REALTOKYO CINEMA

リアルトウキョウシネマです。映画に関するインタビュー、レポート、作品レビュー等をお届けします。

Interview ロウ・イエさん(『シャドウプレイ』監督、『夢の裏側~ドキュメンタリー・オン・シャドウプレイ』出演):東京フィルメックス2019

 アーティストの使命は信念を持って前へ進み続けること

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(c) DREAM FACTORY, Travis Wei

第20回東京フィルメックスのオープニング『シャドウプレイ』のために来日したロウ・イエ監督にインタビューした。合わせて特別招待作品として上映された『夢の裏側~ドキュメンタリー・オン・シャドウプレイ(2018)』はロウ監督の妻であるマー・インリー監督により作品の裏側が詳細に記録されていて興味深い。中国広州で起きた実際の事件をもとに、中国、香港、台湾にわたり撮影されたミステリーは、中国改革開放を背景に、欲とカネに翻弄される人間がたどる運命を、魅力的なキャストとロケでスリリングに描いていく。奇しくも香港の民主化運動が激化するなかでの来日となったが、慎重に言葉を選びつつ、映画芸術へのしたたかで熱い信念を確かに伝えてくれた。(なお本作にはエディソン・チャンが復帰出演している。)

@realtokyocinema
■『天安門、恋人たち』の続編とも呼べる物語

ーー『夢の裏側~ドキュメンタリー・オン・シャドウプレイ』 では『シャドウプレイ』 のロウ・イエ組の撮影現場の様子や作品の裏側を知ることができて興味深いです。『シャドウプレイ』は、200枚の写真から映画作りが始まったということですが、現実とフィクションをどのように融合させたのですか? また(メイ・フォン、チウ・ユージエ、マー・インリによる)共同脚本はどのように作られたのでしょう。撮影中にも脚本が変化していったと伺いました。

僕の作品はだいだい同じようなプロセスで脚本ができるのですが、まず初稿として物語のいくつかのパートを作り上げます。そこで改革開放をバックにした物語を撮るというのが最初に決まり、その上で、ある家族と個人を描くという構図が決まります。平行して美術部がすでに仕事をスタートさせていて、そこで集められた洗村(シエンソン)に関する多くの写真から、また新たに脚本を組み立てていくのです。そのようにしていろいろなものを融合させながら、最終的な脚本を作り上げます。もちろん現場ではしょっちゅう変更していきます。

さらに僕の世代は、改革開放をバッググラウンドにして青春を送った世代で、まさにその中で人生を歩んできたのです。ですから『天安門、恋人たち」以降の社会の変化が人生と重なります。この物語の登場人物たちは『天安門』で青春を過ごした人たちで、彼らが中年にさしかかるこの映画は、いわば『天安門』の続編とも呼べるのです。

ーー「洗村」を映画のモデルとした理由は?

広州市「洗村」はとても複雑な地域です。まるで改革開放以来の中国の縮図のように、中国の過去と現在が同時に存在しているような地域です。そこでは改革開放の数十年の間に金銭にまつわるいろいろな事件が起きました。例えば官僚と実業家の癒着の汚職事件や、立ち退き交渉に関する反対運動などですが、このようなことはこの数十年間に中国社会で起こっていたことです。2016年当時の洗村には、この映画にあるような形が残っていたのですが、いまは村はほとんど消滅しています。

多くの制限のなか、描きたいのは「反ジャンル映画」

ーーデリケートな話かもしれないですが、改革開放で中国経済が発達して社会が変化する一方で、現在の香港は厳しい状況が起きています(2019/11/25現在)。監督は、香港やいまの中国についてどのようにお考えですか?

ひとりの映画監督としては、自分の態度は映画を通じて発信するものだと思っています。映画のなかで、現実に起こっていることをドキュメンタリー的に撮ってひとつの映画作品として発表するのです。もちろん権力や金銭、あるいは富と貧困の矛盾は中国の他の地域でもたくさん起きています。それらすべてを描くのは限度がありますから、映画として描けるものを、多くの制限のなかで描いていくというスタンスです。この映画のなかで実業家のジャンが、例えば『天安門』のなかでは理想主義者だったのが、今は拝金主義者になっているとします。そうすると彼はお金さえあれば、豊かな生活ができさえすれば、すべての問題は解決できると思っているわけです。しかしながら実際はそうじゃない。お金がいくらあっても解決できない問題なんだ、というのが答えです。そういう意味で、すべてのことには必ず「結果」というものがついてくる。たとえば映画の中で 「アユンの死」を隠そうとしたが、結局は隠し通せるものではなかった、最終的には真相というものが明るみに出るのです。

ジャンル映画の中では悪と善の境界がはっきりしているのですが、僕の映画のなかではその部分は極めて曖昧です。ですのでこれは「反ジャンル映画」と言ってもいいと思います。発端は善であったとしても、結局は悪に変わってしまう。こういうことは人間社会に往往にしてあると思います。「曖昧な人間の世界を描きたかった」というのが、この社会に対する見方です。もともとは愛から出発したものであっても、それが欲望に変わり破滅に向かってしまう。あるいはお金のために破滅に向かっていく。すべて避けられない流れなのです。

