REALTOKYO CINEMA

リアルトウキョウシネマです。映画に関するインタビュー、レポート、作品レビュー等をお届けします。

Review 46(TIFF): 『ムクシン』[4Kデジタル修復版](第33回東京国際映画祭 ワールドフォーカス部門)

どうしたら傷を癒し、許し合い、また共生できるのか

文・福嶋真砂代

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33東京国際映画祭TIFF2020)はコロナ禍で規模を縮小して、タイトな感染防止管理のもとなんとか無事に開催された。そんななか、心温まる伝説の作品、ワールドフォーカス部門にて上映された『ムクシン』を鑑賞した。本作はマレーシアの故ヤスミン・アフマド監督の『細い目』や『タレンタイム~優しい歌』と共に世界中で愛されている代表作のひとつだ。TIFF2006のワールドプレミアから14年後の今年、国際交流基金アジアセンターによる修復の【4Kデジタル修復版】がお披露目された。本編に先だって修復の様子の映像が上映され、撮影監督のロウ・スン・キョンが色調を監修したことが紹介された。(オンラインTIFFトークサロンではキャストのシャリファ・アルヤナ、シャリファ・アレヤがヤスミン監督との思い出や作品への思いを楽しく語ってくれた:下記アーカイブ参照)

マレー系の女の子、オーキッド(シャリファ・アルヤナ)がヒロインとなる「三部作(ほかに『細い目』、『グプラ』)」のひとつの『ムクシン』は、シリーズ中で最年少の10歳のオーキッドが登場。キュンとする小さな恋の物語の背景に、多民族、多言語、多宗教の人々が共生するマレーシア社会の一面を見ることができる。

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 「慈愛あまねき慈悲深きアラーの御名において」とコーランのテロップが出ると、すぐに小学校の作文の授業風景になり、中華系の教師がオーキッドに「君の作文が好きなんだ。もっと書いて」と話しかける。オーキッドの作文の才能が際立っていたのか、先生の単なる贔屓目だったのか不明だが、この伏線がのちのちに効いてくる。続く学校の外廊下シーン。ひとりの男子生徒の鞄をとりあげて少年たちが投げ合う、小さなイジメ事件をオーキッドが目撃する。(校舎の幾何学的でシンメトリーな美しさに目を奪われる。)その後、いじめっ子たちは正義感の強いオーキッドの反撃に合うのだが、示唆的で、スムーズなスタートだ。この映画では、「罪と罰」がさまざまな形で描かれる。(人だけじゃなく、猫とヒヨコのエピソードも)「やられたら、やり返す」、ドラマの半沢直樹じゃないけれど、「人を傷つけたり、反対に傷つけられたら、どうするか」がテーマでもある。やられっぱなしではいけない、かといって、報復がまた報復を呼ぶとしたら、どこかで止めなければならない。どうしたら、円満に、傷を癒し、許し合い、また共生できるのか….。これは世界の縮図のような多民族国家マレーシアの課題であり、また多様化する世界にとっての永遠のテーマである。

さらに冒頭シーンについて言及すると、オーキッドが学校から帰宅すると、父が率いるバンドメンバーたちがセッションをはじめる素敵なシーンがある。メイドのヤム(アディバ・ヌール)さんが本業の(ヌールさんは歌手で俳優である)美声を披露し、やがて亜熱帯特有の激しい雨になる。なんとオーキッドと若い母(シャリファ・アレヤ:アルヤムの実姉)は、その雨のなか、妙なふりの(おそらくアドリブの)ダンスを踊る。洗練された美しいシークエンスの間に愉快なコメディ要素を挟みながら、シリアスなテーマを伝えるヤスミン。そうしてオーキッドの少し荒んだ心がやわらいでいく。

さて、踊る母娘のうしろの道路を一台のタクシーが通り過ぎる。その窓から出した手だけでダンスをする少年の横顔があいまいに映し出される。「ん?」と思わせる。「ダンス?」「手だけで?」「誰なんだろう?」と観客をひきつける。オーキッドの初恋の相手、ムクシンの初登場シーンであり、彼が叔母の家に滞在する夏休みの初日でもあるが、キュッと心を掴むニクい演出である。

