REALTOKYO CINEMA

リアルトウキョウシネマです。映画に関するインタビュー、レポート、作品レビュー等をお届けします。

Review 017 映画『untitled』at 「めぐりあいJAXA」

ムーンダイバー 〜Walking in the Seabed〜

「めぐりあいJAXA」非演出的衛星画像観望会

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地球観測衛星「だいち」が地球を眺める、その眼を感じる実験映画

春の気配が近づいてきた2月25日、満員のせんがわ劇場で行われた「めぐりあいJAXA」で上映されたuntitled映画(あえて映画と呼んでみる)をみた体験を振り返る。あれはもしかしたらオーディエンスを巻き込んだひとつの大きな映画実験場だったのかもしれないとも思う。企画者の 澤 隆志さんが「観望しましょう」と呼び掛け、約30分間、地球をただただ静かに眺め渡す「地球観望会」がはじまった。音も音楽もない完全な静寂の中でオーディエンスはそれぞれ、大きなスクリーンに映された映像作家五島一浩さんによる地球映像をじっと見つめる。「あ、これはどこの上空? 日本? 外国? 川? 海? 波? 山? 雲? また雲?」そう自分に問いつつだいちと一緒に浮遊する、だんだん内側に潜り込む内観さえ始まるような時間になっていたかもしれない。なんだか禅の世界のような、はたまたマインドフルネスっぽいような、不思議な広がりを持つ時間と空間を共有してた。その昔、リュミエール兄弟が定点観測+長回しによってこの世界のいつもの営みをフレームのなかに捉えて、外の世界を「映画」として映したとすれば、日本の地球観測衛星「だいち」の巨大精密カメラは、地球の毎日の営みをじーっと定点観測し(というか1日14〜15回も地球を周って撮ってる)深い内なる世界を覗かせてくれるのかもしれない。そうやってだいちが地球に律儀に送り続ける途方もないデータ量、さらにそれらを受け取り日夜解析分析する人々の仕事をリスペクトしながら、その果実を研究者や科学者の独占物としないで、もっともっとありがたく感受する、そんな機会があってもいいのではないか。それはアートの世界ともっと融合してもいいのではないか。そんなことも思いつつ体験した「だいちの仕事を愛でる会」、はたまた「だいちの気持ちになる会」とも言える観望体験。「宇宙」といえばつい見上げるものだと思っているけど、こうやって「地球を見下ろす」こともまた宇宙なんだと、まだ生まれたばかりでよくわからないけど、宇宙利用のまったく新しい領域を発見、認識したようにも思う。

あとで教えてもらったところによると、我々が映画で旅したのはドイツ、バングラデシュ八郎潟と北海道の知床(尾岱沼)、大西洋アルゼンチン沖とわかりました。上映前になんの解説も与えられなかったのは、できるだけフリーに衛星画像の迫力を感じてもらうという意図が隠れているとか。その贅沢な心地よさを知ってしまったのでした。

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Review 16『サクロモンテの丘〜ロマの洞窟フラメンコ』

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監督:チュス・グティエレス/スペイン/2014年/94分

