読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

REALTOKYO CINEMA

リアルトウキョウシネマです。映画に関するインタビュー、レポート、作品レビュー等をお届けします。

Review 019 & Report 004 『タレンタイム〜優しい歌』、アディバ・ヌールさん来日スペシャルトークショーレポ

f:id:realtokyocinema:20170326193029j:plain

 (C)Primeworks Studios Sdn Bhd

監督:ヤスミン・アフマド
出演:パメラ・チョン、マヘシュ・ジュガル、モハマド・シャフィー・ナスウィ
2009年/マレーシア/120分/配給:ムヴィオラ

いまこの瞬間(とき)を待っていた、アフマド・ヤスミン監督の遺作公開

タレンタイム~優しい歌(以下、タレンタイム)』は2009年に51歳で急逝したヤスミン・アフマド監督の同年公開された遺作である。日本では映画祭などでの上映はあったものの、本格公開まで8年の歳月がかかった。しかしいまこの瞬間(とき)を待っていたかのような絶妙なタイミングに感じる人は多いのではないだろうか。いまほど世界中で多様性への寛容を真剣に問われることはなかったかもしれない。そう考えるとヤスミン監督は冷静に未来を見つめていたクリエイターだった。マレー系、中華系、インド系、先住民族が共棲し、それぞれがそれぞれの宗教を信仰し、多くの言語が話される国、そんな多様な環境にあるマレーシアに存在する様々な壁を越えることを予測していた。自身の体験を元にしたごく近距離の人間関係を描くストーリーの中で、ことさら強く押しつけることなく、観る人々にも気づきのきっかけをさりげなくもたらす。ヤスミン監督自身も祖母は日本人、またパートナーも中華系という多様さに囲まれていた。次回作の『ワスレナグサ』は祖母をモデルに構想されていたというからなんとも惜しまれる。

『タレンタイム』は、高校を舞台に、”タレンタイム”(日本でいうと文化祭だろうか)という、タレントを競い合う音楽コンクールに挑む学生たちの葛藤や悩みが描かれる群像劇、それぞれの登場人物の背景を丁寧に描く中で、宗教、民族の違いによって起こる問題(たとえば異なる宗教、異なる民族間の恋愛)などが繊細に織り込まれる。女子学生ムルーの家族は特にヤスミン監督の家庭がモデルといわれ、進歩的な考えを持つ両親や、中国系のメイドが描かれている。おもしろいなと思ったのは、練習で遅くなる女子学生を家に送り届ける男子学生が選ばれ、「タレンタイムの送迎役」という役割を授かる。そこから出会いや誤解、恋が生まれたり、可愛らしいシチュエーションの発端になる。おそらく、レディファーストのような西洋的な教育の一環であり、女性を守るという習慣や精神を育てていて、やや日本では馴染みの薄いユニークな役割を知る。アフマド監督のストーリーテリングの巧みさで、観ているうちにはっとするようなたくさんの小さな気づきを大切にしている。ムルーとマヘシュの恋の行方、やや対立関係にあった中国系学生のカーホウとマレー系のハフィズのエンディングの演出もたまらない。ピート・テオの音楽も琴線に触れる。ヤスミン自身も音楽一家に育ったのだそうだ。とにかく観ながらたくさんの小さな発見をすることはヤスミン作品の醍醐味だ。

◆ヤスミン作品に欠かせない女優アディバ・ヌールさん来日

こうして思い浮かべるとヤスミン監督の作品はどれも「真心」がこもっている。その現場とはどんなだったのだろうか。ヤスミン監督6作品のうち4作品に出演し、『タレンタイム』ではアディバ先生役で出演した歌手でもあるアディバ・ヌールさんが初来日してトークショーを行い、貴重なヤスミン監督との思い出や作品の魅力を語ってくれた。

f:id:realtokyocinema:20170326193111j:plain

京都大学山本博之教授、ムヴィオラ武井みゆきさん、アディバ・ヌールさん(イメージ・フォーラムにて)

アディバさんが女優になったきっかけは、英語教師をしていた1994年頃にカラオケにはまり、毎日のように”放課後”に通っていた。彼女の歌を友人が録音しコンクールに送ったところ、とあるマレーシアの大きな大会で優勝。それが彼女のターニングポイントになった。変わった経歴の歌手が生まれたというので注目され、CMに声の出演が決まり、その現場で、当時、広告代理店レオ・バーネットのエクゼクティブディレクターだったヤスミンに初めて出会った。そんな役職にも関わらずまったく威張ることのなかったと初対面の印象を語った。さらにサッカーW杯キャンペーンCMに今度は顔の出演を果たし、その後、いよいよ映画出演をオファーされたのだと。1本目の『細い目』では、カクヤム(ヤム姉さんの意味)というヤスミン監督の実家にいたクイーンのように君臨していた実在のメイドの役で、「私のような太った外見のような人を起用することはマレーシアではあまりなかったのですが、ヤスミン監督の意図は、愛情、敬意を持って人に接すること、使用人だからといって奴隷のように扱うことはしない、お互い人間なのだから、という思いが込められていた」と語った。ヤスミン監督はマレーシアの慣習、常識、バリアを打ち破るような映画作りをしたが、そのようなヤスミンの強さについてアディバさんは、ヤスミン監督の実のお父さん(映画ではアタンという名で呼ばれる)が下敷きになっているのだと明かした。さらにヤスミン作品常連俳優ハリス・イスカンダルについて、スタンダップコメディアンとして活躍していて、フィンランドで行われた「世界でいちばんおもしろい男コンテスト」に優勝したというエピソードも教えてくれた。また撮影監督キョン・ロウについては、「プロデューサーのローズ・カシムになぜいつも撮影はキョンなのかと質問したところ、CM作品の時からずっと彼がカメラを回していて、その理由は、どんな汚いもの、例えばドブを映すときも美しく撮るから、ということで、私もそのとおりだと思う」と付け加えた。

◆ストレスフリー、ハピネス溢れる現場

ヤスミン組の現場については、「いつもハピネスが溢れていて、それは1本目の『細い目』の時にとくに感じ、監督がやろうとしていることを信じてついていこうと思いました。発想の転換、通常であればありえない、人種、宗教、背景の異なるふたりが結ばれるという画期的な作品を作った監督。ヤスミン自身がコメディアン的な人柄を持ち、また心理学を学んでいたので人の気持ちを引き出すのがとても上手。ひとりひとりの人生の話を聞き出してそれを反映しようとしていた。私の感じる限りストレスのない現場だった。そしていまマレーシアでまさに必要とされていると感じた。”バラナ(出産)”と私は呼んでいますが、ひとつのことから小さい出産が起きるのです。つまり監督は多くのアイディアが浮かんでしまい、それを入れ込もうとして、機材のレンタル期限とかあるのでクルーには少しストレスがかかっていたかもしれません。でもそれ以外はまったくストレスを感じる現場ではありませんでした。」現在のマレーシアについては、「自分と違う宗教、人種のお祝い事を一緒にお祝いしたいという国民性があると思います。ごく一部の偏狭な考えを持つ人や、現在の首相に問題があって分断が進んでしまったということもあるが、それとは逆に、異なる人種、異なる宗教の間の結婚も増えています。何か人種のことで問題発言をしたりするとネットですぐに叩かれるという現象からもわかるように、異人種、異宗教のことを描くのはタブーではなくなってきている」と。

