REALTOKYO CINEMA

リアルトウキョウシネマです。映画に関するインタビュー、レポート、作品レビュー等をお届けします。

Interview 015 吉開菜央さん(『Shari』監督・出演)

あわよくば、私の吠える声がオホーツク海に届いてほしいと思った

取材・文:福嶋真砂代

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©2020 吉開菜央 photo by Naoki Ishikawa

知床・斜里で撮影した初長編監督映画『Shari』が公開となる吉開菜央さんにインタビューした。ダンサー、振付家、映画監督と幅広い活動をする吉開さんに伺ったのは、斜里での濃厚な経験と撮影時の心境など。以前、恵比寿映像祭(20192月)のトークイベント「ポストドキュメンタリーをめぐって」(桂英史<メディア研究>×諏訪敦彦<映画監督>)を聴講したとき、吉開さんの映像作品を紹介しながら、もし知らない人がいたら米津玄師「Lemon」のMVを見てね、と桂教授は付け加えた。自然体でありながら、観る人の細胞を震わすような、縦横無尽に動き回る肉体の不思議に釘付けになった。“ポストドキュメンタリー”とはいかなるものかよくわからない。でも理論を越えてその可能性と親近感をこの映画に感じる。新しい次元へと進化する映画の未来の匂いがするのだ。(RealTokyoにレビューを書きました。そちらもぜひチェックして下さい。)

身体がギュルギュルになる感じ

ーー『Shari』のポスタービジュアルの赤いやつインパクトが強く、さらに知床と言えば石川直樹さんが撮影するという豪華さ。石川さんと言えば「まれびと」(※1)もやはり想起されます。まずは石川さんとの出会いを伺いたいのですが、斜里町であった<写真ゼロ番地 知床>というプロジェクトに招かれたのですね。

石川さんと私の共通の友人がいて、その友人を経由してよくお話も伺っていたし『ほったまるびより』や『Grand Bouquet』、『静坐社』の展示などを石川さんが観ておもしろいと思って下さったらしいです。わたしも石川さんの個展を観て「すごくよかった」とつぶやいたら、ご本人が私のツイートに気づいてくれたり。そこから石川さんのラジオ番組に招いて下さった、というのがそもそもの出会いです。ラジオでは石川さんの旅の話や、私も旅をして、その土地ならではのエピソードをとりいれて作品を作るのでそんな話とか。お互いに写真と映画にできることって違うけれど、少し似た部分もあるし、それぞれ憧れがある」と言い合うような対談をしました。

ーーなるほど。そして吉開さんは知床を訪れて、しばらく滞在したのですか?

2019年の夏、一週間ほど滞在してシナハン(シナリオハンティング)をしました。斜里の方々とおしゃべりしたり、鹿の屠殺現場を見せてもらったり、漁船に乗ったり。役場の方もがっつり関わってくれたので、普通の観光ではなかなか行けない場所に連れて行ってもらいました。

ーー何かエスみたいな感じですね。

そのときはいろいろ受け止めるのが精一杯で、頭も身体もぐちゃぐちゃで疲労困憊でした。ある日、鹿肉を食べて眠れない夜があって、ただそれはプレッシャーもあり、テーマもいろいろあり、今回は映画を撮ろうと決めていたので、アイデアが渦巻いていました。

ーー「鹿肉を食べて眠れなくなる」という体験が映画のコアにあることがおもしろいです。獣の血が身体の中に入って何かザワザワするみたいな感じだろうかと想像しました。

ある意味、心身両サイドですね。つまり、「映画を撮れるかな」ということがひとつあって、個性豊かなおもしろい方ばかりにお会いして、そのすべてに全力で返しつつ、一緒に作れるという喜びと同時に、皆さんの期待を裏切れない、超えたい、驚かせたいと思うプレッシャーも。それに加えて野生の鹿肉の血が入ってきて、「身体がギュルギュルになる」っていう感じでした。

ーーカオスですね。

カオスでしたね(笑)。なんというか、ずっと覚醒状態でした。

最初に「リズム」が浮かんだ

ーーでもそこで作品の糸口が見つかったのですね。

最初に「リズム」が思い浮かぶ感じです。赤いやつがいて、パンを食べたらキーンと鈴が鳴ってバーンと銃声が響くみたいな感じ。そのあとはまだ思い浮かばなくて。

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©2020 吉開菜央 photo by Naoki Ishikawa

ーーメーメーベーカリーさんが、焼いたパンを赤い風呂敷に包み、それを雪の中に置くと、赤いやつが食べに来るという、可愛らしいストーリーがありましたね。

はい、そのあと撃たれて、雪の上に赤い血のようなものが散る、まで思いついた感じです。

ーー撃たれた。

赤いやつが撃たれたかもしれない、という感じに見せたいと思ってました。

ーー赤いやつのモコモコしたフォルムはいつごろできたのですか?

