REALTOKYO CINEMA

リアルトウキョウシネマです。映画に関するインタビュー、レポート、作品レビュー等をお届けします。

Review 24『ライオンは今夜死ぬ』(と「こども映画教室」)

映画の“ねんりき”が未知の扉をあける 

ライオンは今夜死ぬメイン

© 2017-FILM-IN-EVOLUTION-LES PRODUCTIONS BAL THAZAR-BITTERS END

南仏の陽光の中で語られる老いと死

マネかルノアールセザンヌか、さながら印象派の絵画を思わせるような美しいポスタービジュアルに目を奪われる諏訪敦彦監督の南仏で撮られた最新作『ライオンは今夜死ぬ』。タイトルの「死ぬ」に潜む闇の力も「ライオン」という言葉の眩しさがそれを打ち消す。一体どんな映画なのだろう? 子どもたちと一緒に作った映画だという。主演はヌーヴェルヴァーグの申し子と言われた俳優、ジャン=ピエール・レオー。実は諏訪監督がジャン=ピエール・レオーにフランスの映画祭(ラ・ロシュ・シュル・ヨン国際映画祭 2012)で出会ったその頃、「ジャン=ピエール・レオーに会ったんだ」という興奮を伺っていた。夢の中にでもいるような、会えなくなった昔の恋人に巡り会えたような、少し熱を帯びた感じ(私個人の勝手な感じ方です)で、本当にうれしそうだった。まだ何も始まっていない、でもすでに何かが始まっている、そんな予感を孕む空気だった。

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© 2017-FILM-IN-EVOLUTION-LES PRODUCTIONS BAL THAZAR-BITTERS END

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© 2017-FILM-IN-EVOLUTION-LES PRODUCTIONS BAL THAZAR-BITTERS END

オープニング、劇中映画の撮影現場にいるレオーのチャーミングな仕草にやられる(全編においてチャーミングだ)。「この人を撮りたい」と思ったという諏訪の素直な気持ちが飛び込んでくる。さらにフランスの子どもたちとの劇中「こども映画教室」の映画技師フィリップ(アルチュール・アラリ)は日本の「こども映画教室」講師の諏訪さん役という立ち位置でかなり興味深い(なんとこの映画には劇中映画が2本あり、映画が詰まった映画なのだ)。『ママと娼婦』(ジャン・ユスターシュ監督 1973)でレオーと共演したイザベル・ヴェルガルテンの出演、さらに『ユキとニナ』(2009)のユキ(ノエ・サンピ)の成長した姿がフィルムに焼き付けられたのはファンタスティックだ。映画技師フィリップ役アルチュール・アラリの兄は、本作の撮影監督トム・アラリ。冒頭に触れた”さながら印象派”の画は彼の仕事だ。「この撮影監督は今後注目していて」と他のインタビューで諏訪が絶賛するほど素晴らしい仕事ぶりだ。ロケ地はリュミエールの街、南仏ラ・シオタ。昨年日本公開の『リュミエール!』(ティエリー・フレモー監督)でいままた注目を浴びている街に諏訪組が舞い降りて作った。降り注ぐ陽光の眩しさと、語られる「老いと死」の鮮やかなコントラストと融合。溌剌としたポーリーヌ・エチエンヌの幽霊役も美しく、またジュールと母親(モード・ワイラー)の物語が現実感を固めながら、レオーは唄い、ライオンはおもむろに姿を現わす。幻想と現実のバランスも印象派絵画の光と陰を思わせる。本当に見どころ満載なのだ。そしてワークショップでオーディションをしたというフランスのアマチュアの子どもたちがレオーと共演する。

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© 2017-FILM-IN-EVOLUTION-LES PRODUCTIONS BAL THAZAR-BITTERS END

”すわさん”と「こども映画教室」と”ねんりき”