◆”ヤスミン的”の先走り感

ヤスミン作品に造詣の深い京都大学山本博之教授は、マレーシア社会とヤスミン作品との関係性について、「物語風に作られたCMについて批判を受けたこともあり、その結果、セリフなしのCMにするという規制ができたりもした。また映画では、ヤスミン以降、多民族性を前面に出す作品は増え、人気がでるようになった。しかし実際は、ヤスミン監督が作ろうとした”多民族で壁を乗り越える”というようなものではなく、複数の民族の登場人物を出して”ヤスミン的”と呼ばれることが最近は流行っている」と解説した。

◆I just wanted to tell the story

アディバさんは、制作者としてのヤスミンについて、ビジュアル的に創造性に欠けるなどと批評を受けたことがあるが、そのときヤスミンは「I just wanted to tell the story」と答えた。ヤスミン作品は実際の人生が投影された、真摯で正直な作品。だからこそ心に訴えかける映画だった。いまヤスミンぽいことをやってみるという風潮はあるが、描いているだけで気持ちが置いてけぼりになっている」と語ってくれた。

f:id:realtokyocinema:20170326193215j:plain

 (※このトークショーは2017年3月24日に行われました。)

取材・文:福嶋真砂代

www.moviola.jp

2017年3月25日(土)ロードショー

シアター・イメージフォーラム info

トークイベント》
4/8(土)15:30の回上映後。ゲスト:松江哲明監督(ドキュメンタリー監督)
4/9(日)15:30の回上映後。ゲスト:石坂健治さん(東京国際映画祭「アジアの未来」部門プログラミングディレクター/日本映画大学教授)
※いずれも予告編なし
《ミニライブ》
4/14(金)18:45の回上映後。ゲスト:井手健介さん(ミュージシャン)
※いずれも予告編なし

《割引キャンペーン》
「マレーアジアンクイジーン」でお食事したレシートのご提示でシアター・イメージフォーラムでの『タレンタイム~優しい歌』当日一般料金から200円割引 ※他の割引サービスとの併用不可

タレンタイム〜優しい歌 | シアター・イメージフォーラム

 

Interview 001 小森はるかさん(『息の跡』監督・撮影・編集)

「暮らすうちに、いろんな人の記憶を知り、毎日同じ風景の中にいることで、身体に馴染んできた」

f:id:realtokyocinema:20170318232659j:plain

ドキュメンタリー『息の跡』の監督、小森はるかさんは、キャリーバッグを引っ張り「ネットカフェで寝るのは限界かも」とインタビューの場所に現れた。現在は仙台を拠点としているため、極力節約の東京滞在なのだろう。小柄な彼女がこんなに骨太な作品を生みだす機動力と強さを見たような気がした。2011年東北大震災後、アーティストの瀬尾夏美さんと共にボランティアのために東北を訪れ、翌年にはふたりで引っ越した。岩手県内陸部の住田町に、以前は学生寮だった一室を借りて、アルバイトをしながら陸前高田の「佐藤たね屋」に通い、撮影をした。店主の佐藤貞一さんがいい声で朗々と唱える「ケセンダマシイ」を耳に、小森さんの中にもケセンダマシイの種が育っていたのかもしれない。「歳なんぼだっけ。27、8?」「23」「まだそんなもんか! まるで豆粒だな」「豆粒って…。」そんな佐藤さんと小森さんの飾らないやりとりがたまらない味を出す。記録者として、表現者として、そしてひとりの人間として受け入れられ、過ごした”充実しすぎた日々”のこと、柔らかくも鋭敏な感性でじっくり人間をフォーカスした作品について、率直に語ってくれました。

聞き手:福嶋真砂代

あなたたちの本当の役割はカメラなんでしょ?

ーー撮影のきっかけは、被災者の方から「自分でその場所を見に行くのは辛いので記録してきて下さい」と頼まれたとか?

小森: 2011年3月末にボランティアとして東北に行き、その時は「記録」することは考えずにいました。ボランティアと言っても避難所の物資の仕分けくらいしかできなくて、そんな時、宮古市の避難所のおばあちゃんに「あなたたちの本当の役割はカメラなんでしょ?」と言ってもらえて。カメラは持って行ってたし、自分たちとしてもカメラを回したかった気持ちがどっかにあったと思うんです。だけど人前で取り出すこともできないし、何のためになるかということも全くわからずにいたので、その言葉に自分たちがするべきことを教えてもらいました。他にも東京に住んでいて、被災地には行くことのできない人のかわりにお家を訪ねて、写真やビデオメッセージを撮ってくることもありました。「それならできる」という感じで始まったんです。

ーーそのおばあちゃんを皮切りに人脈が広がって、地域の人たちと交流が生まれたという感じなのでしょうか。

小森:最初は本当に誰も知り合いがいなくて、ボランティアをしながら、東北に住む瀬尾の恩師のご親戚や友人の遠いご親戚の安否を尋ねて、石巻陸前高田や沿岸部を行ったり来たりしてました。地域の人と交流するようになったのは住田町に住むようになってからです。

ーー住んでからは、人との関係性は変わりましたか?

小森:全然違いました。やはり同じ空気の中で、「明日会えなくてもまた会えるかもしれない」という距離感で一緒に暮らしていると、「会わなくても近くにいる」という感じになるんです。小さい町なので少しずつ関係が広がって、自然と知り合う人が増えていきました。あたかも自分たちが町の一員かのように「仮置き」させてもらってた感じです。

ーー瀬尾さんは写真館、小森さんはお蕎麦屋さんでアルバイトをしていたと。どうやって仕事を見つけたのですか?