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オーキッドとムクシンは急速に仲良くなり、キービジュアルともなっている、自転車の目の覚めるような美しいショット、また木登り好きなオーキッドと樹上デート(ふたりは実にいろんな木に登っている)は楽しく見応えがある。しかし、ムクシンの家庭事情はなかなか深刻なものがあり、オーキッドと一緒にいる時間だけが安らぎだった。そんな折、サッカーの練習試合でつい真剣になり、エキサイトしてしまったムクシンはひどい言葉でオーキッドを傷つけ、突き放してしまう。

後半、沈むオーキッドを慰め元気づけようと、楽しいこと好きな家族があの手この手を使うも効果がない。ある夜、ナット・キング・コール「ヌキテパ」のレコード盤に針が落とされる。(TIFFトークでアレヤがパーフェクトなシーンだと語る)ダンスを踊る父と母、オーキッドも加わり静かに踊る3人の姿をドア越しにそっと見るムクシン。冒頭の明るいダンスシーンとのコントラストがたまらない。「電話を切らないで」と唄うシャンソン。オーキッドとムクシンに繋がれた「運命の糸」が切れそうなのだ…。その象徴アイテムのように凧揚げの凧を登場させるヤスミン。「ああ、凧の糸が切れてしまったらどうしよう」と切なさがつのる。まったく連絡がとれなくなったオーキッドの元にムクシンが届けた凧には、ある(未だ明かされないトップシークレット)メッセージが残される。オーキッドがそれに気づくのはいつなのか。間に合うのか、それとも…?

無邪気だった少女時代が、失恋のほろ苦い味と共に終わろうとしている。同時に、人を信じることがいかに難しいかを経験したオーキッド。夏休みが終わり、先生に褒めてもらった作文にやっと手をつける。一筋縄ではいかない人生、人間関係、恋。そして不条理。壊れやすい気持ちと痛みと癒しを丁寧に描いた『ムクシン』は、これからも色あせず、シューマンの「ドリーミング」にのせてみんなの心に残り続けるだろう。

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ヤスミン・アフマド監督:ムヴィオラ提供

Information:

監督:ヤスミン・アフマド
キャスト:モハマド・シャフィー・ナスウィプ、シャリファ・アルヤナ、シャリファ・アレヤ
101分/カラー/マレー語、英語/日本語・英語字幕/2006年/マレーシア

オンラインTIFFトークサロンアーカイブ:

関連サイト:

 

Interview 014 小森はるかさん(『空に聞く』監督・撮影・編集)

陸前高田の、とおい未来のこどもたちにも見てほしい

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@realtokyocinema2020

森はるか監督へのインタビューは、長編デビュー作『息の跡』から3年半ぶりとなる。最新作『空に聞く』は、COVID-19で世界がひっくり返る寸前の、第12回恵比寿映像祭(「時間を想像する」)の東京プレミア上映を幸いにも観ることができた。満席の映像祭のホールで、タイトルにこめた思いを語るQ&Aの小森さんの声に観客はじっと耳を傾けていた。東日本大震災後に、アーティストの瀬尾夏美さんとともにボランティア活動のために岩手に移住し、現地でアルバイトをしながら映画を作りはじめた。最初から“まち”に受け入れられたわけではない。少しずつ、少しずつ、居場所を見つけ、人と繋がる努力をしていたころ、陸前高田災害FMのパーソナリティ、阿部裕美さんと出会う。津波の後のかさ上げ工事が進み、まちの姿が変わりゆくなかで、懸命に「声」をつなげようとしていた阿部さんにカメラを向ける、その親密な距離感。ナレーションも音楽もなく、散りばめられた映像の粒子がひとつのエネルギーに静かに集約されていくシークエンスは小森はるか作品の醍醐味だ。「津波の後の風景だったはずが、“復興の前の風景”を撮っていた」と語る言葉が印象深い。ほかにも作品への思いをいろいろと伺った。

聞き手・文:福嶋真砂代

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(C)KOMORI HARUKA
阿部さんはやわらかで凛として、「メディア」になる人