ーー人々が地位や名声、欲を追い求める中国社会の30年間が描かれましたが、結局は時代に翻弄されたのは女性だったのではないかと感じました。

僕も女性が犠牲になっているという考えに賛成です。しかし、ジャン(チン・ハオ)もタン主任(チャン・ソンウェン)も同じように経済発展の犠牲者であることは確かです。人間の欲望というものがその道に追い込んで行く。そのように人物設定を行いました。そのことは若い世代のヤン刑事(ジン・ポーラン)にさえ言えます。ヤン刑事は最初はとても純真な感じでとても颯爽とした青年の雰囲気を持っていましたが、だんだん事件に巻き込まれていき、被害者のひとりであるようになってしまいます。

いちばんいい演技は、演技をしていないこと

ーージン・ポーランさんとソン・ジアさんは監督と初めての仕事だったと思いますが彼らを起用した理由は? またチン・ハオさんとは一緒に多くの作品を作り、強い信頼関係で結ばれていると思いますが、監督にとってのチン・ハオさんの魅力とは? またキャストの演出で心がけることはどんなことでしょうか。

まずこの物語には若いふたりの人物が必要なので、多くの役者に会って面談したのですが、ジン・ポーランとソン・ジアがヤン刑事役とヌオ役にぴったりだということで起用しました。ふたりとも最初は僕の撮影の方式に馴染まなかったのですが、だんだん慣れてきてついてきてくれて、すばらしい演技をしてくれました。

チン・ハオについてはよくわかっている役者なのでやりやすいのですが、彼のいちばんの魅力は、自分で固まったスタイルを持っていないこと。どんな役も役として入っていけるところがすばらしく、すごく優れた俳優だと思います。

演出では、できるだけ役者にその人物になりきってもらうことが重要です。私が細かい指示をするのではなく、この人物だったらどういうふうに動いているかをカメラが捉えるということです。できるだけカメラを意識しないで人物になりきって動いてこそ、自由な幅ができるのです。できるだけ現場では自由にやってもらう。役者は、自分がその人物になりきっていれば、動きは自然に作ることができるはずです。そうは言っても、このような撮り方はカメラマンにとってもとても難しい。役者に任せているので急にいろいろ変わります。それをカメラがどういう風に撮っていくかは難しくなります。しかし自然な人間の行動を撮ろうとしたらそういう撮影方法にならざるをえないのです。よくスタッフに言うのですが、いちばんいい演技は、演技をしていないこと。すばらしいカメラワークはライティングもカメラの存在すら気にならないように撮ること。難しいのですが、それがいちばんいい撮り方だと伝えています。

@realtokyocinema
アーティストは信念を持ってやり続けることが大事

ーードキュメンタリーの検閲とのやりとりを見て胸が痛くなりました。検閲とたたかう時の監督の強さはどこから生まれるのでしょう。

最初に当局から修正案を受け取った時、自分は修正に応じないと言いました。応じないことイコール公開ができないということです。しかしそうは言っても、いろんな状況がありますから、1年後にいくらか妥協して修正に応じました。なぜなら中国での公開を目指したからなのです。中国以外の国でそのような映画の検閲をする国がどれくらいあるのか知りませんが、いずれにせよ、そのような検閲というものは芸術作品にとって大きな損害であることは間違いないでしょう。『二重生活』の時にも検閲の問題がありました。検閲というのは、それを行う人と受ける人の二者が存在するから生まれるものですが、それは理論的なことです。実際にアーティストがどういうふうに検閲に応じていくかというのは全然簡単なことではなく、非常に大きな努力を強いられます。それでも芸術のため、あるいは公開のために努力して、信念を持って続けていくことが大事と思っています。

中国で映画監督をやる人は、作品を公開したいと思えば必ず検閲というものを通らなくてはいけないのです。修正意見が出た時、ある監督はそれに応じる、またある監督は拒否するでしょう。あるいは全面的に受け入れたりもするでしょう。それぞれの監督によって対処の仕方が違うのです。でも僕はいずれの方法も尊敬されなければならないと思います。各作品で求めるものが違います。なのでどの選択もありうるものだと思います。いずれにせよ、このような事態がもっと改良されて前に進んでいくことを祈っています。

ーーメイキングのなかで、監督は中国経済は発展したけれど「観客が育っていない」ということを話されていました。実際、中国の映画状況はどうなのでしょうか?

僕が「2流の観客」というふうにドキュメンタリーのなかで言っているところだと思いますが、それは「本来観ることができるものが観られない(観客)」という意味なんです。検閲によっていろんな箇所が削除されてしまい、本来の制作者が伝えたいことが観られないということなんです。これは商業映画、芸術映画でも同様に言えるのだと思います。

■二転三転したタイトルについて

ーー「シャドウプレイ」というタイトルは、検閲に通らず二転三転した後、「シャドウプレイ」になったということですが、「影絵」という意味もあり、人の光と影を画面上で感じたり、まっくら闇の中でも動きがあったり、タイトルはぴったりだと思いましたが監督はどのように?

賛同します(笑)。僕もいいと思っています。最初に考えていた「一条の夢」や「風の中の一辺の雲」(「一场游戏一场梦」(一夜のゲーム、一夜の夢)や「风中有朵雨做的云」(風のなかに雨でできた一片の雲))というのも同じような意味がありますが、加えて「シャドウプレイ」には、人間の裏と表を表現する、しかしその人間たちは影絵のように社会に操られている、という意味もありとても合っていると思っています。

(※このインタビューは2019年11月25日に行われました。)

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追記:2020年3月12日現在、「新型コロナウィルスの感染拡大を受け、中国での 『サタデー・フィクション』の公開が未定となったため、日本での公開も現時点で未定となっています」(アップリンク公式ページ)と発表されている。公開が待たれます。