ところで、私は諏訪が「すわさん」として講師を務める「こども映画教室」を幾度か見学する機会をいただき、子どもたちと(ではなく、子どもたち主導で)映画を撮るとは、どういうことか。つまり「子どもが映画を撮るということは、どういう意義(意味)があるのか」ということについて、長く一緒に考えさせてもらっている。いや、そんな堅苦しい定義を軽く越えて、毎回子どもたちの想像力と創造力に圧倒されていた。「大人は手出し、口出ししない」というルールの元に、短期間(通常3日間)で映画を撮り、上映するという、大人でも難しい”離れワザ”をやってのける彼ら。時に悩み、けんかし、立ち止まり、苦戦の末に何かが生まれる。そんな共同作業を経た彼らの成長の様子にいつも驚くばかりだ。彼らの活動のほんの一部分しか目にしてはいないが、それでも「子どもが映画を撮る」ということが産み出すエネルギーや実りについて、具体的に実感することができた(これについてはまた追々書こうと思います)。「こども映画教室」には諏訪の他にも、是枝裕和砂田麻美中江裕司横浜聡子沖田修一市井昌秀ら、名だたる監督たちがこれまで講師として参加している。諏訪の教室の他には是枝の早稲田大学演劇博物館(エンパク)での「こども映画教室」(2014と2015)を見学させていただいた。

こども映画教室@ヨコハマ2015

こども映画教室@ヨコハマ2015 (c)realtokyocinema2017

そうやって実際に「こども映画教室」の現場を見て(体験して)印象的なこと。それは参加した子どもがそれぞれ担当した講師の監督から受ける大小さまざまの影響はもちろんあるが(影響がゼロの場合もあるだろう)、その反対向きの影響、つまり教室それぞれ(毎回毎回まったく違う現場でのまったく違う作り手たちによって生み出されるまったく違う瞬間の数々)を通して、諏訪さんや是枝さん、“監督”という鎧を脱いだ講師の方に毎回の試行錯誤の話を伺う中でも、少なからぬ影響というものを受けているだろうことを目の当たりにして、それについてもかなり心を動かされていた。要するに、「こども映画教室」を経験した前と後で、監督たちの作品がどれほど違ってくるのか、深い興味を覚えながらいた。しかし起こっていることは言わば無形であり、いつそれがどういう形で出てくるのかわからないタイプのものだ。私の中にそんな感動や情報のストックが増え続けた。また「こども映画教室」主催のフィルムメイカー、教育従事者や研究者など、興味を抱く人たちが集まるシンポジウムでは活発な意見が交換され、そこでも“「こども映画教室」現象”に関する考察はますます多岐にわたり、深くなっていく。私自身は一見学者として何らかのアウトプット(たとえば「こども映画教室」について見解や感想を述べること)を期待されていることを知りながら、目の前に起こることのある種の「コトの重大さ」に怯んでいたかもしれない。

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こども映画教室@ヨコハマ2015

ライオンは今夜死ぬ』に話を戻して、振り返ると、東京藝術大学横浜校舎で行われた「こども映画教室@ヨコハマ2015」でのハレの上映発表会の直後、いつものように煙草を吸いながら休憩をとっていた諏訪監督に立ち話のクイックインタビューをした際、「今度フランスでこどもと共同作業でお話作りとかをやってみたいなと思っててね」と二言、三言漏らしてくれたのだ。おそらくその時に諏訪の頭の中にあった構想がいま目の前に実現されて姿を現したということになる。前作品『ユキとニナ』から数えて8年目の新作になるが、その間に『黒髪』(2010)、『世界の質量』(2016)と素晴らしい2本の短編を発表している。よく”すわさん”が「こども映画教室」では子どもたちに”ねんりき”の話をする。映画を撮るという初めての経験。不安を乗り越えて何かを作り出すときに必要な不思議な魔法の言葉だ。今回はフランスの子どもたちとジャン=ピエール・レオーというレジェンドと共に育み、参加者ひとりとりの“その人”にしか表現できない(表方でも裏方でも)体験が現実に見える形になっている。そんな熱い”ねんりき”を感じる作品なのである。

(敬称略)

福嶋真砂代★★★★★

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すわさんの板書:こども映画教室@ヨコハマ (c)realtokyocinema2017

インフォメーション:

www.bitters.co.jp

ライオンは今夜死ぬ

監督・脚本:諏訪敦彦
出演 ジャン=ピエール・レオー、ポーリース・エチエンヌ、イザベル・ベンガルデン、子どもたち他
2017年/フランス=日本/103分/カラー
配給・宣伝 ビターズ・エンド

2018120日(土)より、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国順次ロードショー! 

