REALTOKYO CINEMA

リアルトウキョウシネマです。映画に関するインタビュー、レポート、作品レビュー等をお届けします。

TIFF Report:Japan Now 「映画俳優、役所広司」黒沢清&役所広司トークイベント(『CURE』)

“この社会でストレスがまったくない人間というのはこんなにも恐ろしいのか......”

ーー取材・文: 福嶋真砂代

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@realtokyocinema2018

第31回東京国際映画祭のJapan Now部門 特集企画「映画俳優 役所広司」のなかで『CURE』(黒沢清監督/1997)が上映され、黒沢清監督と役所広司が並ぶ夢のツーショットが実現。プログラミング・アドバイザー安藤紘平(映画監督・早稲田大学名誉教授)司会で行われたトークイベントを取材した。満員の客席から寄せられた“CURE愛”溢れるコアな質問に答える両氏の楽しそうな表情が印象的だった。

『CURE』は第10回東京国際映画祭(1997)のコンペティション部門参加作品であり、これが黒沢監督の世界進出きっかけになったと著書の中で語っている(下記参照)。90年代の終わり、オウム真理教事件、神戸連続児童殺傷事件という、当時はどこかキツネにつままれたような奇妙な犯罪が続いた、社会に不穏な空気が漂う中、黒沢が『羊たちの沈黙』(ジョナサン・デミ監督/1991)にインスパイアされたという、人間の心の闇の深淵に迫る究極のホラーエンタテインメント(「ホラーではない」とトークのなかで言い切りつつも)を発表した。「あんた誰?」というセリフが強烈に耳に残る謎の人物、間宮(実は小津安二郎監督『秋日和』の登場人物名)が人を催眠操縦するサイコな殺人事件。その間宮役の萩原聖人、そして不気味な犯罪の本質を探ろうとして自分を見失っていく刑事役の役所広司、両人の好演が光る。ちなみに筆者にとって『アカルイミライ』(黒沢清監督/2002)と1、2を争うフェイバリット黒沢作品が『CURE』である。

黒沢の著書「黒沢清の映画術」(新潮社/2006)では東京国際映画祭についてこのように語っている。「東京国際映画祭に出品したのが大きかったですね。ー略ー 海外から来た人が結構『CURE』を見たんです。その2、3週間後に、梅本洋一さんの計らいで、パリの秋のフェスティバルで開催された日本映画特集のうちの1本として海外で初めて上映されました。ー略ー パリに着くと、「ル・モンド」紙の記者がすでに『CURE』を大々的に取り上げてくれていたんです。東京国際映画祭のレポートという形ですが、かなりのスペースを割いた上に大きな顔写真入りで、『CURE』のことしか書いてない記事でした。ですから、「おお、あなたがクロサワか」「え、僕のこと何で知っているんですか」「いや、新聞に大きく載っていたよ」という感じで、とても感激しました。同じく、東京国際映画祭で見てくれたオランダのロッテルダム映画祭のディレクターが翌98年に呼んでくれたりと、あの映画祭は意外と海外進出のきっかけになったんです。」

また俳優・役所広司については同著書の中で以下のように。「役所さんは、僕と年齢が同じで、どうも価値観が似ているように思えるんです。ですから、年齢が自分と同じぐらいの主人公ならば、自然と役所広司という名前が自分の中で上がってきます。役所さんの方からも、何作かいろんな映画に出ると、僕のところにふらっと『そろそろ出たいんですけど』というメールが来たりします(笑)ー略ーごく普通の人間から化け物までを一気に演じてもらったわけですが、これだけの変化を出せる人はなかなかいません。」お二人の関係性がよくわかる記述だ。

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@realtokyocinema2018

黒沢清役所広司トークイベント」2018.10.27@TOHOシネマズ 六本木ヒルズ 

黒沢:今回の役所さん特集の数本の中に僕の作品が選ばれて光栄です。感無量です。

役所:僕の大好きな『CURE』を見て下さりありがとうございます。(『CURE』公開から)20年も経ってしまって、僕も年をとりました(笑)。

ーー『CURE』から22年ですね。黒沢さんとの最初の作品として『CURE』に役所さんが出られた。黒沢さん、どうして役所さんを起用したのですか?

