金城武不在の“カネシロ映画”でヤスミン監督が見つめた「未来」とは
文:福嶋真砂代
「金城武」の引力でたどり着いた深いヤスミンの世界
2009年に51歳で急逝したマレーシアのヤスミン・アフマド監督の人気作品『細い目』(2005)は、これまでも特集上映や映画祭で上映されているが、今回いよいよ初めての劇場公開となる。マレーシア・アカデミー賞でグランプリ、最優秀監督賞、最優秀脚本賞はじめ6部門を独占、さらに第18回東京国際映画祭でも最優秀アジア映画賞を受賞した話題作だ。
「慈悲深くあわれみ深いアラーの名において」というアラビア文字に続き、インド詩人タゴールの詩を母に読み聞かせるジェイソン(ン・チューセン)。そして中国語の歌が流れるタイトルバックの愛らしいアニメーションイラストから、一転してマフィア映画のようなノアールな雰囲気になるオープニングシーケンス。こうしてテンポよく、多様に混在する文化背景が描かれるヤスミン監督の長編初監督作品の舞台は、マレーシアの地方都市イポー。多民族社会マレーシアの様々な問題を示唆しながら、主軸である金城武ファンのマレー系の女の子、オーキッド(シャリファ・アマニ)と中華系の男の子、ジェイソンの初々しい恋愛が切なく描かれる。
ところで、2005年の第18回東京国際映画祭「アジアの風」に出品された本作を初鑑賞したときの興奮はいまでも覚えている。当時、香港映画ブームは根強く続き、なかでもウォン・カーウァイ監督の『欲望の翼』『恋する惑星』『天使の涙』等への熱狂は凄かった。トニー・レオン、アンディ・ラウ、レスリー・チャンという香港のビッグスターと共にカーウァイ監督が起用した台湾と日本にルーツを持つ金城武は、日本のテレビドラマにも引っ張りだこの俳優。その”金城武を好きな女の子の映画”という『細い目』のキャッチーな宣伝文句はとてつもなく魅力的だった。しかしいくら待っても「金城武」は出てこない。ポスターや写真、露天で違法に販売される海賊版VCD(これも懐かしい)の中にしか「金城武」はいなかった。つまり金城武不在の“カネシロ映画”だったのだ。ともあれ、「金城武」の引力でたどり着いたヤスミン作品の世界は新鮮で深かった。マレーシアの、多様で複雑な社会のなかで暮らす人々の生活が活き活きとリアルに感じられ、もちろん私たちと変わらず「金城武」に熱をあげるオーキッドにシンパシーが湧き、そこから展開する甘いだけではないスリリングな初恋の行方に手に汗を握った。
スーパーハイブリッドな環境で、ヤスミン監督が見つめるのは「未来」
多民族、多言語、多宗教、多文化というスーパーハイブリッドな環境で、ヤスミン監督が見つめるのは「未来」だ。保守的な因習、他民族への無理解や無関心、男女や階級の格差など、これまでの常識に疑問を投げかけるだけでなく、自由な発想のヒントになるような、エポックメイキングな映画作り。それもユーモアを交えてさりげなく、しかも大胆に。この柔軟性こそヤスミン映画の隠し味であり、醍醐味なのだと思う。たとえ理想主義すぎると揶揄されることがあっても、「私はストーリーを描きたかったのよ」と返していたという。時代の先駆者としての痛みを受け止め、ウィットで打ち返すところがかっこいい。
ちなみにイポーという都市のことを調べてみると、ペラ州の州都であり、首都クアラルンプールより約200キロメートル北に位置する。19世紀から鉱業の町として栄え、人口の7割が華人で中国色の強い地域であり、1941-42年には日本による占領期間があった。鉱山閉鎖により成長が停滞し、人材流出によって衰退したが、現在は再開発が盛んに行われている。さらに日本の福岡市と姉妹都市である(Wikipediaより)。つまり、日本と関係が少なからずある土地で撮られたのだ。さらには、ヤスミン監督の祖母は日本人であり、次回作『ワスレナグサ』はその祖母をモデルにしていたという。
映画監督以前にCM制作でその手腕を発揮してきたヤスミンの画作りのセンスのよさは卓越している。本作にも記憶に残るシーンがたくさんある。例えば、ジェイソンが月下香を探すシーン、友達のキョンとオーキッドとジェイソンが並んでおしゃべりをするうちジェイソンがヤキモチを焼くシーン、ドヴォルザーク<ルサルカ>「月に寄せる歌」が流れる切ないシーン、さらにオーキッドとジェイソンがデート中に雨に降られ、バスの来ないバス停でふたりで袋をかぶってベンチに腰掛けるシーン、まるで『小さな恋のメロディ』のマーク・レスターとトレイシー・ハイドの墓地シーンようにファンタスティックだ。