【レポート】ロウ・イエ監督『シャドウプレイ』Q&A | 第20回「東京フィルメックス」

Information:
『シャドウプレイ』

(2018年/中国/125分/北京語・広東語・台湾語/DCP/1.85:1/原題:风中有朵雨做的云)
中国・広州。都市再開発計画に反対する住人たちの暴動のさなか、市当局の再開発事業の責任者が死の謎をとげる。現場に居合わせた若い刑事ヤンはその死の謎を探るが、何者かの謀略でスキャンダルに巻き込まれる。香港に逃れた刑事は、その謎の鍵を握る若い女性と恋に落ちるが……。
2013年に実際に広州市で起きた汚職事件を巡る騒乱をベースに、中華圏の若手スター、ジン・ボーランを主演に迎え、中国、香港、台湾を舞台に、改革開放が本格化した80年代末からの30年間を、時代に翻弄された複雑な人間関係とともに描いたサスペンス映画。第69回ベルリン国際映画祭、第55回台湾・金馬奨正式出品作品。
監督:ロウイエ
脚本:メイ・フォン、チウ・ユージエ、マー・インリ―
撮影:ジェイク・ポロック
音楽:ヨハン・ヨハンソン、ヨナス・コルストロプ
出演:ジン・ボーラン、ソン・ジア 、チン・ハオ 、マー・スーチュン、チャン・ソンウェン、ミシェル・チェン ほか
日本語字幕:樋口裕子
配給・宣伝:アップリンク
(c) DREAM FACTORY, Travis Wei


『夢の裏側~ドキュメンタリー・オン・シャドウプレイ』
(2019/中国/94分)
変わりゆく中国の現代を20年に渡って描き続けてきたロウイエ監督は、かつて『天安門、恋人ち』天安門事件を扱っめ中国電影局より5年の映画製作・上映禁止処分を受けそのめ中国第6世代を代表する作家として世界で称賛を受ける一方、中国国内での知名度は低かっ本作は『シャドウプレイ』の過酷な製作現場、そして表現の自由をかけて検閲と闘い続ける監督の姿を、同作の脚本家で監督の妻であるマー・インリーが記録したドキュメンタリーである。
監督:マー・インリ―
出演:ロウイエ、 ジン・ボーラン、 ソン・ジア 、チン・ハオ 、マー・スーチュン、チャン・ソンウェン、ミシェル・チェン 、ほか

TIFF Report: 『わたしの叔父さん』(第32回東京国際映画祭 コンペティション部門)レビュー&記者会見レポ

人間にとって大切なものを静かに問いかける北欧映画

取材・文:福嶋真砂代

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© 2019 88miles

32東京国際映画祭コンペティション部門 東京グランプリの栄冠に輝いたのはデンマークユトランド地方を舞台にした『わたしの叔父さん』。フラレ・ピーダセン監督(監督・脚本・撮影・編集)が昔からの知り合いだという元獣医の女優イェデ・スナゴーと、彼女の実の叔父であるペーダ・ハンセン・テューセンを主役に起用し、酪農農家の毎日の暮らしと人間模様をリアルに、ユーモアを込め、静かなトーンで描いた。

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©2019 TIFF

不幸な事故で両親を亡くしたクリスは身体の不自由な叔父のペーダと農場で二人暮らしをしていた。冒頭シーンの雰囲気から「老人介護」の映画だろうかと思わせるも、1日のルーティンをひたすら無言でリズミカルにこなすふたりの動きがだんだんユーモラスに見えてくる。たとえば叔父さんのお気に入りのヌテラ(Nutella)をパンに塗って食べる朝食シーン、またそのヌテラを大事そうにスーパーで買うシーンなど、細部のこだわりが楽しい。上映後の記者会見では、イェデとペーダが実の叔父と姪であり、さらにイェデが元は獣医をしていたという事実が明かされ記者たちを驚かせたが、リアルな演技の理由に納得した。イェデさんに上映後に会って伺った話では、「実はペーダおじさんはヌテラを食べたことがなく、撮影時に初めてヌテラを知ったのだけど、ものすごく気に入ってリハーサルで食べ過ぎ、本番で食べられなくなってしまったの」という微笑ましいエピソードや、ペーダさんは脳梗塞を患いつつも現在は回復してひとりで農場生活をしていて「私も手伝います、時々ね」とチャーミングに教えてくれた。スクリーンに映るとおりの彼女の穏やかでピュアで奥ゆかしい人間性に触れた。

カメラは淡々と農場での営みを映し続けるが、叔父の世話も獣医への夢も捨てきれないクリスの複雑な気持ち、また合唱団のマイクと出会い、恋愛への意欲も見せてみたり、農場の外の世界に出ようとするクリスの“冒険”がストーリーの起伏を作る。農場の、また叔父との生活の大切さにあらためて気づくクリスを通して、都会化、IT化で人間性を見失う現代人を憂い、「人間にとって本当に大切なことは?」と問いかける。クリスが未来よりも「現在」を見つめるようなラストは少しミステリアスな香りがする。

下記リンクにあるインタビューではピーダセン監督がカメラワークについて触れている。小津安二郎監督が編み出したローアングルショットは「オヅ・ショット」とデンマークで呼ばれ愛されているそうだ。そう言われれば、クリスが『晩春』の原節子演じる婚期を逃した娘に重なるようにも見えてくる。なんとも奥ゆかしさを感じる北欧の映画のトーンに、ピーダセン監督独特のセンス、日本映画へのリスペクト、品格と温かさが宿る。今後の公開が楽しみな作品だ。