黒沢:当時僕はヤクザもののVシネマをたくさん撮っていましたが、これはVシネよりはメジャーな企画で、理想的には役所さんが出てくれたら企画として成り立つのになと考えてて、その頃役所さんはトップスターで『失楽園』(森田芳光監督/1997)やShall we ダンス?周防正行監督/1996)に出られていて、こんな内容じゃ無理でしょと思っていたんですが、ダメ元で試しにとお願いしてみたところ、たまたまスケジュールが空いていたのでしょう、OKのお返事が来てびっくりしたのが正直なところです。役所さんに出ていただくのは夢でしたけど、まさか出ていただけるとは思っていませんでした。

役所:(『CURE』の)前の年が周防監督の『Shall We ダンス?』でした。

■普通に9時から5時まで仕事するっていう感覚です

黒沢:なんでもいいから役所さんとやりたかったというのが正直なところです。スターであるにも関わらず、画面に出て来た瞬間、何者なのかわからない、いい人かもしれないし、悪い人かもしれない、気が弱いかもしれないし、強いかもしれない。こんなに未知の領域を含んだスターは当時もいまもいないと思います。「未知な感じ」が映画にまさにぴったりなんだけど、出てくれないかなあと……。

役所:未知と言えば監督の台本も未知で、どういう気持ち、どういう過程でこうなるんですかねえって監督に訊いていました。すると監督は「どうなんでしょうかねえ」と、答えは教えてくれない(笑)。

黒沢:いやいや、僕もよくわからないですしね。うちの近所のロイヤルホストに車でよく来てもらって、役所広司ロイヤルホストにいて大丈夫だろうかなんて思いながらも、夜に何度か打ち合わせしました。

役所:あそこは監督の書斎でしたからね。撮影は基本的にワンシーンワンカットで撮って、意外とテストを重ねないで、俳優がなんとなくセリフに安心する前に、緊張感のあるうちに、スタッフに「もう行っていいですか、いいですか?」って聞いてましたね。長いセリフのときは本当に痺れましたね。

黒沢:NGはもちろん出しますけど、本当にVシネをやっていたせいもあって、当時はフィルムで撮っていたこともあって、あんまりNGは出さないですね。リハーサルもあんまりしないで、サラサラっと早く終わるんです。

役所:だから役者もスタッフも黒沢映画が大好きですね。

ーー黒澤明映画とはかなり違いますね。

黒沢:そうですよね。普通に9時から5時まで仕事するっていう感覚です。他の監督は遅いんですかね。

長回しとアンビギュイティ(曖昧さ

ーー役所さん演じるところは、いい人か悪い人か、真面目か不真面目かわからないとおっしゃったけど、長回しはアンビギュイティ、曖昧性、多様性につながりますね。

黒沢:それで長回しをしたというわけでもないのですが、観てわかるとおり、ワンカットの中で、いい者から悪者、正気から狂気の状態に変わるということを『CURE』では意識したところです。役所さんに限らず、でんでんさんもそうです。普通の状態からおかしくなる状態をカットで割れずに捉えたいと。それも急に変わるというよりも、もともと含んでいたものが露呈するという、曖昧に推移していく感じ。言うは易しですが、実際に演じるのは大変ですよね(笑)。

役所:いやいや。それはそうなんですけど、ワンカットの力って凄いですね。カットされていないところは映画としての力が伝わりますね。

ーー編集によって説明していく映画に比べると、(ワンカットで撮るのは)凄い威力がありますね。実は今回の映画祭のテーマに「アンビギュイティ」ということがあるのですけど、日本人のアンビギュイティ性を捉えている代表的な役者として役所さんではないかとお招きしました。

黒沢:それほど強い確信があるわけではないのですが、この作品はテーマがこういうものでしたから、おっしゃるような「曖昧さ」は自然と大きな要素だと思うし、それを表現するための長いワンカットになったのだと思うのですが、そんなに強い信念があるわけではなくて、作品によっていろいろ変わります。

ーー「CURE」とは「癒し」という意味ですが、癒しと、狂気のような怒りが突出してくるものは、実は対立している関係ですが、このタイトルにしたのはなぜでしょう?

