REALTOKYO CINEMA

リアルトウキョウシネマです。映画に関するインタビュー、レポート、作品レビュー等をお届けします。

Review 27『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ☆アディオス』

キューバの世界的音楽家集団よ、永遠に!

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© 2017 Broad Green Pictures LLC

米国の世界的音楽家ライ・クーダー1996年にキューバに行き、ベテラン・ミュージシャン達と制作したアルバムが『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』(以下BVSC)で、BVSCは彼等の名称ともなった。その世界的ヒットを受け、ヴィム・ヴェンダースが監督した音楽ドキュメンタリーが1999年公開の同名映画『BVSC』で、彼等の音楽が更に世界に広がった。

それから18年、この『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ★アディオス』はアディオス(さよなら)とある通り、彼等からの別れの挨拶である。今回、ヴェンダースは製作総指揮になり、監督は高い評価を得る英国のドキュメンタリー作家のルーシー・ウォーカーBVSCの成功以来、彼等は世界中で演奏し、各メンバーのソロアルバムも話題になったが、多くのメンバーが天国へ旅立った事もあり、活動の終了を決意した彼等は最後のアディオス・ツアーで世界を回る。

映画は、キューバの歴史を紹介し、最初のBVSCの映像や各メンバーの個人史を昔の映像とインタビューで掘り下げ、ツアーのバックステージを描き、ハバナでのアディオス・ツアーの舞台で終わる。BVSCの逸話を英国のレコード・プロデューサーのニック・ゴールドと現地の仕掛人フアン・デ・マルコスが大いに語るのが印象的だ。余り取り上げられないメンバーもいる等の不満もあるが、キューバをあまり知らない人にこそ見てほしい音楽と愛の映画である。そして、今も活躍するキューバ最高の歌姫オマーラ・ポルトゥオンドは、9月頭に開催の「東京ジャズ」で日本の誇るオルケスタ・デ・ラ・ルスと共演する!

フジカワPAPA-Q★★★★.5

Information:

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ★アディオス
製作総指揮:ヴィム・ヴェンダース
監督:ルーシー・ウォーカー
出演:オマーラ・ポルトゥオンド(ヴォーカル)、マヌエル・“エル・グアヒーロ”・ミラバール(トランペット)、バルバリート・トーレス(ラウー)、エリアデス・オチョア(ギター、ヴォーカル)、イブライム・フェレール(ヴォーカル)
原題:Buena Vista Social Club: Adios/2017年/イギリス/カラー/ビスタ/5.1chデジタル/110分/字幕翻訳:石田泰子
後援:駐日キューバ共和国大使館 インスティトゥト・セルバンテス東京 日本人キューバ移住120周年
配給:ギャガ (C)2017 Broad Green Pictures LLC

2018年7月20日(金)より TOHOシネマズ シャンテほか全国順次公開中

公式サイト: 

gaga.ne.jp

www.tokyo-jazz.com

Interview 011 アンナ・ザメツカさん(『祝福~オラとニコデムの家~』監督・脚本)

子どもは子ども時代に「子ども」として過ごさなければ、悪循環が起こるだろう

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処女作『祝福~オラとニコデムの家~』が公開中のポーランドのアンナ・ザメツカ監督にインタビューした。本作は2017年、山形国際ドキュメンタリー映画祭で最高賞のロバート&フランシス・フラハティ賞(大賞)受賞他、数々の賞に輝いた注目のドキュメンタリーである。ザメツカ監督は、ポーランドにも仲の良い日本人の友人がいるのだと、「黒海バルト海がちょうどぶつかるところに、ふたつの違う文化を持った友人の日本人とポーランド人(自身)が写る、という象徴的な写真なの」とスマートフォンの写真を見せてくれた。

ジャーナリズム、人類学、写真学を学んだ鋭敏な観察眼と洞察力で、親がその役割を果たせない家庭の子どもに光を当て、「家族とは何か」、「絆とは?」を問いかける。ワルシャワで出会ったひとつの家族。長女オラ(14歳)は自閉症の弟ニコデム(13歳)の世話をし、生活能力のない父親と暮らす。母親は家を出て別の男と暮らしている。オラは弟の「初聖体式」がうまく行けば、バラバラになった家族がまた一緒になれるのではないかと、独り奮闘する。まだまだ遊びたい盛りの少女。光と陰影を捉える繊細なカメラワーク、憂いある映像にはストーリーを感じさせる奥深さがある。長い時間をかけて、姉弟との信頼関係を作り上げたからこそ映り込む子どもたちのこころの奥。「オラとニコデムは、リアリスティックな”ヘンゼルとグレーテル”なのです」と公式サイトで監督メッセージを寄せている。是枝裕和監督や大島渚監督にリスペクトを捧げるというポーランドの気鋭監督に思いを聞いた。

聞き手・文:福嶋真砂代

◼️「映画を撮る」ことを隠さず話した

ーー瞬間瞬間の映像の美しさが印象深く、そこには豊かなストーリー性を感じます。たとえば、オラが友達と3人で森で遊んでいるシーンは、構図やアングルも美しく、光がちょうどカメラに入りこむすごい瞬間を捉えていましたね。子どもたちへの何か演出的なアドバイスはあったのでしょうか。

そのシーンでは私から何も提案しませんでした。ただ、教会でのニコデム初の聖体式で両親の間にオラが座るところ、そこだけ私から提案をしました。彼女が子どもに戻れるとても貴重な場面で、両側に座るお父さんとお母さんをオラが交互に見て、とてもうれしそうな顔を見せます。そのシーンでは座る位置の提案をしていますが、森のシーンでは何も提案しませんでした。

また私はあの森の公園のことをよく知っていたので、どの時間にどこから光が射してくるかをだいたい把握していました。だからいい瞬間を捉えることができたのだと思います。うまくカメラに当たる濃い光が使えたと思います。

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©HBO Europe s.r.o., Wajda Studio Sp. z o.o, Otter Films Wazelkie prawa zastrzeżone. 2016

ーー撮影のクルーは何人だったのですか?

 全部で3人でした。

ーー家の中のシーンにおいても被写体とカメラとの親密性を感じました。家族との関係性をどういうふうに作っていったのですか?

