

市山:舩橋監督はおふたりのショートフィルムの感想はいかがですか。

舩橋:アメリカ映画の脚本などで使われる「スローエクスポージャー(Slow Exposure)」という言葉があります。何も説明せず、小さな糸口から少しずつ事態の状況が見えてくる、それがいかにも味わい深く感じられるように見せる映画の話法です。これがふたりの監督作品に共通していると思いました。『ムーンライト下落合』を劇場公開で観たときは、登場する男ふたり(加瀬亮宇野祥平)はゲイに違いないと思って観てました。だけど少しずつその関係性が見えてくる、そういう意味のサスペンス、謎めいたところを解き明かしながら観るおもしろさがありました。『ウォーターパーク』も、男がなぜウォーターパークにやってきたのか、女の子と彼はなぜ黙っているのか、妙に男の動作がトロくて、下を向いているのはなぜか、などと状況が少しずつ明らかになります。このような手法は映画的に魅力的で、そこが共通していると思いました。

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舩橋淳監督 @realtokyocinema

『ウォーターパーク』の冒頭、女性がローラースケートを付ける前、腰のショット、足のアップと、ちょっとずつカメラを引いていく......というひとつひとつのカットにある切れ味。全部を最初から見せず、現実の一部を切り取っていくのですが、ひとつのショットが次のショットへの刺激となっていく。そんな映画としての佇まいがとてもおもしろい。『ムーンライト下落合』は、ひとつひとつのショットを、こうくるのか、ここで切り返すのか、と驚きながら観ていました。おふたりの映画への愛情は、(『ポルトの恋人たち』の)現場でも強く感じていました。自分の作品の現場ではどういうことを考えて撮っていたのでしょうか。

柄本:ムーンライト下落合』の撮影は四宮秀俊さんです。リハーサル後に、ふたりでカット割りの話をしました。撮影場所は六畳間ですが、60カットありまして、全部アングルが違います。普通、六畳間に60のアングルは無いので(笑)、四宮さんに苦労をかけました。例えばラストカットのカメラポジションですが、その前のカットで「ここから行きますか?」と言われた時に、「いや、それはちょっと待って下さい」と残しておいてもらい、それをラストカットにしました。映画をたくさん観たり、経験から学んだり、勉強すればするほど、このショットはダメだなんてストッパーがかかってしまうものです。だけどこの映画は、2日間の撮影期間中、余計なことを考えずに熱量だけで撮影をしました。カット割り通りに撮りましたが、減ることはなくカットはむしろ増えました。水を眺めている目線のカットは「思い切ったことやったね」と三宅唱監督から感想をいただきました。

舩橋:加瀬亮さんがリモコンでテレビを付けようとするだけで何カットあるんだろうというくらい、微細な世界でおもしろくするというところに勝負をかけているのかなと思いました。

柄本:それは思っていました。冒頭の10分間、言葉なくただ動いているだけですが、すべてト書きに書いてある動きで、ひとつひとつの動きが具体的にに腑に落ちてこないとおもしろくない、そこは勝負どころだなと思いました。俺の中ではこれは「アクション映画」だと思っていて、一挙手一投足を全部余すことなく拾っていって、それが積み重なることで、ひと言めのセリフが出た時におもしろくなるかなと思いました。同様に、アナの作品も冒頭はアクションだけで、ひと言めのセリフが出るまで時間がかかっているので、共通するものを感じました。主演の女性の持つ快活で爽やかな色気というか、太ももがぶるんぶるんして、髪の毛が気持ちよくたなびいていくなど、アナならではの撮り方、「快活なエロ」というのでしょうか、すばらしかったです。主演の女の子はスケートの練習をしたのですか?

アナ:主役のキャスティングはオーディションをしたのですが、結局選んだのは、8歳からスケートを始め、いろんなコンクールにも出場し、人前で演技することにとても慣れている15歳のマルガリータという少女でした。

舩橋:アナは、「スローエクスポージャー」についてはどう思いますか?

アナ:私が最初に脚本を読んだ時、”ウォーターパーク”そのものが登場人物のように思えました。もともとは娯楽施設として作られ、子どもたちの遊び場でしたが、痛ましい事件の後に閉鎖され、廃墟になりました。その施設の佇まいが、当時の経済危機の中にあるポルトガルに重なって見えました。私は、場所にしても、人にしても、最初から全部を見せずに少しずつ見せていくことが重要だと思いました。なぜかというと、今の時代はあたかも爆発するように全部を見せてしまうことに観客は慣れてしまっているけれど、映画は本来そういうものではなく、見えることの外にあるもの、そこに映画の重要なものがあるのではないかと思っています。ですから小さい部分から話が始まり、少しずつ見せていき、だんだん広がり、またそれが小さいところに戻り、また大きなところへ、そういうふうに作りたいと思いました。