さて、冒頭にタゴールの詩を聞いたジェイソンの母は「不思議ね、文化も言葉も違うのに、心の中が伝わってくる」とジェイソンに話す。そしてその言葉を体現するストーリーが始まる。様々な経験を経た後、「命と同じほど身近なそれをすべて知ることはできない」と再びタゴールの詩が登場する。このふたつの意味合いの言葉が共棲する世界の複雑さや矛盾。そんな厳しい世界のなかで、人間はどう生きたら幸せなのか…。ゆっくり静かにヤスミンの普遍的な願いに思いを馳せたい。
アディバ・ヌールさんが話してくれたエピソード
最後に、2017年に来日したアディバ・ヌールさん(『細い目』ではメイドのヤム役)が本作についての興味深いエピソードを披露してくれたので、以下に抜粋します。
「『細い目』では、カクヤム(ヤム姉さんの意味)というヤスミン監督の実家にいたクイーンのように君臨していた実在のメイドの役で、「私のような太った外見の人を起用することはマレーシアではあまりなかったのですが、ヤスミン監督の意図は、愛情、敬意を持って人に接すること、使用人だからといって奴隷のように扱うことはしない、お互い人間なのだから、という思いが込められていた」と語った。ヤスミン監督はマレーシアの慣習、常識、バリアを打ち破るような映画作りをしたが、そのようなヤスミンの強さについてアディバさんは、ヤスミン監督の実のお父さん(映画ではアタンという名で呼ばれる)が下敷きになっているのだと明かした。
撮影監督キョン・ロウについては、「プロデューサーのローズ・カシムになぜいつも撮影はキョンなのかと質問したところ、CM作品の時からずっと彼がカメラを回していて、その理由は、どんな汚いもの、例えばドブを映すときも美しく撮るから、ということで、私もそのとおりだと思う」と付け加えた。
撮影現場はいつもハピネスが溢れていて、それは1本目の『細い目』の時にとくに感じ、監督がやろうとしていることを信じてついていこうと思いました。発想の転換、通常であればありえない、人種、宗教、背景の異なるふたりが結ばれるという画期的な作品を作った監督。ヤスミン自身がコメディアン的な人柄を持ち、また心理学を学んでいたので人の気持ちを引き出すのがとても上手。ひとりひとりの人生の話を聞き出してそれを反映しようとしていた。私の感じる限りストレスのない現場だった。そしていまマレーシアでまさに必要とされていると感じた。”バラナ(出産)”と私は呼んでいますが、ひとつのことから小さい出産が起きるのです。つまり監督は多くのアイディアが浮かんでしまい、それを入れ込もうとして、機材のレンタル期限とかあるのでクルーには少しストレスがかかっていたかもしれません。でもそれ以外はまったくストレスを感じる現場ではありませんでした。
さらにオーキッドの父親役のハリス・イスカンダルは、スタンダップコメディアンとして現在も活躍していて、フィンランドで行われた『世界でいちばんおもしろい男コンテスト』に優勝した」というエピソードも教えてくれた。
(「Review 19 & Report 005 『タレンタイム〜優しい歌』、アディバ・ヌールさん来日スペシャルトークショーレポ」より)
Information:
監督・脚本:ヤスミン・アフマド
撮影:キョン・ロウ
編集:アファンディ・ジャマルデン
製作:ロスナ・カシム、エリナ・シュクリ
出演:シャリファ・アマニ、ン・チューセン、ライナス・チャン、タン・メイ・リン、ハリス・イスカンダル、アイダ・ネリナ、アディバ・ヌール
Sepet|2004|マレーシア|カラー|107分|英語、マレー語、広東語、福建語、北京語ほか
配給:ムヴィオラ
10月11日(金)よりアップリンク吉祥寺、アップリンク渋谷ほか全国順次公開
※アップリンク吉祥寺&渋谷では『タレンタイム〜優しい歌』のアンコール上映が決定。
realtokyocinema.hatenadiary.com
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