2017年2月18日(土)より有楽町スバル座アップリンク渋谷ほか全国順次公開

洞窟フラメンコを知る、教科書的で質の高い「芸術」ドキュメンタリー

このドキュメンタリーの魅力は、なんと29名もの老若男女アーティストたちがその素晴らしいフラメンコの才能を次から次へと、洞窟住居のリビングのような部屋で披露してくれること。サクロモンテ案内役のクーロ・アルバイシンを始め、クーロとユニットを組んできたラ・モーナ、ラ・ポロナ、ライムンド・エレディア、ニーニョ・デ・オスナ等々洞窟出身のスター達が大集合する。グラナダ出身のチュス・グティエレス監督が12歳の時、両親の家のパーティで踊るクーロ・アルバイシンと出会い、また20年後に再会したことでサクロモンテについての映画を撮るべきだと確信した。サクロモンテの丘に住むロマ(ヒターノ)の歴史、洞窟生活の様子、歌や踊りを見せるタブラオの始まりと発展、フラメンコの世界的発展、戦中戦後、そして1963年の洪水の惨劇とそれ以降の洞窟生活者たちの動向を、アーティストたちへのインタビューとパフォーマンスによってゆっくりとたどる。すでに1963年以前の洞窟の暮らしを語る人が少なくなっていく現在において、この映画は洞窟で生まれたフラメンコのルーツ的な記録を残す貴重な貴重な仕事だ。インタビューの話の内容を想起させる多くの古い映像のインサートで、貧しく厳しい時代、それでも力を合わせて強く生きるヒターノの暮らしぶりが蘇る。フラメンコ(の歌詞)がいかに人々の生活そのもの、上から下まで、実に人間的に、そしてロマンチックに歌われてきたかがよく伝わる。また、フラメンコは、貧しく教育もままならなかった彼らの生活の糧として、大切なファミリービジネスのひとつとして育ってきた。だからこそ、ダンサー(バイラオール、バイラオーラ)の後ろにはギタリスト、カンタオーラ、カンタオール、カスタネットパルマ、ハレオなどずらりと囲むように並ぶ(祖父、祖母、父、母、叔母、叔父、娘、息子、孫・・・)フォーメーションになる、理由がわかったような気がする。それにしても隣近所、おじちゃんもおばちゃんもみんな踊り歌うとプロの技という環境は凄い。冒頭の、クーロとラ・モーナが絶景をバックに舞うシーンは圧巻だ。他にも洞窟住居(博物館?)で披露される華麗なパフォーマンスをたっぷりたっぷり楽しむことができる。教科書的であるとともにかなりの「芸術」として素晴らしいドキュメンタリーだ。再びサクロモンテとその文化、芸術の威力が見直され、輝く時代が来ることを祈る。(福嶋真砂代★★★1/2)

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映画『サクロモンテの丘~ロマの洞窟フラメンコ』公式サイト

Review 15 & Report 004『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』、辛酸なめ子さんトークイベントレポ

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(C)2015 Twentieth Century Fox Film Corporation, Demolition Movie, LLC and TSG Entertainment Finance LLC. All Rights Reserved.

監督:ジャン=マルク・ヴァレ
出演:ジェイク・ギレンホールナオミ・ワッツクリス・クーパー、ジューダ・ルイス
アメリカ/2015/原題Demolition/101分/配給:ファントムフィルム/PG12
2017年2月18日(土)から全国順次公開

「”やばい、僕、迷子だぞ!”って。それがこの映画さ」

「”やばい、僕、迷子だぞ!”って。それがこの映画さ」と主演のジェイク・ギレンホールが語る。そう、まさにそんな映画だ。ウォール街のエリート銀行マン、デイヴィス(ジェイク・ギレンホール)は突然の事故で妻を亡くす。しかし涙も流れず、悲しくない自分の異常(『永い言い訳』?)に気づいた彼が本当の自分を探す心の旅を、ジャン=マルク・ヴァレ監督が抑制の効いた静かなトーンで描く。妻を亡くした夜、病院の自販機からm&mチョコが出てこないことにクレーム電話を入れたことがきっかけで知り合った顧客サービス係のカレン(ナオミ・ワッツ)とその息子のクリス(ジューダ・クリス)。彼らとの交流でデイヴィスの心の塊が次第に溶けだし、突如として物を壊す「解体作業」を始める......。破壊したり、無邪気に遊ぶことを”年齢的退行”と呼ぶかどうか、大人なのでその行為は退行して見えるが、実は「本来の自分自身を解放する行為」なのではないかと感じる。様々な制約や規制の中、社会人として自制して生きる、あるいは他人の期待に応え続ける。そうやって見えないストレスと闘う現代人は、いつのまにか「本来の自分」から剥離しているのかも。負の感情を沈め続けて沼地となったドロドロの胸の底。それをなるべく見ないように感情を抑えてに生きるなら、ある日爆発してもおかしくはない。もちろん映画なので「解体作業」は誇張されて表現されているが、多かれ少なかれ、みんな「破壊」したい瞬間はある。しかしデイヴィスの破壊は衝動的行為(まあ衝動的に見えますが)というよりも、「組み立て直す」ことを目的とした「解体」だという捉え方。そこにある微妙な違いは後に大きく現れる。破壊してゼロになった後、新たに組み立てるかどうか。遠回りするが、それは大事なことなのだと思う。音楽も色調も全体的に抑制の効いた静かなトーン、少年クリスくんとデイヴィスの年齢差を超えてお互いリスペクトな関係性がとてもよい。(福嶋真砂代★★★1/2)