黒沢:この映画の当時の大映のプロデューサーが「CUREとかどうか」って言って、「それなんですか?」という感じでしたが、「伝道師」だとかなり直接的で宗教的な意味合いもあり、この物語を思いついたのは90年代初めくらいでしたが、ご存知のオウム真理教事件とかもあって、宗教的な犯罪をタイトルから感じられると変な誤解を招くといけないというのもあってもう少し医学的な「CURE」というタイトルになったようなのです。

□Q&A

ーー後半、2回目のクリーニング店のシーンで、女性の真っ赤なワンピースがぬっと出てくるのですが、あれを見て『悪魔のような女』のなかの、死んだはずの校長のスーツがぬっと出てくるというシーンを思い浮かべました。

黒沢:悪魔のような女』(1955)はアンリ・ジョルジュ・クルーゾー監督ですね。ダイレクトに指摘されたのは実は初めてなのですが、あのクリーニング店でハンガーにかかった赤い服が急に出てくるのは何ですか?って訊かれたことは何度かあります。その時には「あれは『悪魔のような女』なんです」と答えていました。死んだはずの校長の服だけがクリーニング屋から届くというものすごく気味の悪いイメージなんです。その人は死んでいるのにとか、見た途端、首なしの身体が動いているように思えたり。おっしゃる通り、クルーゾーの『悪魔のような女』です。まさに死のイメージ。妻の死を一瞬妄想するひとつの象徴的なシーンとして、これをやらせていただきました。

ーー役所さんはホラー作品は黒沢作品しか出ていないですが、オファーは他にはあったのか、黒沢作品だけなのでしょうか。

役所:ないですね。黒沢監督作品だけなんですが、『CURE』はホラーだとは思っていなくて。

黒沢:ホラーではないですね。でも役所さんをこういうジャンルに独占しているのですね、僕が。

役所:言ってみれば、“ストレスがなくなった怪物映画”とも言えますね。

ーーラストにウェイトレスが包丁を持ってくるのは、次の予兆があるのでしょうか。

黒沢:気づいた方がいらっしゃるかどうか、ウェイトレスが包丁を持った瞬間カットが変わってエンディングになるんですが、実はあれから続きがありまして、編集で切ったのですが、あのあとウェイトレスは厨房に入って行って、彼女の上司らしき女性を包丁でめった刺しするところで終わる。上司の女性は途中で彼女に囁くシーンがあるのですが、妙に体が突っ張っているのを気づいた方はいらっしゃるでしょうか、なぜかと言うと、後々刺されるための安全の木の板を背中に入れているのです、それでブスブス刺されるのですが、いいシーンだったのですが、僕としてはあそこでパッと切ったほうが暗示的かなと思って、あのようなラストになりました。

ーーファミレスのシーンで、2回主人公がウェイトレスにお皿を下げられるシーンがあるのですが、中盤はまったく食べていないのに下げて、ラストのシーンは完食しています。その意図や演じた心境を聞いてみたいです。

役所:この刑事は本当にストレスの塊ですよね、家庭も仕事も。物語が進むにつれてストレスがなくなっていき、食欲も出てくる。この社会でストレスがまったくない人間というのはこんなにも恐ろしいのか、そういう人間は怖いということですね。

黒沢:そのとおりですね。途中で萩原聖人さんが「空っぽになった」と言いますが、(役所さんも)一種の空っぽ状態です。ほんとに気持ちよくて、人間はなかなかそうなれないですけど、役所さんは最後に見事に空っぽ状態になって、なんでも来いの最強の状態になって、目の前のものを全部食べてしまうのです。

役所:健康になったわけじゃなくて、本当に怖いやつが世の中に紛れていくというラストですね。

ーー癒しの究極とも言えますね。本日はありがとうございました。

2018.tiff-jp.net

・参考文献:「黒沢清の映画術」(黒沢清著/新潮社)

・第31回東京国際映画祭 Japan Now 「映画俳優 役所広司」では、他に孤狼の血』(白石和彌監督/2018)、『キツツキと雨』(沖田修一監督/2011)、『うなぎ』(今村昌平監督/1997)、『Shall we ダンス?』(周防正行監督/1996)が上映された。

Review 30 『ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ』

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© 2015 Moulins Films LLC All Rights Reserved

RealTokyoに『ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ』レビューを寄稿しました。

「町が、世界が、ここに凝縮されて呼吸する」

フレデリック・ワイズマン監督が撮るニューヨーク、クィーンズのジャクソンハイツ地区。167もの言語が話される移民の町だ。グロッサリーストアにはカラフルな食材が並び、様々な国の音楽があふれ、様々な宗教の礼拝がある。カメラが向けられるのは、様々な場所の様々な活動。LGBTの悩みを分かち合う会、クイーンズプライド、グリーンカード取得支援、優雅なマダムたちの井戸端会議。議員事務所の女性スタッフの電話応対があるかと思えば、再開発に対抗する市民活動もある。行政や政治活動にも目を配る。町の呼吸の音が聴こえてくる。「この地域は、19世紀の終わりのニューヨーク市ローワーイーストサイドを連想させる“真のアメリカ”というべき『人種のるつぼ』なんだ」とジャクソンハイツを撮るモチベーションをワイズマンが明かしている。ここに世界が凝縮され、この多様性にこそ、アメリカの生命力の源があると感じる。

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Review 29『愛と法』

均質社会に問う、多様化に向かう覚悟と準備は?