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@MasayoFukushima

『わたしの叔父さん』記者会見 2019.10.31@TOHOシネマズ 六本木ヒルズ 

マーコ・ロランセン:プロデューサーのマーコです。ワールドプレミアということで東京で初披露できて大変うれしいです。

フラレ・ピーターゼン監督:私は監督と脚本を担当しました。今回、多くの方に観ていただいてうれしいです。

イェデ・スナゴー:一般上映では多くの方に観ていただき多くの質問をいただいてうれしいです。

Q1:前半は特にセリフが抑制されていて、彼女の表情からいろんな感情が読み取れるようにしていた気がしますが、事前に監督から説明があったのか、それとも役者任せで演じられたのでしょうか。

スナゴー:この映画は最初から最後まで、主人公クリスのキャラクターの感情の様々な変化を監督と細かく打ち合わせをしたなかでストーリー展開する形でした。彼女は別に不幸なのではなく、叔父さんが大好きで、農場での暮らしに満足しているのですが、自分のニーズとか、自分のことはとりあえず横に置いておいて、叔父さんのケアをまず第1にしていくのだということで、彼女自身の気持ちをかなり抑えています。冒頭の部分でそういう感情がみなさんに伝わったかなと思います。合唱団のマイクと出会ってからいろんな感情が芽生えるのですが、彼女なりに自分の感情を抑えなければいけないというそういう葛藤もあります。そこは監督と打ち合わせをして撮影に入りました。

監督:付け加えると、監督でありながら脚本も書いているので、演出についてのこだわりは強いほうかもしれません。彼女とよく話したのはどうやってバランスをとるのか、セリフの量は多くないのですが、その少ないセリフのなかでどうやって感情を出せばいいのか、そこは彼女とよく話をして、場合によってはリハーサルをしてから撮影に入るときもありましたし、逆に話をしてそのままぶっつけ本番で撮ったシーンもあるのですが、そのあとで思ったよりうまくいったね、うまくいかなかったね、というような話もたくさんしました。

Q2:かなりのシーンが自然光というか、最小限のライティングで撮ったのではないかと思われます。その分、自然条件によってかなり時間をかけて撮られたかと思います。監督の狙いや苦労などありましたか。

監督:実はデンマークは冬が長くて夏が短い、短い夏にも雨が多いという状況が多いので、映画の撮影を行うときは、どちらかといえば雨のない時期を選んで撮影します。特に今回は雨に見舞われ大変でした。おっしゃるとおり、照明などは最小限でしたが、雨の日は建物の中のシーンを撮影をするという工夫をしました。撮影のライティングは4本くらいで最小限で、他に雰囲気づくりのためにランプを多用していますが、とても役立ちました。

スナゴー:この作品は私の2本目の出演で、前作は同じピーターゼン監督のチョイ役でした。というわけで大きなスタジオの作品の経験がないので、私にとってはまったく苦労もなく、自然体の演技ができました。贈り物のような環境だったと思います。「ペーダ叔父さん」は自分の実際の叔父なので、小さい頃から知っていて、よく遊びに行きましたし、動物がいたり癒される環境で仕事ができたのはとてもよかったと思います。父も年に一度は農場に行っていたので、叔父からトラクターの運転の仕方など習っていて、いわゆる農機の扱いとかは知っていたので、そういう点でもよかったと思います。

MC:ちょっと確認したいのですが、映画の中の叔父さんは実際のイェデさんの叔父さんですか?

スナゴー:はい、そうです。

MC:びっくりしました。この作品が2本目の出演とおっしゃっていましたが、それまでは他の仕事をなさっていたのですか?

スナゴー:そうなんです、獣医をしていました。

MC:なるほど! そうするとこの脚本は彼女に合わせて書いたと言ってもいいですか?

監督:彼女は農場近くの小さな町に住んでいましたが、獣医になるためにコペンハーゲンに行きました。私は彼女のことを昔からよく知っていて、以前の作品では農場をロケして撮影しました。先ほどの質問に関してですが、そうです、彼女に合わせて脚本を書きました。叔父さんの本名は「ピーター」というのですが、彼はそこで生まれ育ち、25歳で農場を受け継ぎました。そして63歳の時、「実は映画が作りたいのだけど、主人公を演じてくれないか」と頼んだところ「いいよ!」と言ってくれました。彼女を含めて、彼女のファミリーはとても演技力があって、とても助かりました。もうひとつは、身体の不自由な叔父さん役に役者を起用した場合、リアルさに欠けてしまう。もちろんフィクションであるのですが、やはりリアルさを追求したかった。キャストのみなさんは農場環境をよく知っている方々です。それでも彼女は新たにトラクターの運転を習得したりという努力もありましたが、現実に近いリアルなものになったのではないかと思います。

Q3:劇中に流れるTVニュースで、北朝鮮や日本、EUなどの世界情勢ニュースが出てくるのですが、一方クリスと叔父さんの毎日の生活は変わらないという状況が興味深く、観る側の想像力を膨らませます。そのような対比のアイディアはどのように生まれましたか?