さて、映画公開前に行われた辛酸なめ子さんのトークイベントの採録を以下掲載します。MCは映画評論家の森直人さん。なめ子さんならではトリビア、自由でユニークな感じ方を楽しく拝聴しました。とりわけ「メモ」についてのなめ子さんの心情がグッときます。

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辛酸なめ子さんと森直人さん@ユーロライブ

見つけたメモは時空を超えたメッセージなのかも

MC:まずはざっくり感想を伺えますか。

辛酸:デイヴィスの壊れ方が詩的で魅力的だと思いました。全体のトーンが抑え気味だったのがよかったですね。例えば妻との(思い出の)走馬灯が短めだったりとか、あとから感動がじわじわくる感じです。

MC:デイヴィスとカレンに肉体関係があるかどうかを気にしていましたね。

辛酸:そうですね。もしかしたらみたいなシーンがあったんですが、こういうタイプの作品だとすぐラブシーンにいっちゃうとか、女の穴は女で埋めるとかそんな感じのが多いですけど、この作品では2人の関係は友だちのような感じで、それがまた詩的だったり繊細さを感じるのだと思います。少年と少女のように年齢退行していきますよね。それが肉体関係がない代わりに美しいシーンになっているのかなと。

MC:いま「退行」という言葉を使われましたけど、前のトークショー精神科医星野概念さんがやはり「退行」という言葉を使って話されていました。辛酸さんもそこがポイントになっていることがおもしろいと思いました。

辛酸:ふたりの年齢ははっきりとはわかりませんが、アラフォーくらいですか。海辺で無邪気に遊んでいて、青春をとりもどしているような感じがありました。

MC:そうやってどんどん癒されるというところはあるのでしょうね。印象に残ったシーンはありますか?

辛酸:妻のジュリアの霊が出てくるところです。

MC:それは断言しちゃいますか(笑)。

辛酸:霊だと思います。監督が霊に詳しい方なのかわからないのですが、霊の出方がありそうな感じで、鏡を見ていると後ろをスッと通るのが映るとか、ふと油断したときにいるみたいな。今夜家に帰って鏡を見たくないと思うほどリアルな恐怖を感じて、怯えるデイヴィスに萌えました。そんなデイヴィスの姿を見て奥さんもやりがいを感じたと思うんです。こんなに怖がってるんだとちょっと嬉しくなってもっといってみようかみたいな。

MC:おもしろい見方だと思います。僕は(妻の登場シーンは)彼の心象風景として受け取ったのですが、それは単なる解釈なので、可視化されているという意味では「霊」でもいいわけですものね。

辛酸:心象風景として撮ったなら、せいぜいが鏡のシーンくらいだったと思うんです。そこはホラーっぽさがあって、まだ亡くなって49日も経っていないし、彷徨っているのかなと。

MC:いま僕は新しい扉を開いたような気がします。

辛酸:あとデイヴィスのバックグラウンドを考えると、大金を動かす金融という過酷な世界で仕事をしていて、そこで人間的な感情が麻痺していたとも思えます。数字や利益ばかりを気にしている生活、富裕層の闇みたいなところも見えましたね。

MC:そういうエリートが壊れていくというところに萌えたところもなめ子さん的にはポイントだったのですね。ジェイク・ギレンホールについてはどうですか? お好きな俳優だと伺ったのですが。

辛酸:イケメンなのかどうかわからないまま、でもずっと見てしまう吸引力がありますし、あとは育ちの良さみたいなものが漂っていて破壊行為をしていても妙に安心できる感じです。彼について調べてみたのですが、父が映画監督で母は脚本家。コロンビア大学を中退して、ギレンホールという苗字は、中世に王族から与えられるような由緒ある名前で、さらにマルーン5のアダム・レビーンと同じセレブ幼稚園に通ったとか。品の良さはそこらへんなのかと。

MC:注目しだしたのはいつぐらいですか。

辛酸:そうですね。テイラー・スイフトと交際しだした時ですか。

MC:彼も交際歴はセレブらしく豊富にありますよね。

辛酸ナタリー・ポートマンやのキルスティン・ダンストリース・ウィザースプーンなどとの交際がありましたね。男性から見るとどういう俳優ですか?