とにかくまず正直であること。なんでも打ち明けました。表面的にだけ仲良くなろうとするのではなく、「映画を撮る」ということを隠さず話をしました。彼らの助けになるという振りをしませんでした。長い月日をかけて、どうしてこの映画を撮りたいのかのモチベーションについて、よく話し合いました。とにかく尊敬の念を持って、パートナーとして彼らに接しました。彼らが、自分たちにとってもこの映画が大事なのだと感じてくれることがとても重要なことでした。そうやって知り合ううちに、行政や福祉局が彼らをまったく無視していることに気がつきました。そのせいで彼らは放ったらかしでした。このような状態で、オラは親のような役目を果たしていて、私は驚き、それは絶対におかしい、なんとかしなければと思いました。オラにとって親の代わりをすることはとても重荷なのです。彼女が背負わなければならない理由は全然ないのです。ですからこの映画を作るモチベーションを、そこから組み立てていくことから始めました。彼らと友人になるという方法はとりませんでした。でもそうこうしているうちに彼らと友人になるという、パラドックスは起きました。このようにしてお互いに信頼が生まれてきました。

ーー信頼関係は、オラ、ニコデム、お父さん、お母さんとも作れたのでしょうか。

お母さんとは会う機会が少なかったので、難しかったです。ニコデムとは、これは勘のようなものですが、私に何か近いものを感じて、最初からうまく信頼関係が作ることができました。

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©HBO Europe s.r.o., Wajda Studio Sp. z o.o, Otter Films Wazelkie prawa zastrzeżone. 2016

ーー映画を観ていて、ニコデムは自閉症ではあるけれど、聡明な人ではないかと感じました。

はい。彼の特徴は、とても頭がいいこと、感じやすいこと、内省的であることです。自閉症なので「ちょっと変な子」と外からは見られるかもしれないのですが、私から見ると、至極ノーマルな人間だと思いました。彼らはこの世界の中で行き場を失い、どうしたらいいかわからない、路に迷っているような状態なんです。ニコデムはすべてをそのまま受け入れました、バリアもなく。

ーー彼のそんなピュアな心が監督と呼応したのですね。

そうです。ニコデムは私に多くを語ってくれました。

ーーオラはニコデムのことをとても理解していて、一生懸命に弟を導こうとしています、お母さんの代わりに。たとえば、ニコデムが聖体式の口頭試問で言い淀んだとき、オラは「もう一度最初から」と助言します。そうすればニコデムが言えることをわかっている、ということがそのシーンで感じられました。

ほんとにそうですね。 

◼️なぜ福祉士は、オラの心の崩壊を見ないようにするのか

 ーーところで、福祉士は数回この映画に出てきますが、オラの気持ちや家庭を理解しようとしていたのでしょうか。

福祉士は3回出てきました。家の訪問はしますが、そこからは何も進みません。オラを通して両親の問題をいろいろ触ろうとしますが、お母さんを「家に戻す、戻さない」というような問題は、子どもを通してやることではなく、本来ならお父さんとすべきことです。福祉士はオラを守ってあげる立場であって、オラと一緒に話し合って解決しようという役割ではないのです。オラが福祉士の質問に「うちは大丈夫です」と答えますが、それは嘘であり、彼女の中で何かが崩壊していくのがよく見えます。しかし福祉士はそれを見ないようにしているのです。もし何か問題があるということを知ってしまうと、福祉士の仕事が増えてしまうので、避けたいと思っているのでしょう。

ーー日本でも子どもの虐待の悲しい事件が繰り返されます。

だからこそ、この映画を公開する価値があるのではないでしょうか。ポーランドもまったく同じです。そういう問題が起きた時、だいだいの場合において、父よりも母に罪があると責められ、報道されます。

 ーーオラのお母さんはとても子どもっぽく、家を出て行き、外で子どもを作り、また戻り、その赤ちゃんさえもオラに世話をさせようとします。

そう、オラが赤ちゃんを抱っこしているシーンもその象徴的なところです。

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©HBO Europe s.r.o., Wajda Studio Sp. z o.o, Otter Films Wazelkie prawa zastrzeżone. 2016

◼️ドキュメンタリーの奇跡が起きた“マットレス事件”

ーーベッドを組み立てようとしたら「マットレスが無い」とお母さんがイライラしているシーンもいろいろ物語りますね。あの日の撮影は、お母さんが来ると連絡を受けていたのでしょうか。

確かに電話がありました。だから私は2週間の間にシナリオを変えなければなりませんでした。いちばん重要なのは、ベッドを組み立てるシーンを撮ろうと思ったことでした。ベッドというのは普遍的なシンボルで、家と平和と安全のシンボルなんです。もちろんベッドはお母さんひとりでは組み立てられない。子ども達が手伝いましたね。ニコデムとオラの顔にフォーカスして、彼らの感情の動きを撮りました。彼らにあらかじめ、ベッドを組み立てるシーンを撮りますよと言っておきました。

ーー“マットレス事件”は偶然起こったのですか。

 それは奇跡的に起こりました。時々起こる「ドキュメンタリーの奇跡」ですね。マットレスが無いというのは、何かが足りないということのメタファーになりました。あのベッドは5つの部品からなっていて、「5」はあの家族のメンバーと同じ数字です。ひとつ足りなくなる部品(マットレス)はお母さんです。

ーーすごい。予想を超えた、思いがけないことが起こったのですね。

私は全然そこまでは予期していませんでした。編集スタッフは、私が何か案を出すととんでもないことが起こるから、私のことを魔法使いのようだと言いました。

ーーこの映画をヘンゼルとグレーテルの話になぞらえたり、魔法使いが出て来たり、ドラマチックですね。

おもしろいリンクですね。

ーーキリスト教には「三位一体」などの言葉のように、シンボリックな数字がありますが、「5」という数字もそうですか?

いえ、今回の5という数字は偶然で、ベッドを組み立てるシーンは、結果的に「5」が現れました。部品が足りないだけじゃなくて、ネジを回すときにうまくいかなかったり、結局ベッドが組み立てられなかったという現象は、あの家族の状況を象徴しているのだと思います。

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©HBO Europe s.r.o., Wajda Studio Sp. z o.o, Otter Films Wazelkie prawa zastrzeżone. 2016


◼️是枝裕和大島渚、両監督作品につながる親子の関係

ーー家族をテーマに映画を撮るのは、監督の境遇とオラとの相似性を見つけたからですか。

 オラと私の過去の境遇が似ているというのは確かに映画を作るインスピレーションになりました。私の育った環境はオラと比べるとドラマは小さいもので、比べられないとは思いますが。ただ責任感が増大していくところは、共感しました。

ーー是枝裕和監督の『誰も知らない』にインスパイアされたと伺いました。

そうですね、『万引き家族』はまだ観ていないのですが、早く観たいです。私は大島渚『少年』からもインスピレーションを受けました。両親が息子に車の当たり屋をやらせて、保険を奪うという話ですが、興味深いのは、息子が最後には親を庇うところです。どんな家族であろうと、その子どもにとってはとにかく「家族」であってほしかった。子どもにとっていちばん大事な価値は「家があり、親がいること」だと思います。オラは親をとても愛していて、父は酔っ払いで、母もいい親とは言えないですが、何が何でも家を守ろうとします。『少年』では、警察署で取り調べを受けた子どもが、そこでも親を庇おうとします。決していい親ではないのに。この映画でも、オラは福祉士から親を守ろうとしていました。