◆『熱波』はみんなの”記憶”の映画

舩橋:小さいところから少しずつ世界が見えるというところでは、柄本さんの作品でも、テレビのリモコンや柿ピーに拘っているところもあるし、アナの作品も、ウォータパークという小さな場所からポルトガルの現状が見えてくるというのもあります。僕はそれが映画の本質だなと思っていて、全部を見せることはできないから、どこかで視点を区切らなければならない。だから広い所から狭くなっていくよりも、狭いところから全部は見せられないけれど、外の世界を見せていく、というところに映画の魅力を感じるわけです。強引な言い方をすればミゲル・ゴメス監督の『熱波』もそうなのだと思います。逃げたワニをつかまえなければならないという、明らかにボケているおばあちゃんの話はとても狭い世界だけれど、それが少しずつ解明されていくと大きな世界につながっている、ということなのだと思います。

アナ:『熱波』は記憶の映画だと捉えています。自分の記憶をどういうふうに思い出すかについて語っているのだと思います。例えば、おばあさんも「カジノに行く」という記憶にしがみついているのですが、彼女ひとりの記憶は国の記憶にもつながります。ポルトガルの記憶は植民地をアフリカに持っていたということ。そこに入植して、彼らはそこで愛をはぐぐみ、失恋をして、人生の経験をし、そこで過ごしていた。要するにたったひとりのおばあさんの記憶がひとつの国の記憶であり、みんなの記憶であるということにつながるのだと思います。

柄本:僕は今日初めて『熱波』を観たのですが、とてもおもしろかったです。記憶のシーンで、手紙の使い方がいいなと思いました。手紙を読むところになると昔のベントゥーラと昔のアウロラ(モレイラ)の声になって、手紙のやりとりは当時のふたりの声で、ナレーションになると現代のベントゥーラの声になる、そういう声の使い方がとても新鮮で楽しく、おもしろいと思いました。『ウォーターパーク』では、冒頭では快活なローラースケートの音が、男が出てきて、彼の周りをぐるぐるまわるときの音は全然違い、痛々しく聴こえますが、その違いがおもしろくて、状況で聞こえる音が違うんだなと改めて思いました。後半の音は大きく調整しているのですか?

アナ:音にはとても気を使って編集しました。仰る通り、ローラースケートの音はとても重要で、地面を引っ掻く音などをしっかり捉えたかったのです。同時にBGMにも気を使いました。最初はローラースケートの音とBGMが入っていますが、だんだんスケートの音が抜けて音楽だけになる、そうすると音によって観客も彼女の頭の中に入ったような感じになり、彼女自身がすべてを忘れて没入する錯覚を、観客も一緒に味わうことになる。音が終わった瞬間にひとつが終わり、彼女の体も下に下がり、音もなくなる、というふうにしたかったのです。

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(C)O SOM E A FURIA, KOMPLIZEN FILM, GULLANE, SHELLAC SUD 2012

舩橋:僕は『熱波』を2013年のベルリン国際映画祭で初めて観たのですが、読んだレビューで、前半は35mm、後半は16mmで撮った作品と知りました。前半はシャープなイメージ、後半はふわっとした感じに撮られていて、とてもおもしろかった。1931年のF.W.ムルナウ監督遺作の『タブウ(「Tabu: A Story of the South Seas」)』も2部制で、第1部が「Paradise」、第2部が「Paradise Lost」となっていますが、ゴメスの『熱波』ではそれが逆になり、「失われた楽園」から始まって「楽園」というふうに反転させているんです。ムルナウタヒチで撮っています。エキゾチシズムというか、知らない土地で黒人を撮ることで「世界」を見せている。そこからインスピレーションを得て、ゴメスはアフリカで撮ったのかなと思うのですが、遠く離れた南方で起きる恋愛劇というのは映画史にたくさんあります。成瀬巳喜男監督の『浮雲』(1955)やジョン・ヒューストン監督『アフリカの女王』(1951)なども、南の植民地や戦地で起きた恋愛を、時間を経た後に見つめる、ということを甘美でメランコリックな感情とともに映画にしています。この作品を観て浮かぶメランコリーやノスタルジアの感情に、35mm、16mmの映像がとても合っていて、16mmの素敵さを感じました。柄本さんがおっしゃるように、サイレントで過去を見つめるという描き方があるのだなと思って観ていました。

アナ:付け加えるとモノトーンで撮られていることもひと役買っていますね。

柄本:『熱波』では台本にセリフはきっちりと書かれていましたか?

アナ:台本は捨てました。少し前に台本をもらっていましたが、撮影の少し前にゴミ箱に。前日か当日に、アウロラのシーン、ワニと撮る、というふうに言われて、セリフはメモで貼られていきました。そうすることで監督の中で発酵させていったのではと思います。

柄本さんの映画を観た感想をお話したいのですが、私の映画は色があり、明るい感じの映像でしたが、柄本さんの作品は明暗のコントラストがはっきりしていて、まるで絵を見ているようでした。それからファンタジーを感じる、窓の外の月を見るシーン、月光を浴びるシーンも映画的だと思いました。映画はどこかマジカルなものであり、ラストシーンの大きな月を見上げるシーンも、過去の映画の精が集まってこの映画を見ているように感じられました。