監督:実はここにいる私たち3人はみんなデンマークの南の地方の生まれです。デンマークでは大学に行くとなるとどうしても故郷を離れ、すぐに戻れるような環境ではないのです。自分の夢を叶えるためにはそうなるのです。私も、すぐに故郷に帰れないというなんともいえない寂しさがずっと心にありました。これはイェデに合わせて書いた脚本ですが、私自身も大学進学のために故郷を離れた経験があります。クリスのように故郷に残る人もいました。彼女は獣医の夢を持ちながらも叔父さんの世話をしなければならないので、半ば夢を諦めていたり、両親を悲劇的な状況で亡くしているというストーリーでは、叔父さんをおいて自分が都会へ出てしまうということの葛藤を表現したいということがひとつと、もうひとつはピーター叔父さんは実際に6年前に脳梗塞を患い、それもかなりストーリーのインスピレーションになっています。こういう状況の叔父さんを放っておいてまで自分の夢を追いかけたいのか、ということを描きたいと思いました。

ニュースのことについては、叔父さんはテレビの戦争や世界の出来事のニュースを観ていましたが、対してクリスはまったくニュースを観ない。彼女は日々の生活のなかで考えることがいっぱいあるし、世界で起きることに興味がなく、テレビを観ないのです。世界では悲劇的なことがあるのは事実ですが、個人は個人であることもまた現実です。その個人の世界に与える影響力よりも、日常生活での自分の問題、感情、葛藤が重要で優先するのではないかということを伝えたかったという気持ちがあります。

Q4:牛の世話は大変でしたか、また雲や夕日などのシーンや渡り鳥のシーンが印象的でした。

監督:牛は耳としっぽに個性が現れるので観察しました。搾乳機は40年ほど前の古いタイプを使ったので、そこは少し苦労しました。渡り鳥は(実はいまインターネットで調べましたが)「スターリング」と呼ばれている「黒い太陽」と現象があり、それは年に1度しか観られないので、世界中から観光客がたくさん観にきます。夕陽の時に鳥が飛ぶのですが、私はイチかバチかという気持ちで脚本に書き込んだのですが、幸いにもうまくワンテイクで撮ることができました。

MC:プロデューサーのロランセンさんは何か付け加えることありますか?

ロランセン:監督とは何回も仕事をしていますが、彼の脚本はとても緻密で、安心感があります。彼が心の底から映画にしたいものが見つかったという喜びが伝わりました。またストーリーは万国共通の普遍的なもので、日本でも通じるのではないか思う、とてもいい作品になりました。

2019.tiff-jp.net

コンペティション『わたしの叔父さん』公式インタビュー|第32回東京国際映画祭

デンマーク映画『わたしの叔父さん』主演女優は元獣医!叔父と共演|第32回東京国際映画祭

Review 41『37セカンズ』(第32回東京国際映画祭 Japan Now部門)

ユマの心意気がつくりだす優しいミラク

文:福嶋真砂代

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(C)37Seconds filmpartners

生まれた時に37秒間、呼吸が止まっていたことで身体に障害を負い、車椅子で生活する23歳のユマは、シングルマザーの母親とふたり暮らし。漫画家志望の彼女は友人のゴーストライターとして働いていたが、そこは自分の夢を叶える場所じゃないことに気づく。ならば自分の力を試そうと、ヒナ鳥が殻を破るように”世界”に飛び出した。なんとアダルト漫画の雑誌社に原稿を売り込むのだが、編集長からシビアな現実をつきつけられる。「あなたの作品はリアルさに欠ける。妄想だけで描いたエロマンガなんて面白くないでしょ」。つまり実体験なしには作品は作れないというのだ(そうかもしれないし、そうでないかもしれないと筆者は思うが)。

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(C)37Seconds filmpartners  

さあ、どうしよう? ユマは独り、勇気を持って大人の冒険の“旅”にでる。個性的な人々、初めてのラブホテル、異国の地、母の秘密、次々と新たな出会いをする。まるで必要なアイテム、ギフトを獲得し、成長を遂げていくクエストゲームの勇者のように......。

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(C)37Seconds filmpartners  
何度もユマの声に救われる

主人公の貴田(たかだ)ユマを演じる佳山明(かやまめい)の声が強く印象にのこる。やわらかく、凛としていて力強い、聡明さを感じる声。困難にぶつかるたびに「もうユマは心折れてしまうのではないか」とハラハラしてしまうが、その美しい声に、はっと我にかえり、何度も救われる思いがした。HIKARI監督は、佳山明の起用について、彼女の声に強く惹かれたと話している。監督の期待に体当たりの演技で応えるユマ(佳山)の心意気が、優しいミラクルタイムを作り出す。監督が彼女と出会った奇跡がそのまま連鎖して映画のなかに起こっている、そんなふうに感じた。

そんなユマの物語を、アニメーションとリアル世界を融合させた軽快な世界観で描いたHIKARIは、映画監督、脚本家、カメラマン、撮影監督、プロデューサーとマルチな活躍をする女性監督。18歳で渡米し、USC(南カリフォルニア大学院)で映画制作を学んだ。この長編処女作では、実際に障害をもつ佳山明と出会ったことで、もとの脚本を大幅に佳山に合わせて書き直し、魅力を存分に引き出した。他に神野三鈴、渡辺真起子大東俊介ら演技派を起用、また『パーフェクト・レボリューション』(松本准平監督、2017)のモデルとなったクマさんこと熊篠慶彦の出演で物語に奥行きを与える。母親役の神野の迫真の演技、そして大東と渡辺の存在が温かく素敵だ。ベルリン国際映画祭にてワールドプレミアされ「パノラマ観客賞」と「国際アートシネマ連盟(CICAE)賞」をW受賞や、ほか多数受賞。さらに第32回東京国際映画祭Japan Now部門で上映された。

