REALTOKYO CINEMA

リアルトウキョウシネマです。映画に関するインタビュー、レポート、作品レビュー等をお届けします。

TIFF Review:『四つの壁』(第34回東京国際映画祭 コンペティション部門)

想像力を刺激される夢の世界へ

文・福嶋真砂代

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(C)MAD DOGS & SEAGULLS LIMITED

34TIFF最優秀男優賞を受賞(アミル・アガエイ、ファティヒ・アル、 バルシュ・ユルドゥズ、オヌル・ブルドゥの主演4名 )した『四つの壁』は、バフマン・ゴバディ監督がトルコ・イスタンブールの海辺の街を舞台に撮影し、同映画祭でワールドプレミア上映された。ところで、ゴバティ監督の姿をリモートとは言え、実際に見られるのは、2010年『ペルシャ猫を誰も知らない』でクルド自治区に逃れていた時期にリモートインタビューして以来になる。まずはゴバティ監督が無事であること、そして新作を観ることができたことが嬉しかった(前回のインタビューではイランにおける不自由な文化活動の実態がわかるのでぜひ下記リンクをご参照下さい)。

空港周辺で鳥を撃つ仕事をする(飛行機のエンジンなどに入り込むのを防ぐ目的)クルド人ミュージシャンのボランは、海が見える景観の美しいアパートメントをローンで購入し、妻と幼い息子を呼び寄せて一緒に住むはずだった。しかし事故により二人を失い、ボランも一時昏睡状態になり、意識回復後もトラブルが襲いかかる。まず新しい家から見えるはずの海が消えていた。次にコーランの爆音が毎日鳴り響く。さらにボランの家に謎の女性アラルが押しかけて同居することに……。ボランの親友や、「コーランを流すのをやめてほしい」とボランが頼んだことがきっかけで職を失い、そのままボランのバンドに入ることになる男、あるいはクセの強い警察官の存在など、個性豊かなキャラクターたちが絡みあい、哀愁に満ち、どこか親しみを感じる情熱的な音楽が彼らの物語に深みと彩りを加える。

ゴバティ監督の初期作品『亀も空を飛ぶ』の衝撃は今でも忘れられない。「クルド人」という国土を持たない“世界最大の少数民族”の存在を等身大に認識したのは(遅きに失するが)この映画だった。民族の文化、運命、悲哀、希望を、様々なメタファーを用いて表現する天才の存在を知った。演技未経験の少年少女たちを起用し、タイトルも含めて、メルヘンとリアルの境目を行き来しながら、残酷な歴史をファンタジーとして記憶に刻んでいく。「その状態」からファンタジーを想像することなど難しいに違いない現実をそのままに撮るのではなく、ゴバティ独特の音楽と映像感覚で、現実と夢をシンクロさせていく。その創作法は、あまりにも悲劇に満ちた民族の運命と現実、同時に彼らの文化と生命力を信じている証しだ。流れる多くの血を映すより、“亀が空を飛ぶ”ように夢の中で次元をワープしてしまう魔法(つまりこの世から命が消える)を撮る、ということなのだと理解する。ゴバティ監督は自身が厳しい環境におかれているときこそユーモアを決して忘れず、相手(インタビュアー)を笑わそうとする、そんな無類の優しさを思い出す。

この『四つの壁』では、『ペルシャ猫を誰も知らない』を上回る音楽性の高さを感じ、またもや不思議なメタファーに満ちている。タイトルそのものの意味も劇中に直接的には語られず、受け手の想像力をめいっぱい刺激する。昔の歌のタイトルも想起されるし、禅的な心的状態にも、または「四面楚歌」という言葉も思い浮かぶ。しかし大事なことは、どんなに絶望の壁にぶち当たろうと、“生きる”ことだ。最愛の妻と息子を亡くし、自分も障害が残るも、果敢に生きようともがくボラン。音楽を愛する仲間たちと近所迷惑かえりみずリハに励み、失職した男に生きる道を与え、警察官の理不尽なジョークにもつきあう。なんとかして「壁」を打破する道を見つけたい。壁のない人生はない。映画のように、突如として「壁」が出現することもある。実際、いまも世界のあちこちに壁が出現している。