小森:引っ越してすぐは、ふたりとも震災の記録を残すアーカイブプロジェクトの一環で、記録事業の現地スタッフとして仕事をしていました。その時に出会った写真館の店主の方が消防団の団長さんで、話を聞きに行ったりするうちに、写真館を手伝ってほしいと瀬尾が頼まれ、働くようになりました。でも私は写真の技術がないので、そこには行けないなと思って、しばらく地元のローカルテレビ局でアシスタントの仕事をしてました。ただ、瀬尾は町の中の写真館でどんどん地域の人たちとの関わりが増えて行くのに、自分は逆にちょっと外側の毎日ニュースを作るという場所にいて、こういう関わり方でいいのかと悩み始めました。そんな時に、写真館の店主の方から再開したばかりのお蕎麦屋さんを紹介してもらいました。震災前はお寿司屋さんだったけれど、津波で従業員の方やご家族を亡くされ、ご主人がひとりでもできるようにと始められたお蕎麦屋さんでした。「そこを手伝ったら?」と言われて働くようになったんです。働いている方は親戚の方がほとんどで、その中に自分ひとりがよそ者のアルバイトとしてお手伝いしてるという状況でした。

絶対にカメラを向けられない人がいることを忘れちゃいけない

 ーー小森さんが来てくれて、お店はすごく助かったでしょうね。

小森: むしろ私のほうがお世話になっていました。朝から夜まで、工事関係者のお客さんもとても多いので忙しかったです。撮影している時間よりも、このお店にいる時間のほうがよっぽど長かったと思います。私自身は撮影が本業だけど、そういう仕事をしてる人間が受け入れてもらえるのかという心配もありました。ですが、そのことも理解してくれつつ、一人の人として接してもらい、たくさんのお話を聞かせてもらいました。それがとても嬉しかったし、充実しすぎた日々でした。撮影をすることがすべてではない、絶対にカメラを向けられない人がいることを忘れちゃいけないということも、このお店にいたから持ち続けられたのだと思います。

ーーたね屋さんに「どこで仕事してんの?」って聞かれるシーンがありますね。まさにそのお蕎麦屋さんなのですね。

小森: はい、「かもんで」って答えてます。元々は漢字で「家紋」という寿司屋でしたが、今は蕎麦屋「かもん」になって、町のみなさんもよくご存知のお店です。

f:id:realtokyocinema:20170318174631j:plain

(C) 2016 KASAMA FILM+KOMORI HARUKA

たね屋さんとの出会い

ーーたね屋さんとはどういう感じで出会い、最初の印象はどうでしたか。

小森:たね屋さんに会ったのはお蕎麦屋さんで働くもっと前です。記録事業のスタッフをしていた時に手記集を集めたりもしていたのですが、陸前高田の地元の人に「英語で手記を書いてる人がいるよ」と教えてもらいました。まだ町に知り合いもいない頃で、そんな時にたね屋さんのことを教えてもらって、遊びに…、いや、訪ねて行きました(笑)。佐藤さんは最初からあの調子で、お店のものを見せてくれたり朗読してくれたりしていたんですが、その時お客さんが「それまで辛い状況だったけど、そろそろ何か育てようかな」という感じでお店にいらっしゃいました。佐藤さんがとても優しく対応しているのを見て、「こういう人たちのためにここで種を売り、苗を作っているんだな」と思いました。それが私がお店を訪れた最初の日でしたが、このお店の日常みたいなものを一瞬にして見たような気がして、その日常の細部をちゃんと知りたいなと思うようになりました。

ーー撮っていくうちに小森さんの気持ちの変化はありましたか。

小森:わかるようになったことがたくさんあって、佐藤さんがなぜ手記を外国語で書くのかも、いっぱい理由があるし、わかるというよりも情報が増えていきました。「たね屋」さんに毎回行くたびに何かが変わっているんです。お店も改善されていくし、佐藤さんの手記もどんどん書き直されて、また新しいことを発見したとか、そんなスピードに私は追いつけない、追いつけないというか、凄すぎて毎回驚いていました。追いつきたいという気持ちもありましたが、その全部を記録することが私の役目じゃないなと思いました。そういうのは佐藤さんの手記にすべて書き残されているので、いつか本を読む人のもとへ届いていくと思いました。

ーー「たね屋の解体」は、撮影し始めた時には時期とか見えていたんですか?

小森:見えてないです。ずっとそこにあるとは最初から思っていなかったのですが、解体が近づくことがわかった時に、それを映画の終わりにするのはよくないのではないかと思いました。勝手に映画の中で悲劇的な「終わり」をつくってしまう気がしたんです。山形国際ドキュメンタリー映画祭(2015年)にかけてもらった時は、まだ解体もされていなかったので、解体するシーンで終わりにしようという気持ちはありませんでした。

f:id:realtokyocinema:20170318174425j:plain

(C) 2016 KASAMA FILM+KOMORI HARUKA

たね屋は悲しみの種は売らない、希望の種を見つける

ーー山形の上映の時は「たね屋」はまだあの場所にあって、上映を観たプロデューサーの秦岳志さんが佐藤さんに会いに行かれたと。小森さんも上映後に追加撮影をされたのですね。

小森:去年6月に解体が決まったのですが、劇場公開する話も決まっていて準備を進めている時期でした。記録をする者としては撮りたいと思っていたので、映画に入れるかどうかあまり考えずに撮影に行きました。佐藤さんも解体自体は進めていたんですが、撮影に来るのを待っていてくれました。解体の順番もはっきりと決まっていました。それが映像に写ることも意識されていたと思います。終わり方をしっかり作るというか、終わらせるのも手作りというか、大事なものを最後に抜くことも決めていました。

ーー井戸ですね。 

小森:そうです。それから絵も最後まで残ってたし、ちゃんと順番が決まっていたんです。ひとつずつ、これを捨てるか捨てないか、悩みながら分解していく。最後の最後まで佐藤さんの手作りなんだなと、それを見た時にこの作品に残すべき記録だと思ったんです。私としては覚悟していたよりは辛くなくて、むしろその作業を見ているのがおもしろかったんです。佐藤さんが一人店を作り始めたときはどんなだったのだろうと、一つ一つに凝らした工夫、そこに費やした時間が想像できるようでした。後になって辛さは来るものなんですが、見ている時は「やっぱり佐藤さんだな」と思っていました。

ーーいつも興味を絶やさず、佐藤さんがひとつひとつを”楽しみながら”進むスピリットに、何があっても人間はそうやって生きていくのだということを学んだように思います。

小森:やっぱり「たね屋」という職業だからだと思うんです。ただがんばろうとか、前向きにいきましょうということではなくて、役割として「たね屋」であることが佐藤さんの中でぶれなかった。たね屋は植物を育て、受け渡していく仕事です。震災や津波があっても芽吹いてくる植物たちを佐藤さんは町中探し歩いていました。それを見つけては慰められたと話してくれました。だから前向きでいられると。たね屋は悲しみの種は売らない、希望の種を見つけること。そしてその生き方を見せることが、亡くなった方への供養だとも話してくれました。

f:id:realtokyocinema:20170318180952j:plain

 ーー手記を慣れない外国語で書くこと自体驚きですが、曖昧さや感情的になることを避けるために英語で論理的に書くとおっしゃってたことや、そうすることで世界のどこかに記録を残したいという「たね屋」的発想も凄いです。

小森:書くうちに外国語で書く理由が増えていったり、変化していったものもあると思います。震災前に佐藤さんは英会話教室に通っていて、その教室の先生や生徒さんが津波で亡くなっているんです。その先生の最後の授業はニュージーランド地震を題材にした授業だったらしいんです。その先生たちのことを思って英語で書く、というのも佐藤さんにとっては大事な理由だったと思います。

ーー佐藤さんのそういう過去の話なども聞かれていたんですね。どれくらいの間隔でたね屋さんに通っていたんですか?