MC:子役からずっと役者をやってる俳優で、かっこいいとは思うんですけど、エキセントリックな役も多いので、ライアン・ゴズリングとかに比べるとどういう人なのかまだつかめていないところがあります。

辛酸:つかみどころが難しい人なんですね。

MC:そういう意味でもこの作品にすごくハマっているなと思いますね。

辛酸:そうなんです。まゆげが困っているような「困り顔」もいいなと。あとクリス少年がすごく可愛かったですね。

MC:それこそポストジェイクになる感じがしていいですね。ジューダ・ルイスという俳優のようですが、なめ子さんはご存知でしたか。

辛酸:いえ、この映画で初めてみたのですが、フランス人なのかと思って観てました。

大きな音で霊が退散!?

MC:クリスのキャラクターに関してはどうでしたか?

辛酸:危うい感じがデイヴィスと合ったのかと思いました。ドラムのシーンが印象的でしたね。激しくドラムを叩いてデイヴィスがちょっとトランス状態に入ったような感じです。大きな音を出すと霊が離れるらしく、霊が一時的に退散していくというシーンでしたね。

MC:ちょっと待ってください(笑)。ではデイヴィスが破壊行動をしていたのは霊に取り憑かれていたんですかね。

辛酸:破壊行動は自分の心がわからないから、物を分解して自分の内側を知りたいみたいなことだと思うんです。

MC:ドラムのあとのトランス状態では霊から解放されて嬉しくなっていたと。

辛酸:はい、そんな感じですかね。

MC:なめ子さんは誰に感情移入したのでしょう。

辛酸:人間の描き方が深いというか、表面的でないのでどの人もわかるというか、感情移入できる気がしました。

邦題「雨の日は会えない、晴れた日は君を想う」の意味するところ

MC:邦題について少し言及しますと、原題は「Demolition」で、破壊、あるいは打破という意味になるのですが、「雨の日は会えない、晴れた日は君を想う」というのは、車のシーンに出てくる付箋にあるフレーズなんですね。字幕では違う言葉になっていたのですが、亡き奥さんが生前にデイヴィスにあてたメモで、それを後になってデイヴィスが発見するという流れでした。邦題ではそれがデイヴィスの言葉に変わっているのですね。つまり「you」と「me」が反転しているわけです。最初にちょっとお話しした精神科医の星野さんは、「この邦題はビフォーアフターで言うとアフターの方、つまりデイヴィスの変化した以降、この作品以降の心情を表しているものとして、邦題のタイトルがぴったりなのではないかという見解でした。

辛酸:そうすると、それを奥さんが予言したみたいな。

MC:結局、奥さんが糸を引いていたみたいなね。邦題に関してはどうですか?

辛酸:すごく素敵な、全体の詩的な雰囲気を表していると思います。「破壊」という感じよりも。

MC:それからギレンホールは17歳のときに解体のアルバイトをしていたらしいですね。

辛酸:だから道具の使い方が慣れてるわけですよね。

MC:某作家さんの意見で、奥さんの付箋のメモは本当にダンナさんに宛に書いたものなのかという疑惑がありました。そのあたりはどうでしょう。

辛酸:でも、自宅の車に不倫相手が乗りますかという疑問もあるんですけど。ストーリー的には夫宛だと思いたいですね。

MC:そんなふうに想像がいろいろ働いてしまう映画だと思います。なめ子さんとしては、この主人公のように大切なものを急に失ったとき、どうされていますか。

辛酸:さっき話していた「付箋」のようなことで言うと、自分の母が亡くなったあとに母が書いたメモが出てきて、それは最近くれた手紙のような気がして。時空を超えるというか。時間を超えて今に向けたメッセージなのかなと感じますね。

MC:そうですね。タイムラグもあるので奥さんの意図とは違うのだけど、自分の今に働きかけてくるメッセージとして解釈できますよね。最後に、「人生は単純に勝ち負けや幸不幸ではないと思えてきました」とコメントを書かれていましたが、それについてひと言いただけたら。