ーー映画の主人公となる陸前高田災害FMパーソナリティの阿部裕美さんのやさしい光に包まれる感覚がしました。まず、阿部さんと小森さんの出会いから教えて下さい。 

小森:陸前高田に私が引っ越したのは2012年の4月でした。最初は大船渡でアルバイトをしていたのですが、その頃に知り合った大船渡の災害FMで働いている方に、陸前高田の災害FMに連れて行ってもらいました。2012年の夏だったかと思います。それ以前から陸前高田の災害FMTwitterをフォローしていて、きめの細かい情報発信を見るたびに、これはよっぽど思いのある人たちがこの災害FMにいるんだろうな、行ってみたいなと思っていました。ラジオ自体は電波の関係で私はあまり聴けてなかったのですが、災害FMの存在感は感じていて、でもその時はまだ阿部さんの存在は知りませんでした。FM局を訪ねると、阿部さんがちょうど出迎えてくれて、「あ、この方がやってるんだ」ってすごく腑に落ちた感じがしました。阿部さんも私たち(小森はるか+瀬尾夏美)のことをTwitter上で知っていてくれて、短い立ち話のなかで「会いたいと思ってました」と言ってくれました。

ーーなんだか運命的ですね。印象はいかがでしたか。

小森:阿部さんの印象は、物腰がやわらかで穏やかで、凛としている方だと初対面の時に感じました。阿部さんに会うと、みなさん同じような印象を持つようです。その時に阿部さんは「メディア(媒介)」になる人なのだろうなと感じました。まちの人たちの間に立って、声をつなげようとされている方だと。

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(C)KOMORI HARUKA

 ーー阿部さんを撮影したいと、会ってすぐに思ったのですか?

小森:出会ってから半年くらい経った時です。最初から撮りたいという思いはあったのですが、すぐにはとりかかれず、「映画を作るんだ」と自分の中で決心するまで半年かかっていました。「人を撮りたい」と決心した時に、阿部裕美さんと、そして佐藤貞一さん(『息の跡』)のお二人を撮影したいと思いました。なので「佐藤たね屋」さんの撮影とほぼ同時期でした。

ーーその決心するまでの半年間はどんな時間だったのですか?

 小森:引っ越して来たばかりで、誰も知り合いもいなくて、地域や、その日常の中に、どうやって入っていったらいいかということだけで精一杯だった時期です。陸前高田は私が住んでいた住田町(気仙郡)から通っていたので、まだどっぷりという感じではなかったんです。

ーーなるほど、そういう微妙な距離感があるんですね。決心してからは、小森さんひとりで撮影を始めたのですか?

小森:はい、ひとりです。「失われてしまったものを忘れないためにどうやって受け渡していくか」ということをされているまちの人たちの記録を映画にまとめたいという思いはあったのですが、このように関係を結んで撮影をすることが可能だったのはお二人でした。

撮りたくても撮れなかった光景がそこにあった

ーー阿部さんを撮ることで、番組のリスナーや、他のFM番組「舘の沖.com」のみなさんとか、いろんな方と繋がっていきましたね。

小森:なかなか人にカメラを向けることができなくて。というのは、はじめからカメラを持って出会ったのではなくて、大学院生(自身)が移住してきて、お蕎麦屋さんで働きはじめて、それで受け入れてもらい、親戚みたいにつきあってくれた人たちに対して、私がカメラを向けるとなると、被災した人とそれを撮りに来た人、という関係に結び直されてしまうと感じて。そうではなかったかもしれないけれど、自分としてはそれが怖かったんです。そんな気持ちがありましたが、阿部さんが関わっているラジオの収録の場面では、カメラを向けることが出来たんです。それまで撮りたくても撮れなかった光景がそこにありました。

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(C)KOMORI HARUKA

ーー「被写体」としてだけではなくて、扉を開けてくれた出会いでもあるのですね。

小森:扉が開いたんだと思います、ほんとに。ラジオの収録ではあるけれど、映像で記録することを阿部さんも理解してくれたので、撮影に入っても大丈夫な現場に招いてくれました。

ーー「黙祷放送」のシークエンスは圧巻でした。

小森:「黙祷放送」はどうしても撮りたくてお願いしました。地域のみなさんがともに「月命日(毎月11日)に祈る時間」が必要だったのではと思うんです。災害FMで「黙祷放送」をするというのは、ひとりではなく「みんなその時間にいるんだな」と、誰かと一緒に祈る時間を共有するもののように感じられました。弔いの時間のひとつになっていたと思います。

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(C)KOMORI HARUKA
手を撮ることは、顔よりもその人を感じられる