小森:月に1、2回という感じです。お店には仕事帰りとかにちょくちょく顔を出していましたが、撮影に行くのはそのくらいの頻度でした。

ーー撮影は開店前や閉店後だったとか、何かとり決めをされたんですか。

小森:お客さんもいらっしゃるので、できるだけお店の邪魔になるようなことはしたくなかったんです。営業時間はお店の手伝いをすることもありました。撮っている時はまだ何になるとかわからなかったけど、とにかく通うと決めて月に1回くらいは撮りたいと思っていました。他の人も撮影していたのですが、いちばん続けることができたのがたね屋さんの撮影だったんです。

 映画にするというのは手放すことなんだとも知りました

ーー『波のした、土のうえ』(2014年、瀬尾夏美との共同制作)では出演した被災者ご本人が味のあるナレーションをされていました。『息の跡』はナレーションはなくて、小森さんが時々登場して相づちを打ったりしてますね。聞いたところでは山形バージョンには小森さんはあまり登場していなくて、完成版には小森さんがかなり登場するようになったのですね。

小森:山形上映の時も「作品」ではあったのですが、まだ「記録」という意識だったのかなと思います。事象が時系列で並び、佐藤さんしか映っていないような作品でした。佐藤さんの孤高な姿が、サスペンス感があって映画としておもしろいという感想をいただいて、むしろそういう感想しかなかったんです。一方で、私は「映画」として作品が見られると思っていなかったので、そう見られることにびっくりしたのですが、佐藤さんが「独り」であることとか、特別な存在のように映ってしまうのは事実とは違うし、佐藤さんと外の人たちとの関係を、私自身がそこまで踏み込んで撮影ができていなかったわけで、そのような作品のまま一人歩きしてしまうのは違うなと思ったんです。再編集に加わってくれた秦さんにそれを話したら、秦さんは私がしゃべっているシーンを素材の中から見つけてきました。

ーーたね屋さんが小森さんと交わす「将来どうするの?」みたいなやりとりも、ふたりの柔らかい関係性がよくわかる好きなシーンでした。

小森:けっこう撮影中もしゃべってしまっていましたが、表に出すつもりで意識して話してたわけじゃなかったんですよね。私が登場人物になることは最初は嫌だったんですが、佐藤さんを独りにしないほうがいいということもあり、編集途中で見てくれた人からも、こういうやりとりがあった方が面白いという意見が多かったので、最終的に残すことにしました。

ーー改訂版は自分の思っていない方向になっていった?

小森:混ざっていますね。うまい具合に混ざっていてそれがおもしろいと思いました。いわゆる”自分の作品”みたいなものにならなくてよかったなと。そういう作業がもうすでに編集していた作品でできるんだなと発見しましたし、映画にするというのは手放すことなんだとも知りました。自分の手だけでは手放せなかったと思います。

f:id:realtokyocinema:20170318175413j:plain

◆いちばん難しかったのは、何かを作る者であるとか、”よそ者”であることを見失わないようにすることだった

ーーお祭りや雪の中の獅子舞のシーンが美しく幻想的でした。山形バージョンにも入っていたシーンですか。

小森:お祭りのシーンは最初からありましたが、獅子舞は私が入れたいと言って、秦さんが編集してくれました。元々私は抽象的なものばかり作っていたんです。でもそれを陸前高田でやりたいという思いはなかったんです。だけど、カメラを回しているとどうしても撮ってしまう画がありました。でも記録としてどこか形に残しておきたい気持ちもあって、その素材が活きるように秦さんが構成から組み直してくれました。

ーー感じるのは、小森さんが陸前高田に行って、そこで見たものを記録するという「記録者」という役割と、何かを作りたい、表現したいというクリエイターとして欲求との狭間で葛藤があったり、辛かったりしたのではと。

小森:自分が持っている表現の方法と、記録したいという意志が合致するのだろうかという葛藤はしばらくありました。最初は合致しなかったと思うんですが、撮りたいものが明確になってきてからは、だんだん近づいてきて、今はそういった葛藤はなくなりました。

ーーその場所に住んで、いろんなことを感じたり、時間が経過して、自分の中で近づいたのでしょうか。

小森:そうだと思います。まず「記録」が自分にとって一番の軸なのだと自覚しました。でも記録をするのにも、ただ撮ればいいわけではなくて、記録したいと思う瞬間に立ち会えるような身の置き方を考えなくちゃいけない。どう進んでいくのかわからない現実を前にして、身体を動かせるように四苦八苦しながら、最初はガタガタのカメラワークでした。それが暮らすうちに、いろんな人の記憶を知り、毎日同じ風景の中にいることで、身体に馴染んできたものがあるんだと思います。自分が撮りたい画でもなく、ぶっきらぼうなカメラでもなく、その場の空気に撮らされてしまうような撮影ができるようになっていった実感がありました。それは私が震災前からカメラを持ちながら実感してきた撮る喜びと通じています。どうしたら伝えられるのか、その都度、その都度考えると、撮影の方法も編集の方法も、いままで「表現」でやってきたことと交差するんだなと思いました。いちばん難しかったのは、何かを作る者であるとか、”よそ者”であることを見失わないようにすることだったと思います。瀬尾とふたりでいたからこそ、見失わずにいれたんだと思います。

ーー瀬尾さんの存在は大きいのですね。

小森:彼女は頭の回転も速くて、次にどうしたらいいかという勘が鋭くて、道を開いていってくれます。自分たちがなぜここにいるのかということも常に言語化していて、それに私は助けられていると思います。私ひとりだったらたぶんわからなくなってしまうと思うんですが。瀬尾がふたりの活動の軸を考えて、私は事務担当みたいな役割分担ができて、ふたりだけど組織みたいな感じです。

f:id:realtokyocinema:20170318175625j:plain

(C) 2016 KASAMA FILM+KOMORI HARUKA

ーー瀬尾さんの『息の跡』への関わりは?

小森:「息の跡」は直接制作に瀬尾が関わっているわけではないのですが、瀬尾自身は佐藤さんのことを一人称語りで書いた文章の作品を作っています。普段から、一緒に作品制作するのではなくて、同じものを見て聞いて、そこからそれぞれが作ったものを最後に合わせるというような表現なんです。そういう意味ではいつもと変わらないといいますか、全く関わりがないわけではないと思います。

ーーこれからもふたりで活動して行こうと?