ここで『亀も空を飛ぶ』上映時の来日でゴバティ監督が語ったことを紹介したい。「私の映画はとてもシンボリックな映画と言えます。クルド人は、イラン、イラク、トルコ、シリアの4カ国にまたがって暮らしているのですが、映画では、少女が4人の兵士にレイプされる設定です」。この衝撃的な言葉を踏まえて本作を考えてみると、「4」という数字の記号的意味が浮かび上がる。いっぽう今回「壁」について語ったゴバティ語録をまとめると以下になる。「いつも「壁」が頭の中にある。1)父と母の壁、2クルド人と政府との戦いの壁、3)革命と前の体制との壁、4)イラン戦争のときに感じた壁、5)自分と家族との壁」つまり、「壁」は四つ以上、複数に増えている。しかし、ゴバティ監督は「四つ」とあえて指定したのは、上記の「4人の兵士」説にあるのではないかと(筆者としては)踏んでいる。

ラストに(ファーストシーンに戻るのだが)、ボランがあれほど憧れて(執着して)いた海辺にたどり着く。さらに劇中につがいを失った鶴について語られたことが回収されていく。見事なゴバティ流のエンディングは、様々な不安と同時に、不思議と平穏を感じるものだった。

Information:

The Four Walls

キャスト:アミル・アガエイ、ファティヒ・アル、フンダ・エルイイト
114分/ カラー/トルコ語クルド語/日本語・英語字幕/2021年/トルコ

ペルシャ猫を誰も知らない』インタビュー

亀も空を飛ぶ』(バフマン・ゴバディ監督)レビュー

www.1101.com

TIFF Review:『市民』(第34回東京国際映画祭 コンペティション部門)

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Copyright 2021 Menuetto/ One For The Road/ Les Films

文・福嶋真砂代

第34回TIFF審査委員特別賞を受賞した『市民』(ベルギー・ルーマニア・メキシコ)は、ルーマニア出身の新人監督テオドラ・アナ・ミハイが全編北メキシコで撮影をした作品。ダルデンヌ兄弟ら(他にクリスチャン・ムンジウ、ミシェル・フランコ)も共同プロデュースに名を連ねており、期待は高まった。

『ヴェラは海の夢を見る』(カルトリナ・クラスニチ監督)と同じく、問題を抱える中年女性が主人公である。いや、「問題を抱える」というよりも、彼女らは「問題の渦中へ逃げずに飛び込んでいく」勇敢な女性たちだ。『市民』はミハイ監督の記憶にある古き良きメキシコから麻薬撲滅宣言後に治安が劣悪になっていく同国の状況を憂いて、また出会った女性から聞いた恐ろしい実話にインスパイアされ、当初はドキュメンタリーとして撮り始めたが、闇世界の危険を感じたため、友人の小説家とともに脚本を書き上げ、フィクションとして、誘拐事件が乱発する残酷な「社会問題」を使命感を持って描いたのだという。

冒頭、仲睦まじい母娘の幸せな時間の導入が観客の嫌な予感を助長する。予感は的中(というお約束の筋書きとも言えるが)、最愛の娘が誘拐され、母シエロは、警察のちからを借りず、無謀にも独力で、娘を探しはじめる。別居している夫がいるが頼りにはならない。主演のアルセリア・ラミレスの表情の変化がすばらしく、「どうなるのか」とハラハラしながら、圧巻の演技力にグイグイ引っ張られていく。

頑固に警察当局の助けを借りないシエロの行動に疑問が湧いたが、ミハイ監督が語るチャウシェスク政権下の記憶がメキシコの状況に結びついている。「悲しいかな、当時のルーマニアは市民同士が監視して告発しあう社会で、心から信頼できる人間関係は築けませんでした。そうした状況を私も曲がりなりに経験していたので、人を信じられない気持ちが自分でもよく理解できるんです。この映画に流れている感情もまさしくそうで、警察当局や男尊女卑の習慣、政治的な背景の問題に斬り込んで、乗り越えていくのは自分しかいないとシエロは考えています。それは私自身の心根にもあるものです。」