辛酸:自分の書いたものを忘れてしまったのですが、こういう勝ち組っぽい夫婦に起こった出来事なので、そういう価値観を超えた想いを抱いたのかもしれません。あとはニホンザルの毛づくろいのシーンがインサートされていたのですが、それを見て夫婦の理想の姿なのかと思ったんです。

(※このイベントは2017年1月19日に行われました)

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Review 14『海は燃えている イタリア最南端の小さな島』

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(C)21Unoproductions_Stemalentertainement_LesFilmsdIci_ArteFranceCinema

監督:ジャンフランコ・ロージ
2016年/イタリア=フランス/114分
配給:ビターズ・エンド
2017年2月11(土・祝)ロードショー

難民が上陸するイタリアの小さな島の日常を見つめる冷静な視線

イタリア最南端のランペドゥーサ島で起きている難民問題を捉えるドキュメンタリー。それにしてもこうやっていま難民問題を描くことをタイムリーと呼ぶにはあまりにも問題は長期化、深刻化するばかりだ。イギリスのEU離脱決定によって大きく揺れ動く難民受け入れと、もっと深刻なのは難民を生み出す中東、アフリカの政治不安と紛争の複雑化。しかしそれらを解決せずには難民・移民問題はまったく前進しない。では彼らが到着する最前線の島の様子はどうか。それまで平和に平穏な日常が流れていた地域に難民が押し寄せることでめちゃくちゃになっているのだろうか。ジャンフランコ・ロージ監督はランペドゥーサ島に移り住み、この映画を撮った。移り住んだ理由は、「緊急事態が生じた時のみ島に取材に押し寄せるメディアの習慣を超えることが必要だった」、それによって「移民・難民の波の真のリズムを知った」とインタビューで語っている。同時に「緊急事態」という言葉が無意味であることも、なぜなら「毎日が緊急事態だから」と。「悲劇を本当に感じ取るためには近くにいるだけではダメで、常に隣接している必要がある」という考えのもとに移り住んだ。ここがこの映画の肝なのだと思う。短期間、撮影するためだけに滞在したとしても「お客様」に過ぎない撮影クルーが撮れるものは、表面的、イベント的に限られてしまう。本当の日常とそこに起きていることを捉えるためには住人と一緒に時を共有し、冬を越さなければならない。それをロージ監督は実行した、あえて言えば撮影者が「当事者」に近くなる異質なドキュメンタリーである。

島に住む12歳の少年サムエレくんの日常は島の自然のなかで遊び、おおらかに過ぎていく。キッチンに流れる島ののどかなラジオから船が遭難したというニュースが流れる。しかし日常は大きく変わることなく過ぎていく。一方、遭難した船の状況に場面が移り、女性や子供が乗船し、ぎっしりいっぱいの難民が上陸する。そんな毎日だ。そのふたつのロケーションに接点はない。ずっとこのまま平行線にストーリーは進む。ドキュメンタリーだが、編集の仕方によりまるでフィクションのように”ストーリー”を感じる。いったいこのふたつの世界が出会うことがあるのだろうか。つまりサムエレくんは島に到着する難民の現実に触れることがあるのだろうか。島でたったひとりのピエトロ・パルトロ医師だけが、その両側にいる。サムエレくんの眼の治療もするし、難民上陸の立会い医師でもあり、難民の様々な困難な状況を目にする......。この淡々とした描き方、ことさら感情的にならず、冷静にこの世界を見守るロージ監督の目を感じる。いま世界は好むと好まないに関わらず、こうなっている。

話はちょっと逸れるが、エルマンノ・オルミ監督の『楽園からの旅人』(2011制作、2013日本公開)では、取り壊されることになった教会堂にアフリカ系の不法移民が救いをもとめて訪れ、段ボールの住居を作って住み着くが、時が来ると次の場所へと旅する(せざるをえない)「通り過ぎていく」人々の様を静かに描いていた。特に場所の特定はないが、おそらくこちらもランペドゥーサ島を舞台にしていたのではないか。そこでも教会の司祭でもないと、不法移民と接することがない。オルミ監督の最後の作品(正確には最後から2番目)でも、やはり、見下ろすというのではなく、冷静で落ち着いた「神の目」を感じたのを思い出した。

