REALTOKYO CINEMA

リアルトウキョウシネマです。映画に関するインタビュー、レポート、作品レビュー等をお届けします。

Interview 003 長谷井宏紀さん(『ブランカとギター弾き』監督・脚本)インタビュー

「この人たちと出会って、自分が見たかった”場所”、自分が感じたかった”場所”を脚本にした」

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初の長編監督作品『ブランカとギター弾き』(脚本も)が公開になる長谷井宏紀さんにインタビューした。「お母さんをお金で買います」と書かれたビラを街に貼り歩くフィリピンの孤児のブランカが、路上のギター弾きの老人ピーターと出会い、一緒に旅をし、やがて本当の愛を見つける物語。スモーキーマウンテン(四ノ宮浩監督のドキュメンタリーでも描かれたマニラのゴミ山)に通い、スラムの子どもたちと交流を重ねた長谷井さんのかけがえのない体験が原点になっている。日本人として初めてヴェネツィアビエンナーレヴェネツィア国際映画祭の全額出資を受け、イタリアチームの日本人監督として、オールフィリピンロケを敢行、「この人たちと出会って、自分が見たかった”場所”、自分が感じたかった”場所”」を撮り上げた(フィリピン在住の大西健之撮影監督による柔らかな映像美も必見)。ヴェネツィア映画祭シネマカレッジのことや作品に込める思い、さらに愛すべき「セバスチャン」との撮影秘話も語ってくれた。セバスチャンの涙、そして呼び戻されていたとは…… 。

聞き手&写真:福嶋真砂代

 ヴェネツィア国際映画祭シネマカレッジのこと

ーー冒頭、空からスラムの街並みの屋根を映し、グーっとブランカにフォーカスされるシーンで一瞬にして惹き込まれました。全体にスモーキーな色合いも渋いギターの音色と融けあって素敵でした。本作を作るきかっけとなったヴェネツィア国際映画祭シネマカレッジでのワークショップについて、どのように進んだのか教えて下さい。

ありがとうございます。シネマカレッジのプロジェクトはトータルで10ヶ月間ですが、ワークショップは全部で3週間、1週間ずつ3回やりました。最初に選ばれた16ヶ国の映画人たちが作品の企画を持って集い、他にプロデューサー、脚本家、エディターなどプロフェッショナルたちも参加して、彼らと話をしながら企画を高めていきます。ある程度ストーリーを決めて、一度それぞれ持ち帰ります。脚本を書いてまた戻し、最終的に3作品に選ばれました。あとの2作はポーランドとアメリカ、そして僕たちのイタリアチームでした。その後は出来上がった脚本に磨きをかけていくというワークショップがありました。並行して、資金的な部分、どういうバジェット配分でプロジェクトを形にしていくかを話し合います。それについては、僕のパートナーのプロデューサー、フラミニオ・ザドラが他のプロデューサーたちと話を進めていきました。このような流れで企画を、現実に「撮影」に持って行くまでを詰めます。ただ、僕らの映画はフィリピンを舞台にした映画なので、バジェットについてはフィリピンサイドと話をしなければ進められないという限界もありました。

ーーフィリピンのスタッフはどのように?

ヴェネツィアにいるときに、すでにフィリピンのラインプロデューサーを決めていたので連絡をとっていました。

ーーつまり、イタリアのチーム、日本人の監督、フィリピンでの撮影、ポストプロダクションの韓国と4ヶ国にまたがる作品なのですね。イタリアチームの日本人監督という異色なポジションだと思いますが、居心地はどうだったのでしょう?

まったくと言って特別という感じではなかったです。国の違いよりも、ひとつの企画に対して、これを形にしたいという人たちと組むというだけで、それがたまたまイタリア人チームだったということなんです。

ーーイタリアのスタッフは、エミール・クストリッツア監督との交流からつながっているのですか?

いや、これはまた別のつながりなんです。僕がセルビアに住んでいた頃ですが、ヴェネツィアの映画祭に遊びに行き、偶然レストランで出会ったんです。当時の僕のガールフレンドとファティ・アキン監督が顔見知りで挨拶をしていたところ、アキン監督に出資していたのがいまのザドラプロデューサーの会社で、僕の短編を見せたら「絶対一緒にやりたい」と言ってくれて、そこからスタートしました。

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ⓒ2015-ALL Rights Reserved Dorje Film

ピーターやブランカを尊敬し、かっこいいなと思うからこそできた映画

ーーシネマカレッジの映像をネットで観ましたが、ザドラプロデューサーは「フェアリーテール」という言葉で紹介していました。この映画には、フィリピンのスモーキーマウンテンに通って子どもたちと交流し、多くの時間を積み重ねてきた監督が、肌で感じてきたことが染み込んでいると感じます。人身売買や病気の蔓延などゴミ山やスラムの過酷な現実は知られていますが、映画はそこに何か「魔法」をかけたように美しいです。どのような化学変化を起こそうとしたのでしょうか。