ーー阿部さんが放送局でCDをセッティングしたり、カフを上げ下げしたり、その手仕事を、本業は何をしている方なのだろうと思って見ていました。他にもお弁当を作る手や、お墓参りの手順も整然としていて無駄がない。そしてついに「和食 味彩」ではたらく阿部さんが映され、「阿部さんの手の秘密はこれだったのか」とわかる、そのシークエンスにゾクっときました。

小森:そうなんですね、ぜんぶが繋がってるなと思いました。阿部さんの手の動かし方は生活している人の、プロとはまた違うリズムがあると思いました。人が作業しているところを見ているのが好きです。手を撮るのは、顔よりもその人を感じられると思うからなんです。阿部さんは「ひとつひとつ確認する」というところが手に現れていて、それが阿部さんの性格を表しているように思います。丁寧に、間違えないように、緊張感を持って点検していく感じ。震災前に飲食店で仕事されていたときも、そうやって仕事をされてきたのだろうということが伝わってきて、すごくいいんですね。

ーー阿部さんはこの映画をいつごろ観られたのですか?

小森:愛知芸術文化センターでの上映の前です。観ていただいて、確認作業に長くお付き合いいただきました。阿部さんが気になるところ、誤解がないようにというところを指摘して下さって、そのすべてに私が応えられたわけではないのですが、阿部さんのほうから、「小森さんの表現だから、やりたいようにやったらいいよ」と言って下さって、結局はそのようにやらせていだだきました。

どこまで情報があったほうがいいのか、私自身も迷いがあったし、阿部さんも心配されたところです。本当に伝わるかどうか。例えば黙祷放送のシーンは、最初に原稿を読んでから黙祷をして終了となるのですが、じつは原稿を読んでいるところを私はカットしています。黙祷放送にとってとても大事な部分なので私も迷いましたし、阿部さんもなぜカットするのかと思われたと思うのですが、編集意図を理解して受け入れて下さいました。本当に難しいところですが、迷いはありつつも、やはり自分が観たいものを選びました。手探り状態で撮影をはじめた中で「これだ」というものを自分で見つけていくときに、阿部さんにご意見いただいて、いい意味で自分のやりたい方向を見つけさせてもらったという気がします。 

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(C)KOMORI HARUKA
津波の後の風景だったはずが、復興の前の風景を撮っていた

ーー2013年冬からのFM局と2018年夏のインタビュー部分と、二つの時間にまたがって撮影をされています。過去に撮影した素材で、時間を隔てて映画にしようと決心した時、気持ちも変化していくのだと思いますが、撮った素材に対しての思いも変化をしていますか。

小森:それはあるような気がします。その時は何も映らないなと思って撮っていた風景が、もはやいまは失われた風景になっていたりします。また時間が経てば変わるかもしれないですが、「津波の後の風景だったはずが、復興の前の風景を撮っていた」ということになっていくんです。自分が作品にしようと思うタイミングによって素材の見え方、捉え方が違ってくるし、阿部さんの語りによって、そういうふうに見直せたということはあります。そんなことがこれからもずっと起きるような気がしてます。

ーーコロナ禍でお祭りの在り方も変わってくると、それを映像化して残すことも貴重です。毎回「お祭り」は小森さんらしくて魅了されます。

小森:ほんとですか、お祭りばかり撮るのは卒業しなきゃ(笑)。もし記録係として撮るならいろんなことを定点的に撮っていないとダメですけど、記録をすると言いながらも、私は自分の撮りたいものしか撮っていなくて。せめてそれを何かしらの形で渡したいという時に「映画」という表現方法が今はいちばんしっくりきます。お祭りの意味合いとしても鎮魂の意味がありますし、そこに居なかった人たちが、人が集まることで見えてくる。お祭りによって人の気持ちが可視化されることがあると感じて、その瞬間を見たいと思って撮ってしまうし、編集で入れてしまうんです。

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(C)KOMORI HARUKA

 ーー「ワッショイ、ワッショイ」の声の被せ方に痺れますし、阿部さんが「おかえりの文字が上から見えるような位置に書いてあるんですよ」と話してくれたのも、鳥肌がたちました。現世とあの世をつなぐ、それこそ「メディア」として撮る、小森さんのお祭りは、賑やかさだけではなく、どこか寂しさを感じさせます。

