REALTOKYO CINEMA

リアルトウキョウシネマです。映画に関するインタビュー、レポート、作品レビュー等をお届けします。

TIFF Report: 『タイトル、拒絶』(第32回東京国際映画祭 日本映画スプラッシュ部門)Q&A

デリヘル舞台裏を描く、愛と葛藤の群像劇

取材・文:福嶋真砂代

f:id:realtokyocinema:20191214231612j:plain

@DirectorsBox

その言葉とは裏腹に、吸引力バツグンに魅力的なタイトルの本作は、劇団「□字ック」(ロジック)主宰の山田佳奈監督が6年前に舞台のために書き上げた脚本を映画化した、長編監督デビュー作だ。第32回東京国際映画祭 日本映画スプラッシュ部門での上映チケットが10分で完売という注目度の高さ、その熱気はそのまま作品の熱気でもある。舞台はデリヘルの楽屋裏。ままならない世界を生き抜く女たちの世界。若さゆえの強さと弱さ、嫉妬と憧れ、そして人間のしたたかさと儚さ、複雑な感情のもつれを表現する、テンポよく緩急巧みなセリフの掛け合いがみどころ。

主人公カノウにはユニークな存在感の伊藤沙莉、熟女デリヘル嬢の迫力を魅せる片岡礼子、他に恒松祐里佐津川愛美のパンチの効いた熱演も印象的。さらに森田想、モトーラ世理奈、般若、田中俊介BOYS AND MEN)が競演し、ほぼ密室で行われる群像劇は映画『キサラギ』の痛快さを彷彿とさせる。同映画祭でのQAでは映画の熱気冷めやらず、溝口健二監督の『赤線地帯』の話題も上がったり、活発な意見交流が行われ、監督・キャストと会場との一体感は気持ちよいものだった。2020年公開が予定されている。

【作品解説(東京国際映画祭プログラムより抜粋)】雑居ビルの4階に位置するデリヘル。バブルを彷彿とさせるような内装の部屋で、さまざまな女性が肩を寄せ合って客待ちをしている。入店したばかりのカノウはそれを見て、小学生の頃にクラス会でやった「カチカチ山」を思い出す。みんな可愛らしいウサギにばかり夢中になる、嫌われ者のタヌキになんて目もくれないのに...。本作は自身の同名舞台の初映画化にして、長編デビュー作。劇中歌には女王蜂「燃える海」。どうしようもない人生でも生きていかなくちゃいけない女性たちの姿を描く。

f:id:realtokyocinema:20191215000615j:plain

@MasayoFukushima

『タイトル、拒絶』Q&A 

司会:矢田部吉彦プログラミングディレクター
登壇ゲスト:伊藤沙莉田中俊介(BOYS AND MEN)、森田想、山田佳奈監督
場所:TOHO シネマズ六本木ヒルズ
日時:2019.11.4

Q1:勢いある旬の役者さんやこれからの活躍が楽しみな役者さんのキャスティングについて教えて下さい。

山田佳奈監督:まずカノウ役の伊藤沙莉ちゃんがいちばん最初に決まったのですが、私自身、カノウ役にはとてもこだわりがあって、(小学校クラス会で演じた「かちかち山」の)ウサギに憧れるタヌキを背負っていく女性で、うまい言葉かわかりませんが、“イケてない女性”というのをちゃんと背負える女性がいいなと思っていたときに、沙莉ちゃんと出会いました。最初はお互いにシャイだったので、うまくしゃべることもできず、ただただ「好きです、ご一緒できるのがうれしいです」ということを伝えて終わったような気がします。そこから森田想ちゃんや田中俊介くんらが続々と決まりました。キャスティングの妙に関しては、今回プロデューサーが『獣道』や『下衆の愛』の内田英治監督なので、その力もふんだんに借りながら、助けていただいたという感じです。

司会:森田さんがこの役と出会ったときの思いを聞かせていただけますか。

森田想:オーディションというより、面接というほうが近いかもしれませんね。

山田:こころ(森田)ちゃんの名前があがった時に『アイスと雨音』がめっちゃ好きだったという話をして、他にも何名か女優さんの候補をいただいて、ひとりずつ会いたいと言いました。まだこころちゃんの役は決まっていなくて、内田さんは実は「チカ」がいいんじゃないかと言っていて、お葬式をされる子ですね。でもこころちゃんにお会いしたときに彼女の「強さ」はチカじゃないなと思って、人を信じ抜く強さやブレないものを感じたので、見事にはまってくれたなと思っています。

森田:うれしい限りです。監督と初めてお会いしたときにチカ役の台本を読ませていただいて、チカは陰の表現をすることが多いキャラクターで、私も陽より陰の表現のほうが得意だったので、チカでいいと思っていました。でも途中で「キョウコ」を演じてみてくれないかと言われた時に、役柄的にかなり温度の違う役だったので、自分に務まるのかという不安はありました。それでもいざキョウコに決まって、結果的には大好きで、愛すべきキャラクターですし、そういうふうに映画に力添えできたとしたらすごくありがたい役だったと思います。

山田:サンキュー!