柄本:たしかに、自分で観てきた映画の記憶が、誰しもそうであるように、あるのだと思います。自分の中では、6畳間の宇宙船の中にいるように、SFチックになったかなと思いました。6畳間にいる感覚は大事にしたくて、そこを描きながら、外の世界を感じたいという気持ちがあったので、「四角い箱の中の二人」という印象を置きながら、少し外が見えてきて、ふたりだけの社会ではない外の社会が見えているというふうに描きたいと思いました。

舩橋:宇宙船といまおっしゃいましたが、柿ピーの話をしているふたりの男の話ですが、そこに現代社会が見えるということがあるのでしょうね。

柄本:そんなに僕もいろいろ考えたわけではないのですが、要するにこのふたりは「眠れないふたり」で、深夜の何もできない時間、いい1日を過ごしたわけでもないふたりが、そんな時間に起きてなんとなくしゃべっている。明日に対する不安を抱えたふたりというふうなものが見えてくるといいなと思いました。最後にズームアップして音が入ってくるのですが、あれは次の日の朝の音、出勤していく人たちの音を入れたという意図があります。

 舩橋:非生産的な、何も産まない時間を過ごしているふたり、というのがとてもツボにハマったのですが、柿ピーを「食う?」って言って、受けとってからどうしようかなという、まだ迷っているという、時間の無駄がたくさんあるところがとてもおもしろかったです。

柄本:あのシーンは見るたびに僕も考えてしまうのですが、寿司屋になると決めた男に対して、一旦何をしていいかわからずにまた片付けを始めて柿ピーが目に入り、何か励ましの言葉をかけたいけど思いつかない、俺のできる唯一のことは柿ピーを渡してあげることくらいだと。渡して「がんばれよ」という気持ちがあるのですが、受けとった男はそれを食べない。食べてやれよと思ったり。そこにある行き違いがあり、最後は柿ピーを食べてくれたり、そこにふたりの思いの違いがあったりして、微妙な噛み合わなさがあるんです。加藤さんの本のおもしろさがあるのだと思います。

 『熱波』の好きなシーンは、ふたりで手をつないで楽しげに走るところ、ふたりとも幸せそうなのに、最後の顔は、この楽しさはいつかは終わる、ということを予感したふたりの顔で終わる。あのカットは重要で、ワンカットのうちに、後に来る地獄のような時間を予感させること、ふたりがそれを気がついているということを知らせる重要なカットだと思いました。あれも当日言われたシーンなのですか?

アナ:そうですね。台本にはなく、監督の頭の中にあったことです。メタシネマっぽいのですが、ふたりが幸せそうに歩いていて、ぱっと止まってカメラをまっすぐ見る、そのことで「みなさん、これは嘘なんですよ、これは映画なんですよ」と言っています。同時に、これから来る不幸を予感させ、ここにいるのは実はアウロラとベントゥーラではなく、アナとカルロト(・コッタ)なんだと一瞬仮面を剥ぐという狙いもあります。

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(C) 2017「ポルトの恋人たち」製作委員会

◆最新作『ポルトの恋人たち〜時の記憶』の魅力

舩橋:プロデューサーのロドリゴ・アレイアスさんが僕の『桜並木の満開の下に』(2012)を観て気に入ってくれて、「ポルトガルと日本を絡めた映画を作ろう」と声をかけていただいたのがきっかけです。ポルトガルも日本も大陸の端に位置していて、海洋国で、主食はお米で、海産物がおいしいとか、共通項が多いことがわかりました。ポルトガルを実際に訪れて感じたことは、ポルトガル社会ではモザンビークを中心に1960~70年代の植民地独立運動をやった時のことをいまだ引きずっていて、罪悪感が根強く残っていることです。僕は「時代の無意識」ということを映画を撮る人間として考えていますが、ゴメスもあのようにメランコリックに描いています。それがゴメスにはとても重要だったのです。僕もこれを重要なこととして考えたいと思っていました。そこでひっかかっていたのは「境界線」というコンセプトです。この映画の原題を「LOVERS ON BORDERS」としましたが、現代は境界線の重要性が増している社会ですが、僕は本当は境界線はなくてもいいと思っているんです。境界線を引くことで疎外され、迫害されてしまう移民たちが日本にもいますし、ポルトガルにもいる。そのような排外主義がある世の中で、難しい立場に追いやられてしまう恋人たちの話を描きたいと、このストーリーを作りました。

市山:柄本さんとモレイラさんは、シナリオを最初に読んだ時の感想はいかがでしたか?