自分自身も楽しみたいという気持ちもありますが、簡単に言えば、あまりネガティブなものを不特定多数の人とシェアしたくないということなんです。人身売買はもちろんネガティブなことですが、ではゴミ山で働く子どもたちはネガティブかというと、ネガティブではないのです。それを「かわいそう」と思うのは、物を持っている立場の視点でしかないのです。いったん彼らの中に入ってしまうと、そこには日常があるわけです。もちろん厳しい部分もたくさんありますが、描き方として「もうひとつの視点」がないとフェアじゃないというか、そこは大事にしたかったことです。僕はピーターやブランカを尊敬するし、かっこいいなと思うんです。セバスチャンにしてもそうです。まず彼らに対しての敬意があって、それを踏まえた上で表現したかったんです。

僕自身も彼らとずっと一緒に過ごしていたわけではないのですが、そこもあまり問題ではなくて、ゴミ山で生活したからと言って表現が「本物」になるということではないんです。例えると、ヘビが届かないシッポを追いかけているようなもので、特に答えは出ない、そこがいちばん大きな問題ではないのです。この人たちと出会って、自分が見たかった場所、自分が感じたかった場所を脚本にしているんです。架空のお話ですが、映画の制作にあたって本当の自分たちの「未来」になったりもするわけです。僕らだって明日も、1時間後も、このインタビューが終わった後のことも本当はわからない、どこを歩くかもわからないわけです。それもクリエイションですから。でもそんなクリエイションを毎日できるわけがないから、せめて映画では「こういう人生を味わってみたい」というクリエイションをしたと言えます。そこは温かいものであってほしいし、それをお客さんとシェアしたかったんです。

 

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ⓒ2015-ALL Rights Reserved Dorje Film

 ◆歩いて歩いてやっと見つけたセバスチャン

ーーピーターとブランカがすばらしく、またセバスチャン(ジョマル・ビスヨ)にもとても惹きつけられました。

セバスチャン最高ですね! 彼を見つけた時はほっとしました。2ヶ月探しても見つからなくて、歩き続けてやっと見つけたんです。

ーー見つけた時のセバスチャンの反応はどうでしたか? びっくりしてましたか?

それほどびっくりしなくて、ダイアログを渡してアシスタントに通訳してもらうと、その場で言ってくれて「めちゃおもしろい!」となり、そのままワークショップに来てもらいました。そこからはもう本領発揮。セバスチャンとしてのキャラクター、ラウルやブランカとの関係性もしっかり理解した上で演じてくれました。ブランカとの別れのシーンがありますが、ブランカを解放するのを助けるくだりで、セバスチャンが少しウルッときているんです。あれは実はセバスチャンのラストカットで、脚本ではラストシーンにはセバスチャンはいなかったんです。別れのシーンを撮った時に彼の出番は終わりで、クルー全員がセバスチャンに対して感謝とお別れの言葉を告げているのに反応して泣いてくれたんです。でもその後セバスチャンに会いたいと、役は無くてもセバスチャンが来てくれないかと思い、「だったらそれをシーンにしちゃえばいい」という話になってきて、「そうだ! 最後はセバスチャンもあそこにいるべきだ」と脚本が変わりました。

ーーセバスチャンも一緒に映画を観ましたか?

回観てます。1回目はセバスチャンの住む街に行って、子どもたちと一緒に観ました。でもあいつらは黙って観ない(笑)。ずっと自分の出てるところは「イエーイ!」という感じ、でも最後は集中してたかな。2回目に、フィリピンの映画祭で子どもたちと一緒に大きな劇場で観たときは幸せでした。シーンごとに爆笑があってね。

ーー他にもストリートの子どもやトランスジェンダーの人など多彩な方々が出演してました。その中で悪い女性の役と、クラブの支配人はプロの役者でしたか?

そう、あの悪い女の人はルビー・ルイスという、フィリピンでは女優賞を受賞したことのある女優さんです。

ーー電気屋の前でブランカとテレビを一緒に観ていたインパクトのある男性は?

そうそう、彼も役者なんです!

 

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ⓒ2015-ALL Rights Reserved Dorje Film

笑わせてくれるピーターのギターの魅力

ーーピーター(ピーター・ミラリ)について、残念ながら映画を観ずに亡くなられて、でも葬儀の場で上映会をしたという感動的なエピソードもあるとのことですが、もっとも印象に残っていることは?

