REALTOKYO CINEMA

リアルトウキョウシネマです。映画に関するインタビュー、レポート、作品レビュー等をお届けします。

Review 54『アメイジング・グレイス /アレサ・フランクリン』

ソウルの女王が歌う1972年のゴスペル・ライヴ

文・フジカワPAPA-Q

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2018(C)Amazing Grace Movie LLC

ソウルの女王、アレサ・フランクリンは、1942年3月25日にメンフィスで生まれ、2018年8月16日にデトロイトで76歳で亡くなった。1960年代後半から、世俗音楽のソウルのヒットを連発して大活躍のアレサが、父親が著名な牧師という環境に育った自らの原点に回帰して、教会音楽のゴスペルに取り組んだ。それが、1972年1月13日と14日に、ロサンゼルスのニュー・テンプル・ミッショナリー・バプティスト教会で開かれたゴスペルのライヴだ。これは録音され、アルバム『至上の愛~チャーチコンサート~完全版』となり、ゴスペルのライヴ・アルバムとして大ヒットする。そして、同時に、映画化の為にシドニー・ポラック監督によって撮影されたが、映画は技術的なトラブルが原因で放置される。

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2018(C)Amazing Grace Movie LLC

だが、その後の最新テクノロジーにより映画は完成、2015年に海外の映画祭で絶賛されるも、アレサ本人からの公開差し止めの訴訟でストップ。その後、2018年、アレサの死後に劇場公開される、という紆余曲折を経て、遂に日本でも公開となった。教会の中で動くアレサ、バンド、牧師、聖歌隊、会衆の姿を見る事ができるのは素晴らしい。

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2018(C)Amazing Grace Movie LLC

バンドは、コーネル・デュプリー(ギター)、チャック・レイニー(ベース)、バーナード・パーディ(ドラム)等という、前年のソウル名盤『ライヴ・アット・フィルモア・ウエスト』に参加の最高のミュージシャン。タイトル曲「アメイジング・グレイス」や代表的なゴスペル曲の間に、マーヴィン・ゲイの「ホーリー・ホリー」(『ホワッツ・ゴーイング・オン』収録)やキャロル・キングの「きみの友だち」という同時代の重要曲を歌うのもアレサのメッセージだろう。

会衆の中に、レコーディングでLAに滞在中のミック・ジャガーチャーリー・ワッツがいるのも面白い。ともあれ、アレサの美しく力強い表情と歌声を映像で体験できるのは音楽ファンの大きな喜びである。

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2018(C)Amazing Grace Movie LLC

Information:

監督・撮影:シドニー・ポラック
編集:ジェフ・ブキャナン
製作総指揮:アレクサンドラ・ジョーンズ
2018年製作/90分/G/アメリ
原題:Amazing Grace
配給:ギャガ

2021528日(金)よりBunkamuraル・シネマほか全国順次ロードショー

gaga.ne.jp

Review 53『逃げた女』

なぜホン・サンスはクセになるのか?

文・福嶋真砂代

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(C)2019 Jeonwonsa FilmCo. All Rights Reserved

ホン・サンスはクセになる」といわれる。なぜだろう。そこには熱狂というような激しい感覚より、ジワジワくる低温性の熱を帯びる感触がある。そんなホン・サンス監督の最新作『逃げた女』(第21回東京フィルメックス 特別招待作品)が公開になった。とりわけ女優キム・ミニがミューズとなって以降、ホン・サンス独特の作風(ともすれば何か打ち水をしたような静けさ)に固有の支点が加わった。キム・ミニのクルクル変わる表情やしぐさ、またファッション的な魅力をもって、ホン・サンスがミニマルなドラマのなかで捉えようとする微妙な人間関係の機微を、いい意味で軽やかに華やかに魅せているように思うのだ。

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(C)2019 Jeonwonsa FilmCo. All Rights Reserved

物語は、主人公のガミ(キム・ミニ)が、夫が出張で留守になるという機会に、ひさしぶりに3人の女性友達を訪ね、おだやかに語り合うというもの。これといった起伏のない静かなドラマだが、そこには何か深い意味合いが隠れていそうな気配がある。表面的には「さざ波」程度の変化に見えるものの、もしかしたら心の中は、どす黒いマグマが煮えたぎっているかもしれない。表情を読みとろうと(観客を促すような)クローズアップ(このカメラワークがユニーク)のたびにゾクっとする。ともあれ、牧歌的な音楽と景色で紙芝居のように場面転換しながら物語は進む。主人公ガミは、「私はとても幸せ」と強がる裏に何かを隠しているのだろうか。