柄本:1部と2部で似たことを少しずつ違うように描かれていますが、それぞれ時代が違います。印象としては最初は2本の映画が入った脚本(ホン)だなと思いました。ただどうするのだろう、1本の映画にになるのだろうかと思ったのですが、第1部で細かく撒かれたタネが、第2部で見事に花を咲かせ回収されていく。ふたつを並べることで1本の映画として成立するんだなと気づいて、それは監督の手腕だと思います。あと編集に時間がかかっていたのは、こういうことが行われたのだなと映画を見て思いました。台本の分量からすると、2時間20分の分量ではないですよね(笑)。

舩橋:はい、最初の編集では4時間になりました。ポルトガルではテレビバージョンがありまして、45分ずつの4つのエピソードということになっています。映画では、人間の生理的なことを考えて観られる長さに落としこんでいくのに時間がかかりました。

アナ:ポルトガルでは1755年にリスボン津波がありましたが、2011年の東日本大震災のアナロジーになると感じました。2本の映画でもよかったのかもしれませんが、1本ずつ分かれてしまったらこの映画は成り立たなかったと思います。それぞれが補い合うことで1本の映画になるということが必要だと思いました。カオスの中で、人々がどのような動きをするのかを見せている映画だなと思います。登場人物が、将来が見えない、幸せになる可能性も少ない、そのようなカオスの中で生きています。外的要因によって、または自分の行動のせいで幸せになれなくなった人々であることが、1部と2部で共通して描いていると思いました。

舩橋:おふたりは『ポルトの恋人たち』のどこを観て欲しいですか?

柄本:第1部に映る旧いポルトガルの街ですね。18世紀のポルトガルの街並みがそのまま残っている地域があって、普段入れない場所に入って撮影を敢行したので、そこは見応えがあると思います。

アナ:そうですね。ポルトガルには過去の雰囲気や記憶を留めた街並みが多く、建築物も多く残っています。映画を観ることで観光地ではないポルトガルのよいところを見てほしいです。

市山:第1部にポルトガルの貴族の館が出てきますが、実際の貴族の館が博物館になっていて、調度品などもそのまま残っていました。そういう場所を撮影に1週間貸してくれるのですが、日本では考えられないことです。壊したらどうしようとビクビクしながら見ていましたけど、やはり本物は迫力ありますね。

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(C) 2017「ポルトの恋人たち」製作委員会

舩橋:それから、ポルトガルでたまたま見つけたものを映画の中に取り込みました。ある天井画を見つけたのですが、アジア人が描かれていて、調べると実は九州の大村藩で火あぶりになった宣教師の絵だったのです。そのリアルストーリーを映画に取り込みました。種子島に鉄砲が伝来したとき、日本で鉄砲はコピーできたんですが、火薬は作れなかったので輸入していました。その引き換えとして奴隷を送ったということで、1バレルの火薬と50人の日本人奴隷を交換したという記録があります。インドのゴアを中心に世界中にばら撒かれた日本人奴隷がいたというのですが、その子孫でポルトガルにまで連れてこられた人たちを柄本さんと中野裕太さんに演じてもらいました。奴隷をひどく恨んでいるポルトガル人が「うちの先祖は日本人に火あぶりにされた、だから死ぬまでこきつかってやる」というリアルな設定を映画に取り込みました。

市山:この映画もアナの作品と同じポルトガル映画・映像院(ICA)に助成金を申請しました。映画の設定的に難しいかなと思ったのですが、かなり満額の助成金がでましたね。

舩橋:ICAの助成金の審査はすべて”ガラス張り”になっていて、脚本、映画芸術点、プロデューサーなどに点数をつけられ、ウェブに掲載されて落ちた人もわかるようになっていて、日本もそうしたらいいと思いました。ラッキーなことにこの映画は約30件の応募中トップでとれました。

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(C) 2017「ポルトの恋人たち」製作委員会

市山:柄本さんはポルトガルでの撮影は初めてでしたが、どうでしたか?

柄本:撮影的には難しかったところかもしれませんが、みなさんがとてもおおらかで、集合してからセッティングが始まるまで約1時間くらいお茶の時間があったり。もともとポルトガルではそれが普通で、そこに日本のスケジュールで撮るとなると大変ですが、自分たちのスタイルを崩さず、でも焦ることなく、同じ熱量で撮ってくださいました。きっとものすごく大変だったと思うし、ストレスも溜まったとは思いますが、そんな中でおおらかにいてくださって、ただ監督と古谷さんは気が気じゃなかったと思います。僕はどちらかというとポルトガルスタッフに囲まれていることが多かったので、僕や中野さんは、ポルトガルの人たちに助けられたと思います。 

アナ:日本とポルトガルとでは撮影方法は違うと感じました。私もコーヒーはゆっくり飲みたいし、ごはんはゆっくり食べたい(笑)。そういうことはいい仕事に結びつくとは思っていますが、日本に来て、日本の撮影をしたときに「ああこういうことなのか」とわかりました。スタッフも違うし、監督のやり方も違うのだと。ただ私は俳優なので、俳優はその場その場、監督の意向に合わせていかなければいけない。ショックとは言いませんが、違うんだということ、いろいろなことを学びました。

舩橋:日本人スタッフは少なかったのですが、ポルトガルでは本当に楽しみながら撮影をしました。マノエル・デ・オリヴェイラ監督の傑作『アブラハム渓谷』(1993年)にドウロ河のワイナリーが出て来ますが、僕らの映画もこのドウロ河沿いで撮りました。オリヴェイラ映画のすばらしい景色を観ていいなと思っていた同じ場所で撮影できたのは本当に幸せだなと思ったので、みなさんにもそれを感じていただけたらいいなと思います。