www.kodomoeiga.com

Report 08-2『天使は白をまとう』(東京フィルメックス2017、特別招待作品)

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@22 HOURS FILMS

第18回東京フィルメックス2017/11/1826)の中でもゾクゾクが止まらなかった作品。この映画に出会えてつくづくよかったと思ったことを記憶している。中国南部の海辺の町。リゾートっぽい風景だが、どこか寒々と寂れたロケーション。砂浜に忽然と品のないマリリンモンローの巨大な像が立っている。それもとても場違いな居心地の悪さがある。近くには白いウェディングドレスをまとった花嫁花婿が写真撮影をする。海の音、虫の音が印象的だ。それらが聞こえるほどの静寂がある。家出したふたりの少女が登場する。少女があるえげつない事件を目撃したところから物語が展開する。大人たちの汚れた世界と少女たちの汚れない世界。品のないマリリンモンロー像は、その中間に立つのだろうか。像そのものには罪はないはずだが、その目的、いかがわしいチラシを貼り付けられ、次第に汚れた像になっていく。像の足のアップも印象に残る。モーテル(ラブホテル)を舞台としながら、映画自体には謎の品の良さがある。そこにヴィヴィアン・チュウ監督のセンシティビティがある。色の少なさもセンスの良さを感じさせる。白っぽくぼやけた画面にさらに映える白があるとしたら、本物の純白でなければならない。本物のピュアネス、そんなものがあるのだろうか。少女たちの、ほんの一瞬のピュアネスをこの映画は鋭く求め、それを得られたかどうか、どうだろう? 毎月おなかが痛いときにのむ薬のこと、金髪のウィグをかぶるミア、ミアの緑色のポロシャツ、金魚鉢を抱えて寝るミア、数々の美しいシーンが目に焼き付けられる。ヒロインのウェン・チー、美術、音楽も優れていた。儚さと寂しさの表現がうまく、敏腕プロデューサとして活躍するチュウの監督としての才能に慄いた。

インフォメーション(公式サイトより):

『天使は白をまとう』Angels Wear White / 嘉年華

中国 / 2017 / 107分 / 監督:ヴィヴィアン・チュウ(Vivian QU)

●ストーリー

中国南部の小さな町。モーテルのフロントで夜勤していたミアは、中年男が二人の幼い少女たちと宿泊するのを目撃する。やがて少女たちが性的暴行を受けたことがわかり、警察が捜査を始めるが、巻き込まれることを恐れたモーテルのオーナーの意向を受け、ミアは何も見ていないと証言する。だが、今の境遇から抜け出すために金を必要としていたミアは、ある行動に出ようとする......。マリリンモンローの巨大な像が立つリゾート地を舞台に、綿密に構成された様々な女性たちのドラマ。中国インディペンデント映画の名作をプロデュースしてきたヴィヴィアン・チュウの監督としての非凡さが発揮された作品。ヴェネチア映画祭コンペティションで上映。

filmex.jp

Report 08-1『ジョニーは行方不明』(東京フィルメックス2017 Q&A)

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第18回東京フィルメックス2017/11/1826)は25本の国内外の刺激的な作品が上映され、今年も豊かな実りを残した。(コンペティション部門の受賞結果

そのなかで個人的に特に印象に残った3本に絞ってご紹介。まずコンペティション部門『ジョニーは行方不明』(英題「Missing Johnny」ホァン・シー監督)、次に特別招待作品『天使は白をまとう』(英題「Agels Wear White」ヴィヴィアン・チュウ監督)、3本目はコンペティション部門泳ぎすぎた夜五十嵐耕平ダミアン・マニヴェル監督)。時間の都合で残念ながら見逃してしまったものが多いですが(受賞作品は特に)、この宝物のような3本に東京フィルメックスめぐり逢えたことは幸運だった。

さて『ジョニーは行方不明』(合わせてQ&Aの模様も記載)。鑑賞後、なんとも言えない満足感と幸福感に包まれた。ホウ・シャオシェン監督製作総指揮による、台湾の新鋭ホァン・シー監督の長編デビュー作。以前にホァン監督はホウ・シャオシェンのアシスタントを務めていた。