小森:確かにすごく寂しさを感じます。お祭りだけど賑やかだけじゃない。それが伝わるのはうれしいです。

撮られる側の意識が変わってきている

ーーちょっと話が変わるのですが、いまは高性能スマートフォンカメラがあって、どこでも人は撮影することに抵抗がなくなってきました。映画を撮る状況も、小森さんが映画を撮り始めてから変わってきたのではないでしょうか。

小森:変わっています。撮る側だけではなく、撮られる側の意識もすごく変化しているなと感じます。日常的に撮られる機会が増えて、「映像に映っている自分」を観る機会も増えていますね。昔の人が感じた「写真に魂を抜かれる」恐怖感とは違うんだと思います。特に若い人たちはどういうふうに撮られているかわかって撮らせてくれている感じがして、そういう意味で変わってきたと思います。

『二重のまち/交代地のうたを編む』(制作:小森はるか+瀬尾夏美)の撮影をした時に、初めて陸前高田の高校生を撮らせてもらったのですが、例えばご高齢の方は、カメラに自分がどう映っているかわからないからこそ自然でいてくれることがあります。でも高校生はその逆で、カメラに撮られていることをわかりながら「自然に」居ようとしているなというのが伝わってきて、カメラの前で「振る舞える」ということですね。だからこそ自分も気をつけようと思いました。被写体側がそうやって受け入れてくれることに甘んじないようにしようと。撮らせてくれることに慣れてしまうのは、自分でもちょっと怖いなと思ってます。

 

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(C)KOMORI HARUKA

陸前高田の、とおい未来のこどもたちへ

ーー最後に、この映画をどのように見てもらいたいでしょうか。

小森:映画を見てくださる方それぞれに、阿部さんの声を聞いて、変化していく陸前高田の風景を見て、何か感じるものが一つでもあれば嬉しいです。あと最近想像するのは、このまちでこれから生まれる人たちは「いまの状況」は見れないだろうなということです。震災の記録は多く残っているし、津波や被害の様子などは資料館にもあります。でも復興していくまでの時間の人々の複雑な思い、例えば阿部さんがラジオのパーソナリティをしていた時間や、佐藤(たね屋)さんが井戸を掘っていた時間、という記録はなかなか出会えないと思うんです。だから、それを次に渡したいという気持ちがあります。自分がもしそこに生まれたとしたら、そういう人たちがいたことを知りたいと思うだろうな、と。いまに至るまでに間をつないでいた人たちを誰かに伝えたいという思いがあって、記録しているのだと思います。陸前高田でそれを必要とする世代はもっともっと先のことかもしれない。おじいちゃんやおばあちゃんからその話を聞けるという世代はまだ大丈夫ですけど、そのもっととおい未来のこどもたちがいつか見るものであったら、という思いもあります。

(※このインタビューは、2020年10月16日に行われました。)

1121()より東京 ポレポレ東中野にて公開、ほか全国順次公開

Information:

監督・撮影・編集:小森はるか
撮影・編集・録音・整音:福原悠介
特別協力:瀬尾夏美
企画:愛知芸術文化センター 制作:愛知県美術館
エグゼクティブ・プロデューサー:越後谷卓司
配給:東風  2018年/日本/73分

www.soranikiku.com

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Review 45『メイキング・オブ・モータウン』

デトロイト発、モータウン初期13年の音楽記録

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(C)2019 Motown Film Limited. All Rights Reserved

先日、米国の「ローリング・ストーン」誌が発表した2020年版「歴代最高のアルバム500」で1位に選ばれたのは、マーヴィン・ゲイの『ホワッツ・ゴーイング・オン』。1971年にモータウン・レコードから出たアルバムだが、現在の社会状況を反映したランキングであろう(以前の2012年版の1位は『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』)。本作は、ファブ4やストーンズが魅せられ、スプリームススティーヴィー・ワンダー、ジャクソン5、等々のヒット曲を生み、ブラック・ミュージックの素晴らしさを世界に広めたモータウン・レコード設立60周年記念のドキュメンタリー映画である。1959年にデトロイトの自宅で、ベリー・ゴーディ1929年生まれ)が創設してから、1972年にロサンゼルスへ移転するまでの時代が描かれる。