いつも企画のプレゼンテーションをするとき、紙芝居にナレーションをつけて、こういう映像を撮りたいと提示するのですが、そのときになんとなくヒトガタの、でもそのときはこんなにモコモコしてなくて、もう少しツルツルしていたけど、ヒトガタの赤いものみたいなイメージができてました。

ーー極太羊毛で編んでいってあの「モコモコ」が出来上がったのですね。資料には「鹿の血」が交ざっていると書いてありました。

ちょっと交ざってます。「鹿の生き血をなんとか手に入れて下さい」と役場の三島さんにお願いして、「エゾシカファーム」に協力していただけました。そこでは毎週月曜日に鹿を屠殺していて、その血を500mlだけいただいて。

ーーモコモコには500mlの血が入っている。

メーメーベーカリーの小和田(コワダ)さんが飼っている羊の毛の余っている分を少し染めさせてもらって、それも織り込んでいます、全部ではないのですが。

ーーかなりの大作ですが、これ1体しかないのですか?

はい、あの1体だけです。

ドッキリをやるつもりはなかったが……

ーー子どもたちに追いかけられて毟られるという過酷なシーンがありましたね。

そう、これ(チラシの写真)は、ズタボロにされる前に撮れた「奇跡の一枚」なんです。撮影2日目に子どもたちとの相撲シーンだったので、すぐにボロボロになりました(笑)。

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©2020 吉開菜央 photo by Naoki Ishikawa

ーー子どもたちが真剣に飛びかかってきたときの心境はどんなでしたか?

いや、スゴかったです。じつはボコボコにされるシーンはカットしたのですが、実際には赤いやつは最終的にはボロボロになりました。みんな敵のように見える赤いやつに襲い返してきて。でも中の人は私だとバラすわけにはいかないので、なんとか赤いやつを演じながら、「ウォー」と吠えてみたりいろいろしてました。音楽の松本さんが、私の「ウォー」とか「ハアハア」という声をマイクで聴きながら、痛々しくて「泣いた」って言ってました。ちょっとまわりが心配するレベルだったみたいです。でも私はあとから思い返して、「おもしろい体験だったな」と思ってます。

ーー予期せずに背後の舞台の上から赤いやつが「ウォー」って現れて襲ってくるという恐怖感、ホラーな感じがすごく現れていました。あのシーンはなんとも言えないドキュメンタリー性を感じました。

最初はドッキリにするつもりはなかったんです。「どうやって相撲大会に赤いやつが入ればいいんだろうね」って撮影隊で話し合っているとき、リアルな反応を撮るには、事前に言わずにいきなり撮る、つまり演技ではなく「ドッキリで撮る」しかないのじゃないかとなって。ロケハンで、「ここに舞台があるから、この前で集合写真を撮って、みんなが前を向いているときに後ろから現れるのがいいんじゃない?」というイメージを見つけて、ああいうシーンになった感じです。

ーー今回の撮影チームは、石川直樹さん、松本一哉さん、渡辺直樹さんですね。渡辺さんは、子どもたちのシーンの指導もしてたんですね。

渡辺さんは助監督として全般を見てくれました。相撲シーンだけじゃなくて、毎日の香盤を組んだり、ロケ地との交渉や撮影がうまく運ぶように根回ししたり、渡辺さんがいなかったらきっと撮れなかったと思います。

ーー松本さんが「秘宝館」で突然のインタビューを始めて、そのイレギュラー感というか自由な感じもおもしろかったですが、なにより松本さんの音楽の虜になりました。

松本さんは、凍った湖の上にドラとか楽器を運んでいって、氷の下に水中マイクをさして、氷がピシピシ解ける音とまわりの環境音とセッションしながら演奏する、一発録音するようなシリーズのアルバムを出されてます。だから水とか氷の音のような自然音との共演というか、そのフィールドでは私の知る限り「日本一」だと思う、すごく好きな音楽家さんなんです。『Shari」をやるなら流氷が来るし、松本さんだろうなと思ってお願いしたら、二つ返事で「知床は憧れの土地だったんですよ!」って。撮影の合間には「ちょっと録音してきていいですか?」って個人的な録音をしに行ってました(笑)。彼は『Shari』をきっかけに、継続して斜里で音楽活動をされてます。

