REALTOKYO CINEMA

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Interview 011 アンナ・ザメツカさん(『祝福~オラとニコデムの家~』監督・脚本)

子どもは子ども時代に「子ども」として過ごさなければ、悪循環が起こるだろう

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処女作『祝福~オラとニコデムの家~』が公開中のポーランドのアンナ・ザメツカ監督にインタビューした。本作は2017年、山形国際ドキュメンタリー映画祭で最高賞のロバート&フランシス・フラハティ賞(大賞)受賞他、数々の賞に輝いた注目のドキュメンタリーである。ザメツカ監督は、ポーランドにも仲の良い日本人の友人がいるのだと、「黒海バルト海がちょうどぶつかるところに、ふたつの違う文化を持った友人の日本人とポーランド人(自身)が写る、という象徴的な写真なの」とスマートフォンの写真を見せてくれた。

ジャーナリズム、人類学、写真学を学んだ鋭敏な観察眼と洞察力で、親がその役割を果たせない家庭の子どもに光を当て、「家族とは何か」、「絆とは?」を問いかける。ワルシャワで出会ったひとつの家族。長女オラ(14歳)は自閉症の弟ニコデム(13歳)の世話をし、生活能力のない父親と暮らす。母親は家を出て別の男と暮らしている。オラは弟の「初聖体式」がうまく行けば、バラバラになった家族がまた一緒になれるのではないかと、独り奮闘する。まだまだ遊びたい盛りの少女。光と陰影を捉える繊細なカメラワーク、憂いある映像にはストーリーを感じさせる奥深さがある。長い時間をかけて、姉弟との信頼関係を作り上げたからこそ映り込む子どもたちのこころの奥。「オラとニコデムは、リアリスティックな”ヘンゼルとグレーテル”なのです」と公式サイトで監督メッセージを寄せている。是枝裕和監督や大島渚監督にリスペクトを捧げるというポーランドの気鋭監督に思いを聞いた。

聞き手・文:福嶋真砂代

◼️「映画を撮る」ことを隠さず話した

ーー瞬間瞬間の映像の美しさが印象深く、そこには豊かなストーリー性を感じます。たとえば、オラが友達と3人で森で遊んでいるシーンは、構図やアングルも美しく、光がちょうどカメラに入りこむすごい瞬間を捉えていましたね。子どもたちへの何か演出的なアドバイスはあったのでしょうか。

そのシーンでは私から何も提案しませんでした。ただ、教会でのニコデム初の聖体式で両親の間にオラが座るところ、そこだけ私から提案をしました。彼女が子どもに戻れるとても貴重な場面で、両側に座るお父さんとお母さんをオラが交互に見て、とてもうれしそうな顔を見せます。そのシーンでは座る位置の提案をしていますが、森のシーンでは何も提案しませんでした。

また私はあの森の公園のことをよく知っていたので、どの時間にどこから光が射してくるかをだいたい把握していました。だからいい瞬間を捉えることができたのだと思います。うまくカメラに当たる濃い光が使えたと思います。

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©HBO Europe s.r.o., Wajda Studio Sp. z o.o, Otter Films Wazelkie prawa zastrzeżone. 2016

ーー撮影のクルーは何人だったのですか?

 全部で3人でした。

ーー家の中のシーンにおいても被写体とカメラとの親密性を感じました。家族との関係性をどういうふうに作っていったのですか?

とにかくまず正直であること。なんでも打ち明けました。表面的にだけ仲良くなろうとするのではなく、「映画を撮る」ということを隠さず話をしました。彼らの助けになるという振りをしませんでした。長い月日をかけて、どうしてこの映画を撮りたいのかのモチベーションについて、よく話し合いました。とにかく尊敬の念を持って、パートナーとして彼らに接しました。彼らが、自分たちにとってもこの映画が大事なのだと感じてくれることがとても重要なことでした。そうやって知り合ううちに、行政や福祉局が彼らをまったく無視していることに気がつきました。そのせいで彼らは放ったらかしでした。このような状態で、オラは親のような役目を果たしていて、私は驚き、それは絶対におかしい、なんとかしなければと思いました。オラにとって親の代わりをすることはとても重荷なのです。彼女が背負わなければならない理由は全然ないのです。ですからこの映画を作るモチベーションを、そこから組み立てていくことから始めました。彼らと友人になるという方法はとりませんでした。でもそうこうしているうちに彼らと友人になるという、パラドックスは起きました。このようにしてお互いに信頼が生まれてきました。