映画には、不在の謎の人物(ジョニー)をさりげなく意識の中に流れこませたり、インコ失踪によって存在していたものの急な不在を感じさせたり、様々な潜在的揺さぶりの仕掛けがある。素晴らしいオープニング、赤いスズキ(この自動車がアイコンとなる)が都会のど真ん中(高速道路下だったか)でエンスト、仕事途中の運転手の男イー・フォンは車を降りて、仕方なく電車移動する(各所で台北の交通が映るのが楽しい)。男と同じ電車に乗っていた(しかしお互いまったく接点はない)若い女性ツー・チーはモバイルフォンに「ジョニーを出して」という妙な間違い電話を受けつつ帰宅する。このふたりの交差の仕方がこの上なくクールだ。この先彼らがどんな関わりをするのか、楽しみに思いながら進むのだが、コトはそう単純にはいかない。それぞれの日常を過ごしすれ違う。しかしひょんなことからふたりは(とくにツー・チーには)まったく他人のにぎやかな食卓に飛び入りする。台湾の昔からある大家族の食卓風景、偶然の楽しさ、人の温かさを伝えて、ストーリー(ほとんどストーリー性はない映画なのだが)に厚みを加える。このあたりにもホァン監督が受け継ぐホウ・シャオシェンの教えが潜むのではないだろうか。ツー・チー役のリマ・ジダンのハツラツ健康美が映画を明るい光へひっぱり続ける。しかしただ元気で美しいインコ好きな女性ではなく、人生の岐路に思考を重ね、人との繋がりを大切にする繊細さを表現し魅力的だ。ちなみにインコ失踪直前のシークエンスも美しくて印象的。「距離が近すぎると、人は衝突する、愛し方も忘れる」というさりげないセリフに味がある。監督がQ&A(下記)で明してくれたように、「台北の生活風景の感じを出したくて」あえて、ラッシュアワーの高速道路でゲリラ撮影したラストなどもスリリングな終わりを演出する。「エンストばかりするけれど、人生はこれからもいろんなことがあり、それでもなんとか進んでいけるのだから」なんていうメッセージが夕日の優しい光の中に聴こえそう。不在の存在、都会の孤独、時間と空間の不思議、そんな感覚をナチュラルな空気感の中でリアルに映し出す。デビュー作にしてクオリティの高さに慄く。(台北映画祭にて脚本賞はじめ4賞獲得)

東京フィルメックス上映後のQ&A抜粋

ーーリアルな人物像や関係性が印象的でした。どのように脚本を作りましたか。

実はこの脚本の他に2本の脚本が同時進行していたのですが、その2本はハリウッドスタイルのわりと普通の映画でした。同時にエッセーのような感じでこの『ジョニー』の脚本を書き続けていました。書いてる時には特にどの俳優を当てようとか考えていなかったのですが、最初に浮かんだのはカユ(?)の役です。彼を頭に浮かべながら書いていました。他のふたりの主要人物については、具体的な役者さんを浮かべてアテガキしたわけではありませんでした。登場する3人は私の身の回りにいたり、出会った様々な人々、つまり都市で生活している私の友人であったり、知り合いや、出会った人、あるいは知らない人でも観察して記憶に残った人たち、そのような人たちを思い浮かべてコラージュして作った人物像です。

■タイトル”Missing”には「消えてしまう」と「恋しい」の意味をかけた

ーー英題タイトルは「Missing Johny」ですね。しかし実際にはジョニーという人物は登場せず、”ジョニー”を探す間違い電話がきっかけとなって物語が進んでいきます。脚本段階からジョニーさんの正体を出ないことにしていたのでしょうか。何かジョニーさんに関する情報や、監督の意図を教えて下さい。

”ジョニー”の存在については、香港に住む友人から聞いた話が基になっています。友人は携帯番号を変えた時に、見知らぬ人から電話がかかることが頻繁にあり、最初は煩わしくて腹が立ったそうですが、何度もかかるとそのうち親しみすら感じたと語ったことが私の記憶に残っていて、脚本にこのエピソードを入れたいと思いました。誰にこの間違い電話がかかってきたことにしようかと考えて、やはりヒロインのシュウにかかってきたことに設定しました。英語の”Missing”の意味は、「消えてしまう」という意味と、「恋しい」という意味をかけてあります。ジョニーがどこに行ったかはわかりませんが、このエピソードがずっと心に残っていたのです。