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©2020 吉開菜央 photo by Naoki Ishikawa
『内臓のはたらきと子どものこころ』につながる感覚とは

ーーちょっと『Shari』から離れますが、吉開さんの映像を観ていると、解剖学者の三木成夫さんの『内臓のはたらきと子どものこころ』(築地書房)が思い出されます。例えば『ほったまるびより』のお風呂のシーンの、体内の水と海の水の波動が繋がっていて、地球と身体がつながっていると感じるところとかです。

わあ、うれしい! 『ほったまるびより』を撮るときに三木さんの本はすごく読んでいました。ちょうどその頃、田中泯さんのインタビューに同席させてもらって、ぜんぶは理解できなかったけれど、泯さんの言葉に触れると無意識下にはあったけどまだうまく言語化できなかったことに気づかせてくれる感じがありました。「脳みそじゃなくて、内臓か」みたいな、それを「もともと私も感じていたな」とか思ったんです。私はもともとローザス(ベルギーのダンスカンパニー)のダンスが好きで、「かたち、かたち、フォルマリズム!」って思ってたんですが、何かそれだけじゃないなあと探っていたときに、泯さんのお話を聞いて、そのときに三木さんの話がでたかなと思います。皮膚とか内臓に意識が行くようになって、『ほったまるびより』ができたみたいなところはありました。

ーーなるほど! 以前、田中泯さんに(『ウミヒコ ヤマヒコ マイヒコ』のインタビューで)、いちばん伺ったのは、舞っている時に意識はどこにあるのですかということでした。泯さんは「すごく全部見てるよ」と。観客としては、踊りにすごく集中してどこか意識は浮遊しているのかなと思っていたのですが、そうではなくて「現実世界をすごく感じながら舞っています」とおっしゃっていたんです。

その感覚あります。私の場合、カメラや映像や編集機などを媒介にして、いろんなものが自分と繋がりはじめる、意識しはじめる感覚です。言葉にするとすごく飛んだように聞こえるかもしれないですが、「わたしが拡大されていくこと、それが踊りだな」ってすごく感じるようになりました。

ーーそれは「つながる」瞬間がやってくるのか、またはいつもそう感じているのか、徐々にそこに近づいて行く感じか、どういうタイミングなのでしょう。

私の場合は、例えば舞台でパフォーマンスをするときは、いろんなものが見えてるという感じなのですが、でも映像の場合は、1回きりではなくて、構想、撮影、編集、完成、ポスプロと、いろんな段階を経るごとにいろんなものとの混ざり合い、転がる雪玉みたいに「ぐちゃぐちゃぐちゃ」と繋がるものがどんどん膨れあがって来るという感じです。『Shari』の場合は、最終的に63分という短さですが、いままで経験したいろんなことがつぶつぶになって入っちゃってるな、みたいな感じです。

ーーいろんなものが入って、つまり受けとり過ぎて苦しくなることはないですか。

それらが「映像」となって体外に出せているので、そんなに苦しくはなくて、むしろそのつながりを見つけて「出していく」のがおもしろい。客観的に引いてみれば、ボコボコいろんなものをつけちゃって、お客さんは大丈夫かな、ついてこれるかなとは思うんですが……(笑)。

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©2020 吉開菜央 photo by Naoki Ishikawa

「赤いやつ」はちょっと弱くて、身近な存在

ーー「赤いやつ」は、顔が見えないのに、雪景色のなか灯台に寄り掛かるところなど、すごく感情や表情が伝わる気がして、不思議ないきものだなと思いました。「まれびと」のこととか、赤いやつのことについて、石川さんとディスカッションしたのでしょうか。

じつは最初は石川さんの写真集『まれびと』のことは知らなくて、『Shari』を撮りに行く1ヶ月前に『まれびと』(小学館)を知って、すぐに買って読んだら、「これだ、これだ、これはすごくやりたいことだ。でも『まれびと』は土地の歴史やいろんなものが長い時間をかけてこれだけのおぞましい異形ができているのに、私が一朝一夕にこんなのつくりたいと思ってもできそうにないな」と思ったのだけど、石川さんはすごくおもしろがってくれました。「赤いやつ」を町民のみなさんと作っていたら、完成直前に「これ、目を出さないほうがいい」とアドバイスしてくれて、出来上がりを見て「すごくいいね」って言ってくれました。