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(C)Nanmori Films

ドキュメンタリー映画愛と法』は、大阪で「なんもり法律事務所」を経営する弁護士の南和行(カズ)と吉田昌史(フミ)が主人公。仕事でもプライベートでも共にパートナーであり、瀟洒なマンションに住み、1匹の猫を飼う、素敵な暮らしをするカップルだ。2011年に結婚式を挙げた。初めてゲイであることを打ち明けた時のカズの母ヤエさんは「だって知らないもの、誰も教えてくれなかったもの」というリアクションだった。残念ながらいまの日本でのごく一般的な反応かもしれない。みんなと同じでないことに違和感を持ったり、知識不足による偏見を持つ傾向があるのは否めない。ヨーロッパで育った戸田ひかる監督はそこに興味と疑問を抱き、カズとフミを撮るために、ロンドンから大阪に拠点を移した。

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(C)Nanmori Films

忙しいふたりの弁護士の日常と共に、ドキュメンタリーが見つめるのは「君が代不起立裁判」、「ろくでなし子裁判」、「無戸籍者裁判」の3つの裁判。いずれもいまの日本の状態を象徴するような“現在進行形”の注目の訴訟だ。懸命に取り組むふたりは時には傷ついたりもする。そんな中、係争中のろくでなし子さんの父親が

語る「親バカって言われるかもしれないんだけど、(世界を変えるために闘う)彼女のことを誇りに思う」の言葉がイカしている。娘も周りもどんなに救われるか.....。そんな父と娘の関係性が尊く愛おしい。

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(C)Nanmori Films

人のことを親身に考えるからこそ、心身ともに疲労困憊するふたりの毎日。彼らを癒すのは、やはり「家庭」であり、それを作る「家族」。緊張感がふっとほぐれるシーンへの戸田の視線が温かい。ある日、ふたりと猫の暮らしにカズマくんという少年が加わる。事情があって一時預かることになったのだが、彼ら3人の距離の測り方は実にスマートで、お互いの心地好いツボを探すような配慮を感じる。そんなふたりの存在と生き様は、LGBTなどアイデンティティで悩む人たちへの大きな励みになるのではないだろうか。議員の方々にもぜひこの映画をお勧めしたくなる。

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(C)Nanmori Films

冒頭、「日本は世界でも数少ない均質国家である。常に多数派が尊重されるこの国では、少数者は法的にも社会的にも冷遇されている」と英語と日本語のテロップ表記がある。良くも悪くもそういう国で生きるということの現実を自覚しながら、では多様性を受け入れるためにはどうしたらいいのか......。変化を恐れず、そして楽しめる、リラックスした社会への1歩を踏み出したい。”少数者”と共に闘う、カズとフミのやさしい努力に感謝でいっぱいになる。

福嶋真砂代★★★★

information:

監督:戸田ひかる 
出演:南和行 吉田昌史 南ヤヱ カズマ ろくでなし子 辻谷博子 井戸まさえ 山本なつお
配給:東風

aitohou-movie.com

9/22()より大阪 シネ・リーブル梅田、9/29()より東京渋谷 ユーロスペースほか全国順次ロードショー

Review 28『オーケストラ・クラス』

音楽は素晴らしい。自由と希望の力をチャージする

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© 2017 / MIZAR FILMS / UGC IMAGES / FRANCE 2 CINÉMA / LA CITÉ DE LA MUSIQUE - PHILHARMONIE DE PARIS