この映画は人と人との関係がテーマなのですが、役者たちにはそれぞれ異なる脚本を渡しました。ですので彼らは自分の出番のシーン以外はほぼ知らないという状況でした。なぜそうしたかというと、あまり自分とは関係ないところで余計な考えを持ってほしくないと思ったからです。ごく自然な状態で、自分の演じる人物の中に入り込んでほしかったので、余計なインフォメーションを与えませんでした。その人物が関わる登場人物以外の役者との接触はほぼなかったと言えます。

ーー道路で車が故障するシーンがありますが、撮影の状況はどうでしたか? 最近の日本では運転技術による事故が大きな問題になっています。台湾での自動車マナーについても教えていただけるとうれしいです。

確かに自動車事故のシーンの撮影はとても難しくて、様々な困難がありました。台北の生活風景の感じを出したくて、どうしてもラッシュアワーの時間を撮りたかったのです。そのために申請を出して撮ったのですが、ただし1ヶ所だけ、申請せずにゲリラ的に撮ったシーンがありまして、それはラストシーンです。できるだけ一般の車の往来を邪魔しないように配慮して、高いところからカメラ2台を回して撮りました。撮影している車の前後を私たちクルーの車で挟んで撮りました。少しだけ台北の交通網を乱しましたが、なんとかできました。

ーーしかも夕暮れ時のすごい時間を狙っていたと思いますが、これはワンテイクでOKしたか?

実は「ワンテイクしか撮れない」と役者たちには言い渡しておいて、私もすぐに撮れるだろうとみていたのですが、結果的には6テイクくらいになりました(会場どよめき)きわどいシーンがありましたが、そこで警察にもちょうど出くわさなかったので、なんとかくぐり抜けて撮ることができました。

■時間軸と空間が混じり合うことに興味を感じた

ーー高速道路、MRT、U-バイクという台北の交通手段が意識的に使われています。それらと「Missing Johny」の”不在”ということの相関というか、都市と人を恋しく思うことと、”不在の存在”のような相関関係を意識して撮影したのでしょうか。

この脚本はほとんど家からカフェに出向いて書いていました。台北の移動手段として、大きな道路や橋を越えて行ったりするのですが、ある地点からある地点に移動する中で、c書いていました。考えていたことは、この映画はごく日常の人々の生活を扱っていますが、そこに何かしらの哲学的な意味とイメージを持たせたいと強く思っていました。それは登場人物に反映されています。登場人物がどのように未来に向かっていくかということなどが絶えず私の頭の中にあり、脚本を書き進めていきました。

侯孝賢監督から「人間としてどうあるべきか」を学んだ

ーーエクゼクティブ・ディレクターである侯孝賢監督はこの作品へのどんな関わりをしましたか。ホァン・シー監督は侯孝賢監督のアシスタントを務められていましたが、侯孝賢監督から学んだことがあったら教えて下さい。

侯孝賢監督は主にふたつの役割をしてくれました。ひとつは私が書いていた何本かの脚本の中からこの作品の脚本がいいと選んでくれました。そして脚本を書き上げた時にこれで行こうと言ってくれました。ふたつめは、撮影期間は現場にいらっしゃることはなく、出来上がったファーストカットーそのときは2時間強のバージョンだったのですがーを観て侯孝賢監督は「疲れるね」とおっしゃって、それを97分にまで切ってOKが出ました。だけど私たちはあまりにも「切りすぎた」と思い、今のバージョンに編集し直して、最終的にOKをいただきました。侯孝賢監督に学んだことは、映画の具体的な何かというものより、もっと人間としてどうあるべきか、人に対してどう対応するべきかということを、監督のそばにいて知らず知らずのうちに身に着けて学ぶことが出来たと思います。

 審査員寸評:雰囲気に溢れ、登場人物たちのポートレイトの創造でもあり、同時に台北という迷路のような都会的な構造を持った街の魅力的なポートレイトでもある。それは背景として、究極的には人と人がいかに再びつながりあうことができるかという物語を煌めくように魅せてくれています。視覚的にも、聴覚的にもデビュー作とは思えない渾身の作品。
filmex.net

インフォメーション(公式サイトより)