シエロは犯罪組織のアジトを見つけ出し、危険を冒して接近していく過程で、当局裏組織と一種の“共犯関係”を結ぶことになり、暴力を犯す側に転じていく。ミハイ監督が「暴力と人間」についてこう語っている。「私はかねがね暴力に接した人は、暴力装置の一部になると考えています。あのシーンはシエロが初めて暴力の渦に巻きこまれ、その世界に入りこんでしまう瞬間です。彼女は娘を誘拐された被害者でしたが、暴力を目の当たりにして自らも加害者に転じてしまう。娘を救いたい思いから捜索に出たのに、彼女自身も拷問する側に回ってしまいます。家族を想う心は映画に登場する誰もがみな同じであり、その想いが強いあまり、暴力に足を踏み入れてしまうのです。どの人間も苦悩を抱えているところに状況の複雑さが垣間見えます。」

娘の誘拐事件は解決したのか…..。シエロのなんとも言えない表情のアップで幕がひかれる。「子供が誘拐された親は生涯理不尽な思いを抱え、わが子が生きているのか死んでしまったのか、答えのないまま生きていかなければなりません。現実がそうである以上、具体的な映像を示すことは避けたいと思いました。あらゆる想像があの結末においては可能となります。娘が戻ってきたと思う人もいるでしょう。現実には非常に稀ですが、警察から数本の骨を渡されてそれらを埋葬したあと、わが子が生還した事例もあるからです。」さらにモデルとなった女性が2017年に殺されていたこともインタビューで明かした。「おそらくネットニュースなどを調べると書かれているのですでにご存じかもしれません。私がシエロのモデルにしたミリアム・ロドリゲス(1960~2017/実際に愛娘を誘拐した犯人グループを4年間追い続け10人の逮捕に貢献した)は残念ながら撃たれて亡くなりました。彼女と同じように、報復されて殺されたと思う人もいるでしょうし、さらに彼女が見た物は「死」だったとする観念的解釈や、想像の中でわが子と再会したとする詩的解釈も成立します。こうしたさまざまな理解の余地を残して、私は子供を誘拐された親たちの気持ちに寄り添いたいと願いました。」

ラストに映画が実話をもとに作ったことを明かすという、ややイレギュラーに思える構成。しかしその結末を描くにあたってミハイ監督の深い配慮があることを知り、なお現在進行中の問題の深刻さを実感する。

Information:

La Civil

監督:テオドラ・アナ・ミハイ
キャスト:アルセリア・ラミレス、アルバロ・ゲレロ、アジェレン・ムソ
135分/カラー/スペイン語/日本語・英語字幕/2021年 
ベルギー/ルーマニア/メキシコ

2021.tiff-jp.net

Review 60『街は誰のもの?』

ブラジルのストリートで「街」について考える

文・福嶋真砂代

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(c)KOTA ABE

ブラジルのグラフィティに興味を抱いた阿部航太監督(撮影・編集)のデビュー作が公開中だ。単身ブラジルに渡って6ヶ月間(2018-19)滞在し、「街は誰のもの?」というテーマについて、文化人類学視点で撮ったドキュメンタリー……と聞けば堅苦しい作品かと思うと、いやいや、とても敷居はひくい。映画の始まりこそグラフィテイロ(グラフィティアーティスト)を追うカメラの揺れにやや動揺しつつも、しだいにその“揺れ”ごと「ストリートにいる」臨場感となり、「いつからグラフィティをはじめたの?」「あなたにとってグラフィティを描くことの意味とは?」などカメラのこちら側から質問する阿部のゆったりとしたポルトガル語、それに答えるグラフィテイロとの会話を聴くうち、いつのまにか、自分もそこにいるように楽しんでいた。

ナレーションや音楽(サンバもボサノバも流れない)を使わず、風や雨の音、車の音、街の喧騒、鳥のさえずりが聴こえる、音の存在感も忘れがたい。前半はグラフィティ、そして後半にはグラフィティを撮影し終えて意識が変わったという阿部が撮る街の様子、スケートボードパークと、被写体は映り変わるが、阿部が見つめるのは一貫して「ひと」である。人間がいるから街がある、そんな単純なことに気づかされる。

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(c)KOTA ABE

サンパウロリオデジャネイロ、ベロオリゾンチ、プラナルチナの4都市をめぐって撮られたグラフィティは、それぞれにシチュエーションが異なり、それぞれのグラフィティがみせる趣きの違いに魅入る。とりわけプラナルチナのオドルス(ODRUS、ポルトガル語でSURDO=ろう者の意味)が描くグラフィティは息を呑むほど美しい。このまま美術館に展示してもおかしくないと思うが、オドルスは「美術館では限られた人しか見れない。いっぽうグラフィティはより多くの人に見てもらえる」と語るのだ。なるほど。そして日本人グラフィテイロ中川敦夫のグラフィティの華やかな迫力、そこに宿る意味の深さを識る。グラフィテイロの人生観、さらに「グラフィティとは“手放すこと”」とリオデジャネイロで興味深い言葉も聞いた。