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(C) 2017「ポルトの恋人たち」製作委員会
 
・マスタークラス概要

講師:アナ・モレイラ(俳優/ポルトガル)、 柄本祐(俳優)、舩橋淳(映画監督)
司会:市山尚三(映画プロデューサー)
主催:映画美学校
後援:ポルトガル大使館文化部
協力:朝日新聞社/ アテネ・フランセ文化センター
日時:2018年11月3日(土)17:00-
会場:アテネ・フランセ文化センター(御茶ノ水)

【ポルトの恋人たち〜時の記憶】
あらすじ:物語の舞台は、リスボン大震災後のポルトガルと東京オリンピック後の日本。乗り越えられない境遇―境界線(ルビ:ボーダー) によって引き裂かれ、その挙げ句に恋人を殺害された女が、その恨みを晴らすために選んだ手段は、想像もつかないものだっ た・・。18 世紀と 21 世紀。登場人物の立場は時代によって微妙に入れ替わりながらもほとんど同じプロットが反復され、デジャ ブのように交差し、やがて愛憎の不条理に引き裂かれた人間の業をあぶり出してゆく。
出演:柄本佑、アナ・モレイラ、アントニオ・ドゥランエス中野裕太 製作:Bando á Parte, Cineric, Inc., Office Kitano プロデューサー:ロドリゴ・アレイアス、エリック・ニアリ、市山尚三 脚本:村越繁
撮影:古屋幸一 編集:大重裕二 音楽:ヤニック・ドゥズィンスキ 監督・脚本・編集:舩橋淳 配給:パラダイス・カフェ フィルムズ 配給協力:朝日新聞社 協力:ポルトガル大使館
PG-12/2018/日本=ポルトガル=アメリカ/139 分/シネスコ/5.1ch 
公式サイト:

porto-koibitotachi.com

2018年11月10日よりシネマート新宿・心斎橋ほか全国公開

 

TIFF Report:Japan Now 「映画俳優、役所広司」黒沢清&役所広司トークイベント(『CURE』)

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@realtokyocinema2018

第31回東京国際映画祭のJapan Now部門 特集企画「映画俳優、役所広司」のなかで『CURE』(黒沢清監督/1997)が上映され、黒沢清監督と役所広司が並ぶ夢のツーショットが実現。プログラミング・アドバイザー安藤紘平(映画監督・早稲田大学名誉教授)司会で行われたトークイベントを取材した。満員の客席から寄せられた“CURE愛”溢れるコアな質問に答える両氏の楽しそうな表情が印象的だった。

『CURE』は第10回東京国際映画祭(1997)のコンペティション部門参加作品であり、これが黒沢監督の世界進出きっかけになったと著書の中で語っている。90年代の終わり、オウム真理教事件、神戸連続児童殺傷事件という、当時はどこかキツネにつままれたような奇妙な犯罪が続いた、社会に漂う不穏な空気の中、黒沢が『羊たちの沈黙』(ジョナサン・デミ監督/1991)にインスパイアされたという、人間の心の闇の深淵に迫る究極のホラーエンターテインメント(「ホラーではない」とトークのなかで言い切りつつも)を発表した。「あんた誰?」というセリフが強烈に耳に残る謎の人物、間宮(実は小津安二郎監督『秋日和』の登場人物名)が人を催眠操縦するサイコな殺人事件。その間宮役の萩原聖人、そして不気味な犯罪の本質を探ろうとして自分を見失っていく刑事役の役所広司、両人の好演が光る。ちなみに筆者にとって『アカルイミライ』(黒沢清監督/2002)と1、2を争うフェイバリット黒沢作品が『CURE』である。

黒沢の著書「黒沢清の映画術」(新潮社/2006)では東京国際映画祭についてこのように語っている。「東京国際映画祭に出品したのが大きかったですね。ー略ー 海外から来た人が結構『CURE』を見たんです。その2、3週間後に、梅本洋一さんの計らいで、パリの秋のフェスティバルで開催された日本映画特集のうちの1本として海外で初めて上映されました。ー略ー パリに着くと、「ル・モンド」紙の記者がすでに『CURE』を大々的に取り上げてくれていたんです。東京国際映画祭のレポートという形ですが、かなりのスペースを割いた上に大きな顔写真入りで、『CURE』のことしか書いてない記事でした。ですから、「おお、あなたがクロサワか」「え、僕のこと何で知っているんですか」「いや、新聞に大きく載っていたよ」という感じで、とても感激しました。同じく、東京国際映画祭で見てくれたオランダのロッテルダム映画祭のディレクターが翌98年に呼んでくれたりと、あの映画祭は意外と海外進出のきっかけになったんです。」

また俳優・役所広司については同著書の中で以下のように。「役所さんは、僕と年齢が同じで、どうも価値観が似ているように思えるんです。ですから、年齢が自分と同じぐらいの主人公ならば、自然と役所広司という名前が自分の中で上がってきます。役所さんの方からも、何作かいろんな映画に出ると、僕のところにふらっと『そろそろ出たいんですけど』というメールが来たりします(笑)ー略ーごく普通の人間から化け物までを一気に演じてもらったわけですが、これだけの変化を出せる人はなかなかいません。」

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黒沢清役所広司トークイベント」2018.10.27@TOHOシネマズ 六本木ヒルズ 

黒沢:今回の役所さん特集の数本の中に僕の作品が選ばれて光栄です。感無量です。

役所:僕の大好きな『CURE』を見て下さりありがとうございます。(『CURE』公開から)20年も経ってしまって、僕も年をとりました(笑)。

ーー『CURE』から22年ですね。黒沢さんとの最初の作品として『CURE』に役所さんが出られた。黒沢さん、どうして役所さんを起用したのですか?