小森:それはしばらく続けていきたいと思っています。ユニットという形ですけど、基本的には個人で、「小森はるか+瀬尾夏美」という名前で活動しています。それぞれの視点で見つめていくものがあると思いますが、重なったり離れたりしながら、二つの視点があることが大切だと思っています。様々な人とも協働しながら、表現の方法を柔軟にしていけたらと考えています。

 このインタビューは2017211日に行われました)

プロフィールこもりはるか/1989静岡県生まれ。映像作家。映画美学校12期フィクション初等科修了。東京芸術大学美術学部先端芸術表現科卒業、同大学院修士課程修了。20113月にボランティアとして東北沿岸地域を訪れたことをきっかけに、画家で作家の瀬尾夏美と共にアートユニット「小森はるか+瀬尾夏美」での活動を開始。翌2012年、岩手県陸前高田市に拠点を移し、風景と人びとのことばの記録をテーマに制作を続ける。2015年、仙台に拠点を移し、東北で活動する仲間とともに記録を受け渡すための表現をつくる組織「一般社団法人NOOK」を設立。主な展覧会などに「3.11とアーティスト|進行形の記録(水戸芸術館)」、「Art action UK レジデンシープログラム(HUSK Gallery/ロンドン)」、「記録と想起  イメージの家を歩く(せんだいメディアテーク)」「あたらしい地面/地底のうたを聴く(ギャラリー・ハシモト)」等。現在は自主企画の展覧会「波のした、土のうえ」、「遠い火|山の終戦」を全国各地に巡回中。共著に「論集 蓮實重彦」(工藤庸子 編、羽鳥書房 刊)。本作『息の跡』が劇場長編映画デビュー作となる。

インフォメーション:

『息の跡』

http://ikinoato.com/

監督・撮影・編集:小森はるか
出演:佐藤貞一

2016/93/HD/16:9/日本/ドキュメンタリー

配給・宣伝:東風

2017年2月18日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次ロードショー

realtokyocinema.hatenadiary.com

Review 018『息の跡』

f:id:realtokyocinema:20170304190142j:plain

(C) 2016 KASAMA FILM+KOMORI HARUKA

監督・撮影・編集:小森はるか
出演:佐藤貞一
2016年/93分/HD/16:9/日本/ドキュメンタリー

ポレポレ東中野、2週間の上映期間延長が決定

弱冠23歳、「豆粒」と呼ばれた監督の骨太な劇場長編デビュー作

これは「たね屋」の物語、いや、種や苗を売る佐藤貞一さんを2年間追いかけたドキュメンタリーである。でもふつうのたね屋と違うのは、陸前高田の沿岸に建ち、2011年3月11日、津波によって一度はすべてがなくなり、佐藤さんがいちから手作りで、元の店の場所に再建したたね屋だということだ。缶詰の缶で井戸を掘り、プレハブを建て、壁に絵を描き、ほかにもお菓子の箱をリサイクルして苗のプランターをちゃちゃっと作ったり、見回すとそこここに佐藤さんのDIY作品を発見する。もうひとつ、ふつうのたね屋と違うのは、佐藤さんの副業ともいうべき津波体験の手記執筆活動。しかも外国語で書いている。「書いてる」というのはいまも(おそらく)更新中ではないかと。少なくとも小森監督が撮影していた期間は、毎日のように更新されていたそうだ。そしてその手記こそ小森さんが佐藤さんに出会ったきっかけだった。記録事業のスタッフとして仕事をしていた頃、「英語で手記を書いている人がいるよ」と教えてもらい、訪ねたのだそうだ。その初日、あるお客さんが「これまで辛かったけど、そろそろ何か育てようかと思って」と店に来て、佐藤さんがとても優しく対応しているのを見て、「こういう人たちのために種をつくっているんだな」とお店の事情が一瞬にして見えた気がして、もっと知りたいと佐藤さんとたね屋を撮影したいと思ったのだ。

インタビューで小森さんにお会いしてみると、小柄で愛らしいルックスは儚げでもあり、こんな小さな小森さんが映画を、しかも現地に移住までして、その町で仕事を探し(そば屋でアルバイト)生計を立て、地元の人たちと交流し、撮影をするという、スーパーな根性の持ち主であることに驚く。映画の中で、佐藤さんと小森さんが交わす会話がまた微笑ましくて、「歳なんぼだっけ。27、8か?」「23」「まだそんなもんか!まるで豆粒だな」「豆粒っ」というところ何度も見たくなる。他のシーンの会話を聞いても、佐藤さんと小森さんの関係がとても自然で、被災者を取材する撮影者などというものではなく、素敵な関係性がうかがえる。そういう関係を築いたのも、小森さんのさりげなくも、繊細な繊細な心遣いの積み重ねがあったのは間違いないだろう。コミュニケーション力の高さとも言える。そんな小森さんは柔らかくて優しいだけじゃなく、記録者であることと表現者としての欲求との間で悩むクリエイターであり、やり通す芯の強さを備えている。

映画は佐藤さん(たね屋)だけを追いかけていながら、陸前高田の変化する姿、移ろう四季の表情、人々の息遣いをしっかり捉えて伝えている。そしてその伝え方はドキッとするほどアートだ。ドキュメンタリーなのだが、描かれるストーリーはスリリングで、映像の美しさに導かれ、音づかいにもハッとする。佐藤さんの声もよく響く。さらにひとつ、ふつうのたね屋との決定的な違いがある。それはかさ上げ工事によって解体される運命にあるということだ。その終わり方もまた見事だ。「最後の最後まで佐藤さんの手作りで終わらせた」と小森さんが語る、その解体作業を小森さんはしっかりカメラにおさめ、「佐藤さんらしい」と思っていたと言う。もうこのラストは、佐藤さんと小森さんの、過激な言い方かもしれないが、共犯的作業になっている。佐藤さんの神聖な儀式を小森さんは阿吽の呼吸で撮っているようだ。佐藤さんの手記『The Seed of Hope in the Heart』が、変わりゆく陸前高田の町の風景と一緒に文字で流れる映画の終わり方もかっこいい。6年目の3.11がくる。たね屋さんが育てて撒いた「希望のたね」が、過去から未来へと息の跡をつなげていくことを祈りつつ。(福嶋真砂代★★★★)