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(c)KOTA ABE

ところで実際に「街は誰のもの?」だろう。その答えは単純ではないし、場面場面で答えは違うかもしれない。アートからは離れるが、少なくとも「“自分が”住む、旅する、通う場所」と意識するならば、美しく、楽しく、快適に、保ちたくなるのが自然だろう。しかしいったん「公共の場所」となると何らかのルールが必要になる。どうしても他人任せの意識が邪魔をする。グラフィテイロたちが語る、街を「豊かに」する意識はどうしたら生まれるのだろう。個人的には、歩き疲れたら休む場所があり、見知らぬ人とも語りあえたり、人の温かみがある街であってほしいと、特徴のない他人行儀な街(巨大な建物群)が生まれるたびに思うのだが。

蛇足だけれど、以前筆者が航空会社勤務で東京とロンドンを激しく往復していた頃、街の滞在時間は短いが、「次にまた来る人」として、そこで知り合う人と次の約束をすることは可能だった。ある時、スプレー缶で描くグラフィティ少年たちとロンドンの下町で知り合い、「次回もまた見に来る」と約束をして、人目につかない時間、場所を見つけてゲリラ的に描くグラフィティの現場を見せてもらったことを、この映画を見て思い出した。それはとてもアートとは呼べないグラフィティ(おそらくピシャソン)だったのだが、ちょっとスリリングで魔法のような時間だった……。

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(c)KOTA ABE

いまやスマートフォンで映画が撮れる時代。それが映画なのか、映画と呼ばないのか、その境界も意味をなさなくなろうとしている。「こんなことを言うと語弊があるかもしれないけど」と恐る恐る「こんなに楽に映画が撮れるんだ」という感想を抱いたことを阿部監督に伝えると「映画を撮ることが唯一の表現方法というより、ブラジルのストリートを考えるための一つの手段としてカメラを回したので、まったく語弊はありません」という返事をいただいた。もちろん、この“リラックス”を感じる裏側には丁寧なレイヤーが重ねられているのは言うまでもない。阿部監督が作り上げた分厚い資料を読むと、映画を作る動機や過程などをより理解することができるので、ぜひ公式サイトやパンフレットのプロダクションノートも読んでいただければと思う。

そういえば、まだ記憶に新しい「東京2020オリンピック」のスケートボード競技に起こった新たな熱狂の渦、その源には互いをリスペクトする有機的な関係性がある。まさにそれを育む土壌を、映画後半に映る「パーク」のスケートボーダーたちから学ぶことができる。ある少年が放つ「スケート オア ダイ」という言葉が超クール。その言葉が多くを物語る。夢中になれることがある豊かな時間、こんなに刺激に満ちているストリート、緊張感と同時に、日本にはないゆったりと自由な空気の匂いを感じる。そろそろ旅にでかけてそんな空気を吸いたい、ムクムクと旅心が湧いてくる。

Information: 

監督・撮影・編集:阿部航太

https://www.machidare.com/

2021年12月11日(土)よりイメージフォーラムにて公開

●アフタートークゲストスケジュール

2/11土: 田中元子(グランドレベル代表取締役)終了
12/12日:荏開津広(DJ/ワーグナープロジェクト音楽監督)終了
12/18土:宮崎大祐(映画監督)終了
12/19日:三宅唱(映画監督)終了
12/25土:宮越里子(グラフィックデザイナー)終了
12/26日:高山明(演出家・アーティスト)終了

●関連サイト

https://www.instagram.com/trashtalkclub/?hl=ja

KOTA ABE | DESIGN AND CULTURAL ANTHROPOLOGY

TIFF Review:『ヴェラは海の夢を見る』(第34回東京国際映画祭 コンペティション部門)

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©Copyright 2020 PUNTORIA KREATIVE ISSTRA | ISSTRA
新たな航海に船出した東京国際映画祭