黒沢:当時僕はヤクザもののVシネマをたくさん撮っていましたが、これはVシネよりはメジャーな企画で、理想的には役所さんが出てくれたら企画として成り立つのになと考えてて、その頃役所さんはトップスターで『失楽園』(森田芳光監督/1997)やShall we ダンス?周防正行監督/1996)に出られていて、こんな内容じゃ無理でしょと思っていたんですが、ダメ元で試しにとお願いしてみたところ、たまたまスケジュールが空いていたのでしょう、OKのお返事が来てびっくりしたのが正直なところです。役所さんに出ていただくのは夢でしたけど、まさか出ていただけるとは思っていませんでした。

役所:(『CURE』の)前の年が周防監督の『Shall We ダンス?』でした。

黒沢:なんでもいいから役所さんとやりたかったというのが正直なところです。スターであるにも関わらず、画面に出て来た瞬間、何者なのかわからない、いい人かもしれないし、悪い人かもしれない、気が弱いかもしれないし、強いかもしれない。こんなに未知の領域を含んだスターは当時もいまもいないと思います。「未知な感じ」が映画にまさにぴったりなんだけど、出てくれないかなあと……。

役所:未知と言えば監督の台本も未知で、どういう気持ち、どういう過程でこうなるんですかねえって監督に訊いていました。すると監督は「どうなんでしょうかねえ」と、答えは教えてくれない(笑)。

黒沢:いやいや、僕もよくわからないですしね。うちの近所のロイヤルホストに車でよく来てもらって、役所広司ロイヤルホストにいて大丈夫だろうかなんて思いながらも、夜に何度か打ち合わせしました。

役所:あそこは監督の書斎でしたからね。撮影は基本的にワンシーンワンカットで撮って、意外とテストを重ねないで、俳優がなんとなくセリフに安心する前に、緊張感のあるうちに、スタッフに「もう行っていいですか、いいですか?」って聞いてましたね。長いセリフのときは本当に痺れましたね。

黒沢:NGはもちろん出しますけど、本当にVシネをやっていたせいもあって、当時はフィルムで撮っていたこともあって、あんまりNGは出さないですね。リハーサルもあんまりしないで、サラサラっと早く終わるんです。

役所:だから役者もスタッフも黒沢映画が大好きですね。

ーー黒澤明映画とはかなり違いますね。

黒沢:そうですよね。普通に9時から5時まで仕事するっていう感覚です。他の監督は遅いんですかね。

ーー役所さん演じるところは、いい人か悪い人か、真面目か不真面目かわからないとおっしゃったけど、長回しはアンビギュイティ、曖昧性、多様性につながりますね。

黒沢:それで長回しをしたというわけでもないのですが、観てわかるとおり、ワンカットの中で、いい者から悪者、正気から狂気の状態に変わるということを『CURE』では意識したところです。役所さんに限らず、でんでんさんもそうです。普通の状態からおかしくなる状態をカットで割れずに捉えたいと。それも急に変わるというよりも、もともと含んでいたものが露呈するという、曖昧に推移していく感じ。言うは易しですが、実際に演じるのは大変ですよね(笑)。

役所:いやいや。それはそうなんですけど、ワンカットの力って凄いですね。カットされていないところは映画としての力が伝わりますね。

ーー編集によって説明していく映画に比べると、(ワンカットで撮るのは)凄い威力がありますね。実は今回の映画祭のテーマに「アンビギュイティ」ということがあるのですけど、日本人のアンビギュイティ性を捉えている代表的な役者として役所さんではないかとお招きしました。

黒沢:それほど強い確信があるわけではないのですが、この作品はテーマがこういうものでしたから、おっしゃるような「曖昧さ」は自然と大きな要素だと思うし、それを表現するための長いワンカットになったのだと思うのですが、そんなに強い信念があるわけではなくて、作品によっていろいろ変わります。

ーー「CURE」とは「癒し」という意味ですが、癒しと、狂気のような怒りが突出してくるものは、実は対立している関係ですが、このタイトルにしたのはなぜでしょう?