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(C)2019 Jeonwonsa FilmCo. All Rights Reserved

ところで私のつたない“韓流”鑑賞経験をたどると、ドラマや映画での人物描写にはしばしば“激しさ”が伴っていたように思う。大きめの感情表現に観客は日頃たまっていた鬱憤を乗せて、一緒に泣いたり怒ったり(負の感情ばかりではないが)、カタルシスを味わい、快感を感じたり。例えば日本に大ブームを巻き起こしたドラマ「冬のソナタ」は、自分自身にさえ嘘をつくことで本心を隠し、あげく自身の存在を抹殺してしまうまでのサイコな状態に追い込む。視聴者の共感メーターが振り切ったところで、真実が明かされ、一気に気持ちのスパークを起こす。いわば起爆剤埋込み型が特徴だったように思う。だがホン・サンスは、まったく違う世界線にいて、ノンシャランとした空気感を終始漂わせる(話がそれてしまった)。

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(C)2019 Jeonwonsa FilmCo. All Rights Reserved

物語の動きは少ないものの、ひとつひとつのエピソードのディテールは濃くて興味深い。例えば、最初にガミがフィアットを運転して会いに行く先輩女性とのたわいない話。「髪切ったのね」「お肉の焼き方がうまい」と空々しい話しながら食事が終わる頃、近隣に引っ越してきたという男性が訪ねてきて、おもむろに「野良猫に餌をやらないでほしい、妻は猫アレルギーだし」とクレームをする。だけど「かわいそうだからしかたがない」と先輩と同居の女性が顔を見合わせる。さっきは肉を焼きながら「牛をみるとかわいそうだからベジタリアンになりたかった」と話していた。家庭菜園でにわとりを飼いオーガニック生活をする意識高めのふたり。そして先輩の離婚はけっこうな泥沼だったなど、おだやかな話のなかに人間の矛盾や下世話な金銭の話が盛り込まれる。いっぽうガミは「今回、5年で初めて夫と離れたが、愛する人とは一緒にいるべきだと思う」という信念のようなものをしれっと繰り返す……(他にもエグい会話がたくさんある)。しかも話を聞くうちに、本当にガミはこの人たちと親しいのかという疑念が湧いてくる。

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(C)2019 Jeonwonsa FilmCo. All Rights Reserved

そうして二人め、三人め(これは偶然のように描かれる)と訪問は続き、微かながらもストーリーのボルテージが上がっていく。この三人はガミにとってどんな存在なのか、ガミは何を目的に彼女たちの「生活」を確認しに行ったのだろう? なぜタイトルが「逃げた女」なのか(原題は「Woman Who Ran」)、しだいに核心に向かう。ガミの過去を仄めかす最後のエピソードは妙にリアルで、もしや「監督の実体験?」と勘ぐってしまいそう。しかし謎は謎のまま、ミステリアスな空気を纏い続け、また次の作品を待ってしまう。正解よりも、あなたはどうなのかと問いかける。これもホン・サンスの術中にハマる理由のひとつと言えるだろう。

Information:

監督・脚本・編集・音楽:ホン・サンス
キャスト:キム・ミニ、ソ・ヨンファ、ソン・ソンミ、キム・セビョクほか
撮影:キム・スミン
録音:ソ・ジフン
2020年/77分/G/韓国
原題:The Woman Who Ran
配給:ミモザフィルムズ

2021611日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町ほか、全国順次公開

『逃げた女』 The Woman Who Ran | 第21回「東京フィルメックス」

Review 52『デニス・ホー ビカミング・ザ・ソング』

こころ震える、香港を愛するデニスのうた

文・福嶋真砂代

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©Aquarian Works, LLC

21東京フィルメックス(特別招待作品)にてジャパンプレミアされたドキュメンタリー『デニス・ホー ビカミング・ザ・ソング』が劇場公開になる。香港「雨傘運動」に参加し、さらに逃亡犯条例改正反対運動では抗議デモの最前列で香港の自由のために闘った(闘う)人気シンガーソングライター、デニス・ホー。スー・ウィリアムズ監督が長期密着した本作は、2018アルジャジーラで放映され、また東京フィルメックスを含め30カ国の映画祭で上映されているが、未だ香港での上映は難しい状況だ。