ーー石川さんの写真集に出てくるまれびとはかなり怖いですね。

すごいですよね、一枚の写真だけでその時の霊気を感じさせるという。

ーーはい、でも「赤いやつ」はかわいい。

というかちょっと弱いんです、身近というか。でもそれも含めて「赤いやつ」かなと。

ーー赤いやつが脱皮するみたいに脱いで「吠える」シーンは圧倒的でした。あの「雄叫び」は気持ちの発露だったのでしょうか。

なんで出たんだろう? なんとなくやらないといけないシーンだなあって撮影をはじめてから思い始めて。最初のうちは渡辺さんにもそのことを、つまり脱いで背中が見えて、ということを伝えていませんでした。あの場所は、じつは石川さんのとっておきの場所なんです。「そこがいいよ」ということになって撮りに行って、「やっぱりわたし裸になりたいですけど」と言って。たぶんみんな「この人は何をやるのかな」と思って見ていて、「あ、脱いで叫んでる」みたいな。なんでそれをしたのか……。これは本当に感覚的なところで、うまく言語化できなくて申し訳ないのですが、「そうするのがしっくりくる、自分のなかでラストとして腑に落ちるな」と撮りながら、「あわよくば、私の吠える声がオホーツク海に届いて流氷が来ればいい」と思ってたんです。でもそんな奇跡は起こらなくて、人ひとりが叫んだところで、世界なんて変わらなくて、むしろその年、流氷は来るのがめちゃくちゃ遅くて、さらに南極では史上最高気温も記録したし、現実はおとぎ話のような、めでたしめでたしのラストにはなっていなくて、むしろ気候変動にまつわる人間の業みたいなものを感じざるを得ないです。

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©2020 吉開菜央 photo by Naoki Ishikawa

ーー「私のせいで、異常気象を呼んでしまったかも。新型コロナウィルスを呼んでしまったかも」と吐露していますね。自分の中に「世界」を内包しているというのか、外在化しないで内在化するような感覚機能がすごくあると想像しました。

いえいえ、そんなことないです。ごくごく普通の感覚しかないですけど、映像をやっていると、何回も同じ映像、同じ音を聴くので、そういうものをキャッチする体質に少しずつなってきたかもしれないです。そこまで私が繊細だとは全く思わないのですが……

ーーそれから「境界線」がよく語られました。空気と水の間とか、意識の境界とか、眠る眠れないの境界線とかをよく意識して生活していますか?

境界を、つまり点と点に行き過ぎてしまう、極端に。間にとどまれない、そんなところがあって。こっちにいたときこっちのことを思い出して(両手を広げて)、こっちに行かなきゃと、その逆もあり、その両極端を行き来する波でなんとか生きてこれた感じがして、それで「時間」ができているという感覚があります。

ーーああ、三木成夫さんの著書にも「すべてには波、周期があり、その波はすでに細胞の原形質のレベルで決まったもの」(『胎児の世界-人類の生命記憶』中公新書)というようなことが書いてありました。極から極へ行くうちに「時間」を作る、ということはそういうことかなと今ふと思いました。

そういう感覚に、映像をやりはじめてから気づくようになりました。映像も時間芸術なのでリズムを作るというか、繰り返しの「波」が出てくるんですね。もともと私がダンスをしていたからそういうものに気を惹かれやすいのもあるのかも。音も空気の「波」でできているし、音楽は繰り返しのフレーズが出てきてメロディができる、波のちからは同じように見えるけど違うことを繰り返しながら続いていく、だから「前に進める」みたいな力があるところは、すごく自分の作品とも結びつくように思います。

ーーなるほど、すごくおもしろいです。ありがとうございました。

1)まれびと=折口信夫が定義した、異界からまれに訪れる神的存在のこと。石川直樹の写真集「まれびと」(小学館)では、秋田の「なまはげ」をはじめ、日本全国「来訪神」にまつわる行事や儀式を丁寧に取材している。(『Shari』プレス資料より)

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@realtokyocinema

Information:

2021年/ビスタ/5.1ch/カラー/日本/63分
監督・出演:吉開菜央/撮影:石川直樹
出演:斜里町の人々、海、山、氷、赤いやつ
助監督:渡辺直樹/音楽:松本一哉/音響:北田雅也/アニメーション:幸洋子
配給・宣伝:ミラクルヴォイス

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