自転車をこぐ良子の背中に自分を重ねていた
文・福嶋真砂代
「まあがんばりましょう」そう言うことで「大丈夫よ」を演じているような主人公の田中良子(尾野真千子)は、中学生の一人息子純平(和田庵)を育てるシングルマザー。元官僚の老人が起こした交通事故でロックミュージシャンの夫の陽一(オダギリジョー)を突然亡くした。事故後、加害者からの誠実な謝罪がないという理由で賠償金を拒否、公営住宅に住みながら仕事を掛け持ちして暮らしている。コロナ禍で生業のカフェを手放した。やむなく選んだ風俗業で出会ったケイ(片山友希)と店長(永瀬正敏)の誠実な温かさ、それに比して、パートの花屋の店長から受ける冷酷な(ありがちな)扱いが情けない。いっぽう純平は上級生に因縁をつけられしつこいいじめを受けていた。担任教師の心無い対応に唖然とする。そんな心折れる日々に偶然再会した同級生の男、熊木に惹かれ、良子は風俗店を辞めると言う。店長は「本当に大丈夫なのか?」と心配するが(いやどっちが大丈夫なんだろうと方向感覚を失うけれど)、現実には思わぬ展開が待っていた……。
石井裕也が脚本、編集、監督をした『茜色に焼かれる』は、2020年8月に撮影され、このコロナ禍の閉塞した空気の毎日に一石を投じる力強い作品になった。困難のなかで懸命に生きるすべての人に元気とエールを送る。ただ励ますと言うより、苦しさの「内訳」を数値的に詳らかにしつつ、世の中の理不尽、それも理不尽の極みのようなあの出来事を含めたあらゆる理不尽への激しい憤りと抗議が秘められていると感じる。
■良子の「強さ」はどこから
それにしても尾野真千子演じる良子の凄味。強さだけではなく、もちろん弱いところも見せるとしても、何が彼女をそこまで世の中に抵抗させ、厳しい選択をさせるのか。筋の通らないことを許さない、へこたれない強さの源流を考えると、まず彼女がもともとロックな芝居をする舞台女優であったという描写があり、彼女の未来もそこに導かれていくという流れがある。亡夫のバンド仲間、あるいは加害者側から、悪魔的な誘惑が忍び寄るが揺るがない。ひとに頼らず生き抜くために飛び込んだ風俗は、ひとえに息子を育てるためではある。だが「まあがんばりましょう」と言い続けても限界がある。7年間、お酒を断って泣き言を言わなかった良子は、ついにすべてを打ち明けられる友を得る。コロナ禍の制限下、飲み話すささやかなひとときが、どんなに人間にとって必要な時間か、それだけで明日も生きようと思う人がどれだけいるだろうか。このあたりも、今回、石井監督の憤りと抗議がさりげないがキッチリ表明されていると感じるところだ。
■存在感を示すオダギリジョーと永瀬正敏
もうひとつ、良子ががんばれる理由は、ほかでもなく事故で亡くした「陽一」の存在だ。陽一の遺伝子が受継がれる純平を守り切ること、それは良子の最大のモチベーションだ、なぜなら純平は陽一の息子だから。その説得力を持たせる、ほんの冒頭の数分しか登場しない(ほとんどがロックな遺影)“オダギリジョー”の存在感をあらためて感じるのだ。あるいはラスト近くに男気を魅せる永瀬正敏。変なたとえだが、辛めのピクルスのようにスパイスが効く。そういう意味では、観た後のひと汗かいたようなサッパリ感、コクのあるカレーのような作品なのかもしれない、まったくの個人的な味わい方ですが.....。
さらにケイ役の片山は最近のドラマ(「探偵☆星鴨」)とまったく違うイメージのギャップサプライズ。まっすぐで繊細、体当たり演技が潔く気持ちいい。また純平役の和田は、オーディション時に声を聴いて石井監督が即決したと完成報告会(下記リンク参照)で明かしたとおり、そのハスキーな声が魅力の逸材だ(変声期のタイミングもミラクル)。
さて、おそらく良子が「まあがんばりましょう」と呪文のように唱えて自分と周りを鼓舞するのは、四面楚歌のような状況でも、とにかく目の前のことをがんばる、それしか前に進む道がないという決心だ。茜色の夕陽に「焼かれる」ほどいのちを燃やして、前にしか進まない自転車を漕ぎ続ける良子の背中に「自分」が重なっていく。ときには怒り、ときには愚痴り、たまには自分をほめて、前へ行く。たとえ意味なんか見つからなくても。
Information:
出演:尾野真千子 和田 庵 片山友希 / オダギリジョー 永瀬正敏
監督・脚本・編集:石井裕也
『茜色に焼かれる』フィルムパートナーズ:朝日新聞社 RIKIプロジェクト
製作幹事:朝日新聞社 制作プロダクション:RIKIプロジェクト
配給:フィルムランド 朝日新聞社 スターサンズ
2021年/日本/144分/カラー/シネマスコープ/5.1ch R-15+
2021年5/21(金)より全国公開