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©Aquarian Works, LLC

デニス・ホーのアーティスト人生は波乱万丈のドラマのようだ。いうまでもなく、中国との関係性に翻弄され、香港の変遷の波をもろに受けてきた。15歳でデビューし、満面の笑顔で歌い、スターダムを駆け上がる少女の表情と、大人の顔への変化、そこに何が起こったのかをスー監督はスリリングに迫る。デニスは、カナダに移住した家族のもとを離れ、香港で歌手として生きようと決意した。不安と孤独のなかで憧れの大スター、アニタ・ムイへ「弟子にしてほしい」と2週間おきに手紙を書く。そのがむしゃらな熱意と才能が伝わり無事弟子になり、アニタのツアーやアルバムに参加した。しかし2003アニタが病死し、デニスは糸が切れ、空っぽになった。その後10年間はアニタの影を感じながら活動したが、やがて自分自身のアイデンティティを見つめ直し、「何か」をつかむ瞬間が訪れる。LGBTの活動にも参加し、自身のジェンダー問題に対峙。その心情をまっすぐに歌う<ルイスとローレンス>の透明で切ない歌声に鳥肌がたつ。映画や舞台女優としても活躍し押しも押されぬスターとなったデニス。次第に社会問題に目を向けて活動するようになるが、精神的には不安定だった。近くで見守る盟友アンソニー・ウォンのインタビューによってデニスの人柄と仕事の輪郭がより深まる。香港女性芸能人で初めてゲイをカミングアウトするという大きな決断、そしてアニタを亡くした喪失感からもようやく抜け出すが、次の波が押し寄せる……。

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©Aquarian Works, LLC

香港の中国への返還後、しだいに香港市民の自由が侵されていくという現実。巨大中国マーケットで活動するようになる香港スターたちは葛藤し、デニスもそのひとりだった。やがて香港民主化デモの最前線で座り込み、逮捕され、ブランドスポンサーはことごとく離れた。国連やワシントンD.C.での議会でのスピーチの勇姿もハイライトだ。「香港の現状を知ってほしい。他人事と思わないで」と世界に向けてまっすぐに訴える。ハイテクでキラキラのビッグステージを降り、インディーズ歌手として、観客のすぐ近く、シンプルに語りかけるように歌うデニスに、観客の拍手があたたかい。この拍手こそ正真正銘、香港人の香港愛、自由への希求なのだと実感し、デニスと共に心が震える。ロンドンやニューヨークのライブハウスで歌う姿が猛烈にかっこよく、さらに全編に流れるスー監督とデニスによる選曲の楽曲にも、香港への想いをいっそう掻き立てられる。

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©Aquarian Works, LLC

スー監督が、東京フィルメックスのインタビュー(下記リンク)で触れているが、広東語の語尾の跳ねる音やリズム感、そのユニークな響きに私も昔から惹かれてきた。意味がわからなくてもどこか親しみとユーモアを感じる言語。もちろん香港映画の名キャラクターたちが話す音感が記憶に刻まれているのだろう。多様な文化が共棲し、優雅さと洗練、そしてエキゾチックな猥雑さも混在する、トラムが走る景観も含めて魅力ははかり知れない(嗚呼、いますぐにでも飲茶をしに飛んで行きたい)。すべての香港ラバーと共に、デニスと合唱しよう。香港の不屈の精神にエールを送り、油断ならない状況を注視しつづける。それがいま最低限やれることでしかないのが心苦しい。

Information:

監督・脚本・制作:スー・ウィリアムズ
オリジナル音楽:チャールズ・ニューマン
編集:エマ・モリス、撮影:ジェリー・リシウス
字幕:西村美須寿、字幕監修:Miss D
協力:TOKYO FILMeX、市山尚三、資料監修:江口洋子
配給・宣伝:太秦
2020/アメリカ/ドキュメンタリー/DCP/83分