そのゴーディと、歌手、作曲家、プロデューサーで副社長だったスモーキー・ロビンソン1940年生まれ)の2人が饒舌に楽しげに回想し、様々な歌手や作曲家、スタッフ(黒人だけではない)が証言する。更に、ライブやスタジオの貴重な映像(「エド・サリバン・ショー」に出演するスプリームスアポロ・シアターモータウン・レビューのスティーヴィー、等々)が多く登場して楽しめる。また、今のアーティストであるドクター・ドレジョン・レジェンドジェイミー・フォックスサム・スミス(!)がモータウンへの愛を語り、更にキング牧師1963年に演説レコードを出した)、ネルソン・マンデラバラク・オバマオプラ・ウィンフリー等の著名人が絶賛する。

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(C)2019 Motown Film Limited. All Rights Reserved

そして、音楽とその時代に起きた社会状況との絡みも当然出てくる。スモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズの「ショップ・アラウンド」が大ヒットした1960年はJFKが大統領に当選した年で、『ホワッツ・ゴーイング・オン』の1971年はニクソン・ショックの年だ。その間の10年間、つまり60年代のヒット曲、社会の出来事はご存知の通り。例えば、映画『デトロイト』は1967年のデトロイト暴動の話であり、スプリームステンプテーションズが南部をバスでツアーした時に受けた人種差別は映画『グリーンブック』の話でもある。そんな南部でもモータウンのレコードはヒットしていた訳だが。そして映画の終盤、ウッドストックの年、1969年のテンプテーションズサイケデリック・ソウル曲「クラウド9」はその時代の趨勢の反映だ。「ホワッツ・ゴーイング・オン」は、弟がベトナムに行っている事でゲイのシンガーソングライター魂から生まれた歌であったが、その制作秘話は本作のハイライトの一つ。この歌が現代のアンセムになったのは驚異と言うべきか。さあ、映画を見ながらヒット曲を一緒に歌おう!

フジカワPAPA-Q ★★★★.5

Information:
監督:ベンジャミン・ターナー、ゲイブ・ターナー
出演:ベリー・ゴーディスモーキー・ロビンソン
2019/カラー/5.1ch/アメリカ、イギリス/ビスタ/112分/字幕翻訳:石田泰子 監修:林剛  
配給:ショウゲート

2020年9月18日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷ほかにて全国順次ロードショー

cinerack.jp

関連サイト:

Review 44『Daughters』

美しい季節、眩いばかりの彼女たち

文:福嶋真砂代

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(C) 「Daughters」製作委員会

異色作『Daughters』(津田肇 脚本・監督)が現在公開中である。ルームシェアをしている若いふたりの女性、小春(三吉彩花)と彩乃(阿部純子)が主人公。それぞれイベントデザイナー、ファッションブランド広報としてキャリアも私生活も謳歌していた。そんななか彩乃が妊娠、シングルマザーになる決意をする。彩乃と同居する小春は戸惑いつつも「新米パパのための妊娠・出産」を勉強し、応援することにした。新しい命の誕生を前にして変わるふたりの生活、そして成長していく10ヶ月を、東京・中目黒の美しい季節の移り変わりを背景に描く。

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(C) 「Daughters」製作委員会

とにかく映像の美しさが印象に残る。色彩、照明、衣装(tiit tokyo)、美術、カメラアングル。いっそ「アート」と呼びたくなるほどのこだわり。音楽もそうだ。心地よく刺激的なサウンドが映像と融合し作品に多彩な質感を纏わせる。Hiroaki Oba、Utae、jan and naomiなど、新進気鋭のプレイリストを聴けるのは貴重だ。なにやら香港、ウォン・カーウァイ監督の『恋する惑星』や『花様年華』を観たときのような衝撃さえ感じる。幼少期をシンガポールと香港で過ごしたという津田監督自身の経験が影響しているのかもしれない。いずれにしても『Daughters』は確実に現代の華やかで混沌とした空気感(コロナ禍以前の東京)、都会に生きる若者たちを鋭敏な感覚で捉えている。

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(C) 「Daughters」製作委員会

そして目を惹きつけるのは、小春と彩乃を演じる三吉彩花阿部純子のほとばしりでる生命力と躍動感。このふたりの、煌めくような美しい季節を鑑賞すること、それだけで幸せだ。随所に楽しい仕掛けも散りばめられる。例えば小春はイエロー、彩乃はブルーと、それぞれのベースカラーがシーンに活かされている。さらに主題歌の「GREEN」(chelmico)は、イエローとブルーの混ぜ色をタイトルにした、というトリック感もニクい。回想シーンもユニークで、例えば中華レストランのトイレから過去へ、あるいはベビー入浴レッスンからスイミングプールへ、シームレスにタイムワープする仕掛けもおしゃれなのだ。