さらなる女性監督の活躍に期待

同映画祭ではHIKARI監督や『タイトル、拒絶』の山田佳奈監督など女性監督が力強い作品を発表した。映画祭事務局の集計によると、エントリー作品における男女比は、女性監督の作品は20.7%(応募総数1804本のうち女性監督作品は男女共同監督作品の22本を含めて385本、ただし男女共同を0.5人と換算)とまだまだ少ないのが現状だ。劇中の「障害があろうがなかろうが、あなた次第よ」という厳しくも可能性を信じる温かい言葉は、そのまま言葉通り“障害があるなしは関係なく”、すべての境界を越えて背中を押すパワーワードに聴こえる。今後もさらなる女性監督の活躍を見守りたい。

Information:

『37セカンズ』

監督・脚本:HIKARI
出演: 佳山明、神野三鈴、大東駿介渡辺真起子熊篠慶彦、萩原みのり、宇野祥平、芋生悠、渋川清彦、奥野瑛太石橋静河尾美としのり板谷由夏
2019年/日本 /115分/原題:37 Seconds/PG-12
挿入歌:「N.E.O.」CHAISony Music Entertainment (Japan) Inc.>
配給:エレファントハウス、ラビットハウス

2020年2月7日(金)より、新宿ピカデリーほか全国ロードショー 

映画「37seconds」公式サイト

www.youtube.com

2019.tiff-jp.net

●映画『37セカンズ』、HIKARI監督、主演の佳山明さんによる質疑応答〜「広島国際映画祭2019」上映後のトークショー

https://www.youtube.com/watch?v=rLA6_ymzPNA

 

realtokyocinema.hatenadiary.com

 

TIFF Report: 『タイトル、拒絶』(第32回東京国際映画祭 日本映画スプラッシュ部門)Q&A

デリヘル舞台裏を描く、愛と葛藤の群像劇

取材・文:福嶋真砂代

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@DirectorsBox

その言葉とは裏腹に、吸引力バツグンに魅力的なタイトルの本作は、劇団「□字ック」(ロジック)主宰の山田佳奈監督が6年前に舞台のために書き上げた脚本を映画化した、長編監督デビュー作だ。第32回東京国際映画祭 日本映画スプラッシュ部門での上映チケットが10分で完売という注目度の高さ、その熱気はそのまま作品の熱気でもある。舞台はデリヘルの楽屋裏。ままならない世界を生き抜く女たちの世界。若さゆえの強さと弱さ、嫉妬と憧れ、そして人間のしたたかさと儚さ、複雑な感情のもつれを表現する、テンポよく緩急巧みなセリフの掛け合いがみどころ。

主人公カノウにはユニークな存在感の伊藤沙莉、熟女デリヘル嬢の迫力を魅せる片岡礼子、他に恒松祐里佐津川愛美のパンチの効いた熱演も印象的。さらに森田想、モトーラ世理奈、般若、田中俊介BOYS AND MEN)が競演し、ほぼ密室で行われる群像劇は映画『キサラギ』の痛快さを彷彿とさせる。同映画祭でのQAでは映画の熱気冷めやらず、溝口健二監督の『赤線地帯』の話題も上がったり、活発な意見交流が行われ、監督・キャストと会場との一体感は気持ちよいものだった。2020年公開が予定されている。

【作品解説(東京国際映画祭プログラムより抜粋)】雑居ビルの4階に位置するデリヘル。バブルを彷彿とさせるような内装の部屋で、さまざまな女性が肩を寄せ合って客待ちをしている。入店したばかりのカノウはそれを見て、小学生の頃にクラス会でやった「カチカチ山」を思い出す。みんな可愛らしいウサギにばかり夢中になる、嫌われ者のタヌキになんて目もくれないのに...。本作は自身の同名舞台の初映画化にして、長編デビュー作。劇中歌には女王蜂「燃える海」。どうしようもない人生でも生きていかなくちゃいけない女性たちの姿を描く。

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@MasayoFukushima

『タイトル、拒絶』Q&A 

司会:矢田部吉彦プログラミングディレクター
登壇ゲスト:伊藤沙莉田中俊介(BOYS AND MEN)、森田想、山田佳奈監督
場所:TOHO シネマズ六本木ヒルズ
日時:2019.11.4

Q1:勢いある旬の役者さんやこれからの活躍が楽しみな役者さんのキャスティングについて教えて下さい。

山田佳奈監督:まずカノウ役の伊藤沙莉ちゃんがいちばん最初に決まったのですが、私自身、カノウ役にはとてもこだわりがあって、(小学校クラス会で演じた「かちかち山」の)ウサギに憧れるタヌキを背負っていく女性で、うまい言葉かわかりませんが、“イケてない女性”というのをちゃんと背負える女性がいいなと思っていたときに、沙莉ちゃんと出会いました。最初はお互いにシャイだったので、うまくしゃべることもできず、ただただ「好きです、ご一緒できるのがうれしいです」ということを伝えて終わったような気がします。そこから森田想ちゃんや田中俊介くんらが続々と決まりました。キャスティングの妙に関しては、今回プロデューサーが『獣道』や『下衆の愛』の内田英治監督なので、その力もふんだんに借りながら、助けていただいたという感じです。

司会:森田さんがこの役と出会ったときの思いを聞かせていただけますか。

森田想:オーディションというより、面接というほうが近いかもしれませんね。

山田:こころ(森田)ちゃんの名前があがった時に『アイスと雨音』がめっちゃ好きだったという話をして、他にも何名か女優さんの候補をいただいて、ひとりずつ会いたいと言いました。まだこころちゃんの役は決まっていなくて、内田さんは実は「チカ」がいいんじゃないかと言っていて、お葬式をされる子ですね。でもこころちゃんにお会いしたときに彼女の「強さ」はチカじゃないなと思って、人を信じ抜く強さやブレないものを感じたので、見事にはまってくれたなと思っています。

森田:うれしい限りです。監督と初めてお会いしたときにチカ役の台本を読ませていただいて、チカは陰の表現をすることが多いキャラクターで、私も陽より陰の表現のほうが得意だったので、チカでいいと思っていました。でも途中で「キョウコ」を演じてみてくれないかと言われた時に、役柄的にかなり温度の違う役だったので、自分に務まるのかという不安はありました。それでもいざキョウコに決まって、結果的には大好きで、愛すべきキャラクターですし、そういうふうに映画に力添えできたとしたらすごくありがたい役だったと思います。

山田:サンキュー!