ーーそれはオラのすばらしさでもあると同時に、子どもにとって親は本当はそういう親であってほしいという理想であるわけですね。

親とは支えてくれるもので、本来、子どもは親なしには生きられないのです。

ーーしかしオラの家の環境は、それがすべて逆転しているという矛盾、悲しさを感じます。

オラがすごくがんばっているのは事実なのですが、「がんばらなくていいんだ」ということを解ってほしいとは思います。“アダルトチャイルド(ザメツカ監督によると「子どもなのに大人のような責任を担わされる子」の意味)”はがんばってしまうのですが、本当はそうするべきではないのです。神父、福祉士、学校の先生など周囲の大人がそれをすべきです。「子どもは子どもでいていいよ」と。たとえば親が子どものことを「子どもの面倒もみてくれてえらい」と自慢するケースがありますが、その責任感はその子にとっては重すぎるのかもしれません。また親が自分の問題のはけ口に子供を使うケースでも、自分の問題で子どもに重荷を与えてはいけないのです。この映画はそういう意味で「プロテスト」でもあるのです。子どもは子ども時代に「子ども」として過ごさないと、大人になったときに、自分の子に対して過度な負担を与えることになってしまうのですから。そうしないと、この家族のような悪循環が起こってしまうのです。

(※このインタビューは2018年6月8日に行われました。)

プロフィール:

Anna Zameccka /ポーランドの映画監督、脚本家、プロデューサー。ワルシャワコペンハーゲンでジャーナリズム、人類学、写真学を学んだ。ワイダ・スクールでDok Proドキュメンタリープログラムを修了。本作が長編デビュー作。

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©HBO Europe s.r.o., Wajda Studio Sp. z o.o, Otter Films Wazelkie prawa zastrzeżone. 2016

Information:
脚本&監督:アンナ・ザメツカ
原題:Komunia|英語題:Communion|監督:アンナ・ザメツカ
2016年|ポーランド|DCP|カラー|5.1ch|75分|配給:ムヴィオラ

6月23日(土)よりユーロスペースほか全国順次公開

公式サイト:

www.moviola.jp

Interview 010 想田和弘さん(『ザ・ビッグハウス』監督・製作・撮影・編集)

生意気な人間をどれだけ増やすかが、本来の教育の目的でなければいけない

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ジム・ジャームッシュの言葉に刺激を受けて渡米を決意し、以来20年以上居住する「アメリカ」にカメラを向けた、想田和弘監督観察映画第8弾『ザ・ビッグハウス』。『港町』に引き続きインタビューを行った。今回の被写体はミシガン大学アメリカンフットボールチームウルヴァリンの本拠地である巨大スタジアム、通称「ビッグハウス」だ。ミシガン大学映像芸術文化学科の16人の映画作家(マーク・ノーネス教授、テリー・サリス上級講師らと13人の学生監督)と一緒に作り上げた。

いつもは想田ひとりでカメラを抱え+奥様の柏木規与子プロデューサーと猫のサポート(想田作品には猫が多く出演)で撮るというシンプルな撮影スタイルだが、「授業のなかで学生たちと一緒に撮る」という異例で冒険的な撮影はどうだったのだろう。アメリカの個性豊かな学生たちの「言うこと聞かなさ」と闘いながら、その「生意気さ」をあえて育てようとした、想田の教育ポリシー。さらに「VIPルーム突撃」の話も奥深い。

そうやって撮影された多種多様な視点”が想田の編集によってまとめあげられた。まるでプリズムのようなドキュメンタリーからはアメリカの現実、例えば人種や格差の問題、宗教、表舞台と舞台裏、スタジアム周辺に集まる人々、ミリタリズムにトランピズム、隠れた経済のサイクルも浮かび上がってくる。先に観た『港町』の魚を巡る小さな経済サイクルと比べてみると、その違いに唖然とする。蛇足ですが、筆者が学生時代に短期留学したミシガン州ホランドの私立大学で、大学のアメフトスター選手とチアリーダーにインタビューし、「スポーツとコミュニティ」についてレポートを提出したことを思い出し、不思議な縁を勝手に感じつつ、話を伺いました。Go Blue!

聞き手・文:福嶋真砂代

◼️「ビッグハウスって何?」から始まった

ーー想田さんは2016年にミシガン大学、映像芸術文化学科に客員教授として招かれたのですね。ビッグハウスをどうして撮ることに?

そもそもマーク・ノーネス教授からドキュメンタリーの授業を1年間、正確には8ヶ月間ですがやりませんかと、誘いを受けたんですが、そのときは、「ビッグハウス」の「ビ」の字もなかったんです。(ミシガン大学9-12月、1-4月で学期が分かれる)。でもおもしろそうな機会だなと行くことにしたんです。そのあとで「ビッグハウスを撮る授業をテリー・サリス上級講師と一緒にやるんだけど、それに加わらないか」と言われて、僕は「ビッグハウスって何?」って(笑)。

ーーそれまでは想田さんの頭の中には、ビッグハウスもアメフトもなかった。

アメフトのルールも知らなかったし、いまでもよく解っていません(笑)。でも、アナーバーの人口は10万人くらいしかないのに、10万人以上収容できるスタジアムがあるという、その事実だけでも、すごく変なことが起きているな、それは被写体としてはおもしろいに決まってる、と思ったので引き受けようと思いました。但し、そのときに確認したのは、観察映画のスタイルでやるということ。つまり、あらかじめリサーチをして台本を作ったり、ストーリーを決めないという撮り方です。そういう方法をマークとテリーが受け入れてくれるかというところを確認し合い、OKだというので撮ろうと。当初は前年の2015年に大学に行く予定でしたが、いろいろな事情で2016年に延期になり、まさか大統領選挙と重なるとは! 歴史的転換点に奇しくもカメラを回していたということになりますね。

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(C)2018 Regents of the University of Michigan

ーーアナーバーはどういう都市ですか? 