ーー信頼関係は、オラ、ニコデム、お父さん、お母さんとも作れたのでしょうか。

お母さんとは会う機会が少なかったので、難しかったです。ニコデムとは、これは勘のようなものですが、私に何か近いものを感じて、最初からうまく信頼関係が作ることができました。

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©HBO Europe s.r.o., Wajda Studio Sp. z o.o, Otter Films Wazelkie prawa zastrzeżone. 2016

ーー映画を観ていて、ニコデムは自閉症ではあるけれど、聡明な人ではないかと感じました。

はい。彼の特徴は、とても頭がいいこと、感じやすいこと、内省的であることです。自閉症なので「ちょっと変な子」と外からは見られるかもしれないのですが、私から見ると、至極ノーマルな人間だと思いました。彼らはこの世界の中で行き場を失い、どうしたらいいかわからない、路に迷っているような状態なんです。ニコデムはすべてをそのまま受け入れました、バリアもなく。

ーー彼のそんなピュアな心が監督と呼応したのですね。

そうです。ニコデムは私に多くを語ってくれました。

ーーオラはニコデムのことをとても理解していて、一生懸命に弟を導こうとしています、お母さんの代わりに。たとえば、ニコデムが聖体式の口頭試問で言い淀んだとき、オラは「もう一度最初から」と助言します。そうすればニコデムが言えることをわかっている、ということがそのシーンで感じられました。

ほんとにそうですね。 

◼️なぜ福祉士は、オラの心の崩壊を見ないようにするのか

 ーーところで、福祉士は数回この映画に出てきますが、オラの気持ちや家庭を理解しようとしていたのでしょうか。

福祉士は3回出てきました。家の訪問はしますが、そこからは何も進みません。オラを通して両親の問題をいろいろ触ろうとしますが、お母さんを「家に戻す、戻さない」というような問題は、子どもを通してやることではなく、本来ならお父さんとすべきことです。福祉士はオラを守ってあげる立場であって、オラと一緒に話し合って解決しようという役割ではないのです。オラが福祉士の質問に「うちは大丈夫です」と答えますが、それは嘘であり、彼女の中で何かが崩壊していくのがよく見えます。しかし福祉士はそれを見ないようにしているのです。もし何か問題があるということを知ってしまうと、福祉士の仕事が増えてしまうので、避けたいと思っているのでしょう。

ーー日本でも子どもの虐待の悲しい事件が繰り返されます。

だからこそ、この映画を公開する価値があるのではないでしょうか。ポーランドもまったく同じです。そういう問題が起きた時、だいだいの場合において、父よりも母に罪があると責められ、報道されます。

 ーーオラのお母さんはとても子どもっぽく、家を出て行き、外で子どもを作り、また戻り、その赤ちゃんさえもオラに世話をさせようとします。

そう、オラが赤ちゃんを抱っこしているシーンもその象徴的なところです。

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©HBO Europe s.r.o., Wajda Studio Sp. z o.o, Otter Films Wazelkie prawa zastrzeżone. 2016

◼️ドキュメンタリーの奇跡が起きた“マットレス事件”

ーーベッドを組み立てようとしたら「マットレスが無い」とお母さんがイライラしているシーンもいろいろ物語りますね。あの日の撮影は、お母さんが来ると連絡を受けていたのでしょうか。

確かに電話がありました。だから私は2週間の間にシナリオを変えなければなりませんでした。いちばん重要なのは、ベッドを組み立てるシーンを撮ろうと思ったことでした。ベッドというのは普遍的なシンボルで、家と平和と安全のシンボルなんです。もちろんベッドはお母さんひとりでは組み立てられない。子ども達が手伝いましたね。ニコデムとオラの顔にフォーカスして、彼らの感情の動きを撮りました。彼らにあらかじめ、ベッドを組み立てるシーンを撮りますよと言っておきました。

ーー“マットレス事件”は偶然起こったのですか。

 それは奇跡的に起こりました。時々起こる「ドキュメンタリーの奇跡」ですね。マットレスが無いというのは、何かが足りないということのメタファーになりました。あのベッドは5つの部品からなっていて、「5」はあの家族のメンバーと同じ数字です。ひとつ足りなくなる部品(マットレス)はお母さんです。

ーーすごい。予想を超えた、思いがけないことが起こったのですね。

私は全然そこまでは予期していませんでした。編集スタッフは、私が何か案を出すととんでもないことが起こるから、私のことを魔法使いのようだと言いました。

ーーこの映画をヘンゼルとグレーテルの話になぞらえたり、魔法使いが出て来たり、ドラマチックですね。

おもしろいリンクですね。

ーーキリスト教には「三位一体」などの言葉のように、シンボリックな数字がありますが、「5」という数字もそうですか?