司会:伊藤さんは自分が「タヌキ」かどうかというところはすんなりと理解されたのですか、どのように消化して臨んだのでしょうか。

伊藤沙莉すんなりでした。人間・伊藤沙莉は「タヌキ」として生きてきたつもりだったので、カノウに寄り添えるなという考えが大きかったです。端から見ているようで、自分も中に入っていて、「客観と主観がぐちゃぐちゃになって自分変なの」ってなってる感じとか、ちょっと伝わりづらいかもしれませんが(笑)。カノウの立ち位置、目線や考え方は共感ばかりだったので、そこにカノウ独特のぐるぐる回っている日常や、「くだらないな」と思っている感情、ある意味やさぐれ感は私の持っていないもので、そういう考え方も理解できるもので、演じて楽しいだろうなと、脚本を読んだときにカノウを絶対やりたいと思いました。

田中俊介ちょうど撮影していたのは、じつは僕自身、苦しい時期で、その感情をうまく利用できないかなと思っていたところでした。そのときに「チワワ男子」ということを役的に言われていたので、「ワンワン、キャンキャン」騒いで、本当は弱いのに強くみせる男を演じてほしいということでした。だからその時期の苦しみをうまく利用しようと思い、隠すことで大きくみせて、本当は弱い、すぐ泣いてしまう、あれは笑っていただけるとうれしいシーンで「あいつアホや、こんなとこで泣くんかい」と。でもその弱さも人間的だと思うので、今回いろんなキャラクターが出てきますが、それぞれのキャラクターの弱い部分が見える、そういうところを見ていただければうれしいですね。

Q2:伊藤さんは、最後の泣くシーンを演じていた時の心情はどうでしたか?

伊藤:感情が溢れちゃったというか、ずっと溜めていたものというか、何かが爆発したというのももちろんありますが、それに加えて、泣いていることで心だけ冷静になってくることがあるように「もういいや」っていうちょっとした諦めというか、「この際だから泣いちゃおう」ということがカノウ的にはあったと思います。何より泣けない「まひるちゃん」がいるので、そこと対象になったらいいなと、監督とも相談して、生きている世界が違ったりするなかで、歩み方が違ったり、そういうところも泣いているシーンで伝わったらいいなという気持ちも込めて、お芝居的には演じたつもりです。

Q3:伊藤さんがデリヘル嬢を演じるということで艶っぽいシーンも期待していたりしたのですが(笑)。

田中:すみません、(代わりに)僕のお尻シーンでした。

山田:伊藤さんではなく田中くんの“お尻シーン”になった理由ということですが(笑)、最初、この企画を立ち上げたときに、デリヘルというセックスワーカーの話になるので、「脱ぐ脱がないをどうするか」とプロデューサー陣としました。あくまで「性」を扱うというよりも、一人ひとりの人間の生き様を描くものであり、性を描くための映画ではないという着地点に至りました。であれば性描写なしで人間を描けないか、人間は性生活だけではなく、性も衣食住の延長上にあるというのが人間で、キョウコとリョウタという役は、生活のなかの恋愛軸が強い関係性というのもあったので、そこだけ性描写を入れていきたいと。なおかつ、私は女性監督ですから、男性監督が女優を脱がしたりすることは多かったりすると思うけど、そうじゃない表現ってなんなんだろうと考えると、「男性のお尻ってどうなんだろう?」と思って、田中くんに「お尻ってどう?」と聞いてみると、「全然、お尻大丈夫です!」と言ってくれて。世の中的には「セクシャルハラスメント監督」になりそうで怖いですけど(笑)。そういう経緯もあって、性描写というものを自分なりの解釈で撮ろうと思ってこういう表現になりました。

司会:田中さん、コメントありますか?

田中:自分のお尻に関してですか? いかがでしたか?(会場から拍手)ありがとうございます、お尻の綺麗な俳優です。

Q4:たまたま私が東京国際映画祭で初めて観た映画は『赤線地帯』(溝口健二監督、1956年)でした。この映画を観ながら、『赤線地帯』で描かれたことの現代版だなと感じました。描かれている内容もそこで働く女性たちの人間模様であったり、群像劇になっていたり、とても重なる部分があります。監督は何かそこらへんを意識されたでしょうか。もうひとつは、映画祭側が意識したかどうかわかりませんが、同じような題材の今昔物語的に、もしかしたら比較されるかもしれないことに関して、監督からご意見をいただければと思います。