アナーバーは8割近くが白人で、裕福で、大学関係者が人口の半分を占める、エリートの都市だと言われています。犯罪率もかなり低いらしく、例えば家に鍵をかけずに1ヶ月海外旅行に出かけても何もなかったという話も聞きました。近くの大都市のデトロイトとは真逆ですね。


◼️よく観て、よく聴きながら、カメラを回しなさい

ーーこの映画の驚異的なところは、ビッグハウスの内も外も、ゲーム以外、隅から隅まで撮影されていて、地元のアメフトファンや関係者にも興味深いシーンだらけなのではないかと。地元の人たちがこの映画を観た反応はどうだったのでしょう。

 「アナーバー映画祭」という映画祭があって、僕はちょうどパリにいて不在だったのですが、そこで上映されました。学生監督10人くらいが登壇して、質疑応答も行ない、ものすごく盛り上がったらしいです。

ーー10万人以上の人が映る迫力シーンと、人々の個々の表情に寄っていくシーンと、そのコントラストも印象的です。17人の監督が1本の映画を一緒に撮るというのは、これまでの想田作品と違いますが、一体どのように?

まず、なるべく被らないように担当を分けました。マーチングバンドを撮りたい人、警備陣を撮りたい人、厨房を撮りたい人、それぞれ興味や関心が違いますから。観察映画の作り方については、撮る前にレクチャーをしました。いちばん強調したのは、あらかじめストーリーを作らない、ゴールを決めないということ、とにかくよく観て、よく聴きながらカメラを回しなさいということです。その結果、おもしろいと思うものをどんどん追っていけばいいからと。その点をみんなに徹底して、撮ってきたものを授業でみんなで一緒に観て、批評しあい、また次の試合に出て行く。これを4、5回繰り返しました。

17人がそれぞれの場所でカメラを回しているので、それぞれ視点が違うわけです。同じところにカメラを向けていても、カメラマンの視点によってこんなにも違って見えるのかと。例えばマスゲームのシーンのように、いわゆる「群衆」として描いている学生もいます。一方で、別の学生が一人一人に焦点をあてた、おもしろい顔博覧会のような、そんなセクションもあります。その両方の側面を並存するように編集しました。僕は半分くらいのシーンを撮影しています。

ーーそうすると、全部で5試合を撮ったのですね。

1試合めは見学ということだったのですが、アメリカ人の学生に「見学だよ」と言っても、カメラを回したい人は回しちゃうんです。でもそこがおもしろい。統一がとれなくて困ることもあるんですが、例えば学校で用意したカメラ機材を使いたがらずに、自分の一眼レフで撮ってくる人がいたり、コマ数を間違えて撮ってくる人もいる。だけど「人の言うことを聞かない」というのは、自主性が強かったり、個性が強かったりすることでもあるので、もう勝手にやってくれ、という感じでした。日本人だったら考えられないような統制のとれなさで、でもそれはクリエイティブといえばクリエイティブなんです。

僕は学生には生意気に育ってほしくて、生意気な人間をどれだけ増やすかが本来の教育の目標でなければいけないと思うんです。それをまとめるときに、どれだけ違和感なくひとつの時間につなげられるかが僕のチャレンジだったんですけど、けっこう大丈夫なもので、結果的にはおもしろかったです。

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Photo:Terri Sarris

 ◼️「気づき」が「視点」になっていく

 ーー17人の監督の内訳は?

授業で教えたのは3人の教員(マーク、テリー、想田)と、撮影の応援にもうひとり教員が来てくれました。他の13人は学生で、そのうち2人がマイノリティーでした。ひとりはインド系の女性で、もうひとりはけっこう複雑で、ネイティブアメリカンと黒人とイラン系とドイツ系が混ざった学生でした。あと11人は白人系でした。

ーー学生は単独で撮影に行くんですか? それともチームで?

それもバラバラで、チームの人がいたり、独りがいいという人がいたり、みんな勝手にやるんです(笑)。楽と言えば楽ですが、良し悪しはあります。

ーー撮影から帰ると、みんなで意見交換を?

そうですね、授業で映像を観ながらお互いに批評をします。ここがおもしろいね、こういうところはもっと観たい、ここは長いね、カメラワークがいいねとか、いろいろなことを批評し合いながら観ると、そのときに「視点」が生じるわけです。例えば、観客はほとんど白人だね、厨房で皿洗いをしている人はほとんど有色人種だね、という「気づき」が映画を作る上での「視点」になっていくわけです。それを撮影にも反映していきます。

◼️VIPルーム突撃、実は3回トライした

ーー「気づき」を踏まえて、どんな議論が交わされますか?

そこでも観察モードです。映っているものを見て感じたことを言い合いますね。そこで止まるのが観察映画ですから。ただ、気づいた視点をもう少し明確にするために「もっとここは撮りたいね」という話はありました。ごみ収集の人たちやチョコレートを外で売っている親子がいるかと思えば、VIPルームの人がいたり。VIPルームは最後の方に僕が撮りました。なぜ撮ったかというと、ビッグハウスを撮るなかで、貧富の差が見え隠れするからです。VIPルームはなかなか撮影許可がとれなかったんですが、やっぱり撮らないとダメだよね、という話が出て。それで大学側からは正式な許可がもらえそうになかったので、僕がゲリラ的に……笑。もう行ってしまって、その部屋のオーナーがOKと言えばいいんじゃないかというふうに行ったんです。

ーー出ました、想田さんの突撃(笑)。

VIPルームへの入り口はスタジアムの一般の入り口とは別にあるんです。タワーの6階にあるんですけど、そこにカメラを持って進むと、廊下には裕福そうな人たちが歩いているわけです。外はけっこう寒いのだけど、タワー内は暖かくて、カーディガンみたいなのを着て歩いているわけです。「ふーん」と思いながら見ると、部屋の外に表札がかかっていて、その多くは企業名です。たぶん接待に使っているのでしょう。そのなかに『ジョンソン ファミリー』という表札があって、ドアを開け放してあったんです。部屋から出てきた女性に「こういう映画を作っているんですけど、中を撮影してもいいですか」と尋ねると、中に入って訊いてくれて「いいって言ってるよ」と。それで中に入り、挨拶をして、「こういうドキュメンタリーを作っていますけど、みなさん撮影OKですか?」と話すとOKというので撮った、という感じだったんです。

ーー想田さん単独ですか? 

そうです。こういうのは年季が要るんですよ、難しいところがあって。学生もパスがあるから行こうと思えば行けるんですが、たぶん気後れして行けなかったんですね。これは俺が撮るしかないなと思って。

ーーものすごく重要な、この映画の肝のひとつでもあると思いました。「この部屋を使うにはいくらかかる?」なんて聞いちゃうんですよね。

笑。でも教えてくれないけど……

ーージョンソンさんの答え方もチャーミングで、いい人そうな、往年の選手だったのですね。

嫌な感じの金持ちじゃなくて、人柄の良さそうな人でしたね。だからこそカメラを受け入れてくれたのだと思うんです。他にもトライしたんですが、断られていて、3回トライしたうちのひとつがジョンソン ファミリーでした。

ーーVIPルームのシーンを観た、みんなの反応は?