『ジョニーは行方不明』Missing Johnny / 強尼・凱克

台湾 / 2017 / 105分 / 監督:ホァン・シー(HUANG Xi)

同じ男あての間違い電話を何度も受けた若い女性は、次第にこの男のことが気になってくる。やがてインコの失踪を契機に、彼女の思いがけぬ過去が明らかに……。ホウ・シャオシェンのアシスタントを務めたホァン・シーの監督デビュー作。台北映画祭で4賞を受賞。

Report 07『勝手にふるえてろ』レビュー&TIFF2017 記者会見レポート

コミカル&サブカルに描く、現代”絶滅危惧”女子の生態と幸福

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©2017映画「勝手にふるえてろ」製作委員会

 

勝手にふるえてろ』(大九明子監督・脚本)が第30回東京国際映画祭コンペティション部門にてワールドプレミア上映され、記者会見が行われた。綿矢りさの同名小説を原作に、大九監督が自身の過去に重ね合わせるように脚本を練り上げた。これが初主演となる松岡茉優が”こじらせ女子”の生態をコミカルにリアルに表現し、同映画祭では堂々の観客賞を受賞。プレス向け上映後の記者会見にはたくさんのマスコミ取材陣が詰めかけ、期待と関心の高さを伺わせた。

アテ書きされたという脚本は松岡茉優の繊細な器用さ、演技的運動神経の良さが存分に引き出され、さらにイチ役の渡辺大知はその素朴で不器用な魅力がまさに全開、『色即ぜねれいしょん』で魅せた初々しさが健在でほっとする。とりわけ終盤、ヨシカのアパートクライマックスシーンの渡辺は見応えがある。さらに石橋杏奈北村匠海は人間のネガティブ要素を軽やかに引き受けて巧みに演じている。自分を曲げられず苦しむヨシカだが、絶滅危惧種の化石になりそうだった心がふとほぐれた一瞬、主題歌の黒猫チェルシー渡辺の素直な歌声が心にストレートに染み込んでくる。

 

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東京国際映画祭2017にて

記者会見レポート:
会見には大九明子監督、松岡茉優渡辺大知、石橋杏奈北村匠海が出席。東京国際映画祭で上映されることについて、また役柄を演じた印象について、それぞれ語ってくれた。大九監督は言葉を選んで少し控えめな表現でしたが、おそらく「この映画を選んでくれたTIFFは”なかなかいいセンスをしている”」と映画のセリフになぞらえておっしゃりたかったのではないかと、勝手に”ふるえながら”脳内変換をしました。(敬称略)

◆世界中にいるヨシカ的な女の子に届け

松岡茉優:この映画では普通の女の子を普通の物語の中で演じました。その普遍的なものがこのような国際映画祭で上映されることで、世界中にいるヨシカ的な女の子に届けられたらと思います。

普段お芝居をしているときは、誰かとの会話とか、見てはいけないものを見てしまったり、怪物が出てきたり、そういう設定で感情が動いていたのですが、ヨシカの場合はほとんど独り相撲というか、ひとつの部屋でヨシカとしてひとりで感情の起承転結というか、そのシーンが成立するために、上げて下げて止まって動いてと、長ゼリフの中で自分で色をつけたり緩急をつけたりするところが、初めは戸惑いましたが、けっこう仕切りたがりのところも自分にはあるので、演じているうちにひとりだからこそできるチャレンジというのもあり、そこが演じていて新鮮に感じたところです。

初主演の感想は、子役からこの仕事をしていますが、ほぼ全シーンにわたって自分が出ているというのは、憧れの時間だったので、撮影中はギュッとなってしまいましたが、(通訳を気にして)「ギュッ」というのは、つまり殻に閉じこもってしまったという意味ですが、終わってみるとなんて贅沢な時間だったんだろうと思いました。

渡辺大:この作品のなかで「二」という役と、主題歌を担当しました。僕は主人公のヨシカの大ファンになりました。主演の松岡さんの魅力が爆発している映画だと思っています。僕は男ですけど、ヨシカに共感させられるところが多いので、男性も安心してヨシカワールド惹きこまれて楽しめると思います。演出的なところでは、ヨシカの妄想というか、街の中で釣り人や駅員さんとヨシカが会話するシーンがあります。自分の心の声の表現として、日々生活する街に存在する、自分と関わったことがない人たちと会話をするという演出が、ヨシカというキャラクターを象徴しているシーンだと思っていて、ああいうシーンがあるので、何かが壊れたときにすごくドキドキさせられたというか、男でありながら僕がヨシカに感情移入できたところかなと思います。そんな少し変わったファンタジックな演出のなかで松岡さんがとても生き生きとリアリティ溢れる演技をされていて、それがこの映画の魅力のひとつかなと思います。