f:id:realtokyocinema:20170304190034j:plain

(C) 2016 KASAMA FILM+KOMORI HARUKA 

映画『息の跡』公式サイト

www.lets-talk.or.jp

広告を非表示にする

Review 017 映画『untitled』at 「めぐりあいJAXA」

ムーンダイバー 〜Walking in the Seabed〜

「めぐりあいJAXA」非演出的衛星画像観望会

f:id:realtokyocinema:20170226195037j:plain

地球観測衛星「だいち」が地球を眺める、その眼を感じる実験映画

春の気配が近づいてきた2月25日、満員のせんがわ劇場で行われた「めぐりあいJAXA」で上映されたuntitled映画(あえて映画と呼んでみる)をみた体験を振り返る。あれはもしかしたらオーディエンスを巻き込んだひとつの大きな映画実験場だったのかもしれないとも思う。企画者の 澤 隆志さんが「観望しましょう」と呼び掛け、約30分間、地球をただただ静かに眺め渡す「地球観望会」がはじまった。音も音楽もない完全な静寂の中でオーディエンスはそれぞれ、大きなスクリーンに映された映像作家五島一浩さんによる地球映像をじっと見つめる。「あ、これはどこの上空? 日本? 外国? 川? 海? 波? 山? 雲? また雲?」そう自分に問いつつだいちと一緒に浮遊する、だんだん内側に潜り込む内観さえ始まるような時間になっていたかもしれない。なんだか禅の世界のような、はたまたマインドフルネスっぽいような、不思議な広がりを持つ時間と空間を共有してた。その昔、リュミエール兄弟が定点観測+長回しによってこの世界のいつもの営みをフレームのなかに捉えて、外の世界を「映画」として映したとすれば、日本の地球観測衛星「だいち」の巨大精密カメラは、地球の毎日の営みをじーっと定点観測し(というか1日14〜15回も地球を周って撮ってる)深い内なる世界を覗かせてくれるのかもしれない。そうやってだいちが地球に律儀に送り続ける途方もないデータ量、さらにそれらを受け取り日夜解析分析する人々の仕事をリスペクトしながら、その果実を研究者や科学者の独占物としないで、もっともっとありがたく感受する、そんな機会があってもいいのではないか。それはアートの世界ともっと融合してもいいのではないか。そんなことも思いつつ体験した「だいちの仕事を愛でる会」、はたまた「だいちの気持ちになる会」とも言える観望体験。「宇宙」といえばつい見上げるものだと思っているけど、こうやって「地球を見下ろす」こともまた宇宙なんだと、まだ生まれたばかりでよくわからないけど、宇宙利用のまったく新しい領域を発見、認識したようにも思う。

あとで教えてもらったところによると、我々が映画で旅したのはドイツ、バングラデシュ、八郎潟と北海道の知床(尾岱沼)、大西洋アルゼンチン沖とわかりました。上映前になんの解説も与えられなかったのは、できるだけフリーに衛星画像の迫力を感じてもらうという意図が隠れているとか。

f:id:realtokyocinema:20170226195035j:plain

 

Review 016『サクロモンテの丘〜ロマの洞窟フラメンコ』

f:id:realtokyocinema:20170214181841j:plain

監督:チュス・グティエレス/スペイン/2014年/94分

2017年2月18日(土)より有楽町スバル座アップリンク渋谷ほか全国順次公開

洞窟フラメンコを知る、教科書的で質の高い「芸術」ドキュメンタリー

このドキュメンタリーの魅力は、なんと29名もの老若男女アーティストたちがその素晴らしいフラメンコの才能を次から次へと、洞窟住居のリビングのような部屋で披露してくれること。サクロモンテ案内役のクーロ・アルバイシンを始め、クーロとユニットを組んできたラ・モーナ、ラ・ポロナ、ライムンド・エレディア、ニーニョ・デ・オスナ等々洞窟出身のスター達が大集合する。グラナダ出身のチュス・グティエレス監督が12歳の時、両親の家のパーティで踊るクーロ・アルバイシンと出会い、また20年後に再会したことでサクロモンテについての映画を撮るべきだと確信した。サクロモンテの丘に住むロマ(ヒターノ)の歴史、洞窟生活の様子、歌や踊りを見せるタブラオの始まりと発展、フラメンコの世界的発展、戦中戦後、そして1963年の洪水の惨劇とそれ以降の洞窟生活者たちの動向を、アーティストたちへのインタビューとパフォーマンスによってゆっくりとたどる。すでに1963年以前の洞窟の暮らしを語る人が少なくなっていく現在において、この映画は洞窟で生まれたフラメンコのルーツ的な記録を残す貴重な貴重な仕事だ。インタビューの話の内容を想起させる多くの古い映像のインサートで、貧しく厳しい時代、それでも力を合わせて強く生きるヒターノの暮らしぶりが蘇る。フラメンコ(の歌詞)がいかに人々の生活そのもの、上から下まで、実に人間的に、そしてロマンチックに歌われてきたかがよく伝わる。また、フラメンコは、貧しく教育もままならなかった彼らの生活の糧として、大切なファミリービジネスのひとつとして育ってきた。だからこそ、ダンサー(バイラオール、バイラオーラ)の後ろにはギタリスト、カンタオーラ、カンタオール、カスタネットパルマ、ハレオなどずらりと囲むように並ぶ(祖父、祖母、父、母、叔母、叔父、娘、息子、孫・・・)フォーメーションになる、理由がわかったような気がする。それにしても隣近所、おじちゃんもおばちゃんもみんな踊り歌うとプロの技という環境は凄い。冒頭の、クーロとラ・モーナが絶景をバックに舞うシーンは圧巻だ。他にも洞窟住居(博物館?)で披露される華麗なパフォーマンスをたっぷりたっぷり楽しむことができる。教科書的であるとともにかなりの「芸術」として素晴らしいドキュメンタリーだ。再びサクロモンテとその文化、芸術の威力が見直され、輝く時代が来ることを祈る。(福嶋真砂代★★★1/2)

f:id:realtokyocinema:20170218154152j:plain

f:id:realtokyocinema:20170218154218j:plain

 

映画『サクロモンテの丘~ロマの洞窟フラメンコ』公式サイト

Review 015 & Report 004『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』、辛酸なめ子さんトークイベントレポ

 f:id:realtokyocinema:20170212201236j:plain

(C)2015 Twentieth Century Fox Film Corporation, Demolition Movie, LLC and TSG Entertainment Finance LLC. All Rights Reserved.

監督:ジャン=マルク・ヴァレ
出演:ジェイク・ギレンホールナオミ・ワッツクリス・クーパー、ジューダ・ルイス
アメリカ/2015/原題Demolition/101分/配給:ファントムフィルム/PG12
2017年2月18日(土)から全国順次公開

「”やばい、僕、迷子だぞ!”って。それがこの映画さ」

「”やばい、僕、迷子だぞ!”って。それがこの映画さ」と主演のジェイク・ギレンホールが語る。そう、まさにそんな映画だ。ウォール街のエリート銀行マン、デイヴィス(ジェイク・ギレンホール)は突然の事故で妻を亡くす。しかし涙も流れず、悲しくない自分の異常(『永い言い訳』?)に気づいた彼が本当の自分を探す心の旅を、ジャン=マルク・ヴァレ監督が抑制の効いた静かなトーンで描く。妻を亡くした夜、病院の自販機からm&mチョコが出てこないことにクレーム電話を入れたことがきっかけで知り合った顧客サービス係のカレン(ナオミ・ワッツ)とその息子のクリス(ジューダ・クリス)。彼らとの交流でデイヴィスの心の塊が次第に溶けだし、突如として物を壊す「解体作業」を始める......。破壊したり、無邪気に遊ぶことを”年齢的退行”と呼ぶかどうか、大人なのでその行為は退行して見えるが、実は「本来の自分自身を解放する行為」なのではないかと感じる。様々な制約や規制の中、社会人として自制して生きる、あるいは他人の期待に応え続ける。そうやって見えないストレスと闘う現代人は、いつのまにか「本来の自分」から剥離しているのかも。負の感情を沈め続けて沼地となったドロドロの胸の底。それをなるべく見ないように感情を抑えてに生きるなら、ある日爆発してもおかしくはない。もちろん映画なので「解体作業」は誇張されて表現されているが、多かれ少なかれ、みんな「破壊」したい瞬間はある。しかしデイヴィスの破壊は衝動的行為(まあ衝動的に見えますが)というよりも、「組み立て直す」ことを目的とした「解体」だという捉え方。そこにある微妙な違いは後に大きく現れる。破壊してゼロになった後、新たに組み立てるかどうか。遠回りするが、それは大事なことなのだと思う。音楽も色調も全体的に抑制の効いた静かなトーン、少年クリスくんとデイヴィスの年齢差を超えてお互いリスペクトな関係性がとてもよい。(福嶋真砂代★★★1/2)