みんな、特にマークが喜んでましたけど、同時に怖がってもいました。被写体の方にはリリースフォームという同意書にサインしてもらうんですが、それをマークはじっと見てました。

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(C)2018 Regents of the University of Michigan


◼️みんな同じ席に座るのが「ビッグハウス」なんだとミシガン市民は思っていたが……

 ーーどの範囲まで同意書をもらうのでしょうか。

大学の弁護士チームに相談しながらやっていました。まず、観衆はパブリックな場所にいるので許可はもらわなくていい。10万人にサインしてもらうわけにいかないですからね。テレビ中継も同様の理屈で成立しています。プレスルームも、記者会見もその性質上、問題ない。個別の許可は状況によって変わりますが、例えば厨房だったらヘッドシェフ、警備は警備のトップの人、救護室も救護室のヘッドの人にそれぞれ許可をとりました。救護室は患者のプライバシーがあるので、準備の様子なら撮影していいということでした。許可関係はマークが基本的に交渉して、数ヶ月かけてとってました。彼は大学常勤の講師なのでいろいろなところに顔が効きますから。僕はそこはあまりタッチしないで、撮影の内容、カメラの扱い方、撮影の仕方、心構えとかに集中したのでとてもやりやすかったです。

ーーだからマークさんがVIPルームの同意書を入念に確認したのですね。

「同意書は撮る前? 撮った後にもらった?」とか聞かれて、「なにをそんなに怖がるんだ」と思いましたけど(笑)。これは事情があって、大学当局としてはちょっとセンシティブな部分なんです。実はこのVIPルームとプレスルームがある建物のタワーは、以前はなくて、2010年にできたんです。それまで観客は全員が普通の席に座り、それが民主主義の象徴だと思っていたのだそうです。貧富の差は関係なく、みんな同じ席に座るのが「ビッグハウス」なんだとミシガン市民は思っていたんです。ところが、大学の経営上、例えばVIPルームを作って利用者から寄付を募る方がお金が集まると判断して、タワーを建築した。当時は反対運動があって、「我々の文化を変えてしまうような、階級社会の存在を包容するようなことをしてはいけない」という議論があったとか。だから大学としては、ある意味、触ってほしくない部分ではあるんです。

そんなわけでなかなかOKが出なくて、残り1試合になった時にマークに「大学の当局が渋っていたとしてもVIPルームの人がいいと言えばいいのでは?」と相談すると、彼は「うーん」って1分くらい考えて、「本人がいいと言えばいいか」と言ったので、僕はヒューと入って行ったんです。

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Photo:Terri Sarris

◼️「生意気さ」を育てたい

ーー宗教勧誘のシーンもありましたね。

宗教の街頭シーンが3つで、そのうちの2つは学生、1つは僕が撮りました。キリスト教福音系の人が多く、あとエホバの証人も。「生命は作られたのか」と書いてあるタテカンを持っている人を見つけて、すぐに撮りました。僕は大学で宗教学専攻だったので宗教には特に敏感なんです。

ーーキリスト教のミサの後、スタジアムの清掃作業ボランティアたちを撮っていましたが、彼らはミサに出ていた人たちですか?

教会の人たちがボランティアで清掃し、そのままビッグハウスの施設の中でミサをするんです。ジェイコブという学生が撮ってきたのですが、非常にファインプレーでした。いつも土曜日に試合があるので、清掃は必ず日曜日にある。もともとは清掃を撮りに行ったのですが、どうも清掃の人たちはキリスト教の信者で、ビッグハウスでミサまでやるんだということに気づいて、ミサも撮ってきたのです。

ーーその関係性を見つけたんですね。

そうです。彼がよく観て、よく聴いていた証拠です。普通は清掃を撮りに行ったら、それだけで満足して帰ってくるんです。そこはものすごく褒めました。ただ彼はコマ数を間違えて撮ってるから、映像はガクガクしてます。まあほとんどの人は気づかないのではないかと。僕はもちろん気づきますけど、24コマだと言っていたのに、30コマで撮ってきてるんですね(笑)。

ーー惜しかった。

そのつもりで観ればわかるんですけど、映画っておもしろいもので、編集上の流れで不自然じゃなければ、みんな違和感を持たずに画質の違いも気にならなくなるんです。でも実はカメラワークもうまい人もいれば下手な人もいる。解像度は2Kでと言ってるのに、4Kで撮ってくる学生もいるし、編集ソフトもPremiere Pro でまとめるので、それで統一してねと言ってるのにFinal Cut Proでやってくる学生もいる。Final CutからPreimere Proへの変換がうまくいかないと、大変なんですよ。あのときはちょっと怒りましたね、人の話を聞けよって(笑)。

ーーいま想田さんは全員の顔が浮かんでるんですね。

浮かんでます。全員のやらかしたことを覚えてます(笑)。ドキュメンタリーを撮ろうなんて人は、もしかすると生意気な人が多いかもしれません。でもその「生意気さ」を育てようとしました。学生たちが自主的にやりたいということを積極的に応援しました。全然ビッグハウスに関係ないのにオバマの演説撮りに行った学生とかもいたし。

ーーえ!? 

大統領選挙の前日に急に当時大統領のオバマが来たんです。ミシガンは民主党が強い地域だったのでトランプが勝つとは思われてなくて、でもオバマが来るということは、ヒラリー陣営は危ないのかと……。でも、ヴェサルという学生が「オバマが来る!」って興奮して、撮りに行きたいから、僕に一緒に来てほしいと。「全然関係ないしな」と思いながらも、一緒に行きました。そうやって自分で意欲を持ってやるときに最も「学び」が起動します。それは応援したい。ヴェサル、ジェイコブ、レイチェルの3人は大統領選挙後にあった女性の大規模な行進を泊りがけで撮影してきたり、ビッグハウスの映画が一段落しても、事あるごとに撮影に出かけて、僕に見せてくれました。それは僕としてはすごくうれしいことです。

ーー指示待ち傾向の日本の学生との違いは感じますね。想田さんがアメリカに拠点を移されたときも、そういう違いを感じたからなのですか?

僕の場合は、日本から出て違う世界を見てみたいという願望と、あとは映画を撮りたいと思ったけれど、大きな映画会社では助監督の募集が当時なかったからです。その頃にたまたま読んだジム・ジャームッシュのインタビュー記事で「NYの大学で映画を勉強して映画監督になった」と彼が話していて、なんだその手があるんだ、と行ってしまったわけです。他には何も考えてなかった。ただ日本の映画界の徒弟制度みたいなのは嫌だなあとは思ってました。

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(C)2018 Regents of the University of Michigan


◼️政府を通さない再分配システム、その光と影

ーー『ザ・ビッグハウス』の学生監督たちは学科生ですか?