いえ、今回の5という数字は偶然で、ベッドを組み立てるシーンは、結果的に「5」が現れました。部品が足りないだけじゃなくて、ネジを回すときにうまくいかなかったり、結局ベッドが組み立てられなかったという現象は、あの家族の状況を象徴しているのだと思います。

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©HBO Europe s.r.o., Wajda Studio Sp. z o.o, Otter Films Wazelkie prawa zastrzeżone. 2016


◼️是枝裕和大島渚、両監督作品につながる親子の関係

ーー家族をテーマに映画を撮るのは、監督の境遇とオラとの相似性を見つけたからですか。

 オラと私の過去の境遇が似ているというのは確かに映画を作るインスピレーションになりました。私の育った環境はオラと比べるとドラマは小さいもので、比べられないとは思いますが。ただ責任感が増大していくところは、共感しました。

ーー是枝裕和監督の『誰も知らない』にインスパイアされたと伺いました。

そうですね、『万引き家族』はまだ観ていないのですが、早く観たいです。私は大島渚『少年』からもインスピレーションを受けました。両親が息子に車の当たり屋をやらせて、保険を奪うという話ですが、興味深いのは、息子が最後には親を庇うところです。どんな家族であろうと、その子どもにとってはとにかく「家族」であってほしかった。子どもにとっていちばん大事な価値は「家があり、親がいること」だと思います。オラは親をとても愛していて、父は酔っ払いで、母もいい親とは言えないですが、何が何でも家を守ろうとします。『少年』では、警察署で取り調べを受けた子どもが、そこでも親を庇おうとします。決していい親ではないのに。この映画でも、オラは福祉士から親を守ろうとしていました。

ーーそれはオラのすばらしさでもあると同時に、子どもにとって親は本当はそういう親であってほしいという理想であるわけですね。

親とは支えてくれるもので、本来、子どもは親なしには生きられないのです。

ーーしかしオラの家の環境は、それがすべて逆転しているという矛盾、悲しさを感じます。

オラがすごくがんばっているのは事実なのですが、「がんばらなくていいんだ」ということを解ってほしいとは思います。“アダルトチャイルド(ザメツカ監督によると「子どもなのに大人のような責任を担わされる子」の意味)”はがんばってしまうのですが、本当はそうするべきではないのです。神父、福祉士、学校の先生など周囲の大人がそれをすべきです。「子どもは子どもでいていいよ」と。たとえば親が子どものことを「子どもの面倒もみてくれてえらい」と自慢するケースがありますが、その責任感はその子にとっては重すぎるのかもしれません。また親が自分の問題のはけ口に子供を使うケースでも、自分の問題で子どもに重荷を与えてはいけないのです。この映画はそういう意味で「プロテスト」でもあるのです。子どもは子ども時代に「子ども」として過ごさないと、大人になったときに、自分の子に対して過度な負担を与えることになってしまうのですから。そうしないと、この家族のような悪循環が起こってしまうのです。

(※このインタビューは2018年6月8日に行われました。)

プロフィール:

Anna Zameccka /ポーランドの映画監督、脚本家、プロデューサー。ワルシャワコペンハーゲンでジャーナリズム、人類学、写真学を学んだ。ワイダ・スクールでDok Proドキュメンタリープログラムを修了。本作が長編デビュー作。

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©HBO Europe s.r.o., Wajda Studio Sp. z o.o, Otter Films Wazelkie prawa zastrzeżone. 2016

Information:
脚本&監督:アンナ・ザメツカ
原題:Komunia|英語題:Communion|監督:アンナ・ザメツカ
2016年|ポーランド|DCP|カラー|5.1ch|75分|配給:ムヴィオラ

6月23日(土)よりユーロスペースほか全国順次公開

公式サイト:

www.moviola.jp