さて、映画公開前に行われた辛酸なめ子さんのトークイベントの採録を以下掲載します。MCは映画評論家の森直人さん。なめ子さんならではトリビア、自由でユニークな感じ方を楽しく拝聴しました。とりわけ「メモ」についてのなめ子さんの心情がグッときます。

f:id:realtokyocinema:20170212201835p:plain

辛酸なめ子さんと森直人さん@ユーロライブ

見つけたメモは時空を超えたメッセージなのかも

MC:まずはざっくり感想を伺えますか。

辛酸:デイヴィスの壊れ方が詩的で魅力的だと思いました。全体のトーンが抑え気味だったのがよかったですね。例えば妻との(思い出の)走馬灯が短めだったりとか、あとから感動がじわじわくる感じです。

MC:デイヴィスとカレンに肉体関係があるかどうかを気にしていましたね。

辛酸:そうですね。もしかしたらみたいなシーンがあったんですが、こういうタイプの作品だとすぐラブシーンにいっちゃうとか、女の穴は女で埋めるとかそんな感じのが多いですけど、この作品では2人の関係は友だちのような感じで、それがまた詩的だったり繊細さを感じるのだと思います。少年と少女のように年齢退行していきますよね。それが肉体関係がない代わりに美しいシーンになっているのかなと。

MC:いま「退行」という言葉を使われましたけど、前のトークショー精神科医星野概念さんがやはり「退行」という言葉を使って話されていました。辛酸さんもそこがポイントになっていることがおもしろいと思いました。

辛酸:ふたりの年齢ははっきりとはわかりませんが、アラフォーくらいですか。海辺で無邪気に遊んでいて、青春をとりもどしているような感じがありました。

MC:そうやってどんどん癒されるというところはあるのでしょうね。印象に残ったシーンはありますか?

辛酸:妻のジュリアの霊が出てくるところです。

MC:それは断言しちゃいますか(笑)。

辛酸:霊だと思います。監督が霊に詳しい方なのかわからないのですが、霊の出方がありそうな感じで、鏡を見ていると後ろをスッと通るのが映るとか、ふと油断したときにいるみたいな。今夜家に帰って鏡を見たくないと思うほどリアルな恐怖を感じて、怯えるデイヴィスに萌えました。そんなデイヴィスの姿を見て奥さんもやりがいを感じたと思うんです。こんなに怖がってるんだとちょっと嬉しくなってもっといってみようかみたいな。

MC:おもしろい見方だと思います。僕は(妻の登場シーンは)彼の心象風景として受け取ったのですが、それは単なる解釈なので、可視化されているという意味では「霊」でもいいわけですものね。

辛酸:心象風景として撮ったなら、せいぜいが鏡のシーンくらいだったと思うんです。そこはホラーっぽさがあって、まだ亡くなって49日も経っていないし、彷徨っているのかなと。

MC:いま僕は新しい扉を開いたような気がします。

辛酸:あとデイヴィスのバックグラウンドを考えると、大金を動かす金融という過酷な世界で仕事をしていて、そこで人間的な感情が麻痺していたとも思えます。数字や利益ばかりを気にしている生活、富裕層の闇みたいなところも見えましたね。

MC:そういうエリートが壊れていくというところに萌えたところもなめ子さん的にはポイントだったのですね。ジェイク・ギレンホールについてはどうですか? お好きな俳優だと伺ったのですが。

辛酸:イケメンなのかどうかわからないまま、でもずっと見てしまう吸引力がありますし、あとは育ちの良さみたいなものが漂っていて破壊行為をしていても妙に安心できる感じです。彼について調べてみたのですが、父が映画監督で母は脚本家。コロンビア大学を中退して、ギレンホールという苗字は、中世に王族から与えられるような由緒ある名前で、さらにマルーン5のアダム・レビーンと同じセレブ幼稚園に通ったとか。品の良さはそこらへんなのかと。

MC:注目しだしたのはいつぐらいですか。

辛酸:そうですね。テイラースイフトと交際しだした時ですか。

MC:彼も交際歴はセレブらしく豊富にありますよね。

辛酸ナタリー・ポートマンやのキルスティン・ダンストリース・ウィザースプーンなどとの交際がありましたね。男性から見るとどういう俳優ですか?

MC:子役からずっと役者をやってる俳優で、かっこいいとは思うんですけど、エキセントリックな役も多いので、ライアン・ゴズリングとかに比べるとどういう人なのかまだつかめていないところがあります。

辛酸:つかみどころが難しい人なんですね。

MC:そういう意味でもこの作品にすごくハマっているなと思いますね。

辛酸:そうなんです。まゆげが困っているような「困り顔」もいいなと。あとクリス少年がすごく可愛かったですね。

MC:それこそポストジェイクになる感じがしていいですね。ジューダ・ルイスという俳優のようですが、なめ子さんはご存知でしたか。

辛酸:いえ、この映画で初めてみたのですが、フランス人なのかと思って観てました。

大きな音で霊が退散!?

MC:クリスのキャラクターに関してはどうでしたか?

辛酸:危うい感じがデイヴィスと合ったのかと思いました。ドラムのシーンが印象的でしたね。激しくドラムを叩いてデイヴィスがちょっとトランス状態に入ったような感じです。大きな音を出すと霊が離れるらしく、霊が一時的に退散していくというシーンでしたね。

MC:ちょっと待ってください(笑)。ではデイヴィスが破壊行動をしていたのは霊に取り憑かれていたんですかね。

辛酸:破壊行動は自分の心がわからないから、物を分解して自分の内側を知りたいみたいなことだと思うんです。

MC:ドラムのあとのトランス状態では霊から解放されて嬉しくなっていたと。

辛酸:はい、そんな感じですかね。

MC:なめ子さんは誰に感情移入したのでしょう。

辛酸:人間の描き方が深いというか、表面的でないのでどの人もわかるというか、感情移入できる気がしました。

邦題「雨の日は会えない、晴れた日は君を想う」の意味するところ

MC:邦題について少し言及しますと、原題は「Demolition」で、破壊、あるいは打破という意味になるのですが、「雨の日は会えない、晴れた日は君を想う」というのは、車のシーンに出てくる付箋にあるフレーズなんですね。字幕では違う言葉になっていたのですが、亡き奥さんが生前にデイヴィスにあてたメモで、それを後になってデイヴィスが発見するという流れでした。邦題ではそれがデイヴィスの言葉に変わっているのですね。つまり「you」と「me」が反転しているわけです。最初にちょっとお話しした精神科医の星野さんは、「この邦題はビフォーアフターで言うとアフターの方、つまりデイヴィスの変化した以降、この作品以降の心情を表しているものとして、邦題のタイトルがぴったりなのではないかという見解でした。

辛酸:そうすると、それを奥さんが予言したみたいな。

MC:結局、奥さんが糸を引いていたみたいなね。邦題に関してはどうですか?

