新たな航海に船出した東京国際映画祭
文・福嶋真砂代
第34回東京国際映画祭は、メイン会場を六本木から日比谷・有楽町・銀座エリアへと移転し、プログラミング・ディレクターを交代、部門構成も改変され、新たな船出をした。これからこの航海はどこへ向かうのか、見守りたいと思う。
コシノジュンコ監修のポスタービジュアルは、「風を切って歩いていく女性」の背中が頼もしく、“強い決意”を感じさせる。映画祭のコンセプト、記者会見や開会式で発表された「越境」という言葉。それは「コロナによるコミュニケーションの断絶、男女差別、経済格差、国際紛争などのボーダーを乗り越えていく映画祭」のイメージだと語られた。いまなお様々な制限が続くコロナ禍で、会場では消毒と検温が繰り返され、安全性を優先して粛々と開催された。そうしたなか、オンラインイベントが増え、リモートでゆっくりと映画人たちの熱量や思いにふれることができる機会が増えるのはうれしいことだ。今後(コロナが収束しても)その手法のベースを使えば、観客にとっても、映画への興味、映画祭への参加をより拡大できるきっかけとなるのではないだろうか。たとえどこで足止めされようと、映画は悠々とボーダーを越えていく力を持つと信じている。
苦悩の中で自由を求め闘う中年女性ヴェラを描いた
さて、東京グランプリを受賞した『ヴェラは海の夢を見る』はコソボ・北マケドニア・アルバニア共同作品(この地域からの初エントリーとなる)。コソボのカルトリナ・クラスニチが監督した。主人公は手話通訳者の中年女性で、元判事の夫と暮らし、舞台女優の娘には孫も生まれた。海と銃声という印象に残るファーストシーン。夫の自殺から、実家の売却問題、夫が隠していた闇(ギャンブル癖)が浮かび上がり、ヴェラは窮地に立たされていく。親族からも借金返済を迫られ、脅迫まがいのいやがらせも受ける。いっぽう娘は舞台女優として自信をなくし不安定になる。家族は分裂したまま、ヴェラの心を砕いていくのか…。ある家庭を襲う問題に対して立ち向かう女性をスリリングに描く本作、コソボが独立をかけて戦ったヒストリーからの影響をもちろん感じるが、クラスニチ監督はよりプライベートなスタンスで女性の自律を描いた。オンラインインタビューで「20世紀、女性の変化は大きかった。曾祖母も祖母も読み書きができなかったが、母と私と妹は大学を卒業した。本作では苦悩の中で自由を求め闘う女性のヴェラを描いた」と語る。印象深いのは、ヴェラがどんな困難に直面してもひるまない姿勢と凛とした表情だ。小津安二郎監督を敬愛していると語るクラスニチ監督だが、ヴェラの表情にふと原節子の逆境のなかで凛として生きる女性の強い面影が見えないだろうか...。社会がドラスティックに変わるいっぽうで根強く男性優位社会は残っている。現在も多くの女性がさまざまな局面で闘っている。最近では伊藤詩織さんや赤木雅子さんはじめとする、理不尽な圧力に屈せず闘う女性たちが、「ヴェラ」に重なる。彼女たちを鼓舞する意味でも、本作のグランプリ受賞はうれしい。
この『ヴェラは海の夢を見る』、また審査委員特別賞の『市民』、そして最優秀女優賞 「もうひとりのトム』(筆者未見)の3本の作品をとってみても、まさにコシノジュンコポスターの女性のごとく颯爽と「風を切って歩く女性」を描き、越境して聴こえてくる女性の活躍の頼もしさにガッツポーズをしたくなる作品だった。今回の上映作品における女性監督の比率(男女共同監督作品含む) 26.2% (126本中34本) という統計を見ると、これからますます女性が映画界において活躍できる「のびしろ」として考えることもできる。今後の「のび」をますます期待したい。
以下、TIFF公式サイトから本作関連の記述を抜粋する。
■今年のコンペ部門には、113の国と地域から1533本の応募があり、15作品が正式出品。『ヴェラは海の夢を見る』は、手話通訳を職業としている中年女性のヴェラを主人公にした作品。夫の自殺によって、自らを取り巻く状況が一変したことで、ヴェラは独力で事態を打開しようと決心する。男性中心に回っている世界に挑むヒロインを力強く描いた物語だ。
■審査委員長を務めたイザベル・ユペールは「この映画は、夫を亡くした女性を繊細に描くとともに、男性が作った根深いルールに従わない者を絡めとる“家父長制度”に迫っています」と説明。「監督は、国の歴史の重荷を抱えるヴェラの物語を巧みに舵取りしています。その歴史の重荷は、静かに、狡猾にも、社会を変えようとする者に“暴力”の脅威を与えます。演出、力強い演技、撮影が、自信に満ちた深い形によって、集合的な衝突を生み出していました。この映画は、勇気あるコソボの新世代女性監督によって、素晴らしい作品群の1本に加わりました」と称賛していた。
■また、女性が描かれる作品として『ヴェラは海の夢を見る』『市民』『もうひとりのトム』を例に出したユペール。「これら3作品の主人公たちは、途方もない苦境、腐敗、犯罪、暴力、虐待、ネグレクトに直面します。どの映画でも社会制度、社会全体――人々を抑圧し続ける過去のレガシーを見せています。それでありながら、非常に特徴的なのは、3作品の主人公は“被害者として描かれていない”ということ。ひとりひとりが敵を見極め、対峙できるようになっています。戦いの勝敗に関わらず、3作品は未来に目を向けている。
Information:
Vera Dreams of the Sea[Vera Andrron Detin]
監督:カルトリナ・クラスニチ
キャスト:テウタ・アイディニ・イェゲニ、アルケタ・スラ、アストリッド・カバシ
87分/カラー/アルバニア語/日本語・英語字幕/2021年/コソボ/北マケドニア/アルバニア