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Review 46(TIFF): 『ムクシン』[4Kデジタル修復版](第33回東京国際映画祭 ワールドフォーカス部門)

どうしたら傷を癒し、許し合い、また共生できるのか

文・福嶋真砂代

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33東京国際映画祭TIFF2020)はコロナ禍で規模を縮小して、タイトな感染防止管理のもとなんとか無事に開催された。そんななか、心温まる伝説の作品、ワールドフォーカス部門にて上映された『ムクシン』を鑑賞した。本作はマレーシアの故ヤスミン・アフマド監督の『細い目』や『タレンタイム~優しい歌』と共に世界中で愛されている代表作のひとつだ。TIFF2006のワールドプレミアから14年後の今年、国際交流基金アジアセンターによる修復の【4Kデジタル修復版】がお披露目された。本編に先だって修復の様子の映像が上映され、撮影監督のロウ・スン・キョンが色調を監修したことが紹介された。(オンラインTIFFトークサロンではキャストのシャリファ・アルヤナ、シャリファ・アレヤがヤスミン監督との思い出や作品への思いを楽しく語ってくれた:下記アーカイブ参照)

マレー系の女の子、オーキッド(シャリファ・アルヤナ)がヒロインとなる「三部作(ほかに『細い目』、『グプラ』)」のひとつの『ムクシン』は、シリーズ中で最年少の10歳のオーキッドが登場。キュンとする小さな恋の物語の背景に、多民族、多言語、多宗教の人々が共生するマレーシア社会の一面を見ることができる。

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 「慈愛あまねき慈悲深きアラーの御名において」とコーランのテロップが出ると、すぐに小学校の作文の授業風景になり、中華系の教師がオーキッドに「君の作文が好きなんだ。もっと書いて」と話しかける。オーキッドの作文の才能が際立っていたのか、先生の単なる贔屓目だったのか不明だが、この伏線がのちのちに効いてくる。続く学校の外廊下シーン。ひとりの男子生徒の鞄をとりあげて少年たちが投げ合う、小さなイジメ事件をオーキッドが目撃する。(校舎の幾何学的でシンメトリーな美しさに目を奪われる。)その後、いじめっ子たちは正義感の強いオーキッドの反撃に合うのだが、示唆的で、スムーズなスタートだ。この映画では、「罪と罰」がさまざまな形で描かれる。(人だけじゃなく、猫とヒヨコのエピソードも)「やられたら、やり返す」、ドラマの半沢直樹じゃないけれど、「人を傷つけたり、反対に傷つけられたら、どうするか」がテーマでもある。やられっぱなしではいけない、かといって、報復がまた報復を呼ぶとしたら、どこかで止めなければならない。どうしたら、円満に、傷を癒し、許し合い、また共生できるのか….。これは世界の縮図のような多民族国家マレーシアの課題であり、また多様化する世界にとっての永遠のテーマである。

さらに冒頭シーンについて言及すると、オーキッドが学校から帰宅すると、父が率いるバンドメンバーたちがセッションをはじめる素敵なシーンがある。メイドのヤム(アディバ・ヌール)さんが本業の(ヌールさんは歌手で俳優である)美声を披露し、やがて亜熱帯特有の激しい雨になる。なんとオーキッドと若い母(シャリファ・アレヤ:アルヤムの実姉)は、その雨のなか、妙なふりの(おそらくアドリブの)ダンスを踊る。洗練された美しいシークエンスの間に愉快なコメディ要素を挟みながら、シリアスなテーマを伝えるヤスミン。そうしてオーキッドの少し荒んだ心がやわらいでいく。

さて、踊る母娘のうしろの道路を一台のタクシーが通り過ぎる。その窓から出した手だけでダンスをする少年の横顔があいまいに映し出される。「ん?」と思わせる。「ダンス?」「手だけで?」「誰なんだろう?」と観客をひきつける。オーキッドの初恋の相手、ムクシンの初登場シーンであり、彼が叔母の家に滞在する夏休みの初日でもあるが、キュッと心を掴むニクい演出である。

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オーキッドとムクシンは急速に仲良くなり、キービジュアルともなっている、自転車の目の覚めるような美しいショット、また木登り好きなオーキッドと樹上デート(ふたりは実にいろんな木に登っている)は楽しく見応えがある。しかし、ムクシンの家庭事情はなかなか深刻なものがあり、オーキッドと一緒にいる時間だけが安らぎだった。そんな折、サッカーの練習試合でつい真剣になり、エキサイトしてしまったムクシンはひどい言葉でオーキッドを傷つけ、突き放してしまう。

後半、沈むオーキッドを慰め元気づけようと、楽しいこと好きな家族があの手この手を使うも効果がない。ある夜、ナット・キング・コール「ヌキテパ」のレコード盤に針が落とされる。(TIFFトークでアレヤがパーフェクトなシーンだと語る)ダンスを踊る父と母、オーキッドも加わり静かに踊る3人の姿をドア越しにそっと見るムクシン。冒頭の明るいダンスシーンとのコントラストがたまらない。「電話を切らないで」と唄うシャンソン。オーキッドとムクシンに繋がれた「運命の糸」が切れそうなのだ…。その象徴アイテムのように凧揚げの凧を登場させるヤスミン。「ああ、凧の糸が切れてしまったらどうしよう」と切なさがつのる。まったく連絡がとれなくなったオーキッドの元にムクシンが届けた凧には、ある(未だ明かされないトップシークレット)メッセージが残される。オーキッドがそれに気づくのはいつなのか。間に合うのか、それとも…?

無邪気だった少女時代が、失恋のほろ苦い味と共に終わろうとしている。同時に、人を信じることがいかに難しいかを経験したオーキッド。夏休みが終わり、先生に褒めてもらった作文にやっと手をつける。一筋縄ではいかない人生、人間関係、恋。そして不条理。壊れやすい気持ちと痛みと癒しを丁寧に描いた『ムクシン』は、これからも色あせず、シューマンの「ドリーミング」にのせてみんなの心に残り続けるだろう。

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ヤスミン・アフマド監督:ムヴィオラ提供

Information:

監督:ヤスミン・アフマド
キャスト:モハマド・シャフィー・ナスウィプ、シャリファ・アルヤナ、シャリファ・アレヤ
101分/カラー/マレー語、英語/日本語・英語字幕/2006年/マレーシア

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