福嶋真砂代★★★★

www.bitters.co.jp

入賞・ノミネート

第66回ベルリン国際映画祭 金熊賞(グランプリ)、エキュメニカル審査員賞、アムネスティ・インターナショナル賞、ベルリーナー・モルゲンポスト紙読者審査員賞受賞
本年度アカデミー賞外国語映画賞イタリア代表

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Report 003 『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』ティム・バートン監督会見と双子の秘密

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日本版”奇妙な双子”のかわいらしさにティム・バートン監督もめろめろ

まさにおもちゃ箱をひっくり返したようなファンタジックな世界観を可視化する天才監督ティム・バートンが、最新作『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』の公開に向けて来日した。特異な能力を持つこどもたちが住む孤島を舞台にしたランサム・リグズの長編デビュー小説「ハヤブサが守る家」を原作にバートンの魔法をかけて、「みんな違っていていい」「ありのままの自分を受け入れる」というやさしいメッセージが流れるスリリングなワンダーワールドを作り上げた。宙に浮く少女、後頭部の口でワイルドに食事する少女、体の中に蜂を飼う少年、指先から火を放つ少女に怪力少女と、個性的なこどもたちの登場シーンは楽しくて仕方ないが、ひときわ筆者の目を引いたのは無口な双子。白いソフトな素材の上下服を着て白の仮面で顔を隠す、この双子から目が離せなくなった。双子は何やら凶暴そうな性質を持っているような持っていないような、何も能力を露わさないところも魅力的。双子のキャラクターの誕生秘話をぜひ監督に聞いてみたいところだったが残念ながら聞けず、うずうずしていた時にはこの会見場にまさかその双子がスタンバイしていたとは知らなかった。特に双子に関する記者からの質問もなく会見が過ぎ、最後にMCが「双子が怖かったですね」とさりげなくメンションしたのみ。すると監督は「双子はカワイイと同時に怖しい」と双子についての見解を語ってくれました。その直後に松井愛莉さんと一緒に登場したのは生(ナマ)の双子たち。仮面を脱ぐと最近人気急上昇の「りんか&あんな」ちゃんだった。しかしこの子たちの動きの「奇妙さ」はなんともこの映画にぴったり。カメラや多くの記者に囲まれても物怖じせずに、(まるで映画の双子のように)クマのぬいぐるみで遊びながらマイペースに楽しんでいる。クマで顔が隠れてしまうのでクマを下げてとカメラマンから指示が出て、松井さんに優しく促されてもクマは常に顔の前に。なんともキュートな双子に、ティム・バートン監督もすっかり目を細めパパの顔になっていました。(のちにTBS「王様のブランチ」ではおそらく古い写真コレクターのリグズの物と思われる双子の写真が紹介されていた。)双子の感想になってしまいましたが、記者会見の模様も以下掲載します。原作者のランサム・リグズのプロフィールを見ると映像制作出身の小説家ということで、フィルムメーカーでもある彼とバートンが協働で映画化したという話もうなずける。

Q:原作に書かれたキャラクターを視覚化する難しさは?

映画化する際にいくつかの変更を加えました。例えば、エマという女の子は原作では火を扱う超能力を持つ女の子だったのですが、僕は「宙に浮いている女の子」に詩的で美しいイメージがあって、それでエマを宙に浮くことができる女の子に変更しました。そうは言っても全体的には原作の精神をしっかり保つことを大事にしました。

Q:沈没船が浮上するシーンが美しかったです。またエマには原作にはない「空気を操る能力」を持たせたことで物語が大きく変化します。これは監督のアイディアですか?