文・福嶋真砂代

第34回東京国際映画祭は、メイン会場を六本木から日比谷・有楽町・銀座エリアへと移転し、プログラミング・ディレクターを交代、部門構成も改変され、新たな船出をした。これからこの航海はどこへ向かうのか、見守りたいと思う。

コシノジュンコ監修のポスタービジュアルは、「風を切って歩いていく女性」の背中が頼もしく、“強い決意”を感じさせる。映画祭のコンセプト、記者会見や開会式で発表された「越境」という言葉。それは「コロナによるコミュニケーションの断絶、男女差別、経済格差、国際紛争などのボーダーを乗り越えていく映画祭」のイメージだと語られた。いまなお様々な制限が続くコロナ禍で、会場では消毒と検温が繰り返され、安全性を優先して粛々と開催された。そうしたなか、オンラインイベントが増え、リモートでゆっくりと映画人たちの熱量や思いにふれることができる機会が増えるのはうれしいことだ。今後(コロナが収束しても)その手法のベースを使えば、観客にとっても、映画への興味、映画祭への参加をより拡大できるきっかけとなるのではないだろうか。たとえどこで足止めされようと、映画は悠々とボーダーを越えていく力を持つと信じている。

苦悩の中で自由を求め闘う中年女性ヴェラを描いた

さて、東京グランプリを受賞した『ヴェラは海の夢を見る』はコソボ北マケドニアアルバニア共同作品(この地域からの初エントリーとなる)。コソボのカルトリナ・クラスニチが監督した。主人公は手話通訳者の中年女性で、元判事の夫と暮らし、舞台女優の娘には孫も生まれた。海と銃声という印象に残るファーストシーン。夫の自殺から、実家の売却問題、夫が隠していた闇(ギャンブル癖)が浮かび上がり、ヴェラは窮地に立たされていく。親族からも借金返済を迫られ、脅迫まがいのいやがらせも受ける。いっぽう娘は舞台女優として自信をなくし不安定になる。家族は分裂したまま、ヴェラの心を砕いていくのか…。ある家庭を襲う問題に対して立ち向かう女性をスリリングに描く本作、コソボが独立をかけて戦ったヒストリーからの影響をもちろん感じるが、クラスニチ監督はよりプライベートなスタンスで女性の自律を描いた。オンラインインタビューで「20世紀、女性の変化は大きかった。曾祖母も祖母も読み書きができなかったが、母と私と妹は大学を卒業した。本作では苦悩の中で自由を求め闘う女性のヴェラを描いた」と語る。印象深いのは、ヴェラがどんな困難に直面してもひるまない姿勢と凛とした表情だ。小津安二郎監督を敬愛していると語るクラスニチ監督だが、ヴェラの表情にふと原節子の逆境のなかで凛として生きる女性の強い面影が見えないだろうか...。社会がドラスティックに変わるいっぽうで根強く男性優位社会は残っている。現在も多くの女性がさまざまな局面で闘っている。最近では伊藤詩織さんや赤木雅子さんはじめとする、理不尽な圧力に屈せず闘う女性たちが、「ヴェラ」に重なる。彼女たちを鼓舞する意味でも、本作のグランプリ受賞はうれしい。

この『ヴェラは海の夢を見る』、また審査委員特別賞の『市民』、そして最優秀女優賞 「もうひとりのトム』(筆者未見)の3本の作品をとってみても、まさにコシノジュンコポスターの女性のごとく颯爽と「風を切って歩く女性」を描き、越境して聴こえてくる女性の活躍の頼もしさにガッツポーズをしたくなる作品だった。今回の上映作品における女性監督の比率(男女共同監督作品含む) 26.2% (126本中34本) という統計を見ると、これからますます女性が映画界において活躍できる「のびしろ」として考えることもできる。今後の「のび」をますます期待したい。

以下、TIFF公式サイトから本作関連の記述を抜粋する。

■今年のコンペ部門には、113の国と地域から1533本の応募があり、15作品が正式出品。『ヴェラは海の夢を見る』は、手話通訳を職業としている中年女性のヴェラを主人公にした作品。夫の自殺によって、自らを取り巻く状況が一変したことで、ヴェラは独力で事態を打開しようと決心する。男性中心に回っている世界に挑むヒロインを力強く描いた物語だ。