僕はやっぱり彼のギターが好きなんです。なんというか、笑えるんです。ギターの音色で「ぷっ」と笑えるってなかなかないですよね。なんだかニコっとなるんです。「わ~感動した!」というのではなく。そういう「ギター」ってスゴイなと思うんです。心を柔らかくしてくれるギターなんですね。本当は彼の弾く楽曲を使いたかったのですが、権利関係に引っかかって使えなかったんです。彼は楽譜を見て学ぶのではなく、その当時、街に流れていた70-80年代のヒット曲を耳でキャッチして弾いているので、いろんな年代のヒット曲が1曲のなかに混ざっているんです。フィリピン音楽を研究している芸術大学の教授に確認してもらってそれが分かり、そんなわけで映画では新しく作曲家フランシス・デヴェラに作ってもらった曲をピーターに弾いてもらいました。

 

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ⓒ2015-ALL Rights Reserved Dorje Film

 ーーブランカが劇中で歌う歌「カリノサ」は、フィリピンの民族音楽に監督が詞をつけたのですね。ずっと耳に残る曲でした。

そうです。サイデル・カブテロのマネージャーに聞いたら「俺は知らない、よくこんなの見つけたな」なんて言われましたが(笑)。でもサイデルのお母さんに聞くと、やっぱり昔からあって、曲に合わせて子どもたちが踊る曲と教えてくれました。

ーーYoutubeで、サイデルさんが歌うのを見てキャスティングしたということですね。またプレス資料によると「3人のブランカ」が存在したのだと。2人目のアンジェラについてのエピソードもなんともドラマチックです。そして最終的にはサイデルを起用することができたと。(編集部注:当初、遠くに住むサイデルの出演は困難と判断し、2人目のアンジェラという女の子を路上で見つけたが、演技的に難しいという理由で断念した。3人目は実在する11歳の少女で、実際にピーターと一緒に歌を歌い、ステージに立っていたという。)

そう、僕は最後までアンジェラにしがみついていたんですが、どうしようもないということになったときにサイデルが現れてくれて……

 

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ⓒ2015-ALL Rights Reserved Dorje Film

魔法のような映像の温もり(撮影監督について)

ーー柔らかく、温かい映像が印象的でしたが、撮影監督の大西健之さんはフィリピン在住のタガログ語も話すというカメラマンだそうですね。

彼の経歴はユニークで、LAで映像を学び、日本に帰らずにフィリピンで映像の仕事を始め、すぐに撮影監督になった方です。アシスタント時代がほとんどなく、すぐにコマーシャルなどで活躍しはじめ、フィリピン在住12年くらいだそうです。僕の前作の短編ではイタリア人撮影監督を起用したのですが、いろんな方を知る中で、フィリピンに日本人の撮影監督がいることを知って今回お願いしました。

 ーー2015年に作品が完成し、世界でまず発表されて、満を持しての日本公開となりますね。

これは僕の最初の長編作品になりますが、こんな企画があって、こんな話をみんなで作ろうよと、みんなが情熱を傾けられるような「遊び場」を脚本として提供して、そこにみんなが集まってくれた、そんな感じなんです。正直言うと、こういう作品を日本で公開することはとても勇気がいることだと思うし、配給や宣伝のみなさんにも感謝しています。フィリピンのスラムに住む、純粋に幸せを求め、前向きに生きるブランカという少女の物語です。最初はお金でモノが手に入り、お母さんもお金で買えると思っていた。そういう場所にいた彼女がピーターと旅をしていくなかで辿り着いたのは、ピーターとブランカの間にできた「家=居場所」です。同じように、映画も、いろんな人と出会いながら、いい形で人と人の間に芽生える何かに繋がっていっているという感覚が日々あります。インタビューで話したり、試写会で観客の方々と話をしたり、サイデルが今回来日したことも含めて、いろんなことが前へ向かい、映画自体いろんな人に助けられていることが、ブランカもピーターに助けられ、ピーターとの間に温かいものを感じたことに重なります。そういう温かいものを感じながら映画が進んでいるなというふうに感じています。

 ーーセルビアから戻られて、現在は東京を拠点にされているそうですが、これからも世界を舞台に映画を撮る予定ですか?

そうですね。大事なのは、どこにでも置き換えられる物語にしたいということです。いま脚本を書いているところですが、頭の中にもまだ企画がいろいろあります。

ーー楽しみにしています。

(※このインタビューは2017年7月14日に行われました。)

プロフィール:

はせい こうき/岡山県出身。映画監督・写真家。セルゲイ・ボドロフ監督『モンゴル』(ドイツ・カザフスタン・ロシア・モンゴル合作・米アカデミー賞外国語映画賞ノミネート作品)では映画スチール写真を担当し、2009年、フィリピンのストリートチルドレンとの出会いから生まれた短編映画『GODOG』では、エミール・クストリッツァ監督が主催するセルビアKustendorf International Film and Music Festival にてグランプリ(金の卵賞)を受賞。その後活動の拠点を旧ユーゴスラビアセルビアに移し、ヨーロッパとフィリピンを中心に活動。フランス映画『Alice su pays s‘e’merveille』ではエミール・クストリッツア監督と共演。2012年、短編映画『LUHA SA DISYERTO(砂漠の涙)(伊・独合作)をオールフィリピンロケにて完成させた。2015年、『ブランカとギター弾き』で長編監督デビューを果たす。現在は東京を拠点に活動中。

インフォメーション:

ブランカとギター弾き』

配給:トランスフォーマー

2017年7月29日(土)より、シネスイッチ銀座ほかにて全国順次公開

www.transformer.co.jp

Report 006『ユリゴコロ』キックオフ記者会見

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7月9日、東京国際フォーラムで行われた『ユリゴコロ』キックオフ記者会見。撮影終了したばかりのメインキャストと熊澤尚人監督が勢ぞろいしました。木村多江さんのドレスがひときわゴージャス。なんだかバックのロゴの「ユリ」の「リ」からドレスの白いラインに続いて伸びているかのように見えなくもない(狙ってないと思いますが)。みなさんの黒を基調にした装いが真紅のバックによく映えてゾクゾク。過去パートと現代パートに分かれて撮影したために、それぞれのパート出演のキャストが現場で会うことがなかったようで、この会見で「どうも」という感じで、言っちゃいけないこともあるから探り探りそれぞれ話をしているところがおもしろかったです。

9.23公開ということですが、秋には、これまた沼田作品『彼女がその名を知らない鳥たち』も公開されます。(試写を観ましたがすばらしかった)となると、『ユリゴコロ熊澤尚人監督 vs『彼女が・・』白石和彌監督というめくるめく秋の戦いが繰り広げられるのですね。気づいたのは、両作品に松坂桃李が出演していること。同じ作家の作品に同時期に出るっていうのもまた何か運命的な力も感じます。ちなみに『彼女が・・』の松坂くんの演技は振り切れてました。軽く3塁打とか打っちゃうバッターのよう。めきめき最近実力つけてますね。『彼女が・・』の主演、蒼井優阿部サダヲもまた凄い。どうやらこの2作品は”怪演 vs 怪演”の恐ろしい火花が立つのが遠くの方から見えてきました。そんな意味でも『ユリゴコロ』、とても楽しみです。

公開:2017年9月23日(土)
脚本・監督:熊澤尚人
配給:東映、日活
出演:吉高由里子松坂桃李松山ケンイチ佐津川愛美清野菜名、清原果耶、木村多江 

yurigokoro-movie.jp

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Review 23『ダイ・ビューティフル』

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            (C)The IdeaFirst Company Octobertrain Films

監督:ジュン・ロブレス・ラナ 
出演:パオロ・バレステロス クリスチャン・バブレス グラディス・レイエス ジョエル・トー
配給:ココロヲ・動かす・映画社 ◯
120分/カラー/フィリピン語(日本語・英語字幕付き)/ 2016年/フィリピン 

7月22日(土)より新宿シネマカリテ他にて全国ロードショー

華やかに終わり始まる、トリシャの人生

第29回東京国際映画祭で最優秀男優賞と観客賞のW受賞作品。ミス・ゲイ・フィリピーナ(ミスコン女王)に輝いた直後に急死したトリシャ・エチェバリア(エッチェバリアと発音されるのがかわいい)の豪華でユニークな葬儀を軸に、波乱万丈なトリシャの人生を複雑な時系列のなかで描き上げる。監督はフィリピンの実力派、ジュン・ロブレス・ラナ。主演にフィリピンのテレビ界の人気ホストでメークアップアーティストのパオロ・バレステロスを起用している。彼は、2013年に脳卒中で倒れた際、リハビリの一環としてメークアップを思いつき、技術を身につけたというユニークな経歴、今回は華やかなトランスジェンダー役を熱演している。トリシャの親友バーブスもすばらしく好感度が高い。

ラナ監督は「興行性の高い作品と個人的な思いの作品を並行して手掛けてる」と話し、こちらは「個人的な思いの範疇」に入る作品だそう。「個人的な思い」の作品では新しい手法、実験的な手法を取り入れてるようにしているとのことで、『ダイ・ビューティフル』の時系列の複雑さもそのひとつだ。その時間の組み合わせが巧みで、トリシャの死から遡り、スリリングに「人生」を読み解いていくところが小気味いい。「私が死んだ時は日替わりで海外セレブメイクをして」と親友に伝えていたことで、トリシャの葬儀はかくも華やかな展開を見せ、映画自体とても華やいでいる(お葬式なのだけど)。と思わせつつ、実はラナ監督は様々な重い問題を問いかけてくるのだ。トランスジェンダーとして生きたい息子パトリックの前に立ちはだかる父親は最後まで息子を理解できない。通った高校では重大な事件が起きた。傷ついた息子をさらに責め立て、追い出す父親は残酷だ。しかしまだまだ世間的にはよくいるタイプだとも言えるし、悩ましい。家出してミスコン出場で生計を立てるたくましいトリシャは娘を育てる。娘はものわかりのよい、親に反抗しつつも、やさしい人物に描かれているのは父をあまりにも痛く描いた反動だろうか。

さらに、これはもっともラナ監督が深く問いかけたかったことだろうと思うが、トリシャの深い傷と突然現れた理想の恋人の関係。夢のような展開のなかで突きつけられる「ゆるし」という問題。ネタバレになるので詳しく書けないが、このシーンのトリシャの心情に胸が痛む。果たして「ゆるし」とはなんだろう?と考えさせられる。ちなみにトランスジェンダーを演じる役者たちはみなさんストレートな方なのだそう。そういう意味でも実験的であるし、つくづく死ぬこととは生きることだなと納得させる力強さがあるなと思う。

福嶋真砂代★

www.cocomaru.net

Review 22『残像』

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(C)2016 Akson Studio Sp. z o.o, Telewizja Polska S.A, EC 1 – Lodz Miasto Kultury, Narodowy Instytut Audiowizualny, Festiwal Filmowy Camerimage- Fundacja Tumult All Rights Reserved.