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(C) 「Daughters」製作委員会

脚本は、津田自身のルームシェア生活体験や娘の誕生をもとに練られ、登場人物を「女性」に置き換えた。「誰と、どこに住むか?」というテーマをキーとしながら、悩み葛藤しながらも自分の道を選ぶ女性たち、仕事と出産育児の両立、周囲のリアクション、小春と彩乃の不安や動揺も丁寧に描かれる。三吉の爽快な存在感、また阿部の豊かな感受性(個人的にいま注目女優のひとりである)も魅力だ。彩乃の祖母や父親とのシーンも興味深いものがある。

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(C) 「Daughters」製作委員会

人生の未知の領域へ踏み出す彩乃と小春に若さゆえの危うさもあるが、あながち人生はそうやって少しアバウトながらも前進するうち、些末な問題はその中で解決されていくもの、「大丈夫だよ」と背中を押すように(小春が旅する)沖縄の海と太陽が包み込む。現在はコロナ禍で湿っぽい日々だが、だからこそ眩い輝きと開放感がありがたい一本だ。

 Information:

脚本・監督:津田肇
出演:三吉彩花阿部純子黒谷友香大方斐紗子鶴見辰吾、大塚寧々
プロデューサー:伊藤主税 エグゼクティブプロデューサー:佐藤崇弘 ラインプロデューサー:角田道明
撮影:高橋裕太 横山マサト 照明:友田直孝 サウンドデザイン:西條博介 美術:澁谷千紗 内田真由
ファッションディレクター:岩田翔(tiit tokyo) スタイリスト:町野泉美  ヘアメイク:細野裕之
キャスティング:伊藤尚哉 助監督:北畑龍一 松尾崇 安井陶也 制作担当:天野恵子 犬飼須賀志 櫻井紘史
音楽プロデューサー:芳賀仁志
企画:CHAMELEONS INC.  制作プロダクション:and pictures 制作協力:Lat-Lon 
配給:イオンエンターテイメント・Atemo
製作:CHAMELEONS INC./and pictures/キングレコード/ワンモア/沖潮開発
上映時間:105分

2020年9月18日()ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開

daughters.tokyo

Review 43『死霊魂』

「そこで何が起きたのか?」悲劇の真実を探り記す、魂の旅

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©LES FILMS D’ICI-CS PRODUCTIONS-ARTE FRANCE CINÉMA-ADOK FILMS-WANG BING 2018
ワン・ビン独特の「意外性」にいざなわれて

中国のワン・ビン監督(以下、ワン・ビン)のドキュメンタリー『死霊魂』(カンヌ映画祭公式出品、山形ドキュメンタリー映画祭大賞と観客賞受賞)。シアター・イメージフォーラムにて8月に特別公開された本作は、10月から追加上映が決まった。ポスタービジュアルに浮かぶタイトル、そこに潜む得体の知れない恐怖に思わず怯んでしまうが、その中身にはいくつかの「意外性」があるように個人的に思う。

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©LES FILMS D’ICI-CS PRODUCTIONS-ARTE FRANCE CINÉMA-ADOK FILMS-WANG BING 2018

ひとつは、思いの外、穏やかさがあること。そこにはワン・ビンの素朴な人間味がもたらすある種のマジックが潜むのではないだろうか。老人たちからとんでもない実体験の記憶を引き出すワン・ビンは、程よい距離を保ちながら謙虚に相槌を打ち続ける。激昂する者、涙する者、死の床につく者。元囚人や関係者の声に我々はただひたすら耳を傾け、想像を絶する現実を思い知る。様々なエピソードが緻密な計算のもとに整然と編集され、だからこそ、当時の恐ろしさが地続きで伝わってくる。「この尺は必要不可欠だった」とワン・ビンが吐露する8時間26分。そこに一体何が描かれるのか、何を物語るのか……。それを探す長い旅になる。

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©LES FILMS D’ICI-CS PRODUCTIONS-ARTE FRANCE CINÉMA-ADOK FILMS-WANG BING 2018