映像芸術文化学科の学生が多かったですが、他学科の学生もいました。学部ですので18歳くらいから20代前半で、男女比は半々でした。授業は毎週7時間。作るだけではなく、観賞と批評もやります。ダイレクトシネマのクラスだったので、その名作を観て批評し合ったり、歴史、理論の勉強も並行してやりました。「理論、歴史、実践」を全部一緒にやったので、非常に深いドキュメンタリーの教育になったと思います。かなりハードだったと思いますが。で、この授業が存在するのも、ビッグハウスがあって、ビッグハウスが寄付を集めるエンジンになっているからこそなんですね。

ーービッグスポンサーを撮ったということになりますか。

「ビッグハウス」というシステムがあって、そこが卒業生たちの寄付を集めるマシンになっているからこそ、ミシガン大学の経営が成り立っている。税金は予算の16%しかないから、それ以外は全部大学が集めなければならない。それでも授業料の値上げは必至で、いまや州内の学生でも年間1万5千ドル、州外からだと5万ドルの学費がかかります。やはり貧しい家庭の人は奨学金システムが必要で、そのシステムを支えているのが富裕層の寄付。なかには30億円くらい寄付する人もいます。年収6万5千ドル以下の家の学生は授業料は免除で、それも寄付金で賄われます。そう考えると、階級社会の存在があり、貧富の差ができて、それは由々しきことではあるけど、その階級社会の存在があることで大学や学生が支えられている。構造的には複雑で、一刀両断にはいかない。

ーーお金の循環と言えば、『港町』では魚の行方を追って、小さな経済のサイクルが見えましたが、今回は大学の経済サイクル、ひいてはアメリカの経済サイクルが……

おもしろいのは、アメリカの場合、この大学のように、政府を通さない再分配システムがあるところです。でもいろいろ矛盾もあって、アメフトチームが強い時期には寄付は増えて、弱い時期は寄付が減るのだと。そうすると選手には「勝つ」ことへのプレッシャーがかかる。だけど選手はプロじゃないからお金はもらわない。監督は年間9億9千万円とか報酬があるのに、学生たちは無給でいいのかとか、そんな問題もあって、本当に光と影があるんですね。

 (※このインタビューは2018年5月21日に行われました。)

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(C)2018 Regents of the University of Michigan

Information:

監督・製作・編集:想田和弘
監督・製作:マーク・ノーネス、テリー・サリス
監督:ミシガン大学映画作家たち
配給:東風 + gnome
2018年|米国・日本|119分|カラー|DCP|ドキュメンタリー|英題:THE BIG HOUSE
公式HP:

映画『ザ・ビッグハウス』公式サイト|想田和弘監督 観察映画第8弾

201869()より渋谷 シアター・イメージフォーラムにてロードショー、ほか全国順次公開

関連書籍情報
『ザ・ビッグハウス』制作の舞台裏を記録した単行本「THE BIG HOUSE アメリカを撮る」(想田和弘 著/岩波書店 刊)が2018530日に刊行されました。

tanemaki.iwanami.co.jp



 

 

Interview 009 安宅紀史さん(沖田修一監督『モリのいる場所』美術監督)

映画のなかで蘇る、画家・熊谷守一の世界を生んだ「家」と「庭」

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(c)2017「モリのいる場所」製作委員会

下駄を履く音。鳥の声。三角帽をかぶり、両手に杖をとる。「行ってきます」。そう言って94歳の画家、モリこと熊谷守一山崎努)が向かったのは自宅の庭だ。「はい、行ってらっしゃい、お気をつけて」と洗濯物を干しながら送り出す、78歳の妻・秀子(樹木希林)。おとぼけと敬愛。草木が生い茂る庭を歩き回るモリ。とかげ、あじさい、金魚、石ころ。蟻の行列を、地面すれすれに頭をかしげて、じぃっと観察する。晩年に病を患ってからは、30年ものあいだ、ほとんど家から出ることなく、庭の生きものたちをよく見て、明快な色彩とかたちで描いた。夫婦の間柄も庭の自然も、毎日同じようでちょっとずつ違う。

 沖田修一監督の最新作『モリのいる場所』は、この画家、熊谷守一1880-1977)を、ときにユーモラスに描いた愛情あふれる作品だ。「わたしは生きていることが好きだからほかの生きものもみんな好きです」。人生に翳りがなかったわけではないが、常に新鮮な「今」を生きた。

 映画の舞台はほぼ家と庭のみ。人物たちは風景の一部となっている。守一が多くの作品を生み出す源泉となった小宇宙=庭の造形が、この映画を生き生きと支えている。美術を担当した安宅紀史さんに制作プロセスなどをお聞きした。

聞き手・文:白坂由里

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(c)2017「モリのいる場所」製作委員会

手入れされすぎず、荒れ放題でもない、モリが回遊する

——熊谷守一という実在した画家をモデルに映画化するにあたって、沖田監督とはどのような話をして美術を制作されたのでしょうか?

守一さんの旧居と庭が残っていないので、画集や写真集を見たり、旧居跡地に建つ豊島区立熊谷守一美術館に足を運んだりして調べました。沖田監督に脚本をいただいてからは、リアルなドキュメンタリーというよりもフィクショナルな部分を混えたイメージを持ちましたので、完全再現というわけでなく、この映画の世界のなかでの家や庭のありようを見つけていきましたね。

 

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(c)2017「モリのいる場所」製作委員会

——映画では、昭和49年(1975年)のある一日と設定されています。守一さんは晩年、午前中は庭を観察して、午後は訪問客の相手をし、夜に絵を描いていたといいます。年月の染みた、いい家を見つけられましたね。

40年以上の木造家屋を熊谷家として再現しました。ほとんど家と庭だけが出てくる映画ですので、セットでという話はなく、ロケーション探しが肝でした。制作部があちこち見に行って、神奈川県葉山市にある古民家がやっと見つかった。当初は同じ敷地内の別の家と庭をそれぞれ分けて撮影してつなぐ提案もしたのですが、家と庭が途切れることによって、つながっていく空気感やお芝居に影響が出て失うものもありそうでしたので。家と庭の両方揃っていることが大切でした。

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(c)2017「モリのいる場所」製作委員会

——確かに。庭からも玄関からも筒抜けの印象です。

庭と家だけの空間なので、導線の自由度がないと息苦しいものになってしまいます。最初は、近くの別の家も候補だったのですが、背景に現代的な家が見えてしまったり、路地の導線をつくるには狭かったりで。加工で消すのも、キャメラマンが撮影で切り取るときに躊躇するのも避けたかった。守一さん自身が庶民的な家に住んでいらしたので、大きな庭のお宅は立派すぎてしまうんです。結局、縁側から見た庭のよさが決め手になり、2軒の庭の境目を取っ払ってつなげて植栽も足しました。手入れされすぎず、荒れ放題でもなく、ちょうどいい庭でした。

——カメラマンの藤田武さん(加瀬亮)とアシスタントの鹿島くん(吉村界人)や、旅館の看板を描いてもらおうと静岡からやってくる雲水館のご主人(光石研)などの訪問客が庭の小道を歩いてきます。あの道もつくったのですか?