■審査委員長を務めたイザベル・ユペールは「この映画は、夫を亡くした女性を繊細に描くとともに、男性が作った根深いルールに従わない者を絡めとる“家父長制度”に迫っています」と説明。「監督は、国の歴史の重荷を抱えるヴェラの物語を巧みに舵取りしています。その歴史の重荷は、静かに、狡猾にも、社会を変えようとする者に“暴力”の脅威を与えます。演出、力強い演技、撮影が、自信に満ちた深い形によって、集合的な衝突を生み出していました。この映画は、勇気あるコソボの新世代女性監督によって、素晴らしい作品群の1本に加わりました」と称賛していた。

■また、女性が描かれる作品として『ヴェラは海の夢を見る』『市民』『もうひとりのトム』を例に出したユペール。「これら3作品の主人公たちは、途方もない苦境、腐敗、犯罪、暴力、虐待、ネグレクトに直面します。どの映画でも社会制度、社会全体――人々を抑圧し続ける過去のレガシーを見せています。それでありながら、非常に特徴的なのは、3作品の主人公は“被害者として描かれていない”ということ。ひとりひとりが敵を見極め、対峙できるようになっています。戦いの勝敗に関わらず、3作品は未来に目を向けている。

Information:

Vera Dreams of the Sea[Vera Andrron Detin]

監督:カルトリナ・クラスニチ
キャスト:テウタ・アイディニ・イェゲニ、アルケタ・スラ、アストリッド・カバシ
87分/カラー/アルバニア語/日本語・英語字幕/2021年/コソボ北マケドニアアルバニア

2021.tiff-jp.net

 

Info 『ボストン市庁舎』[ワイズマン監督 x 想田和弘監督対談]「キネマ旬報」掲載のお知らせ

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ボストン市庁舎の内部に入り込み、「市民のためにはたらく市政」とマーティン・ウォルシュ市長(当時)にカメラを向けた『ボストン市庁舎』が公開となるフレデリック・ワイズマン監督、そしてワイズマン作品から多大な影響を受けたと語る想田和弘監督のZOOM対談が行われ、「訳・構成・文」として参加しました。

ボストン生まれのワイズマン監督から個人的に感じてる”イナセな職人気質”。というのは、こうと決めたらテコでも動かない一徹さ(それは映画を撮るための「契約」の話にも伺える)、自らマイクを持って撮影現場で走り回るフットワークと、「その瞬間」を逃したくなくてじっと待っている忍耐力が示している。そんな重労働な撮影を50年以上、91歳のいまも精力的にこなしている。

方や「僕の作品はあなたの作品に多大な影響を受けている」とワイズマン監督をリスペクトする、ドキュメンタリー作家の想田和弘さんは、「あなたが映画を撮り続ける体力にはどんな秘密があるのですか」と切り込む。「観察映画」と呼ばれる想田監督のドキュメンタリーを観た方は共感していただけるかと思うのですが、語弊を恐れずに表すなら、なかなか「しつこい」映画監督のひとりです。被写体を追いかけて「ここぞ」という時にはテコでも引き下がらない(ワイズマン流に似ています)。ダメだと言われても納得するまで食い下がる映画魂のかたまり。そんな想田さんが対談では、ワイズマン監督にジリジリと、言うなら、ボクサーが相手をリングのコーナーに追い詰めていく、まさにそんな感じがしたインタビュー現場を、息を潜めながら目の当たりにしました。「これぞドキュメンタリー作家」だと、改めてその鋭い切り込み方に震えました。もちろんワイズマン監督はその独特のクールなユーモアを持って穏やかに和やかに応えながらも、なんだか凄い「嵐」が吹き抜けたような(決して喧嘩のような雰囲気ではなく)感覚がわたしの中に残りました。

残念ながら字数制限のためにその一部始終を掲載できないのですが、想田監督は存分にワイズマン監督の「映画の流儀」の秘技を引き出しきったと思ったのでした。

ぜひARASHI"Record of Memories”の美しいブルーの表紙の「キネマ旬報」11月下旬号でチェックしてください。映画『ボストン市庁舎』もお見逃しなく。

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Information: 

『ボストン市庁舎』City Hall
監督: フレデリック・ワイズマン製作: フレデリック・ワイズマン、カレン・コニーチェ
2020年/アメリカ/4時間34分
配給: ミモザフィルムズ、ムヴィオラ

2021年11月12日(金)より、Bunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテほか全国ロードショー

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