 

アンジェイ・ワイダ監督の「遺言」の今日的意味

2016年10月、90歳で急逝したアンジェイ・ワイダ監督の遺作が公開になった。彼の「遺言」の今日的意味の重さを噛み締めたい。今日的な意味。「自由」が完全なる「自由」でなくなる危うさ。監視、検閲、言論統制、危険な言葉がまとわりつく昨今..。遠い国、あるいは遠い昔にあった話かと思っていたことがいま身近に、日常に起き、この映画の状況と似てきていることにゾッとする。舞台は第二次世界大戦後のポーランド社会主義政権による弾圧が強まる状況下、強靭に闘った不屈の画家、ヴワディスワフ・ストゥシェミンスキ(1893-1952)の晩年の4年間を描く。第一次世界大戦時、ロシア軍工兵として参戦中に重症を負い、片手片脚を失っている。不自由な身体だが、ポーランド構成主義の前衛画家として高く評価され、ウッチ造形大学では精力的に真の芸術を教え続ける。大学の野外講義の冒頭シーンはのびのびとした空気を吸う。離婚した妻の元にいるかわいい娘のニカ。父を心配し様子を見に来るが、女子学生と部屋で鉢合わせし、ヤキモチを妬いたりもする、その描写がとても微笑ましい。そんな柔らかい空気も束の間、ポーランドは戦後ソヴィエト連邦の勢力圏に組み込まれ、部屋の窓がプロパガンダの垂れ幕の赤色に染まる現象に象徴されるように、全体主義の影が国中に覆いかぶさる。空気は一瞬にして硬直していく。恐ろしいほどの変化はあっという間だ。しかしストゥシェミンスキは闘い続けた。それは完全なる孤独な闘争。同じくワイダ監督の描いたワレサ(『ワレサ 連帯の男』)も闘争した。しかしワレサは家族とパン(生きること)を捨てなかった。画家はパンも、家族も、文字通り命さえも投げ出す。そうまでして守りたかったものとは…。大学を追放され、芸術家としての尊厳、名声も奪われ、絵を描くことさえ奪われた。身体は病魔に蝕まれ、しかし最後の最後まで精神の自由、芸術の自由を信じた。自由を死守することの厳しさ大切さを、いま、もっともっと感じなければならない。主演のボグスワフ・リンダが素晴らしい。タイトルは、ストゥシェミンスキの作品シリーズ「光の残像」(1948-49)に由来している。

福嶋真砂代★★★★★

zanzou-movie.com

残像 | 岩波ホール

監督・脚本:アンジェイ・ワイダキャスト:ボグスワフ・リンダ、ゾフィア・ビフラチュ、ブロニスワバ・ザマホフスカニ他

2016年/ポーランド映画ポーランド語/99分/カラー/シネマスコープ/5.1ch/DCP/配給:アルバトロス・フィルム/後援:ポーランド広報文化センター/提供:ニューセレクト/宣伝:テレザ、ポイント・セット

2017年6月10日(土)岩波ホールほか全国順次ロードショー

Interview 002 ローラ・イスラエルさん(『Don't Blink ロバート・フランクの写した時代』監督)インタビュー

会ってみると飾り気のない、意外と「普通のひと」だったことが逆に嬉しかった

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『Don't Blink ロバート・フランクの写した時代』を監督したローラ・イスラエルさんにインタビューした。ニューヨークの伝説的芸術家ロバート・フランク(現在92歳)の波乱万丈の人生と、いまもなお異彩を放つ写真や映像作品の数々を、豪華な楽曲とエッジの効いた編集で魅せるドキュメンタリーは、「全ロバート・フランク」としての貴重な記録とも言える。真のアメリカを撮った写真集『The Americans(アメリカンズ)』(1958年)について、写真一枚一枚の撮影当時の記憶をたどるロバートの前に静かに微笑み座るローラさんの姿が印象的。ローラさんは多くのミュージシャンのPVを手がける敏腕編集者としてフランクに出会い、以来長年にわたり多くの作品を共に作ってきたフランクの強力な右腕であり理解者。お互いにポストカードをやりとりするチャーミングな習慣も教えてくれた。ロバートの「気難しい芸術家」というレッテルとは裏腹に、そんな彼女だからこそ撮れた、ローラさん曰く「意外と普通のひと」というフランクの素顔、さらに互いに助け合うニューヨークのアーティストコミュニティの関係性の興味深い話もあり、盛り沢山語ってくれた。