2021年6月5日よりシアター・イメージフォーラムにて公開

★Q&A @第21回東京フィルメックス

『デニス・ホー:ビカミング・ザ・ソング』 Denise Ho: Becoming the Song | 第21回「東京フィルメックス」

Review 51『茜色に焼かれる』

自転車をこぐ良子の背中に自分を重ねていた

文・福嶋真砂代

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©2021『茜色に焼かれる』フィルムパートナーズ

「まあがんばりましょう」そう言うことで「大丈夫よ」を演じているような主人公の田中良子尾野真千子)は、中学生の一人息子純平(和田庵)を育てるシングルマザー。元官僚の老人が起こした交通事故でロックミュージシャンの夫の陽一(オダギリジョー)を突然亡くした。事故後、加害者からの誠実な謝罪がないという理由で賠償金を拒否、公営住宅に住みながら仕事を掛け持ちして暮らしている。コロナ禍で生業のカフェを手放した。やむなく選んだ風俗業で出会ったケイ(片山友希)と店長(永瀬正敏)の誠実な温かさ、それに比して、パートの花屋の店長から受ける冷酷な(ありがちな)扱いが情けない。いっぽう純平は上級生に因縁をつけられしつこいいじめを受けていた。担任教師の心無い対応に唖然とする。そんな心折れる日々に偶然再会した同級生の男、熊木に惹かれ、良子は風俗店を辞めると言う。店長は「本当に大丈夫なのか?」と心配するが(いやどっちが大丈夫なんだろうと方向感覚を失うけれど)、現実には思わぬ展開が待っていた……。

石井裕也が脚本、編集、監督をした『茜色に焼かれる』は、2020年8月に撮影され、このコロナ禍の閉塞した空気の毎日に一石を投じる力強い作品になった。困難のなかで懸命に生きるすべての人に元気とエールを送る。ただ励ますと言うより、苦しさの「内訳」を数値的に詳らかにしつつ、世の中の理不尽、それも理不尽の極みのようなあの出来事を含めたあらゆる理不尽への激しい憤りと抗議が秘められていると感じる。

■良子の「強さ」はどこから

それにしても尾野真千子演じる良子の凄味。強さだけではなく、もちろん弱いところも見せるとしても、何が彼女をそこまで世の中に抵抗させ、厳しい選択をさせるのか。筋の通らないことを許さない、へこたれない強さの源流を考えると、まず彼女がもともとロックな芝居をする舞台女優であったという描写があり、彼女の未来もそこに導かれていくという流れがある。亡夫のバンド仲間、あるいは加害者側から、悪魔的な誘惑が忍び寄るが揺るがない。ひとに頼らず生き抜くために飛び込んだ風俗は、ひとえに息子を育てるためではある。だが「まあがんばりましょう」と言い続けても限界がある。7年間、お酒を断って泣き言を言わなかった良子は、ついにすべてを打ち明けられる友を得る。コロナ禍の制限下、飲み話すささやかなひとときが、どんなに人間にとって必要な時間か、それだけで明日も生きようと思う人がどれだけいるだろうか。このあたりも、今回、石井監督の憤りと抗議がさりげないがキッチリ表明されていると感じるところだ。

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©2021『茜色に焼かれる』フィルムパートナーズ
■存在感を示すオダギリジョー永瀬正敏

もうひとつ、良子ががんばれる理由は、ほかでもなく事故で亡くした「陽一」の存在だ。陽一の遺伝子が受継がれる純平を守り切ること、それは良子の最大のモチベーションだ、なぜなら純平は陽一の息子だから。その説得力を持たせる、ほんの冒頭の数分しか登場しない(ほとんどがロックな遺影)“オダギリジョー”の存在感をあらためて感じるのだ。あるいはラスト近くに男気を魅せる永瀬正敏。変なたとえだが、辛めのピクルスのようにスパイスが効く。そういう意味では、観た後のひと汗かいたようなサッパリ感、コクのあるカレーのような作品なのかもしれない、まったくの個人的な味わい方ですが.....。

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©2021『茜色に焼かれる』フィルムパートナーズ

さらにケイ役の片山は最近のドラマ(「探偵☆星鴨」)とまったく違うイメージのギャップサプライズ。まっすぐで繊細、体当たり演技が潔く気持ちいい。また純平役の和田は、オーディション時に声を聴いて石井監督が即決したと完成報告会(下記リンク参照)で明かしたとおり、そのハスキーな声が魅力の逸材だ(変声期のタイミングもミラクル)。

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©2021『茜色に焼かれる』フィルムパートナーズ

さて、おそらく良子が「まあがんばりましょう」と呪文のように唱えて自分と周りを鼓舞するのは、四面楚歌のような状況でも、とにかく目の前のことをがんばる、それしか前に進む道がないという決心だ。茜色の夕陽に「焼かれる」ほどいのちを燃やして、前にしか進まない自転車を漕ぎ続ける良子の背中に「自分」が重なっていく。ときには怒り、ときには愚痴り、たまには自分をほめて、前へ行く。たとえ意味なんか見つからなくても。

Information:

出演:尾野真千子 和田 庵 片山友希 / オダギリジョー 永瀬正敏
監督・脚本・編集:石井裕也

『茜色に焼かれる』フィルムパートナーズ:朝日新聞社 RIKIプロジェクト
製作幹事:朝日新聞社 制作プロダクション:RIKIプロジェクト 
配給:フィルムランド 朝日新聞社 スターサンズ
2021年/日本/144分/カラー/シネマスコープ/5.1ch R-15+ 