司会:伊藤さんは自分が「タヌキ」かどうかというところはすんなりと理解されたのですか、どのように消化して臨んだのでしょうか。

伊藤沙莉すんなりでした。人間・伊藤沙莉は「タヌキ」として生きてきたつもりだったので、カノウに寄り添えるなという考えが大きかったです。端から見ているようで、自分も中に入っていて、「客観と主観がぐちゃぐちゃになって自分変なの」ってなってる感じとか、ちょっと伝わりづらいかもしれませんが(笑)。カノウの立ち位置、目線や考え方は共感ばかりだったので、そこにカノウ独特のぐるぐる回っている日常や、「くだらないな」と思っている感情、ある意味やさぐれ感は私の持っていないもので、そういう考え方も理解できるもので、演じて楽しいだろうなと、脚本を読んだときにカノウを絶対やりたいと思いました。

田中俊介ちょうど撮影していたのは、じつは僕自身、苦しい時期で、その感情をうまく利用できないかなと思っていたところでした。そのときに「チワワ男子」ということを役的に言われていたので、「ワンワン、キャンキャン」騒いで、本当は弱いのに強くみせる男を演じてほしいということでした。だからその時期の苦しみをうまく利用しようと思い、隠すことで大きくみせて、本当は弱い、すぐ泣いてしまう、あれは笑っていただけるとうれしいシーンで「あいつアホや、こんなとこで泣くんかい」と。でもその弱さも人間的だと思うので、今回いろんなキャラクターが出てきますが、それぞれのキャラクターの弱い部分が見える、そういうところを見ていただければうれしいですね。

Q2:伊藤さんは、最後の泣くシーンを演じていた時の心情はどうでしたか?

伊藤:感情が溢れちゃったというか、ずっと溜めていたものというか、何かが爆発したというのももちろんありますが、それに加えて、泣いていることで心だけ冷静になってくることがあるように「もういいや」っていうちょっとした諦めというか、「この際だから泣いちゃおう」ということがカノウ的にはあったと思います。何より泣けない「まひるちゃん」がいるので、そこと対象になったらいいなと、監督とも相談して、生きている世界が違ったりするなかで、歩み方が違ったり、そういうところも泣いているシーンで伝わったらいいなという気持ちも込めて、お芝居的には演じたつもりです。

Q3:伊藤さんがデリヘル嬢を演じるということで艶っぽいシーンも期待していたりしたのですが(笑)。

田中:すみません、(代わりに)僕のお尻シーンでした。

山田:伊藤さんではなく田中くんの“お尻シーン”になった理由ということですが(笑)、最初、この企画を立ち上げたときに、デリヘルというセックスワーカーの話になるので、「脱ぐ脱がないをどうするか」とプロデューサー陣としました。あくまで「性」を扱うというよりも、一人ひとりの人間の生き様を描くものであり、性を描くための映画ではないという着地点に至りました。であれば性描写なしで人間を描けないか、人間は性生活だけではなく、性も衣食住の延長上にあるというのが人間で、キョウコとリョウタという役は、生活のなかの恋愛軸が強い関係性というのもあったので、そこだけ性描写を入れていきたいと。なおかつ、私は女性監督ですから、男性監督が女優を脱がしたりすることは多かったりすると思うけど、そうじゃない表現ってなんなんだろうと考えると、「男性のお尻ってどうなんだろう?」と思って、田中くんに「お尻ってどう?」と聞いてみると、「全然、お尻大丈夫です!」と言ってくれて。世の中的には「セクシャルハラスメント監督」になりそうで怖いですけど(笑)。そういう経緯もあって、性描写というものを自分なりの解釈で撮ろうと思ってこういう表現になりました。

司会:田中さん、コメントありますか?

田中:自分のお尻に関してですか? いかがでしたか?(会場から拍手)ありがとうございます、お尻の綺麗な俳優です。

Q4:たまたま私が東京国際映画祭で初めて観た映画は『赤線地帯』(溝口健二監督、1956年)でした。この映画を観ながら、『赤線地帯』で描かれたことの現代版だなと感じました。描かれている内容もそこで働く女性たちの人間模様であったり、群像劇になっていたり、とても重なる部分があります。監督は何かそこらへんを意識されたでしょうか。もうひとつは、映画祭側が意識したかどうかわかりませんが、同じような題材の今昔物語的に、もしかしたら比較されるかもしれないことに関して、監督からご意見をいただければと思います。