もちろん本を読むという体験と映画を観るという視覚的な体験は違うものです。謎めいた部分、詩的な部分、美しさを表現することで、幸いにも原作者のリグズさんと協力して共同で映画を作ることができました。船のシーンは原作にあるものですが、リグズさんは古い写真に着想を得て作品作りをしている方です。静止画で捉えられていることを映像で伝えることは自分にとっては大きなチャレンジでしたが、もともと原作が持っている詩のような美しさを損なわずに表現することに力を尽くしました。

Q:ミス・ペレグリンは時間を操る能力のある女性でしたが、監督が時間を操れるとしたらどの時間に戻りたいですか。

僕自身は時間の管理がとても苦手な人間なんです。だから今日は何日かとか聞かないで下さい。そんな私がこのように時間を扱う映画を作ることは、僕をよく知る友人からも愉快に思われるくらい苦手なことなんですが、時を戻したり未来へ行くということより、いま現在を精一杯生きること、日々、目一杯いい形で過ごしたいと思っています。

Q:この映画はタイムリープをモチーフにしていますが、これまでのタイムトラベルやタイムリープの映画はたくさん作られていて、日本でも最近は時間をモチーフにした映画が注目されています。このような映画を監督はどのように分析していますか。

タイムリープ映画が作られていることは興味深く、意識はしてはいますが、僕は技術的な側面よりも感情面で作品を見ているので、たとえばこの作品では囚われたこどもたちを守るためにそういうモチーフを使っています。あまり技術的な解析とかに頼らずに描いています。

Q:奇妙でかわいらしいこどもたちが登場しますが、こどもたちと仕事をした感想は?

こどもたちの中には演技未経験者もいましたので、僕にとっては新しい経験になりました。実物の建物やセットで撮影したり、あまりCGIに頼らずに、環境を作ってこどもたちに演技をしてもらうことで、経験のなかで感じてもらうというという方法をとりました。またこどもたちは進んで自分たちでスタントをやりました。時には僕のこどもと同じであまり言うことを聞いてくれなかったりもしました。

Q:ベルギーやフロリダの印象的なロケ地について、こだわった点は?

フロリダでは『シザーハンズ』のロケ地の近くで撮影しました。そのあたりの木々がとても高くなっていて様相が変わっていてショックだったです。僕はカリフォルニアのバーバンクで育ちましたが、そこと似たような郊外の住宅地で撮影しました。素晴らしい家を見つけて撮影でき、役者にとってもスタッフにとっても本物の建物の中で仕事をすることはインスピレーションを得る点でもとても大切だと感じました。

Q:「ありのままの自分を受け入れる」というポジティブなメッセージが心に残りましたが、ご自身の体験と何かリンクしていますか?

自分自身が経験したことを元にしていることもあります、よく周りからちょっと変わっていると思われる多くの人は芸術性に富んでいたり、静かな人であったり、いい人たちなのです。この作品にあるようなちょっと他の人と違うと思われていてもそれはいいのだということです。ちょっと奇妙なことがあったとしても、基本的には普通のこどもたちであることは大切なことだと思いました。

Q:『ダーク・シャドウ』に続いて起用したエヴァ・グリーンについて、第2のジョニー・デップになる可能性は?

ワハハハ! ジョニーは男で、エヴァは女ですからね。いや、エヴァサイレント映画の時代の女優のような雰囲気を持っていて、言葉を語らなくても伝えることができる人です。ジョニーとはちょっと違うのですがいろいろな要素を演じることができ、エモーショナルだったり、謎めいていたりという表現ができる役者です。そして何より鳥に変身しそうな感じがありました。

Q:最後の方で日本のアイテムが出るシーンがありました。そこには監督の特別な思いがありますか?

そのシーンは僕が書いたところで、日本に来て撮影したかったのですが資金が足りなくて、結局はアメリカのサウンドステージで撮ることになりました。そういう想いがこもっています。

Q:小物や衣装がとても可愛らしいです。監督のアイディアが反映されていますか。今日も靴と靴下がとてもかわいいです。

(靴と靴下を見せながら)僕はアニメーション出身ということもあって、映画のビジュアルや衣装、メイクもキャラクターの一部であると考えています。場合によっては自分で絵を描いてスタッフに説明します。見た目だけでなく感覚や気持ちを伝えることが重要なので、僕にとっては衣装や小道具はとても重要なものです。

MC:双子ちゃんは怖かったですね。

双子というのはカワイイと同時に怖いです。

 取材・文・写真:福嶋真砂代

(※この会見は2017年1月31日に行われました)

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(左横には本物の双子が描かれています)

仮面を脱ぐと⇩

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