取材&写真:福嶋真砂代

「過去は振り返らない(Never go back)!」とロバートが答えた

ーーニュー・オーダー の『Run』(1989年)のPVで初めてロバート・フランクと一緒に仕事されたと伺いました。

ニュー・オーダーが所属するファクトリー・レコードに知り合いがいて、ニュー・オーダーPVの編集を数多く手がけていました。編集の私といろんなアーティストを組ませてPVを作るという企画があって、次は写真家のロバート・フランクだよと言われ、すごく嬉しかったのを憶えています。なぜなら私は映像の前に写真を勉強していて当然ロバート・フランクのことは知っていたので、一緒に仕事ができるというので興奮しました。

ーーローラさんにとってはヒーローに出会ったような感じなのですか。

そうですね、ヒーローとの出会いでもあったし、でも会ってみるとロバートが飾り気のない、意外と「普通のひと」だったというのも逆に嬉しいことでした。ある時、ある程度映像を選んで編集していて、「いまこの映像を選んだけど、この先また戻って見直したりしますか」と聞くと、ロバートは「過去は振り返らない(Never go back)!」と答えて、そういうところは私とすごく感性が合うと思いました。

ーーそれからはずっと一緒に仕事を?

その後いい関係が続いて、ロバートは2年に1回くらいは映画やビデオインスタレーションなどを作っているので、その仕事を一緒にしています。まず彼は「僕のことを知ってほしい」と写真集、映像、映画など、自分の作品を私にすべて渡しました。ニュー・オーダーの時はいわゆる「仕事!」っていう感じでしたが、ロバートの仕事の仕方としては、まず人間関係を作り上げた上で仕事をしていくということを求める人だと思います。友達としてパーソナルなつきあいをして、奥さんとも仲良くなったり、そうやってロバートのグループの中の一員になっていった感じでした。もちろん私のことも知ろうとしてくれました。NYノバスコシアにあるロバートの家のどちらにも行きました。NYでは近所に住んでいるので道でばったり会うこともあるし、NYで作った映像を私が編集して、それをノバスコシアに持って行ってまた作るとか、常に進化していくような作品の作り方をしました。実は私はポストカードコレクターなので、彼の家にポストカードをドロップして「Say hello」してから仕事に行くとか、彼もポストカードが好きだと知っていろいろ集めて、すぐペンパルになりました。

ーーなるほど、ふたりは”ポストカードペンパル”なんですね

ちょうど2週間前にも、私が時間がなくて友人に頼んでポストカードドロップしてもらいました。ロバートはだいたい年の半分ずつNYノバスコシアに住んでます。以前は冬もノバスコシアは美しいので住んでいたようですが、映画でも映ってますが、冬は海も凍ってしまうし、水道も電気も止まりがちなので、最近は夏に行くようにしているようです。

ーー電話線を15人くらいで共有していて、「電話を聞かれてる」といたずらっぽく言ってるシーンがありますが、あれも大変ですね。

私もそこは好きなシーンです。おもしろいですよね、小さな村で他にすることないから他人の電話をずっとこっそり聞いていたりする、みたいな(笑)。

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Photo of Robert Frank by Lisa Rinzler, copyright Assemblage Films LLC

◆「ロバート・フランク・ルーム」にこもりきりの1年間

ーータイトル通り「瞬きできない」くらい、映画にはたくさんの情報がぎっしり詰まっていますが、編集のご苦労は?

編集のアレックス・ビンガム、それからプロデューサーのメリンダ・ショプシンにも助けてもらいました。「ロバート・フランク・ルーム」と名付けた編集室に1年間こもりきりでしたが、そこでは彼の本や作品にぎっしり囲まれながら、常に編集している感じでした。例えばロバートがアリゾナに休暇に行くとそこで撮った写真をごっそりもって帰ってきたり、写真集も新たに出たり、編集中もそうやっていつも新しい素材が増えていきました。そして何か困った時は、常に彼の作品に立ち戻るという作業を繰り返しました。彼のワークが彼のライフであると言えますからね。

ーーまさに映画は「ロバート・フランク・エンサイクロペディア」という感じで、ロバートのことも、また真のアメリカを知る上でもここに戻ると何かが見つかるという起点になるような作品だと思いました。アレン・ギンズバーグジャック・ケルアックグレゴリー・コーソら、ビートジェネレーションのスター勢ぞろいの短編映画『プル・マイ・デイジー』(1959年)のことをこの映画で知って見てみたらその新しさにゾクゾクしました。

それは嬉しいですね。作品あってのロバート・フランクなので、この映画を観て彼の作品を再発見したり、見直したり、そういうモチベーションになってくれるといいなと思って作りました。また写真集などでは見せる機会のない彼の側面や素顔を観ていただけるといいなと願っています。

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Photo of Robert Frank by Lisa Rinzler, copyright Assemblage Films LLC

 

◆写真集『アメリカンズ』 の革新性、芸術性の高さ

ーーところで、写真集『アメリカンズ』は発表した当初は評価が低かったけれど、10年後にはとてつもない高評価を受けるという流れがあって、現在に至ってさらに再評価されています。ローラさんはどう感じていらっしゃいますか。