2021年5/21(金)より全国公開

Review 50『ブックセラーズ』

本のラビリンスへ迷い込む悦楽の時間

文・福嶋真砂代

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(C)Copyright 2019 Blackletter Films LLC All Rights Reserved

ニューヨーク(NY)最大のブックフェアを入り口に、稀少本(レアブック)のラビリンスへいざなうドキュメンタリー映画『ブックセラーズ』が公開になった。ぎっしり情報の詰まったこの映画を一言で表現するのはなかなか難しいが、「この映画自体が珍しい本であり、真の宝物だ!」という映画評(THE FILM EXPERIENCE)の言葉がしっくりくる。いつも側(ソバ)に置いて何度も読み返したい類の本、ひとつひとつの言葉がまるで宝石のように煌めく本だ。決して難解な世界ではないが迷路のように奥深い。この膨大な情報量は、プロデューサーのダン・ウェクスラー(実際にブックセラーであり多くの稀少本オーナー)の熱量、さらに監督・編集のD・W・ヤングの探究心の現れだ。軽快なジャズのグルーブにのって、起承転結のメリハリよく、時代の変遷に伴いながら「物質」としての本がたどる生命のうねりを感じさせてくれる。いざ魅惑の本の深海へ。

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(C)Copyright 2019 Blackletter Films LLC All Rights Reserved

レジェンドから若手まで、個性的なブックセラーたちほか、多くの文化人、知識人たちが熱く本の魅力を語る。フラン・レボヴィッツゲイ・タリーズなどNYの大物ご意見番の言葉にも出会う。とりわけレボヴィッツの歯にきぬ着せぬコメント、たとえば本への愛ゆえに「(フェアなどで)本の上に濡れたグラスを置く人を死刑にしたい」と漏らす本音や、エンドロール映像に「絶対に人に本を貸さない」と思うに至った実はうらやましいエピソードも最高だ。ほかにも「本で生きるものは、本で死ぬ」、「図書館は永遠、宇宙だ」、「本は読むだけのものじゃない」「SFは森のよう」、「本が死ぬは間違いだ」などなど、名言のシャワーを浴び続け、まんじりともできない。その速度はまさにニューヨーカーが歩くスピード感。旅行がままならない昨今、マンハッタンやロンドンのバーチャルな老舗書店めぐりができるまたとない体験になりそう。

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(C)Copyright 2019 Blackletter Films LLC All Rights Reserved

個人的に圧巻のシーンは、「ウォーカー人類想像史図書館」という不思議空間に迷い込んだかのような美しい図書館。しかしそんな「宝物」を守る彼らに忍び寄る数々の難題がある。すなわち、ブックセラーの高齢化や後継者の問題、さらに業界の男女格差(少しずつ変化しているようだが)、またデジタル化による紙文化の危機など現代的な重要課題が山積している。アメリカ版「お宝探偵団」番組の人気MCでブックセラーのレベッカロムニーのマシンガントークな解説に耳を傾ける。さらに現在ビル・ゲイツが所有するレオナルド・ダ・ビンチの「レスター手稿」または「ハマー手稿」、また「不思議の国のアリス」の手稿の話など、世界に存在する貴重な知的財産にお目にかかれる。

さらに興味をそそるのは「エフェメラ*1と呼ばれる、手紙や写真、はがき、ポスター、チケット、パンフレット、チラシ、マッチ箱など、つい捨ててしまいそうな、しかし時代を越えて価値が生まれるものの「生命力」の話。あのチラシやあのポスター、自宅の捨てるに捨てられないガラクタのあれこれが目に浮かぶ。ところで映画の中にこんな言葉がある「世の中はコレクターと、非コレクターがいる」と。どっちが良いというのではなく、何かしら生来の気質のようなものかもしれない。さて、あなたはどちらだろうか……。

Information:
監督:D.W.ヤング
プロデューサー:ダン・ウェクスラー
製作総指揮&ナレーション:パーカー・ポージー 

原題:THE BOOKSELLERS/アメリカ映画/2019年/99分
配給・宣伝:ムヴィオラミモザフィルムズ

2021423日よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテ、UPLINK吉祥寺ほか全国順次公開

*1:

書籍のような長期に使われたり保存されることを意図した印刷物と異なり、一時的な筆記物および印刷物を指す(プレス資料より)