はい。あの庭があったから、あの曲がりくねったストロークの道もできました。作為的でなく、守一さんがいつもうろうろ回遊しているうちに自然にできた道に見えるニュアンスを心がけました。監督も、庭から人が出入りする姿が面白くてアイデアが膨らんだと思います。

——異世界への通路を思わせる大きな池も出てきます。

実際に5、6mほど掘ってつくりました。カメラのひきじりも必要なので、スロープもつくって。「天狗の腰掛け」とみんなが呼んでいた切り株や樽などの椅子も点在させました。

——奥行きのあるオープンな家と庭は、モリそのもの。あの場所からたくさんの絵画が生まれたんだなあと想像できました。

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(c)2017「モリのいる場所」製作委員会

いろんな人がいろんなところから出入りする、暮らしの肌合いのある家

——家の内装もまた、守一たちの生活の痕跡が感じられるものでしたね。

持ち主の方にご相談して、人が行き来できるように壁と押入れを抜き、カーペット敷きだった縁側の床を板間にして、建具を変えたりしました。撮影のアングルも人の導線も自由にできるようにして。いろんな人がいろんなところから出入りするイメージがあったので、空間的につながって見える方が面白いかなと。日本家屋ならではですね。

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(c)2017「モリのいる場所」製作委員会

——家具などの小道具はどのように選んだのですか?

昔のものを大事に使いながら便利なものは取り入れている生活スタイルでしたので、電子レンジやテレビも置きました。藤田さんが撮影した写真集を参考に、それに近いものをなるべく揃えて。撮影所にないものは、オークションで探したり、骨董屋でリサーチして借りたり、買ったり。

——木目の見える食卓や客間の座卓に味がありました。

足がぐらぐらだったり(笑)。きれいにつるっとしたものより、ゴツゴツした肌感がある、使い込んだもののようなものを揃えてもらいました。

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(c)2017「モリのいる場所」製作委員会

——沖田監督の2013年公開作『横道世之介』では、登場人物たちが読みそうな本を本棚に揃えていたとおっしゃっていましたね。本作でも、しっかりと写っているわけじゃないけれど細部のリアリティにこだわったところはありますか?

 藤田さんが撮影した守一の写真集に、幼少期亡くなられた長女が描いた黒板が飾られている写真があるんです。この黒板を入れるべきか迷い、監督と話し合った末に、さりげなく置きました。映画全体はほのぼのとした空気感ですが、その奥底には、5人の子どものうち3人を亡くしている喪失感があります。

——守一の絵に「ヤキバノカエリ」という絵がありますね。映画では、後半の秀子さん(樹木希林)のセリフでわかります。

ええ。それもあからさまには語られないので。そういえば樹木希林さんがこたつ掛けを持ってこられたんですよ。僕らでも何パターンか用意していたんですけど、「合うんじゃないかと思ったけどどうかしら」って。それがやっぱりセットに馴染んで。人が入ったときの馴染みもよかったですね。

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(c)2017「モリのいる場所」製作委員会

描くことでもうひとつの世界をつくっている。それを信じて描いている

——熊谷守一についての見方も変わりました?

最初に画集を見たときはピンと来なくて、デザインぽい感じだと思ったんですね。それが、美術館で実際の作品を見たら、筆のストロークが緻密で、すごく念を入れて描いていて、まったく印象が変わりました。単純化された線と、抽象化に近い感じでつくられていて、絵を描くことで世界をひとつつくっているということを信じて描いているように思いました。そうじゃないとああいう絵はなかなか描けない。

——守一さんの絵を再現した画家の方はどんな反応でしたか?

プロの画家にお願いしたんですけど、筆のタッチやストロークの微妙な違いで印象が変わってしまうので、難しかったようです。シンプルに至るまでの、見えないところではかなり厳しく追求していたんだろうなと。それで、写真集を参考に、画室の再現にも力を注ぎました。

——守一さんが「学校」と呼んでいた画室ですね。「仙人」あるいは「素朴な癒しの画家」のように言われてきましたが、回顧展「熊谷守一 生きるよろこび」(2017121日~2018321東京国立近代美術館414日~6月17日 愛媛県美術館)では、ろうそくの光で描いていたり、同じアングルで何枚も描いていたりと、実験の過程が科学的に解き明かされています。

 試写会では「だれも描く姿を見ていないので、映画でも描く姿を無理に見せず、画室に入っていくシーンだけで想像させているのが素晴らしい」と東京国立近代美術館キュレーターの蔵屋美香さんも語っていました。

 諦念をもって現実を楽しめる、懐深い秀子がいるから、モリも庭と絵の異世界に毎日行って帰ってこられたのかなと思います。

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(c)2017「モリのいる場所」製作委員会

 人といっしょにつくる面白さ。毎回初めてつくるような気持ちで

——安宅さんは、映画美術には、どのように取り組まれているのでしょうか?

作品によってさまざまですが、監督がイメージされていることをまず再現したうえで、監督のイメージよりも大きなものになればと思っています。

——観客が映画を見るときは、キャラクターやストーリーをつかむのでいっぱいになってしまうかもしれませんが、2、3回目に美術や照明などにも注意して見るといいかもしれないですね。

ええ。視線を変えれば違ったものが見られて、背景とかにも発見があるかもしれません。

——映画美術って、声高ではないですけど、ものが、人物の個性や時代、人との関係性など言葉にならないニュアンスを伝えている。制作現場ではキャストの盛り立て役でもあり、画面ではものと人が相互に働きあっているように感じます。

うれしいです。毎回、役者さんが入ったときに馴染むかどうか、違和感を感じないかという怖さもあり、気に入っていただけたときはホッとします。

——横道世之介」の取材時、毎回初めてつくるような気持ちでいたいとおっしゃっていましたね。

今でもそうありたいと思っています。忙しさのなかで忘れちゃっているときもあるかもしれないですけど。同じような題材・年代・シチュエーションでも、監督とスタッフが違えば表現は違うものになります。一からつくる、というのが基本かなと。