辛酸:すごく素敵な、全体の詩的な雰囲気を表していると思います。「破壊」という感じよりも。

MC:それからギレンホールは17歳のときに解体のアルバイトをしていたらしいですね。

辛酸:だから道具の使い方が慣れてるわけですよね。

MC:某作家さんの意見で、奥さんの付箋のメモは本当にダンナさんに宛に書いたものなのかという疑惑がありました。そのあたりはどうでしょう。

辛酸:でも、自宅の車に不倫相手が乗りますかという疑問もあるんですけど。ストーリー的には夫宛だと思いたいですね。

MC:そんなふうに想像がいろいろ働いてしまう映画だと思います。なめ子さんとしては、この主人公のように大切なものを急に失ったとき、どうされていますか。

辛酸:さっき話していた「付箋」のようなことで言うと、自分の母が亡くなったあとに母が書いたメモが出てきて、それは最近くれた手紙のような気がして。時空を超えるというか。時間を超えて今に向けたメッセージなのかなと感じますね。

MC:そうですね。タイムラグもあるので奥さんの意図とは違うのだけど、自分の今に働きかけてくるメッセージとして解釈できますよね。最後に、「人生は単純に勝ち負けや幸不幸ではないと思えてきました」とコメントを書かれていましたが、それについてひと言いただけたら。

辛酸:自分の書いたものを忘れてしまったのですが、こういう勝ち組っぽい夫婦に起こった出来事なので、そういう価値観を超えた想いを抱いたのかもしれません。あとはニホンザルの毛づくろいのシーンがインサートされていたのですが、それを見て夫婦の理想の姿なのかと思ったんです。

(※このイベントは2017年1月19日に行われました)

ame-hare-movie.jp

わたしに会うまでの1600キロ [DVD]

ダラス・バイヤーズクラブ [DVD]

カフェ・ド・フロール─愛が起こした奇跡─ [DVD]

ナイトクローラー [DVD]

ブロークバック・マウンテン [DVD]

Review 014『海は燃えている イタリア最南端の小さな島』

f:id:realtokyocinema:20170209123036j:plain

(C)21Unoproductions_Stemalentertainement_LesFilmsdIci_ArteFranceCinema

監督:ジャンフランコ・ロージ
2016年/イタリア=フランス/114分
配給:ビターズ・エンド
2017年2月11(土・祝)ロードショー

難民が上陸するイタリアの小さな島の日常を見つめる冷静な視線

イタリア最南端のランペドゥーサ島で起きている難民問題を捉えるドキュメンタリー。それにしてもこうやっていま難民問題を描くことをタイムリーと呼ぶにはあまりにも問題は長期化、深刻化するばかりだ。イギリスのEU離脱決定によって大きく揺れ動く難民受け入れと、もっと深刻なのは難民を生み出す中東、アフリカの政治不安と紛争の複雑化。しかしそれらを解決せずには難民・移民問題はまったく前進しない。では彼らが到着する最前線の島の様子はどうか。それまで平和に平穏な日常が流れていた地域に難民が押し寄せることでめちゃくちゃになっているのだろうか。ジャンフランコ・ロージ監督はランペドゥーサ島に移り住み、この映画を撮った。移り住んだ理由は、「緊急事態が生じた時のみ島に取材に押し寄せるメディアの習慣を超えることが必要だった」、それによって「移民・難民の波の真のリズムを知った」とインタビューで語っている。同時に「緊急事態」という言葉が無意味であることも、なぜなら「毎日が緊急事態だから」と。「悲劇を本当に感じ取るためには近くにいるだけではダメで、常に隣接している必要がある」という考えのもとに移り住んだ。ここがこの映画の肝なのだと思う。短期間、撮影するためだけに滞在したとしても「お客様」に過ぎない撮影クルーが撮れるものは、表面的、イベント的に限られてしまう。本当の日常とそこに起きていることを捉えるためには住人と一緒に時を共有し、冬を越さなければならない。それをロージ監督は実行した、あえて言えば撮影者が「当事者」に近くなる異質なドキュメンタリーである。

島に住む12歳の少年サムエレくんの日常は島の自然のなかで遊び、おおらかに過ぎていく。キッチンに流れる島ののどかなラジオから船が遭難したというニュースが流れる。しかし日常は大きく変わることなく過ぎていく。一方、遭難した船の状況に場面が移り、女性や子供が乗船し、ぎっしりいっぱいの難民が上陸する。そんな毎日だ。そのふたつのロケーションに接点はない。ずっとこのまま平行線にストーリーは進む。ドキュメンタリーだが、編集の仕方によりまるでフィクションのように”ストーリー”を感じる。いったいこのふたつの世界が出会うことがあるのだろうか。つまりサムエレくんは島に到着する難民の現実に触れることがあるのだろうか。島でたったひとりのピエトロ・パルトロ医師だけが、その両側にいる。サムエレくんの眼の治療もするし、難民上陸の立会い医師でもあり、難民の様々な困難な状況を目にする......。この淡々とした描き方、ことさら感情的にならず、冷静にこの世界を見守るロージ監督の目を感じる。いま世界は好むと好まないに関わらず、こうなっている。

話はちょっと逸れるが、エルマンノ・オルミ監督の『楽園からの旅人』(2011制作、2013日本公開)では、取り壊されることになった教会堂にアフリカ系の不法移民が救いをもとめて訪れ、段ボールの住居を作って住み着くが、時が来ると次の場所へと旅する(せざるをえない)「通り過ぎていく」人々の様を静かに描いていた。特に場所の特定はないが、おそらくこちらもランペドゥーサ島を舞台にしていたのではないか。そこでも教会の司祭でもないと、不法移民と接することがない。オルミ監督の最後の作品(正確には最後から2番目)でも、やはり、見下ろすというのではなく、冷静で落ち着いた「神の目」を感じたのを思い出した。

福嶋真砂代★★★★

www.bitters.co.jp

入賞・ノミネート

第66回ベルリン国際映画祭 金熊賞(グランプリ)、エキュメニカル審査員賞、アムネスティ・インターナショナル賞、ベルリーナー・モルゲンポスト紙読者審査員賞受賞
本年度アカデミー賞外国語映画賞イタリア代表

REALTOKYO | イベント情報 | 楽園からの旅人