石橋杏奈:ヨシカの親友のくるみを演じましたが、恋をかき乱す役で、自分の周りにも意図せずにそういうタイプはいるなと思って、あらためて周りを見直してちょっと参考にさせていただきました。そういう人も、そうでない人も共感できる役どころかなと思います。でも私はヨシカ目線で、ヨシカに似てるところもたくさんあるので、女性が観て、誰しもが共感できる作品になっているのではないかと思います。ヨシカにとても感情移入できる、女子として大好きな作品です。多くの女性、もちろん男性にもに観ていただきたいなと思います。

北村匠海:僕が演じた「イチ」は残酷な役だったのですが、でもその残酷さに共感してしまった自分がいました。登場人物はそれぞれキャラクターがすごく濃いのですが、そこにリアリティを感じるというのは、きっと僕らが日常的に心で感じているけど表に出ない感情を象徴している気がして、例えば「このごはん会が早く終わんないかな」と心で思うシーンとか、そういう思ってしまうけど理性的に口に出してはいけないことを、イチは表情や声のトーン、目つきなどで前面に押し出せる役だったので、なんて自分は残酷なんだろうという気づきありました。脚本を読んだ段階では僕はヨシカという女の子をなかなか理解できなくて、残酷だと言われる「イチ」に対しての理解がすごくできたので、それを100パーセント北村匠海として出し切った作品です。僕の大好きな作品が大きく羽ばたくことをいちファンとして願っています。

大九明子監督:これがワールドプレミアということで光栄なタイミングであると同時に、東京国際映画祭コンペティション部門という素晴らしい場面で俳優と立たせていただいているのが信じられない気持ちです。この映画はシナリオの段階から、自分が20代の頃から閉じ込めてきた思いをぶちかますように書いて、いままで3年間のおつきあいのある松岡茉優さんだからこそ絶対できるとプロデューサーなどを説得しながら、「大丈夫だから」とポンと(松岡さんに)お渡ししました。その時点では狭い領域のヨシカ的な人たちに届けばいいんだということでとにかく好き放題撮らせてもらいますという気持ちだったのが、このような大きな舞台に立たせていただいて感謝しています。「二」が「君を見つけた俺はなかなかいいセンスをしている」というセリフがあるのですが、東京国際映画祭がこの作品を見つけてくださってうれしく有難いなと思っています。

―以下、ネタバレあります、ご注意を―

大九監督:気づきといえば、もう観ていただいた後なので申し上げますが、演出として「歌を歌う」というシーンがございまして、まず構成を考えたときに、どうやって前半部分がすべて彼女の脳内の会話だったのかを明かすために、単純にモノクロにしてみるとか、アスペクト比を狭くしてみるとか、いろいろ考えたのですが、もっとズドンと観ている人の心に届けるには「説明しよう」と考えて、そこにメロディーをのせました。カメラ目線で松岡さんを撮ることを過去の2作品でやってきたので、ここでそれをしようと。思い切って「もう絶対気がつく!」という構成にすることを心がけました。この映画の最大命題は、気取った体裁を作ることではなく、ヨシカという人間を観た人にしっかり届けるということなので、「ワンシーンワンカット」の撮影法も好きなのですが、そういうこともわざわざこだわることをせず、とにかく物語として必要な演出にだけこだわって作りました。

(※この記者会見は2017年10月30日に行われました。)

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東京国際映画祭2017にて

 インフォメーション:

furuetero-movie.com

配給:ファントム・フィルム

12/23(土・祝)、新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ渋谷シネ・リーブル池袋ほか全国ロードショー

 

Review: (ネタバレあります)