山田:まず意識したかどうかに関してですが、これは6年前に書いた脚本なので、まったく意識はしていません。その当時、私はレコード会社の社員という立場で、舞台を始めて、4年前くらいに自主映画を撮り始めました。映画が好きになったのは撮り始めてからで、まだまだ不勉強な監督ではあるのですが、レコード会社に勤めていた当時、女性も容姿がいい人と、そうではない人との仕事の取り方が全然違ったんです。いわゆる容姿(のよい人)とか、男性と仲良くなるのがお上手な方はバンバン仕事が決まっていくけれども、私は今回の作品だとタヌキ寄りだったので、ひな壇芸人よろしく飲み会のビールのこととか気を遣い続けて、深夜2、3時くらいにはぐったりしてタクシーで帰るということを20代前半で経験していたので、男性に負けたくないという気持ちが強かったんです。女性というのは、どうして2種類にしか分類されなくてはいけないんだろうとか、そういう葛藤があるまま20代を迎えて書いたのがこの作品でした。群像劇になったのは、とりわけ大きな理由はないのですが、ひとりひとりに人生があり、女性も2種類に分けられるだけじゃなくて、個人名があるように、個人の人生があるという考え方でしたので、このような群像劇の描き方をしました。

司会:私も最初に拝見したときに現代版『赤線地帯』だなと思いました。みなさん、もしご覧になってなかったら、共通点が多い作品なので、およそ60年以上前の作品ですが、びっくりするほど似ているのでご覧になって下さい。

山田:勉強させていただきます。ありがとうございます。

Q5:私は山田監督の『カラオケの夜』(2018年)が好きで、劇中での選曲に心打たれました。監督がレコード会社に勤めた経験があると今聞いて、なるほどなと思いました。今回も素晴らしいタイミングで女王蜂の曲が入ってきました。そういう劇中での選曲とか、場面レイアウトとか、映画を作る上でこだわりポイントはありますか?

山田:おっしゃる通り、音楽は毎回こだわって作っています。今回の「女王蜂」の「燃える海」は、6年前の舞台のときにもラストにかけていました。あの曲の強さや親和性を限りなく信じていましたので、今回、「女王蜂」ご本人に映画を観ていただいて、曲を使いたいと申し出ました。まだ映画の粗編の段階でしたが、「3回観た」ということで、「音楽を使ってほしいし、なんなら録り直すよ」とまで言って下さって、使わせていただくことになりました。映画のこだわりは、私は舞台出身者ということもあるし、音楽好きというのもありますが、レコード会社では「怒髪天」の宣伝を担当していたのですが、あるミュージシャンから「ミュージシャンというのは出てきて最初の1音を鳴らすまでどう見せるかが勝負だ」と聞いたことがありまして、そういう意味で舞台も映画も最初の「5分」、物語が走っていく最初の「15分」をどうお客様に観ていただけるかというのをすごく大事にしています。『タイトル、拒絶』では沙莉ちゃんが正面向いて独白するカットの音のかけ方などは、1コマ1コマ編集するので沙莉ちゃんの顔が口が開いたり閉じたりをするところで、どこで繋ごうかと綿密に探りながらやりました。素敵なところをご覧いただいてありがとうございます。

Q6:胸が苦しくなる映画でまた観たいと思いました。6年前に舞台用に書かれた脚本ということで、取材等は、業界や経験者にどのようにされましたか?

山田:脚本を書いた当時は、すごくアメブロアメーバブログ)が流行っていた時代です。まずセックスワーカーの話にしようと思った時に、友人でそういう仕事をしていることを親に打ち明けていないという方がいて、いろいろお話を聞きました。ただ、それだけになってしまうと、彼女の一面的な話しか描けないと思ったので、いろいろブログを読ましていただいたのですが、直接アポイントを取って取材するということはなかったです。ただ私自身、10代のとき、若さゆえのことですが、男性とおしゃべりをしてお金をいただくという、サクラのバイトみたいなのをしたことがあって、面接に行ったときに、男性や女性がギラついて見えたこととか、そこに置かれていたお菓子が蛍光灯に照らされて青白んでしまっていたのがすごく印象的だったので、それを元に描いていたというのが6年前の記憶です。映画化に際しては、プロデューサーの内田さんが海外志向のある方なので、日本と海外の管理売春というシステムがどう違うか、日本だと国が場所限定で許可したり、電話で配送されるようなシステムがあったりしますが、海外は法律的には不可という考え方があることなどを学んで、それを映画に反映させた部分があります。

(※Q&Aは会話のママですが、意味を変えず若干文言を修正しています)

f:id:realtokyocinema:20191211223411j:plain

@DirectorsBox

Q&Aイベント様子はこちらに。

 https://www.youtube.com/watch?v=b6hRki4S2O8&t=54s