——人といっしょにつくる。

「人」によってできあがってくるものが変わってくるんですね。現場で背景や世界観をつくることはできるんですけど、撮影で切り取られた絵はコントロールできないので、照明の当たり方など、自分が思っていた絵と違うなと思うこともあります。ただし自分がうまくいかなかったと思っていても、こういう方向性で画(え)ができあがっていてすごいなと感心するときもあって。現場にいたら画作りに参加しますけど、芝居とか、どういうアングルでどう切り取るか、どういうカットで編集するか、自分が思っているイメージだけで成立するものではないし、正解はない。映画美術の面白さはそこにあります。

——守一さんの制作は孤独だったと思いますが、生きものの力を借りていた。モリが世界をどう見ていたのか、大勢が覗き込みながらこの映画がつくられた。そこにアートがあるように感じました。

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(c)2017「モリのいる場所」製作委員会

(※このインタビューは2018年4月11日に行われました)

Information :

モリのいる場所
監督・脚本:沖田修一/日本/2018年/99分
出演:山﨑努、樹木希林加瀬亮 吉村界人 光石研 青木崇高 吹越満 池谷のぶえ きたろう 林与一 三上博史
配給:日活

mori-movie.com

2018519日(土)よりシネスイッチ銀座ユーロスペースほか全国順次公開中

★7月16日~29日、北米最大の日本映画祭「ジャパンカッツ」でも上映。国際的に活躍する日本人俳優に与えられる賞「Cut Above Award for Outstanding Performance in Film」を樹木希林が受賞した

展覧会「没後40年 熊谷守一 生きるよろこび」617日まで、愛媛県美術館にて開催。

開催概要・チケット情報|開館20周年記念 没後40年 熊谷守一 生きるよろこび|愛媛県美術館 2018年4月14日(土)〜2018年6月17日(日)

プロフィール

あたかのりふみ/1971年、石川県出身。「月光の囁き」(99、塩田明彦監督)にて美術監督としてデビュー。主な作品に『ピストルオペラ』(01、鈴木清順監督。木村威夫美術監督の下、美術として)、『マイ・バック・ページ』(11、山下敦弘監督)、『夏の終り』(13、熊切和嘉監督)、『予兆 散歩する侵略者』(17、黒沢清監督)、『羊の木』(18、吉田大八監督)、『オー・ルーシー!』(18、平柳敦子監督)。2018年『ハードコア』(山下敦弘監督)公開予定。沖田修一監督作品では『南極料理人』(09)、『キツツキと雨』(12)『横道世之介』などに続く参加。

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安宅紀史さん

Review 26『ユートピア』

仮想現実とこの世界はこうやってリアル融合する

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(C) UTOPIA TALC 2018

現在、下北沢トリウッドにて公開中のSFファンタジー映画『ユートピア』。伊藤峻太監督(『虹色☆ロケット』(2007))が、監督のほかに、脚本、編集、VFX、主題歌の作詞作曲を手がけている。さらには新言語「ユートピア語」の創造も。ひとつの言語を作るって、果てしない労力と根性が要ることだろう。その新言語を登場人物たちは「自分の言葉」として流暢に話し、まるで異星人のように棲息している。もちろん秀逸なCGクオリティ、映像美にも目を奪われるが、このユートピア語こそ、ユニークな世界観を生み出す強力アイテムと言えるだろう。観客は言葉の美しい音色を聴きつつ、字幕を追い、未知の世界を体験する。それにしてもまみとベアは、突然の出会い(しかもものすごくびっくりの出会い方)の後、すぐに言葉を超えた意思疎通ができるのが気になると言えば気になる。ふたりの関係には、ある秘密が隠されていることが後々判明するのだが......。

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(C) UTOPIA TALC 2018

物語は、童話の「ハーメルンの笛吹き男」をモチーフに、さらにトマス・モアの小説もエッセンスとして取り入れ、730年前の出来事がいまだ大きな影響を与えている「現在」の世界を、ファンタジーとリアルを見事に融合させて描かれる。10年をかけ、その間に未曾有の大震災を経て、感じ、考えたことも染み込ませ、伊藤監督が作り上げた世界は深い、深すぎるかもしれない。レイヤー構造のストーリーを一気に把握するのは難しいのだが、できれば2度、3度と観たい。新言語を話す人物たちに見惚れ、CGの素晴らしさ(プレステ2ICO』の色調や質感に通じている気がする、私見です)に仰天しているうちに、壮大なストーリーが展開していく。やがて、自分たちの手に負えないものを作ってしまった人間、嘘ばかりつく政府、どうしようもない無力感を超えて、革命を起こすことは可能なのか。いや行動を起こすべきだろう! そんなメッセージを受け取った気がした。キャストには松永祐佳、ミキ・クラーク、森郁月、高木万平のフレッシュな若手俳優、さらに地曵豪、ウダタカキ、吉田晋一ら実力派が脇を固める。『虹色☆ロケット』に続いてヒロインを演じた松永の透明感はとりわけ印象的で、伊藤が作詞・作曲したポップな主題歌を歌う松永の澄んだ歌声も素晴らしい。10年間の伊藤の想いがぎっしり詰まる美しくシリアスな世界、下北沢トリウッドでぜひ体験してみて。

福嶋真砂代★★★★

Story:

その日、真夏の東京に雪が降った─

ある夏の朝、まみが目を醒ますと雪が降っていた。
そして、二段ベッドの上に現れた謎の少女 ベア。
電気や水などのライフラインが途絶した混乱の中、
まみは言葉の通じないベアに妙な懐かしさを覚え、
惹かれてゆく。
しかし、行動を共にする中でたどり着いた絵本
ハーメルンの笛吹き男》に二人は驚愕する。
なんとベアは、1284年にドイツのハーメルン
笛吹き男にさらわれた130人の子どもたちの 一人だった。

時を同じくして、少しずつ姿を消す東京の子どもたち。
ベアをさらった笛吹き男「マグス」の正体は?
夢の中にある「火も音楽も名前もない平和な国」とは?
そして、ベアの未来は?

停止した東京で、おとぎ話の続きが始まる。

Information:

監督/脚本/VFX/編集:伊藤峻太
プロデューサー:大槻貴宏
音楽:椎名遼
キャスト:松永祐佳、ミキ・クラーク、高木万平、森郁月、吉田晋一、地曵豪、ウダタカキ、まなせゆうな椿鮒子、吉田佳代

下北沢トリウッドにて公開中

映画『ユートピア』公式サイト

下北沢トリウッド

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松永祐佳さんと伊藤峻太監督@下北沢トリウッド