山田:まず意識したかどうかに関してですが、これは6年前に書いた脚本なので、まったく意識はしていません。その当時、私はレコード会社の社員という立場で、舞台を始めて、4年前くらいに自主映画を撮り始めました。映画が好きになったのは撮り始めてからで、まだまだ不勉強な監督ではあるのですが、レコード会社に勤めていた当時、女性も容姿がいい人と、そうではない人との仕事の取り方が全然違ったんです。いわゆる容姿(のよい人)とか、男性と仲良くなるのがお上手な方はバンバン仕事が決まっていくけれども、私は今回の作品だとタヌキ寄りだったので、ひな壇芸人よろしく飲み会のビールのこととか気を遣い続けて、深夜2、3時くらいにはぐったりしてタクシーで帰るということを20代前半で経験していたので、男性に負けたくないという気持ちが強かったんです。女性というのは、どうして2種類にしか分類されなくてはいけないんだろうとか、そういう葛藤があるまま20代を迎えて書いたのがこの作品でした。群像劇になったのは、とりわけ大きな理由はないのですが、ひとりひとりに人生があり、女性も2種類に分けられるだけじゃなくて、個人名があるように、個人の人生があるという考え方でしたので、このような群像劇の描き方をしました。

司会:私も最初に拝見したときに現代版『赤線地帯』だなと思いました。みなさん、もしご覧になってなかったら、共通点が多い作品なので、およそ60年以上前の作品ですが、びっくりするほど似ているのでご覧になって下さい。

山田:勉強させていただきます。ありがとうございます。

Q5:私は山田監督の『カラオケの夜』(2018年)が好きで、劇中での選曲に心打たれました。監督がレコード会社に勤めた経験があると今聞いて、なるほどなと思いました。今回も素晴らしいタイミングで女王蜂の曲が入ってきました。そういう劇中での選曲とか、場面レイアウトとか、映画を作る上でこだわりポイントはありますか?

山田:おっしゃる通り、音楽は毎回こだわって作っています。今回の「女王蜂」の「燃える海」は、6年前の舞台のときにもラストにかけていました。あの曲の強さや親和性を限りなく信じていましたので、今回、「女王蜂」ご本人に映画を観ていただいて、曲を使いたいと申し出ました。まだ映画の粗編の段階でしたが、「3回観た」ということで、「音楽を使ってほしいし、なんなら録り直すよ」とまで言って下さって、使わせていただくことになりました。映画のこだわりは、私は舞台出身者ということもあるし、音楽好きというのもありますが、レコード会社では「怒髪天」の宣伝を担当していたのですが、あるミュージシャンから「ミュージシャンというのは出てきて最初の1音を鳴らすまでどう見せるかが勝負だ」と聞いたことがありまして、そういう意味で舞台も映画も最初の「5分」、物語が走っていく最初の「15分」をどうお客様に観ていただけるかというのをすごく大事にしています。『タイトル、拒絶』では沙莉ちゃんが正面向いて独白するカットの音のかけ方などは、1コマ1コマ編集するので沙莉ちゃんの顔が口が開いたり閉じたりをするところで、どこで繋ごうかと綿密に探りながらやりました。素敵なところをご覧いただいてありがとうございます。

Q6:胸が苦しくなる映画でまた観たいと思いました。6年前に舞台用に書かれた脚本ということで、取材等は、業界や経験者にどのようにされましたか?

山田:脚本を書いた当時は、すごくアメブロアメーバブログ)が流行っていた時代です。まずセックスワーカーの話にしようと思った時に、友人でそういう仕事をしていることを親に打ち明けていないという方がいて、いろいろお話を聞きました。ただ、それだけになってしまうと、彼女の一面的な話しか描けないと思ったので、いろいろブログを読ましていただいたのですが、直接アポイントを取って取材するということはなかったです。ただ私自身、10代のとき、若さゆえのことですが、男性とおしゃべりをしてお金をいただくという、サクラのバイトみたいなのをしたことがあって、面接に行ったときに、男性や女性がギラついて見えたこととか、そこに置かれていたお菓子が蛍光灯に照らされて青白んでしまっていたのがすごく印象的だったので、それを元に描いていたというのが6年前の記憶です。映画化に際しては、プロデューサーの内田さんが海外志向のある方なので、日本と海外の管理売春というシステムがどう違うか、日本だと国が場所限定で許可したり、電話で配送されるようなシステムがあったりしますが、海外は法律的には不可という考え方があることなどを学んで、それを映画に反映させた部分があります。

(※Q&Aは会話のママですが、意味を変えず若干文言を修正しています)

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@DirectorsBox

Q&Aイベント様子はこちらに。

 https://www.youtube.com/watch?v=b6hRki4S2O8&t=54s

Info 「第20回東京フィルメックス 」受賞結果

第20回東京フィルメックスはアジア映画の豊かさ、奥深さを堪能、また多様さと複雑さを確認し、興奮のなかで幕を閉じました。受賞結果は以下のとおりです。

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  • 最優秀作品賞(グランプリ)『気球』(ペマツェテン監督)
  • 審査員特別賞『春江水暖』(グー・シャオガン監督)
  • スペシャル・メンション『昨夜、あなたが微笑んでいた』(ニアン・カヴィッチ監督)『つつんで、ひらいて』(広瀬奈々子監督)
  • 観客賞『静かな雨』(中川龍太郎監督)
  • 学生審査員賞『昨夜、あなたが微笑んでいた』(ニアン・カヴィッチ監督)
  • タレンツ・トーキョー・アワード2019『About a Boy』(シヌン・ウォナヒョコ監督)/ スペシャル・メンション『Skin of Youth』(アッシュ・メイフェア監督)『Plan75』(製作:水野詠子)

賞・審査員 | 第20回「東京フィルメックス」

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