3部構成となるドキュメンタリーに刻印されたもの、それは「1950年代後半、中国共産党によって突然『反動的な右派』と名指しされた55万人もの人が理由もわからずに、夾辺溝(ジアビエンゴウ)再教育収容所へ送られた『反右派闘争』。生存率10%とも言われた収容所から生き延びた人々が、半世紀以上の時を経て、カメラの前で語る様子をとらえる」と解説にある。ワン・ビンはその真実を語れる数少ない生き残りの人々を探し訪ね、死者の魂を呼び醒ます「生声」にアクセスする。

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©LES FILMS D’ICI-CS PRODUCTIONS-ARTE FRANCE CINÉMA-ADOK FILMS-WANG BING 2018

もうひとつ、これは「意外性」というのが正しいのかわからないが、老人たちの記憶は驚くほど鮮明であること。ほとばしり出る語りの中に、60年前の壮絶な光景がありありと目の前に浮かび上がる。実に120の証言と約600時間のラッシュ映像の素材から作られたという。封じられた深い傷と悲しみを掘り起こす繊細で大胆な作業。過去作の、ワン・ビンにしてはレアな劇映画の『無言歌』(2010)、さらにドキュメンタリー『鳳鳴 中国の記憶』(2007 のソースはまさに彼らの話の中にあったのだ(『無言歌』は楊顕恵の小説『夾辺記録』を原作として、さらなる取材をもとに作られている)。

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©LES FILMS D’ICI-CS PRODUCTIONS-ARTE FRANCE CINÉMA-ADOK FILMS-WANG BING 2018
ワン・ビンが記す中国の重要な証言記録

このドキュメンタリーは「映画」であると同時に、ワン・ビン監督によって記される中国に実際に起きた出来事の重要な証言記録である。それを明確に認識することになるのは第3部かもしれない。第1部、第2部に収録された囚人側のエピソードに心揺さぶられた後、第3部の収容所の元職員に話を聞くシーンは「そこで何が起こったのか」を検証する意味でも興味深い。さらにカメラは、収容所の跡地と思われる砂漠を歩くワン・ビンの背中を追いかける。「なぜこの映画を撮ろうと思ったのか」、その背中を見ながら、ワン・ビンの崇高な意志と、人間の生と死への深い探究心に戦慄さえ覚える。

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©LES FILMS D’ICI-CS PRODUCTIONS-ARTE FRANCE CINÉMA-ADOK FILMS-WANG BING 2018
●”命”と”死”がテーマ

インタビュー(下記リンク)の中の作品テーマに関するメッセージを抜粋する。「8時間を超える作品なので、鑑賞は非常に疲れるはず。しかもを扱っています。非常に重たい題材です。ですがは永遠であり、我々のは非常に短いもの。私を含めて、について語りたくない、直面したくないという方々は多いと思います。でも、年を重ねるとについて考え始めるでしょう? 昔は私も避けていたテーマです。しかし、今はこの題材から逃げることができなくなった。作品を通じて、さまざまなものを受け取っていただけたら幸いです。」

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さらに、『無言歌』のためのインタビューで語られた映画の背景についての部分は、そのまま『死霊魂』の背景に繋がり、わかりやすいので以下に引用します(ムヴィオラ『無言歌』プレス資料より)。

ワン・ビンいわゆる「百花斉放・百家争鳴」キャンペーンの後、1957年に、中国共産党100万人以上の市民に対して、彼らが行った党への批判、または単に家族の出自を理由にして「反右派闘争」を開始しました。

19571958年にかけて、中国西北部ゴビ砂漠にある甘粛省夾辺溝の再教育収容所では「右派」と名指しされた3000もの人々が過酷な労働を強いられていたのです。そしてその同時期、1960年まで、中国全土を大干ばつが襲いました。その年の10月、夾辺溝収容所の1,500人の生存者は、新しい高台県明水分場に集められました。著しい疲労、食糧の不足、過酷な気象条件にあって大量死は不可避でした。生き残ったのは500人に満たなかったといいます。

Information: 

原題:死霊魂|英語題:DEAD SOULS|監督・撮影:ワン・ビン|製作:セルジュ・ラルー、カミーユ・ラエムレ、ルイーズ・プリンス、ワン・ビン|フランス、スイス|2018年|8時間26分(3部合計)|DCP|カラー|日本語字幕:最上麻衣子(第一部)、新田理恵(第二部、第三部)

配給:ムヴィオラ

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