黒沢:この映画の当時の大映のプロデューサーが「CUREとかどうか」って言って、「それなんですか?」という感じでしたが、「伝道師」だとかなり直接的で宗教的な意味合いもあり、この物語を思いついたのは90年代初めくらいでしたが、ご存知のオウム真理教事件とかもあって、宗教的な犯罪をタイトルから感じられると変な誤解を招くといけないというのもあってもう少し医学的な「CURE」というタイトルになったようなのです。

□Q&A

ーー後半、2回目のクリーニング店のシーンで、女性の真っ赤なワンピースがぬっと出てくるのですが、あれを見て『悪魔のような女』のなかの、死んだはずの校長のスーツがぬっと出てくるというシーンを思い浮かべました。

黒沢:悪魔のような女』(1955)はアンリ・ジョルジュ・クルーゾー監督ですね。ダイレクトに指摘されたのは実は初めてなのですが、あのクリーニング店でハンガーにかかった赤い服が急に出てくるのは何ですか?って訊かれたことは何度かあります。その時には「あれは『悪魔のような女』なんです」と答えていました。死んだはずの校長の服だけがクリーニング屋から届くというものすごく気味の悪いイメージなんです。その人は死んでいるのにとか、見た途端、首なしの身体が動いているように思えたり。おっしゃる通り、クルーゾーの『悪魔のような女』です。まさに死のイメージ。妻の死を一瞬妄想するひとつの象徴的なシーンとして、これをやらせていただきました。

ーー役所さんはホラー作品は黒沢作品しか出ていないですが、オファーは他にはあったのか、黒沢作品だけなのでしょうか。

役所:ないですね。黒沢監督作品だけなんですが、『CURE』はホラーだとは思っていなくて。

黒沢:ホラーではないですね。でも役所さんをこういうジャンルに独占しているのですね。

役所:言ってみれば、“ストレスがなくなった怪物映画”とも言えますね。

ーーラストにウェイトレスが包丁を持ってくるのは、次の予兆があるのでしょうか。

黒沢:気づいた方がいらっしゃるかどうか、ウェイトレスが包丁を持った瞬間カットが変わってエンディングになるんですが、実はあれから続きがありまして、編集で切ったのですが、あのあとウェイトレスは厨房に入って行って、彼女の上司らしき女性を包丁でめった刺しするところで終わる。上司の女性は途中で彼女に囁くシーンがあるのですが、妙に体が突っ張っているのを気づいた方はいらっしゃるでしょうか、なぜかと言うと、後々刺されるための安全の木の板を背中に入れているのです、それでブスブス刺されるのですが、いいシーンだったのですが、僕としてはあそこでパッと切ったほうが暗示的かなと思って、あのようなラストになりました。

ーーファミレスのシーンで、2回主人公がウェイトレスにお皿を下げられるシーンがあるのですが、中盤はまったく食べていないのに下げて、ラストのシーンは完食しています。その意図や演じた心境を聞いてみたいです。

役所:この刑事は本当にストレスの塊ですよね、家庭も仕事も。物語が進むにつれてストレスがなくなっていき、食欲も出てくる。この社会でストレスがまったくない人間というのはこんなにも恐ろしいのか、そういう人間は怖いということですね。

黒沢:そのとおりですね。途中で萩原聖人さんが「空っぽになった」と言いますが、(役所さんも)一種の空っぽ状態です。ほんとに気持ちよくて、人間はなかなかそうなれないですけど、役所さんは最後に見事に空っぽ状態になって、なんでも来いの最強の状態になって、目の前のものを全部食べてしまうのです。
役所:健康になったわけじゃなくて、本当に怖いやつが世の中に紛れていくというラストですね。

ーー癒しの究極とも言えますね。本日はありがとうございました。

 

取材・文: 福嶋真砂代

2018.tiff-jp.net

・参考文献:「黒沢清の映画術」(黒沢清著/新潮社)

・第31回東京国際映画祭 Japan Now 「映画俳優、役所広司」では、他に孤狼の血』(白石和彌監督/2018)、『キツツキと雨』(沖田修一監督/2011)、『うなぎ』(今村昌平監督/1997)、『Shall we ダンス?』(周防正行監督/1996)が上映された。

Review 30 『ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ』

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RealTokyoに『ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ』レビューを寄稿しました。

「町が、世界が、ここに凝縮されて呼吸する」

フレデリック・ワイズマン監督が撮るニューヨーク、クィーンズのジャクソンハイツ地区。167もの言語が話される移民の町だ。グロッサリーストアにはカラフルな食材が並び、様々な国の音楽があふれ、様々な宗教の礼拝がある。カメラが向けられるのは、様々な場所の様々な活動。LGBTの悩みを分かち合う会、クイーンズプライド、グリーンカード取得支援、優雅なマダムたちの井戸端会議。議員事務所の女性スタッフの電話応対があるかと思えば、再開発に対抗する市民活動もある。行政や政治活動にも目を配る。町の呼吸の音が聴こえてくる。「この地域は、19世紀の終わりのニューヨーク市ローワーイーストサイドを連想させる“真のアメリカ”というべき『人種のるつぼ』なんだ」とジャクソンハイツを撮るモチベーションをワイズマンが明かしている。ここに世界が凝縮され、この多様性にこそ、アメリカの生命力の源があると感じる。

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Review 29『愛と法』

均質社会に問う、多様化に向かう覚悟と準備は?