(正直、冒頭の主人公のモノローグでほんの少しだけ先行きが不安になってしまったが、すぐに)隣の住人、カフェの店員、通りすがりのおじさんなどに躊躇なく話しかける不思議なヨシカの行動に「わ、何これ?」と前のめりになり、以降すっかりヨシカの気持ちにシンクロしていく感覚を覚えた。趣味は絶滅危惧種動物のネット検索、通販で手に入れたアンモナイトを崇め愛でるというオタク志向な24歳のヨシカ=江藤良香(松岡茉優)は、中学時代からイチというクール男子(北村匠海)に片思い。離れて目の端で見る視野見という必殺技を編み出したり、複雑な思いは純粋ゆえに出口が見えない。そんなヨシカが会社の同期男子渡辺大知)から人生初の告白をされ舞い上がる。初デートが実現するが、同窓会で再会したイチへの思いは募る一方だ。イチとニの間、はたまた理想の自分と本当の自分の間で激しく揺れるヨシカの心情を、会話劇でコミカルにサブカルに描く大九監督独特の演出(松岡とはこれが3度目のタッグ)が冴える。*1サブカル味は、原作に加えられた個性豊かな脇役人物たちにも託される。なんとも三木聡的な小ネタも散りばめられ、「タモリ倶楽部」が話の引き合いに出されるのも必然だ。怪しい釣り人演じる古舘寛治、眉毛のつながった柳俊太郎、そこに謎めいた片桐はいりがと来れば、何かが潜む映画であることは間違いないと推しつつ、前半のコミカルな展開を楽しむ。と、そこに落雷のように挿入されるミュージカル! それまでニヤニヤと見つめていた世界がぐらりと揺らぎ、本当のヨシカ、ヨシカの本音が出現し、観ているこの身も現実に引き戻され、その後の展開に固唾を飲むのだ......

福嶋真砂代★★★★

2017.tiff-jp.net

info 「第18回東京フィルメックス」はじまります(11/18-26)

f:id:realtokyocinema:20171114131430j:plain同じ空間で映画に出会う、そして震える、熱い熱い9日間

東京、有楽町朝日ホールを中心に開催される第18回東京フィルメックス。オープニング作品『相愛相親』(シルヴィア・チャン監督・主演)に始まり、クロージング作品『24フレーム』アッバス・キアロスタミ監督の遺作)まで、選りすぐりの25作品がラインナップ。林加奈子映画祭ディレクターは「今年は中国作品が強い。新鮮で挑戦的で今を切り取っている作品ばかり」と記者会見で語ったが、正直どれを観るか迷ってしまう。そんなときは林さんの「コンペこそ、フィルメックスの核を作りあげ、期待を裏切らない」のお勧めにしたがってコンペティションの9本を。なかでもキルギスタン『馬を放つ』(監督:アクタン・アリム・クバト)はインパクトありそう。あるいはこれが長編デビュー作となる台湾の『ジョニーは行方不明』(監督:ホァン・シー)と『とんぼの唄』(監督:シュー・ビン)の2本も楽しみだ。また、撮影ユー・リクアイによる『氷の下』(監督:ツァイ・シャンジュン)も見逃せない。さらにヴェネチア映画祭ほか海外の映画祭にひっぱりだこになっている『泳ぎすぎた夜』(監督:五十嵐耕平、ダミアン・マニヴェル)は待望の日本プレミア上映。他にももちろん要チェックの作品が目白押し。特別招待作品にはワン・ビン監督の新作『ファンさん』園子温監督『東京ヴァンパイアホテル 映画版』。またフィルメックス・クラシック、特集上映ジャック・ターナー特集もあり、さらに19日(日)には国際批評フォーラム「映画批評の現在、そして未来へ」という映画批評家ジャン=ミッシェル・フロドンを招いてのイベントも行われる。詳細は急いで下記公式サイトをチェック! 今年も秋の有楽町に世界のシネフィルたちが続々と集結し、同じ空間で映画に出会い、考え、感じ、語り、震え、喜ぶ、熱く忙しい9日間になるのは間違いない。

f:id:realtokyocinema:20171113222048j:plain(C)2017 MLD Films / NOBO LLC / SHELLAC SUD『泳ぎすぎた夜』

 

インフォメーション:

第18回東京フィルメックス

2017年11月18日(土)−11月26日(日)

有楽町朝日ホール、TOHOシネマズ 日劇他にて

公式サイト:

filmex.net