今回ドキュメンタリーを撮るにあたってロバートの作品をいろいろ見直して感じるのは、とてもタイムレスな、つまり時間にとらわれていない作品だということです。でもそれ以上に感じるのはアーティスティックに捉えていること。例えば構図的にも芸術的レベルが高いし、その写真があえて切り取ってないもの、あえて撮っていないものが重要であったり、当時もそうでしたが、いまも「革新性」があることが意義深いです。文字を使わずに写真だけで、社会に対するメッセージを伝え、それが決して説教じみてはいない。おもしろいと思ったのは、ひとつの作品に対して実は2、3枚しか撮ってない、意外と何枚も撮らない撮り方なんです。その中でこの1枚。そんな方法の一部を映画の中で(ベタ焼きから選ぶシーンで)見せることができてよかったと思います。『アメリカンズ』は、ロバートがすごく努力して大変な思いをして世の中に出した作品で、それが評価が低かったのは当時はショックがあったとは思いますけどね。編集部注:『The Americans』は1955年から9カ月かけて、10,000マイル、30州を旅し、767本のフィルムを費やして、27,000枚の写真を撮ったー『Don't Blink ロバート・フランクの写した時代』より)

 ーー『アメリカンズ』では2万7千枚から83枚を選んだということだけでもすごいけど、その1枚1枚すべてがものすごくフォーカスされているということですね。

そうなんです。編集者、つまり私のことだけど(笑)、から見ても、そのことを知るだけで感動しますね。確かに人間を映し出したものではあるのですが、アートとしても美しい写真ですね。

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Photo of Robert Frank by Lisa Rinzler, copyright Assemblage Films LLC

彼は映画の中で「写真家はハンターだ」と言ってましたが、そういう捉え方も私も好きです。「いい獲物を獲りに行く」という気概で、朝早くから現場を探して写真を撮り(獲り)に行き、夜帰ってきて、どこか暗室を探して現像するという、一連のことにすごくエネルギーをかけて作ったわけです。その後、ロバートがフィルム(映像)に移行していったのは、もっと人とのコミュニケーションを求めたという理由もあるのかなと私は思ってます。

ーーロバートの仕事仲間の”現像マン”のシド・キャプランをインタビューしてましたね。

ええ、最も長い時間をかけたインタビューのひとつです。ひじょうにおもしろい人で、写真とのつきあいが長くてマグナム・フォト(Magnum Photos)やウィジーWeegee)と一緒に仕事してました。アレン・ギンズバーグも近所に住んでいたのでシドがギンズバーグの現像を手伝ったりしてました。NYのエルトレイン(El Train)という地下鉄が一部地上に出る区間があったんですが、当時の風景をシドが撮った写真展(*1)をやってます。ある意味、彼はニューヨークの歴史家ですよね。ひとつおもしろいエピソードがあるんですが、ジャック・ケルアックの『地下街の人びと(The Subterraneans)』という作品の舞台はサンフランシスコになっているんですが、実はNYのシドが住んでた界隈がモデルになっているんです。ロバートやアレン・ギンズバーグにとっては「すごく懐かしい」という感覚のある作品なんですよね。実はこれは今回の映画には収録しきれなかった部分なんです。

ーーそうすると、今回の未公開の素材もたくさんあるのですか。

そうですね。多くの素材から泣く泣く決断をして選んだ結果、この映画ができました。時系列に編集してもよかったのですが、ロバートはわりに「テーマ別」に物事をやっていくタイプなので、この映画も「テーマ別」にしようと思いました。時々寄り道(detour)をするんですが、脱線しすぎるとどんどんおもしろい話が出てきてしまうので、本線にどう戻ってくるかを気をつけながら編集しました。ロバートの人生もおもしろい脱線が多い人なのですが、作品としては戻すようにしてました。彼の人生はモノがフルにあるので、作品としてそこをどうコントロールするか腐心しました。

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Photo of Robert Frank by Lisa Rinzler, copyright Assemblage Films LLC

ーー編集者であったローラさんにとって、今回は監督として「ロバートを撮る」という、ある意味立場の逆転みたいなことだったと思うのですが、映画からはロバートもそれを楽しんでいるように感じられました。この映画を作るに際して何か意見をもらったのでしょうか、それともずっと黙っていて出来上がりを観て感想を言ってくれたのでしょうか。

最初にロバートは私に小さな「笛」をくれたんですよ(笑)。何かあったらこれで呼んでね、みたいなサインだと思うんですが。ヘンゼルとグレーテルみたいに、パンくず、つまりヒントを落としていってくれたので、それを拾っていくとたどり着ける、そういう感じの手助けをしてくれました。どうしてもドキュメンタリーなので撮っているときはグチャグチャというか、彼方此方に散らばってる感じで、それをどうまとめるかが難しいところではあるのですが、そんな中でちょっと行き詰った時にロバートに相談してみようかなと訪ねると、すかさず「映画はどう?」なんて声かけてくれて、私の顔には「タイヘン」の文字が浮かんでいたと思うんですけど、その時にロバートは「信頼しているから(I trust you)」という言葉をかけてくれました。それで安心したし、自由になれたのと同時に責任重大だとは思いましたけど、次に進む力になりました。ロバートは「最終的責任はとらないけど、何かあったら手助けするよ」というスタンスでいてくれました。撮影始めの頃のインタビューの後、私は2分くらいのトレイラーを作ったのですが、ロバートはそれを見て安心してくれました。実はそのトレイラーは映画のオープニングに使っています。