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(C)Nanmori Films

ドキュメンタリー映画愛と法』は、大阪で「なんもり法律事務所」を経営する弁護士の南和行(カズ)と吉田昌史(フミ)が主人公。仕事でもプライベートでも共にパートナーであり、瀟洒なマンションに住み、1匹の猫を飼う、素敵な暮らしをするカップルだ。2011年に結婚式を挙げた。初めてゲイであることを打ち明けた時のカズの母ヤエさんは「だって知らないもの、誰も教えてくれなかったもの」というリアクションだった。残念ながらいまの日本でのごく一般的な反応かもしれない。みんなと同じでないことに違和感を持ったり、知識不足による偏見を持つ傾向があるのは否めない。ヨーロッパで育った戸田ひかる監督はそこに興味と疑問を抱き、カズとフミを撮るために、ロンドンから大阪に拠点を移した。

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(C)Nanmori Films

忙しいふたりの弁護士の日常と共に、ドキュメンタリーが見つめるのは「君が代不起立裁判」、「ろくでなし子裁判」、「無戸籍者裁判」の3つの裁判。いずれもいまの日本の状態を象徴するような“現在進行形”の注目の訴訟だ。懸命に取り組むふたりは時には傷ついたりもする。そんな中、係争中のろくでなし子さんの父親が

語る「親バカって言われるかもしれないんだけど、(世界を変えるために闘う)彼女のことを誇りに思う」の言葉がイカしている。娘も周りもどんなに救われるか.....。そんな父と娘の関係性が尊く愛おしい。

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(C)Nanmori Films

人のことを親身に考えるからこそ、心身ともに疲労困憊するふたりの毎日。彼らを癒すのは、やはり「家庭」であり、それを作る「家族」。緊張感がふっとほぐれるシーンへの戸田の視線が温かい。ある日、ふたりと猫の暮らしにカズマくんという少年が加わる。事情があって一時預かることになったのだが、彼ら3人の距離の測り方は実にスマートで、お互いの心地好いツボを探すような配慮を感じる。そんなふたりの存在と生き様は、LGBTなどアイデンティティで悩む人たちへの大きな励みになるのではないだろうか。議員の方々にもぜひこの映画をお勧めしたくなる。

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(C)Nanmori Films

冒頭、「日本は世界でも数少ない均質国家である。常に多数派が尊重されるこの国では、少数者は法的にも社会的にも冷遇されている」と英語と日本語のテロップ表記がある。良くも悪くもそういう国で生きるということの現実を自覚しながら、では多様性を受け入れるためにはどうしたらいいのか......。変化を恐れず、そして楽しめる、リラックスした社会への1歩を踏み出したい。”少数者”と共に闘う、カズとフミのやさしい努力に感謝でいっぱいになる。

福嶋真砂代★★★★

information:

監督:戸田ひかる 
出演:南和行 吉田昌史 南ヤヱ カズマ ろくでなし子 辻谷博子 井戸まさえ 山本なつお
配給:東風

aitohou-movie.com

9/22()より大阪 シネ・リーブル梅田、9/29()より東京渋谷 ユーロスペースほか全国順次ロードショー

Review 28『オーケストラ・クラス』

音楽は素晴らしい。自由と希望の力をチャージする

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© 2017 / MIZAR FILMS / UGC IMAGES / FRANCE 2 CINÉMA / LA CITÉ DE LA MUSIQUE - PHILHARMONIE DE PARIS

遠くにエッフェル塔が見えるパリのビルの屋上で熱心にバイオリンを練習する少年、アーノルド。西アフリカのマリ出身で母子家庭の彼が通うのは、パリ19区という貧しい地区の小学校で、アフリカ系、アラブ系、アジア系など多様な移民の子供達がいる。そこに来たのが、オーケストラ・クラスの新しい先生であるプロのバイオリン奏者、ダウド。しかし、悪ガキ達は勝手に騒いで授業にならず…。ある日、ダウドが演奏すると生徒達は興味津々の表情で聞き入り、やっと練習が始まり、ダウドはアーノルドの才能を見出す。が、演奏の失敗、先生と生徒の対立、教室の火災など問題が起きるが、保護者達の協力で新たな場所を得て練習に打ち込む。目標は、フィルハーモニー・ド・パリというホールで、リムスキー=コルサコフの「シェエラザード」を演奏する事だ。演奏当日、ひとつのアンサンブルとして結束した彼等はスタンディングオベーションを受け、全員が笑顔になるのだった。
実際に行われている子供の為の音楽教育プログラム「デモス」に想を得て映画化した、監督と脚本のラシド・ハミアルジェリア出身で、この生徒達と同じ様な環境で育ったという。子供達にとっての音楽の意味を本当に理解しているに違いない。実は、ハミ監督は先日のフジロックに来た程の音楽好きだが、気に入ったアクトは誰だったのか聞きたい所だ。ところで、映画の最後に流れるのが「フリーダム」という曲(ウッドストックでリッチー・ヘブンスが歌った事で有名)なのだが、これがハミ監督の一番のメッセージではないだろうか。

フジカワPAPA-Q★★★★.5

Information:

オーケストラ・クラス
監督:ラシド・ハミ
脚本:ラシド・ハミ&ギィ・ローラン
出演:カド・メラッド/サミール・ゲスミ
上映時間:102分
配給:ブロードメディア・スタジオ

8月18日(土)、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国順次公開 

www.orchestra-class.com