遠くにエッフェル塔が見えるパリのビルの屋上で熱心にバイオリンを練習する少年、アーノルド。西アフリカのマリ出身で母子家庭の彼が通うのは、パリ19区という貧しい地区の小学校で、アフリカ系、アラブ系、アジア系など多様な移民の子供達がいる。そこに来たのが、オーケストラ・クラスの新しい先生であるプロのバイオリン奏者、ダウド。しかし、悪ガキ達は勝手に騒いで授業にならず…。ある日、ダウドが演奏すると生徒達は興味津々の表情で聞き入り、やっと練習が始まり、ダウドはアーノルドの才能を見出す。が、演奏の失敗、先生と生徒の対立、教室の火災など問題が起きるが、保護者達の協力で新たな場所を得て練習に打ち込む。目標は、フィルハーモニー・ド・パリというホールで、リムスキー=コルサコフの「シェエラザード」を演奏する事だ。演奏当日、ひとつのアンサンブルとして結束した彼等はスタンディングオベーションを受け、全員が笑顔になるのだった。
実際に行われている子供の為の音楽教育プログラム「デモス」に想を得て映画化した、監督と脚本のラシド・ハミアルジェリア出身で、この生徒達と同じ様な環境で育ったという。子供達にとっての音楽の意味を本当に理解しているに違いない。実は、ハミ監督は先日のフジロックに来た程の音楽好きだが、気に入ったアクトは誰だったのか聞きたい所だ。ところで、映画の最後に流れるのが「フリーダム」という曲(ウッドストックでリッチー・ヘブンスが歌った事で有名)なのだが、これがハミ監督の一番のメッセージではないだろうか。

フジカワPAPA-Q★★★★.5

Information:

オーケストラ・クラス
監督:ラシド・ハミ
脚本:ラシド・ハミ&ギィ・ローラン
出演:カド・メラッド/サミール・ゲスミ
上映時間:102分
配給:ブロードメディア・スタジオ

8月18日(土)、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国順次公開 

www.orchestra-class.com

Review 27『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ☆アディオス』

キューバの世界的音楽家集団よ、永遠に!

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© 2017 Broad Green Pictures LLC

米国の世界的音楽家ライ・クーダー1996年にキューバに行き、ベテラン・ミュージシャン達と制作したアルバムが『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』(以下BVSC)で、BVSCは彼等の名称ともなった。その世界的ヒットを受け、ヴィム・ヴェンダースが監督した音楽ドキュメンタリーが1999年公開の同名映画『BVSC』で、彼等の音楽が更に世界に広がった。

それから18年、この『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ★アディオス』はアディオス(さよなら)とある通り、彼等からの別れの挨拶である。今回、ヴェンダースは製作総指揮になり、監督は高い評価を得る英国のドキュメンタリー作家のルーシー・ウォーカーBVSCの成功以来、彼等は世界中で演奏し、各メンバーのソロアルバムも話題になったが、多くのメンバーが天国へ旅立った事もあり、活動の終了を決意した彼等は最後のアディオス・ツアーで世界を回る。

映画は、キューバの歴史を紹介し、最初のBVSCの映像や各メンバーの個人史を昔の映像とインタビューで掘り下げ、ツアーのバックステージを描き、ハバナでのアディオス・ツアーの舞台で終わる。BVSCの逸話を英国のレコード・プロデューサーのニック・ゴールドと現地の仕掛人フアン・デ・マルコスが大いに語るのが印象的だ。余り取り上げられないメンバーもいる等の不満もあるが、キューバをあまり知らない人にこそ見てほしい音楽と愛の映画である。そして、今も活躍するキューバ最高の歌姫オマーラ・ポルトゥオンドは、9月頭に開催の「東京ジャズ」で日本の誇るオルケスタ・デ・ラ・ルスと共演する!

フジカワPAPA-Q★★★★.5

Information:

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ★アディオス
製作総指揮:ヴィム・ヴェンダース
監督:ルーシー・ウォーカー
出演:オマーラ・ポルトゥオンド(ヴォーカル)、マヌエル・“エル・グアヒーロ”・ミラバール(トランペット)、バルバリート・トーレス(ラウー)、エリアデス・オチョア(ギター、ヴォーカル)、イブライム・フェレール(ヴォーカル)
原題:Buena Vista Social Club: Adios/2017年/イギリス/カラー/ビスタ/5.1chデジタル/110分/字幕翻訳:石田泰子
後援:駐日キューバ共和国大使館 インスティトゥト・セルバンテス東京 日本人キューバ移住120周年
配給:ギャガ (C)2017 Broad Green Pictures LLC

2018年7月20日(金)より TOHOシネマズ シャンテほか全国順次公開中

公式サイト: 

gaga.ne.jp

www.tokyo-jazz.com