さらに付け加えると、「Don’t Blink」というタイトルは、ある時、ジャーナリストに「いま写真を勉強している若い人に何か言葉はありますか」と聞かれたロバートが「Keep your eyes open! Don’t blink!」と言って、ああこれぴったり、いただこうと思いました。

 ◆ロバート・フランクとアンソロジー・フィルム・アーカイヴズ

ーー最後に、これは友人からの質問ですが、ジョナス・メカスとロバートはどういう関係でしたか。ロバートは「アンソロジー・フィルム・アーカイブズ」に所属してた時期とかあるのでしょうか。

「アンソロジー・フィルム・アーカイブズ(以下、アンソロジー)」は、簡単に言うとこの映画のスポンサーのひとつとして協力してくれてます。ブリーカーストリートのロバートのアトリエの近くに「アンソロジー」のオフィスがあったので昔からつながりがあります。同じNYに住むアーティスト同士、何かあったらお互いサポートするよという関係です。最近もハリー・スミス(Harry Smith)というアーティストのビデオテープがロバートのアパートからたくさん発見されて、それをアンソロジーが使えるようにダビングしておいてあげたということもありました。またロバートの映画『Sin of Jesus』にメカスが役者として出演してますね。この映画に使ったアーカイブ映像についても「アンソロジー」のアンドリュー・ランパート(Andrew Lampert)が協力してくれましたし、実はランパートはこの映画のプロデューサーのメリンダ・ショップシンのご主人でもあるというつながりもあるんです。私たちはこういうフレンズコミュニティでお互い助け合っていると言えます。

◆おまけ◆

ーーロバート・フランクローリング・ストーンズを撮ったドキュメンタリー映画『コックサッカー・ブルース』は未公開なのですね。

ローラ:はい、未公開です。ローリング・ストーンズ側とロバート・フランク側との取り決めで、年に3、4回までという制限つきで上映はしています。『Don’t Blink』関連のフィルムフォーラムでも上映しました。私も観たことがありますけど、クールでいい映画です。撮影した当時のロックカルチャーの中でドラックとか違法的なことも撮られているので、これをアメリカで上映するとローリング・ストーンズが法的にアメリカに入国できなくなるんじゃないかという危惧もあって、公には上映されてないわけです。そういう背景があるんですが、最近は少しずつ緩やかになってきてますけどね。

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ロバート・フランクがカバーデザインを手がけたローリング・ストーンズ『メインストリートのならず者』のジャケットを見るイスラエル監督 (C)marsha2017

プロフィール:

Laura Israel/米国ニュージャージー州で生まれ、10代の頃からNYのロウアーイースト地区へ写真を撮りに行っていた。ニューヨーク大学在学中からコマーシャルやミュージックビデオの編集で数々の賞を受賞し、大学卒業と同時に自らの会社 Assemblage を設立。制作した主なミュージシャンは、ジョン・ルーリールー・リードパティ・スミスキース・リチャーズソニック・ユースニュー・オーダージギー・マーリーデヴィッド・バーン、アーティストではウィリアム・ウェグマン、ローリー・シモンズ、そしてロバート・フランク。2010年に初の長編ドキュメンタリー映画『Windfall』を監督し、トロント国際映画祭でプレミア上映、Docs NYCでトッププライズを受賞。毎年「フィルムメーカー」誌が選ぶ「インディペンデント映画の注目すべき25人」の一人に選ばれている。

インフォメーション:

監督:ローラ・イスラエル
撮影:リサ・リンズラー、エド・ラックマン
編集:アレックス・ビンガム
音楽:プロデューサーハル・ウィルナー
参加アーティスト:ヴェルヴェット・アンダーグラウンドローリング・ストーンズトム・ウェイツパティ・スミス、ヨ・ラ・テンゴ、ミィコンズ、ニュー・オーダーチャールズ・ミンガスボブ・ディラン、ザ・キルズ、ナタリー・マクマスター、ジョセフ・アーサー、ジョニー・サンダース、ザ・ホワイト・ストライプス
2015年/アメリカ・フランス/82分

配給テレビマンユニオン/配給協力・宣伝:プレイタイム

robertfrank-movie.jp

4月29日(土)より、Bunkamuraル・シネマほか、全国ロードショー

 

 

Run (2015 Remastered Version)

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アメリカンズ―ロバート・フランク写真集

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地下街の人びと (新潮文庫)

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*1:New York Transit Museumにて開催中:

New York Transit Museum写真展の紹介記事(Timeout)